現代哲学理論「現象学」


現代哲学理論「現象学」は、後に検索する「現象学と自己認識の再構築」が詳しいが、ここで「現象学」の本質について述べる。

現代哲学者のエドムント・フッサールが提唱した現代哲学理論「現象学」は、「当たり前だと思うことを疑う」と教えて、当たり前だと思うことが常識を指して、常識を辞書で調べると普通の人が共通に持っている知識や理解力や判断力である。
しかし常識は本当に普通の人が共通に持っている知識や理解力や判断力か疑問で、そもそも全ての人が共通に持つ考え方があるかも疑うのが「現象学」で、極端な話が赤ちゃんから大人まで全ての人が共通なことがあるか愚問で、結局どんな考え方にも明確な答えなどない。
「現象学」の本質は全てを疑うことで、信じるか信じないか明確な答えがないように、本当か嘘かにも明確な答えがない「思い込み」なのが事実や真実である。
事実も真実も皆が正しいと信じているだけで、本当は全てが正しいか間違いか分からなくて、どんな答えも正しいと信じる「思い込み」から成立する。
僕の名前の真(まこと)は本当の答えが分からず、哲学や数学にも真の答えがないためで、全て正しいと信じる「思い込み」である。
数学は必ず答えがあるのが「思い込み」で、端数が小数点以下が割り切れず答えがなく、そもそもインドでゼロの概念が見つかるまで世界中になく、二進法や十進法も意識して生み出していて、もし人間の手が4本だったら八進法が常識となっている。

常識は正しいものと間違ったものがあって、中世ヨーロッパで聖書が常識だった時、天動説と神様が生物を作ったのが常識で、現在だと地動説と進化論が常識となって、常識が入れ替わることがあると考えることが大切である。
常識は入れ替わることがあるのを前提に捕らえて、どんなことも根本的に疑ってかかるという考え方が圧倒的な考え方を生み出す。
僕は2002年10月頃に歴史研究を始めて数日で、『日本書紀』の伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の黄泉国(よみのくに)下り神話が『古事記』の狭穂彦王(さほひこのみこ)の反乱を神話化した結論に至って、根本的に何も疑っていなかった。
しかし2003年5月頃に邪馬台国論争を研究して、まだ哲学を学んでなくて「現象学」も知らない時、邪馬台国論争の定説や異説を徹底的に調べ上げて、根本的に全てを疑ってかかったからこそ今の僕の考え方がある。
僕は邪馬台国論争を根本的に全てを疑って、考古学会の定説を打破して、『後漢書』と『魏志倭人伝』の訳本を徹底的に再検証して、最初と2冊目の著書を出版して、このホームページで邪馬台国時代(古代天皇家)の歴史を証明した。
考古学会の定説を打破した時に僕は、コペルニクス的転回(非常識な考え方の集合体)「自己認識の再構築」を身に付けて、北九州の属国(北九州4ヶ国)の定説を打破したが、最初に「自己認識の再構築」をコペルニクス的転回と気付かず、特殊思考能力の一種と考えていた。
僕の持つコペルニクス的転回は、アインシュタイン博士などと同じ考え方で、その根本に矛盾が存在しているが、矛盾を学ばなくても根本的に疑っていれば、コペルニクス的転回ができるかもしれない。
僕は歴史研究を常に疑って考えて、日本神話も倭の五王も根本的に疑っていたから正しい答えに至って、いつの間にか世界中の誰も及ばない人類史上最高の考え方を身に付けてしまった。
僕は常識・固定観念・先入観・理屈・伝統に捕らわれず、現代哲学理論「現象学」を理解して、コペルニクス的転回を使えることが現代人をはるかに凌駕(りょうが)して、アインシュタイン博士を超えた理由でもある。
僕は常識・固定観念・先入観・理屈・伝統に捕らわれていても、頭の中で新たなイメージを作り出して塗り替えてしまって、これが「自己認識の再構築」の本質だと言ってもいい。
僕は現代哲学理論「現象学」を理解していることで、現代人より数百年から数千年レベルで上回る超頭脳を持ったが、僕に学ぶことで現代人ももっと思考パターンを改善できる。
僕は常にコペルニクス的転回を使うことができて、ここまでなるために何十年も必要かもしれないが、世界中に僕クラスの天才が出現する可能性を示した。
僕の歴史研究や頭脳研究や人生経験に学んで、僕に少しでも近づきたいと考えるのが自然なことで、僕の本やホームページで何かを学んでもらえたらうれしい。

UFOや未確認生物や超古代文明や幽霊などは、本当か嘘か分からず明確な答えがなく、「思い込み」なのが本当である。
僕は日本神話の神々が全ておそらく実在した人物を神格化したと示したが、それも明確に信じるか信じないかで、古代天皇家の中に卑弥呼と台与(とよ)がいるかも本当に「思い込み」である。
人間は信じたいものを信じて、あるがままを見て本当に感じているだけで、十人十色と言うように明確に同じことなどなくて、人類が存在する星の数ほどの「思い込み」がある。
人間が信じたい天皇家は、世界的盟主で超古代文明の王家の末裔(まつえい)で、人類を導いてくれる希望なのだとか、あることないことを「思い込み」で想像する。
僕は超天才か馬鹿か分からず、世界的救世主やアインシュタイン博士以上の天才や後継者的存在も僕の自称で、それが本当でも嘘でもあって、明確な答えなど存在せず「思い込み」である。
現代哲学理論「現象学」の本質の全てを疑うことを大切にして、僕の古代日本史研究を検索する時、これを頭の片隅に置いて読んでもらいたい。

<参考文献>
『この一冊で「哲学」がわかる!』
白取春彦・編者 株式会社三笠書房・発行

戻る