彦坐王(ひこいますのみこ)と古代太陽神


これは出版していない3冊目以降の本の著作権を含む。

彦坐王と古代太陽神は、彦坐王を日本各地の古代太陽神に神格化して、その地域との関連性を示す史料を今まで詳(くわ)しく作らなかったので作成して、2021年1月13日からまとめ始めた。
彦坐王は、実在の初代と考えられる崇神(すじん)天皇の実兄で、最古の皇族として直系子孫の古代太陽神氏族を多く輩出したと考えられる。

西暦80年代前半に古代天皇家は、どこかからやって来て大阪府に上陸して、奈良県まで侵入して制圧して、崇神天皇元年1月13日(西暦84年2月中旬頃)に崇神天皇が奈良県磯城郡(しきぐん)で即位したと考えられる。
古代の男性の太陽神で、物部(もののべ)氏の祖先神の饒速日命(にぎはやひのみこと;彦坐王を神格化)は、河内(かわち;大阪府東部)に天孫降臨して、崇神天皇の実兄の彦坐王が武将として、大阪府から奈良県を制圧して、天皇家が誕生した物語を神話化したと考えられる。

『ホツマツタエ』の日本神話は、2代目ホノアカリ(彦坐王を神格化)の長男ニギハヤヒ(狭穂彦王(さほひこのみこ)を神格化)が初代ホノアカリの後を継(つ)いで、十種(とくさ)の神宝(かんだから)のオキツカガミとヘツカガミも受け継いだと記す。
彦坐王は初代出雲国王で、息子の狭穂彦王が2代目出雲国王で、直系子孫が物部氏であって、物部氏が古代太陽神氏族と考えられる。

神武(じんむ)天皇(仁徳(にんとく)天皇を祖先化)は、宮崎県から奈良県に東征して、奈良県にいた饒速日命(初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)を神格化)が統治権を譲渡して、仁徳天皇の奈良県入りを100才近い忠臣の物部氏出身の初代・武内宿禰が迎えて、仁徳天皇の即位で皇位継承権争いを決着したと考えられる。
饒速日命は、物部氏の始祖の彦坐王と息子の狭穂彦王と直系子孫の初代・武内宿禰の3人を神格化して、日本神話を完全解釈できる僕以外に誰も求められない。

崇神天皇11年4月13日(西暦94年5月中旬頃)に丹波(たには;京都府北中部)王国の滅亡を総大将で実兄の彦坐王が崇神天皇に報告した。
古代の男性の太陽神で、京都府宮津市の元伊勢籠(この)神社宮司家である海部(あまべ)氏の祖先神の火明命(ほあかりのみこと;彦坐王を神格化)は、丹波に天孫降臨して、元伊勢籠神社の社伝で彦坐王の息子の丹波道主王(たにはみちぬしのみこ)に当たって、彦坐王の息子である狭穂彦王の異母兄弟が丹波道主王で、その直系子孫が海部氏である。
古代太陽神の火明命は、饒速日命と同一神で、物部氏の直系子孫が火の神様に神格化されて、海部氏の祖先神の火明命も火の神様で、物部氏と海部氏が共に彦坐王を始祖とする同一氏族(古代太陽神氏族)でもある。
元伊勢籠神社の火明命の神宝は、邊津鏡(へつかがみ)が前漢王朝時代(約2050年前)で、息津鏡(おきつかがみ)が後漢王朝時代(約1950年前)の銅鏡で、饒速日命の神宝のオキツカガミとヘツカガミとも合致して、物部氏と海部氏が同一氏族の重要な証拠で、邪馬台国(やまとこく;大和国)時代の後漢王朝からの下賜品と考えられる。
天照国輝彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)は、古代の男性の太陽神である天照神(あまてるかみ)と火明命と饒速日命の3神を合体した神名で、物部氏と海部氏が同一氏族の根拠である。

