影の主役の古代豪族


これは出版していない3冊目以降の本の著作権を含む。

邪馬台国時代と空白の4世紀と倭の五王時代を結び付ける存在は、古代天皇家の歴史の影で活躍する古代豪族で、古代天皇家や皇族の子孫の古代豪族も多くいて、実在を証明できない凡人と専門家が見逃してしまう。
どんなに頑張っても凡人と専門家は、古代豪族の実在を証明するのが100%不可能で、実在を証明できるアインシュタイン博士以上の天才の僕との決定的格差で、これが大きく歴史を左右すると考えられる。
僕はホームページで出雲王家(物部(もののべ)氏)や海部(あまべ)氏や大伴(おおとも)氏や歴代の武内宿禰(たけのうちのすくね)とその子孫たちを記して、これが出版していない僕の3冊目の本に記した古代豪族の一部である。
古代天皇家の歴史の真実を証明する上で注目するのは、歴代天皇がいつ実在したのかやそれを支えた古代豪族が実在して、系図に間違いがないかと正しく分析できる僕の認識力の高さである。
僕の認識力の高さは、僕の超頭脳が現代人レベルをはるかに凌駕(りょうが)した例外だからで、地球上の誰も僕に並ぶ力を持てるはずもなく、ただ僕の分析結果を待つことしかできない。
自分たちの非力さを自覚して未来につなげることは、超天才の僕の考え方を学ぶ上で重要なことで、自分のことを全く自覚できない人間との決定的な違いで、自分の力を自覚することが大切である。

彦坐王(ひこいますのみこ)の子孫の古代豪族は古代太陽神氏族で、武家の物部氏と丹波国造(たんばくにみやつこ)の海部氏と有力豪族の和珥(わに)氏などで、古代天皇家と血縁関係や婚姻関係にあった者も多くいる。
出雲王家(物部氏)は、その直系子孫が現在の出雲大社宮司家の千家(せんげ)氏と初代・武内宿禰の直系子孫の竹内(たけうち)氏などで、他にも大物主神(おおものぬしのかみ)を祭る三輪(みわ)氏や埴輪(はにわ)を作る土師(はじ)氏や武家の阿倍(あべ)氏なども輩出している。
初代・武内宿禰の直系子孫は、紀(き)氏や葛城(かつらぎ)氏や平群(へぐり)氏や巨勢(こせ)氏や蘇我(そが)氏などの有力豪族である。
海部氏は分家した尾張(おわり)氏が愛知県西部を中心に活躍して、西暦507年3月に即位した継体(けいたい)天皇の息子の安閑(あんかん)天皇と宣化(せんか)天皇が母を尾張氏の出身とする。
景行(けいこう)天皇の息子の武虎別皇子(たけこわけのみこ)は、長男の武渟川別(たけぬなかわわけ)の子孫が阿倍氏と祭祀氏族の忌部(いんべ)氏で、次男の比古伊那許士別命(ひこいなこしわけのみこと)の子孫が食事を作る膳(かしわで)氏である。
吉備(きび;古代の岡山県と広島県東部)を中心に栄えた武家の吉備氏は、垂仁(すいにん)天皇の皇子の祖別命(みおやわけのみこと)を先祖とする。
武家の大伴氏は、彦坐王の伯父(おじ)の瀛津世襲(おきつよそ)を先祖とする。
このように古代天皇家や皇族の子孫は多くいて、現在の皇室の子孫でも源氏や平氏などがいて、僕の先祖も皇室を先祖とする清和(せいわ)源氏の血筋である。
皇室や皇族の子孫は、現在の国内に何万人くらいいるのかとても想像できなくて、あまりに多いことだけは確かで、直系子孫と知る人間などごくわずかである。

僕が分析した物部氏の系図は、歴代の出雲国王に比定される人物たちの系図が無茶苦茶で、4代目出雲国王の物部十市根(もののべのといちね)の兄弟や子孫の系図が正しくて、系図が上下して正しい所と間違った所を含んでいる。
僕が分析した千家氏の系図は、濡渟(うかずくぬ)の息子が野見宿禰(のみのすくね)とするが、正しいのが3代目出雲国王の野見宿禰で、濡渟の孫が息子になると考えられて、系図に直接的な間違いがある。
は「盧へん」に鳥の漢字で、ホームページで表示できるが注意書きにする。
僕が分析した海部氏の系図は、彦坐王からその直系子孫の海部氏まで年代的な間違いがないと考えられて、比較的正しい系図だと考えられる。
僕が分析した大伴氏の系図は、3世紀中頃から後半の人物と5世紀中頃から後半の人物が親子とされて、確実な間違いが存在して信用できない系図だと証明した。
僕が分析した藤原氏の系図は、景行(けいこう)天皇(西暦191年から250年まで在位)を先祖とする古代天皇家の直系子孫で、日本神話の神々につながる古代豪族をひもとくヒントである。
僕が分析した歴代の武内宿禰の系図は、景行天皇60年(西暦250年)から登場する初代・武内宿禰から現在の73代目の武内宿禰である竹内睦泰(たけうちむつひろ)氏まで間違いがなく、系図の信頼性が高いとお墨付きを与えられる。
このように古代豪族の系図は、僕が直接分析して正しいか間違いかを見極(みきわ)めて、世の中に示すべきであると証明している。

出版していない僕の3冊目の本は、嫌と言うほど古代豪族の系譜が正しいか示していて、出版されれば間違いなく歴史を一新してしまう。
それが僕の持つ本領で、これまで誰にも理解されることなくすごしてきた真実で、古代日本史の革命を起こすことなど目に見えて、地動説と進化論と相対性理論以上のコペルニクス的転回(非常識な考え方の集合体)である。
僕は多くの古代豪族の系譜を分析すれば、間違いなく正しいか間違いか求められて、多くの系譜の書き直しが行なわれるだろう。
しかし僕はたった一人しかいなくて、そんな些細(ささい)な問題にばかりかかり切りにもなれず、やることが幾らでもあって手を付けられるか分からない。
優秀すぎる超天才の僕は、僕の自分の才能がすごくもあり恐くもあって、できすぎるというのも考え物である。

<参考文献>
『日本書紀(上)全現代語訳―全二巻―』
宇治谷孟・著者 株式会社講談社・発行
『完訳秀真伝』
鳥居礼・編著者 八幡書店・発行
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