河内(かわち;大阪府東部)の天孫降臨神話

青字は、日本神話の原文を僕が書き直した現代日本語訳で、赤字が僕の現代日本語訳の解釈文で、黒字が僕の完全解釈した説明文などである。

饒速日尊(にぎはやひのみこと)は、天神(あまつかみ)の御祖(みおや)の詔(みことのり)を受けて、天磐船(あまのいわふね)に乗って、河内国(かわちのくに;大阪府東部)の河上の哮峯(いかるがのみね)に天降(あまくだ)り坐(ま)して、すなわち大倭国(やまとのくに)の鳥見(とみ)の白山(しらやま)に遷(うつ)り坐(ま)す。
いわゆる天磐船(あまのいわふね)に乗って、大虚空(おおぞら)を翔(か)け行(ゆ)きて、この郷(さと)を巡り見て、天降(あまくだ)り坐(ま)す。
すなわち「虚空見(そらみ)つ日本国(やまとのくに)」と宣(のたま)うはこれなるか。
饒速日尊(にぎはやひのみこと)つごうよく長髄彦(ながすねひこ)の妹の御炊屋姫(みかしやひめ)を娶(めと)って、妃(みめ)となし妊胎(はらま)したまう。
いまだ産む時に及ばざるに饒速日尊(にぎはやひのみこと)すでに神殞去(かむさ)り坐(ま)しぬ。
…(省略)…御炊屋姫(みかしやひめ)を妃となして、天降(あまくだ)りて、宇摩志麻治命(うましまじのみこと)を誕生(あれ)ましぬ。


古代太陽神の饒速日尊(にぎはやひのみこと;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)は、河内国(かわちのくに;大阪府東部)の河上の哮峯(いかるがのみね;大阪府交野市(かたのし)私市(きさいち)の磐船(いわふね)神社)に降臨して、大阪府の敵対勢力を討伐して、日本の建国(天皇家誕生)の前である。
饒速日尊(にぎはやひのみこと;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)は、大阪府から大和国の鳥見(とみ)の白山(しらやま;奈良県のどこの山か不明)に移って、天磐船(あまのいわふね)に乗って、大虚空(おおぞら)を翔(か)行きて、この郷(さと)を巡り見て、天降(あまくだ)り坐(ま)して、「虚空見(そらみ)つ日本国(やまとのくに)」と言ったのがこれである。
饒速日尊(にぎはやひのみこと)は、従った長髄彦(ながすねひこ;誰を神格化したか不明)の妹の御炊屋姫(みかしやひめ;沙本之大闇見戸女(さほのおおくらみとめ)を神格化)を娶(めと)って、妃(きさき)として身籠(みご)もるが、産む時に饒速日尊(にぎはやひのみこと)がすでに亡くなって、宇摩志麻治命(うましまじのみこと;狭穂彦王(さほひこのみこ)を神格化)が誕生した。


饒速日尊(にぎはやひのみこと;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)の河内(かわち;大阪府東部)の天孫降臨神話(河内(かわち)平定神話)は、『天神本紀』が記す日本最古の神話で、神武(じんむ)東征5年後半から神武(じんむ)東征6年2月19日(崇神(すじん)東征5年後半から崇神(すじん)東征6年2月19日;西暦81年後半から82年3月中旬頃)の時期と考えられて、饒速日尊(にぎはやひのみこと)が出雲王国(物部(もののべ)氏)の祖先神である。
饒速日尊(にぎはやひのみこと)の河内(かわち)の天孫降臨神話は、2代目・火明命(ほあかりのみこと;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)の丹波(たんば;古代の京都府北中部)の天孫降臨神話と合致して、京都府宮津市の元伊勢籠(この)神社宮司家の海部(あまべ)氏と出雲王国(物部(もののべ)氏)の祖先神が合致して、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと;誉田別尊(ほむだわけのみこと;即位しない応神(おうじん)天皇)を神格化)の日向(ひうが;宮崎県)の天孫降臨神話と別の神話である。

饒速日尊(にぎはやひのみこと;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)の河内(かわち;大阪府東部)の天孫降臨神話(河内(かわち)平定神話)は、出雲王国(物部(もののべ)氏)の祖先神を示す神話だが、出雲の建国神話(出雲の国引き神話)が崇神(すじん)天皇12年9月16日(西暦95年10月中旬頃)に出雲王国(物部(もののべ)氏)の建国を報告して、河内(かわち;大阪府東部)平定神話と出雲(いずも;島根県東部)平定神話が合致しない。
神武(じんむ)東征5年後半から神武(じんむ)東征6年2月19日(崇神(すじん)東征5年後半から崇神(すじん)東征6年2月19日;西暦81年後半から82年3月中旬頃)は、河内(かわち;大阪府東部)平定神話の時期で、神武(じんむ)統一1年から2年(崇神(すじん)統一1年から2年;西暦82年から83年)に奈良県の敵対勢力を懐柔(かいじゅう)や討伐して、崇神(すじん)天皇元年1月13日(西暦84年2月中旬頃)に35才の崇神(すじん)天皇が即位して、前後関係が求められた。

