他人に理解させることの困難さ

他人に理解させることの困難さは、僕の歴史研究…古代天皇家の歴史の自論が超理論で、超越した論理飛躍と考えられて、世界でただ一人の完全解釈できる僕の常識(当たり前)が凡人(僕以外の人間)に通じなくて、一から理解されない難しさに直結して、長年に渡って僕が認められない現実だった。
コペルニクス的転回(非常識な考え方の集合体)の代表例は、地動説や進化論や相対性理論や僕の歴史研究の4例を言葉で説明して、僕の常識(当たり前)を凡人(僕以外の人間)に説明して、凡人(僕以外の人間)が理解できる考え方で教えて、定義付けたことが非常に重要である。
僕の考え方は、コペルニクス的転回「自己認識の再構築」や現代哲学理論「現象学」などが常識(当たり前)で、ずっと凡人(僕以外の人間)の考え方が簡単に理解できず、互(たが)いの考え方が根本的に違う理由そのものを蔑(ないがし)ろにして、理解した気になって傲慢(ごうまん)だった。

日本神話の神々の領域…神域を求めた僕は、世界でただ一人の僕だけが持つ超感覚で、日本神話の神々が誰を神格化したか、僕自身が感覚で掴(つか)めるが、現代人(僕以外の人間)が日本神話の神々が誰を神格化したか、僕の説明した特徴や共通性などしか理解できず、神様を生(なま)で直接に感じられる僕と、間接的に感じられる現代人(僕以外の人間)の決定的な違いである。
僕は日本の建国(天皇家誕生)の崇神(すじん)天皇元年(西暦84年)から、神功(じんぐう)皇后の死去年の摂政(せっしょう)69年(西暦329年)までを特定したが、西暦330年から506年までの空白年代をずっと特定できず、古代天皇家の歴史を実話(現実に起きた出来事)と証明できなくて、ずっと不安だった。
しかし2023年7月21日の午後7時頃に僕は、神武(じんむ)東征(仁徳(にんとく)東征)の年代を特定して、摂政(せっしょう)69年(西暦329年)が仁徳(にんとく)東征1年で、天皇不在の年の西暦333年が仁徳(にんとく)東征5年と定めて、武烈(ぶれつ)天皇32年(西暦506年)までの空白年代を特定して、完全に決着した。
僕の自論の年代は、崇神(すじん)天皇時代から神功(じんぐう)皇后時代までの年代を特定して、ずっと応仁(おうじん)天皇時代から武烈(ぶれつ)天皇時代までの年代を特定できなくて、他人(僕以外の人間)を納得させられず、不安にさせたことが大きな敗因である。

<参考文献>
『古代日本史への挑戦』
著者・僕 発行・株式会社オカムラ
『続・私の半生と古代日本史』
著者・僕 発行・株式会社オカムラ
『この一冊で「哲学」がわかる!』
著者・白取春彦 発行・株式会社三笠書房
インターネットの不明サイトから少々拝借

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