兵庫県豊岡市出石(いずし)町の出石神社の祭神である古代の男性の太陽神である天日槍(あめのひぼこ;彦坐王を神格化)は、新羅(しらぎ;古代朝鮮国家)の王子だが、「あめのひぼこ」が朝鮮人っぽい人名でなく、明らかに日本人の名前である。
さらに『播磨国風土記』で天日槍が葦原志挙乎(あしはらしこお;大国主神(おおくにぬしのかみ)の別名)や伊和大神(いわおおかみ;これも大国主神らしい)と争うことを記して、『筑前国風土記』に「高麗(こうらい)の国の意呂山(おろやま)より降り来し日鉾(ひぼこ)」と記して、どちらも天日槍が人間でなく、神様のように考えられる記述である。
『古事記』で天之日矛(あめのひぼこ)は、出石神社に辺津鏡(へつかがみ)と奥津鏡(おきつかがみ)を納(おさ)めて、元伊勢籠神社の神宝の邊津鏡(へつかがみ)と息津鏡(おきつかがみ)の銅鏡と合致して、天日槍が彦坐王を神格化した根拠である。
但馬(たじま;兵庫県北部)は、彦坐王の丹波王国の平定で、古代天皇家の統治下に置いた土地でもあって、兵庫県の神様の天日槍と合致する。
天日槍は人間とするが、明らかに神様として扱(あつか)われて、古代太陽神に間違いない根拠が多くある。

古代太陽神でない5代目・高皇産霊尊(たかみむすびのみこと;彦坐王を神格化)は、出雲と京都府宮津市にいた神様で、彦坐王を神格化したからその土地の神様とする。
古代の男性の太陽神で、奈良県桜井市の大神(おおみわ)神社に祭る初代・大物主神(おおものぬしのかみ;彦坐王を神格化)は、出雲大社の祭神の大国主神(彦坐王を神格化)と同一神で、大国主神が太陽神の要素を消されたが、初代出雲国王の彦坐王の直系子孫で、7代目出雲国王の飯入根(いいいりね)が少なからずかかわる。
歴代の大物主神は、歴代の出雲国王を神格化して、初代・大物主神(彦坐王を神格化)から7代目・大物主神(飯入根を神格化)までいて、彦坐王から直系子孫の飯入根まで物部氏の人物を神格化して、出雲の国譲り神話の大国主神(飯入根を神格化)に当たる。
省略するが、大国主神の別名の大己貴神(おおなむちのかみ)は彦坐王を神格化して、出雲の国譲り神話の大国主神が飯入根を神格化する。
出雲王国は、初代出雲国王の彦坐王が1世紀末から2世紀前半までに建国して、西暦260年神無月の出雲王国の崩壊(出雲の国譲り神話に神話化)まで全て史実と僕が証明した。
初代出雲国王の彦坐王の直系子孫で、7代目出雲国王の飯入根の子孫は、現在の出雲大社宮司家の千家(せんげ)氏に血筋を受け継いで、古代天皇家の子孫でもあって、千家氏に嫁(とつ)いだ高円宮(たかまどのみや)典子(のりこ)様が元皇族で、千家典子(せんげのりこ)様が子供をもうけられたら、古代天皇家と現在の皇室の血筋が交(まじ)わると考えられる。

この資料と関連する考古学的証拠は、「天皇家誕生の時期」の章である。
彦坐王と古代太陽神は、日本各地の史実と日本神話を証明できる僕以外に求められず、決して完全否定できない神域という名の聖域で、現代人(僕以外の人間)の人知を超えた領域である。
僕にしかひもとけない神域は、現代人(僕以外の人間)のシロウトの専門家(考古学者と歴史学者と歴史家)が口を出せない神の領域で、とっとと神の如(ごと)き僕の実力に気付くべきである。

<参考文献>
『完訳秀真伝』
鳥居礼・編著者 八幡書店・発行
『日本書紀(上)全現代語訳―全二巻―』
宇治谷孟・著者 株式会社講談社・発行
『元伊勢の秘宝と国宝海部氏系図』
海部光彦・編著者 元伊勢籠神社社務所・発行
『古事記(中)―全三巻―』
次田真幸・著者 株式会社講談社・発行
『古代日本史への挑戦』
僕・著者 株式会社オカムラ・発行
インターネット

戻る