饒速日尊(にぎはやひのみこと;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)は、春日建国勝戸女(かすがのたけくにかつとめ)と結婚して、娘の御炊屋姫(みかしやひめ;沙本之大闇見戸女(さほのおおくらみとめ)を神格化)が生まれて、沙本之大闇見戸女(さほのおおくらみとめ)とも結婚して、宇摩志麻治命(うましまじのみこと;狭穂彦王(さほひこのみこ)を神格)を生んだ。
孝昭(こうしょう)天皇45年5月15日(西暦45年6月中旬頃)生まれの彦坐王(ひこいますのみこ)は、息子の狭穂彦王(さほひこのみこ)が崇神(すじん)天皇38年(西暦121年)から崇神(すじん)天皇41年(西暦124年)頃の生まれで、垂仁天皇7年夏(西暦158年5月から7月頃)に33才から36才頃で戦死して、正しい年齢計算である。

彦坐王(ひこいますのみこ)は、春日建国勝戸女(かすがのたけくにかつとめ)と結婚して、娘の沙本之大闇見戸女(さほのおおくらみとめ)が生まれて、娘の沙本之大闇見戸女(さほのおおくらみとめ)とも結婚して、長男の沙本毘古王(さほひこのみこ)と次男の袁邪本王(おざほのみこ)と長女の沙本毘売(さほひめ)と三男の室毘古王(むろひこのみこ)が生まれた。
饒速日尊(にぎはやひのみこと)は、長髄彦(ながすねひこ)の妹の御炊屋姫(みかしやひめ)を妃にして、春日建国勝戸女(かすがのたけくにかつとめ)の兄が河内(かわち)平定の時、彦坐王(ひこいますのみこ)に従属した敵将の可能性があるが、饒速日尊(にぎはやひのみこと)が出雲王国(物部(もののべ)氏)の神様でもあって、長髄彦(ながすねひこ)が出雲の敵将の可能性もある。

饒速日尊(にぎはやひのみこと;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)は、「虚空見(そらみ)つ日本国(やまとのくに)」と日本の国号を決めて、饒速日尊(にぎはやひのみこと)が古代太陽神で、彦坐王(ひこいますのみこ)が最古の古代太陽神の宮司だからである。
饒速日命(にぎはやひのみこと;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)は、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと;誉田別尊(ほむだわけのみこと)を神格化)の実兄だが、饒速日命(にぎはやひのみこと)が火明命(ほあかりのみこと)と同一神で、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の息子である火火出見尊(ほほでみのみこと;仁徳(にんとく)天皇を神格化)の実兄ともして、違和感を抱(いだ)いて、本当の血筋が求められた。
伯父(父の兄)の初代・火明命(ほあかりのみこと;誉屋別皇子(ほむやわけのみこ)を神格化)と甥(おい)の2代目・火明命(ほあかりのみこと;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)は、正しく求めると、先祖の彦坐王(ひこいますのみこ)と子孫の誉屋別皇子(ほむやわけのみこ)を神格化して、超天才の僕にしか求められない。

饒速日尊(にぎはやひのみこと;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)は、出雲王国(物部(もののべ)氏)の祖先神で、その直系子孫が出雲大社宮司家の千家(せんげ)氏や竹内(たけうち)氏などで、出雲王国と物部(もののべ)氏を特定できないように藤原不比等(ふじわらのふひと)が「記紀」に偽装工作をした。

河内(かわち)の天孫降臨神話は、参考文献の『先代旧事本紀 訓註』に基づいて、日本の建国(天皇家誕生)以前の戦争を神話化した。

<参考文献>
『古代日本史への挑戦』
著者・僕 発行・株式会社オカムラ
『続・私の半生と古代日本史』
著者・僕 発行・株式会社オカムラ
『先代旧事本紀 訓註』
編者・大野七三 発行・批評社
『日本書紀(上)全現代語訳―全二巻―』
著者・宇治谷孟 発行・株式会社講談社
『古事記(上)(中)―全三巻―』
著者・次田真幸 発行・株式会社講談社
『完訳秀真伝(上巻)』
編著者・鳥居礼 発行・八幡書店
『ホツマ辞典』
著者・池田満 発行・ホツマ刊行会
インターネットの不明サイトから少々拝借

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