欠史(けっし)八代の疑問点


これは出版していない3冊目以降の本の著作権を含む。

欠史八代は皇統譜(こうとうふ;皇室の戸籍簿)で2代目から9代目までの天皇で、「記紀」で歴史が欠(か)けて架空の天皇でないかと考えられて、歴史の欠けた8世代で欠史八代と呼ばれる。
しかし欠史八代の天皇の皇子皇女や子孫などは、実在性が高くて欠史八代の天皇が架空の作り物でない可能性をよく指摘される。
これは巧妙に作られた歴史の謎で、専門家が幾ら頑張っても求められないが、アインシュタイン博士以上の天才の僕からすれば至極簡単である。

欠史八代の天皇は在位期間が百年以上の者もいるが、神武天皇の章で説明した通りで、『日本書紀』は歴代天皇全員の即位年が干支(えと)で記されて、干支の60年周期を利用して在位期間に60年間を加算していることで説明できる。
歴代天皇の在位期間の問題は、『日本書紀』の即位年を干支で記して、全て足し算引き算で説明できて、この程度の考え方もできなかったのが専門家である。
専門家は第一人者などともてはやされるが、本当の姿がただ騒がれるだけで何の知識もない凡人程度の現代日本人レベルの馬鹿者にすぎなくて、アインシュタイン博士以上の天才の僕と勝負できるはずもない。

欠史八代の2代目の綏靖(すいぜい)天皇と3代目の安寧(あんねい)天皇と4代目の懿徳(いとく)天皇は、実在の天皇を祖先化したのか、架空の天皇を一から作り上げて系図をつないだのか、どんなに研究しても答えを求められなかった。
綏靖天皇と安寧天皇と懿徳天皇は、その皇后から足取りを追ってみたが分からず、他にも色々な方法で研究してみたが、専門家を簡単に黙らせられる僕でも手も足も出なかった。
こればかりは僕以外の研究者や後世の研究者たちの課題として、誰かがひもといてくれることを願いたい。

5代目の孝昭(こうしょう)天皇は、皇后を世襲足媛(よそたりひめ)で、二人の子が長男を和珥(わに)氏の始祖の天足彦国押人命(あまたりひこくにおしひとのみこと)で、次男が孝安(こうあん)天皇である。
実在の初代の崇神(すじん)天皇は、異母兄弟に和珥氏出身の彦坐王(ひこいますのみこ)がいるが、崇神天皇と彦坐王の実父が系図の祖先化から孝昭天皇と考えられて、実母が世襲足媛で、実兄が彦坐王で実弟が崇神天皇と考えられる。
系図の祖先化から考えられるのは、天足彦国押人命が彦坐王を祖先化して、孝安天皇が崇神天皇を祖先化したという事実である。
孝昭天皇の国風諡号(しごう)の観松彦香殖稲尊(みまつひこかえしねのみこと)は、崇神天皇の国風諡号の御間城入彦五十瓊殖尊(みまきいりひこいそにえのみこと)と合致して、読み方の「みま」と漢字の「殖」が共通することも実の親子と考えられる。
世襲足媛の名前は、京都府宮津市の元伊勢籠(この)神社の宮司家である海部(あまべ)氏に伝わる日本最古の系図の『海部氏系図』に記されて、由緒正しい家柄の女性である。

6代目の孝安天皇は、皇后を天足彦国押人命の娘の押媛(おしひめ)で、二人の一人息子を孝霊(こうれい)天皇として、実在の2代目の垂仁(すいにん)天皇が孝霊天皇に祖先化されている。
崇神天皇は皇后を御間城姫(みまきひめ)で、実兄の彦坐王の娘である御井津比売(みいつひめ)が御間城姫に当たると考えられる。

7代目の孝霊天皇は、それぞれ妃が違うが子供がいて、息子の孝元(こうげん)天皇と兄稚武彦命(えわかたけひこのみこと)と娘の倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)がいる。
垂仁天皇はそれぞれ妃が違うが子供がいて、3人目の皇后との間に生まれた景行(けいこう)天皇、妃の一人との間に生まれた祖別命(みおやわけのみこと)、2人目の皇后との間に生まれた倭姫命(やまとひめのみこと)がいて、それぞれを祖先化している。
古史古伝『ホツマツタエ』で兄稚武彦命の子孫が吉備津彦(きびつひこ)で吉備(きび)氏の始祖とされるが、吉備(岡山県と広島県東部)を平定したのが兄稚武彦命だから吉備津彦と同一人物と考えられて、兄稚武彦命が男の三人兄弟の長男である。
祖別命(みおやわけのみこと)は男の三人兄弟の長男で、吉備津彦に祖先化されていると考えて間違いなく、母が結婚した年代だけが記されて、この皇子の事績がないから母が結婚した年代が当てにならない。
倭迹迹日百襲姫命は古代太陽神の大物主神(おおものぬしのかみ)の妻で、倭姫命(やまとひめのみこと)が伊勢神宮の斎王(さいおう;太陽神に仕える未婚の皇女)であるから、倭迹迹日百襲姫命として祖先化されているのが間違いない。

8代目の孝元天皇は、それぞれ妃が違うが子供がいて、開化(かいか)天皇と武埴安彦命(たけはにやすひこのみこと)と阿倍(あべ)氏の始祖の大彦命(おおびこのみこと)である。
開化天皇と武埴安彦命は同一人物で、実在の3代目の景行天皇を父として、皇太子を特別扱いの皇子と記す日本武尊(やまとたけのみこと)を祖先化して、開化天皇が成務(せいむ)天皇を祖先化して、異母兄弟の日本武尊と成務天皇も同一人物である。
大彦命は阿倍(あべ)氏の始祖で、武虎別皇子(たけこわけのみこ)が阿倍氏の出身なのが大彦命に祖先化されているためである。

9代目の開化天皇は、息子を実在の初代の崇神天皇として、系図の祖先化がここで終わる。
崇神天皇の皇后の御間城姫は大彦命の娘で、大彦命が実在した皇子の武虎別皇子に祖先化しているから実在せず、実在した4代目の仲哀(ちゅうあい)天皇の皇后である神功(じんぐう)皇后を祖先化して、神功皇后の父の武虎別皇子が大彦命と物部(もののべ)氏の血筋でつながる。

欠史八代の天皇は、「作られた系図」の章で説明していて、系図の祖先化が実在系譜を祖先としただけでなく、皇族の子孫が有力豪族であることも説明できる。
系図の祖先化はずいぶん簡単な偽装工作だが、昔から歴史学者が全く気付かなくて、これを無能と言わずして何と言うのか?
僕は系図の祖先化を最初の著書に記して著作権を得ていて、僕がこの程度に気付けない馬鹿共よりはるかに頭が良いのが分かり切っている。

<参考文献>
『完訳秀真伝』
鳥居礼・編著者 八幡書店・発行
『日本書紀(上)全現代語訳―全二巻―』
宇治谷孟・著者 株式会社講談社・発行
『古代日本史への挑戦』
僕・著者 株式会社オカムラ・発行
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