この「こだわり」こそ夢を実現する力


これは僕の4冊目の本に記している内容を抜粋している。

自分の強みがそのまま自信になる

中村修二博士は青色発光ダイオードを発明した実績と自信、そこへ至る誰にも負けない技などを頼りに進むことができるという。

古代日本史研究で成功した僕は、誰も到達できないほどの領域の能力である普段からコペルニクス的転回(非常識な考え方の集合体)を使いこなせる人間で、アインシュタイン博士以上の天才であるという絶対的な自信がある。
正当な歴史書とされる「記紀」に反する書物を古史古伝と呼んで、確実に間違った歴史書の烙印(らくいん)を押されているが、歴史上で僕だけが可能とした普段からコペルニクス的転回を使いこなせる能力があれば、古史古伝の中に正当な歴史書があるはずだと認めさせる自信がある。
漢字以前の時代の古代文字とされる神代(しんだい)文字で記された古史古伝『ホツマツタエ』と兵庫県中心の古代伝承を集めた古史古伝『但馬国司文書』などは、僕が完全解釈して6冊目の著書以降として出版させてみせるという絶対的な自信がある。
自分自身の持つ強みは、そのまま自信につながるものでプライドを捨てずに頑張って、圧倒的に努力していくことが大切だと思う。

自分の頭脳と実力で勝負できる世界

中村修二博士は屈辱のあだ名「スレイブ(奴隷)・ナカムラ」と呼ばれて会社で冷遇されたことから、新天地の米国で教授となって自分の頭脳と実力の評価される場所に移ったという。

邪馬台国時代の古代天皇家の歴史を求めた僕は、自分の頭脳と知識や実力が評価されたわけだが、自分の頭脳と実力で勝負できる世界というわけでなく、普段からコペルニクス的転回(非常識な考え方の集合体)を使いこなせるアインシュタイン博士以上の天才なわけで僕の独壇場である。
考古学者や歴史学者や歴史家が僕の考え方のここが間違っていないかと指摘できても、全てを否定できる頭脳も知識も実力も持ち合わせておらず、僕が時代から何百年から何千年も先を行くレベルの頭脳や知識を持っているためである。
だからどんなに頑張っても結果が見えていて、大人と子供か恐竜とネズミのような勝負にしかならないのであり、現実とはあまりに厳しすぎるものだということである。
自分の頭脳と実力で勝負できる世界は、自分自身で探していくもので海外のような新天地か興味分野などか色々あるだろうが、そういうものを探して頑張ってやってみることも大切だろう。

能力が一番さえている時に本当は何をすべきか

中村修二博士は人間の頭脳が一番さえているのが高校生から20歳前後だが、日本だと教育制度の問題…つまり大学受験が創造性を奪ってしまって、これを改善しない限り米国のようなフロンティア・スピリットがつちかえないという。
人間の頭脳の成長期は20歳まででそれを過ぎると脳細胞が破壊されていくと言われており、能力が発揮される時期が高校生から20歳前後と言うのもうなずけて、多くのノーベル賞受賞者や大発明家がこの頃から頭脳や知識をたくわえてきたらしい。

僕は22歳の誕生日頃に古代日本史研究をし始めてコペルニクス的転回(非常識な考え方の集合体)を発揮して、23歳半頃に研究を終えたのだから上記の時期に合致しており、僕のような能力つぶしが日本の実体なら改善するべきだろう。
僕は短大受験の時、推薦入学で学力的に問題なく面接だけだったから能力などほとんど問われず、まして古代日本史と全く関係のない短大に進学しており、古代日本史研究をしたのがただの興味分野の探求に過ぎなかった。
だが人生何があるか分からないもので、ただの興味分野の探求に過ぎなかった古代日本史研究で成功して、アインシュタイン博士以上の天才にまで成長するなど夢にも思わなかった。

米国は長い教育システムの変化で大学生でも素晴らしいアイデアを出してベンチャー企業を興(おこ)せるが、日本だと大学教授がベンチャー企業を興せるようになったのが最近で、高校生や大学生だとそんなことさえ認めない古い体質がある。
創造的で発展的で面白いアイデアをつちかう環境のない日本は、先進国の米国より何十年も遅れた教育システムの渦中にあって、僕のような才能を育てる可能性を自らつぶしていることに気付いていない。
これは国家レベルで対応しない限り変わらないことだろうから、僕の意見を述べるなら政治家が教育システムの見直しをさせて、米国を少しでも参考にして追い付いていくしかないだろう。
能力が一番さえている時に本当は何をすべきか見誤ると、国家レベルでの損失につながって才能の低下をまぬがれなくて、何が大切か間違いか見極める力が大切だと思う。

誰でも好きなことから一点突破できる

中村修二博士は米国が大学を中退しても創造力と実力さえあればベンチャーで成功できるのに対して、日本だと学生の本分が勉強だという保守的な考え方がのさばってベンチャーが育たないという。

僕が古代日本史研究で成功できたのは、「好きこそ物の上手なれ」という言葉通りに小学校高学年から好きだった歴史という興味分野を探求したのがきっかけで、偶然に人生経験の種類・質・量の多さから普段からコペルニクス的転回(非常識な考え方の集合体)を使いこなせるアインシュタイン博士以上の天才になれたわけで、それが僕にとっての全ての始まりだった。
誰でも好きなことがやりたい放題の環境なら、圧倒的な才能を発揮できる条件がそろってきて当然で、考え方でも高度なレベルのコペルニクス的転回を体得しやすい環境になるのが間違いないはずで、日本の教育方針を一から見直して才能を伸ばせる環境を整えるべきだと思う。

僕のレベルまで到達するには、百年に一度以上で出現するアインシュタイン博士以上の天才だからまず無理だが、僕のこの4冊目の著書を少なからず参考にすれば少しでも僕のようになれる可能性がある。
誰でも好きなことから一点突破できることは、好きなことをやりたい放題の米国のような環境が最適で、今の何十年も遅れた日本で実現可能でないことが目に見えている現実である。

このこだわりがある限り私には未来がある

中村修二博士は青色発光ダイオードを開発した時のようなどん底の状況を乗り越える実績があって、研究開発に向けての闘争心と持ち前のハングリー精神でアメリカン・ドリームを目指すのだという。

僕は古代日本史研究を通して圧倒的な才能を身に付け、邪馬台国論争程度の問題などあまりに簡単なものとして、2007年9月に最初の著書を出版した。
しかし邪馬台国論争を始めとして認められなかったことから、再度研究をやり直してから2009年6月に2冊目の著書を出版した。
そして僕は自分がアインシュタイン博士以上の天才であることを隠し続けて、時代の頭脳や知識が僕のレベルに付いてこられないという事実に直面して、3冊目の本を出版して世界中に知らしめた。

僕はまず邪馬台国論争という古代日本史の基本的な謎を正しく知らしめることにこだわり、そこを出発点として最終的に古代天皇家の歴史に行きつくようにして、正しい歴史認識を持たせることに固執した。
僕のこだわることは、日本人が政府の教えるあやまった非人道的行為を風化・沈黙・黙殺するような歴史認識でなく、根本的に何が正しいか間違いか判断できるような環境が用意されて、僕の求めた古代日本史の解答を理解される正しい認識力を身に付けてほしいということだった。
人間はこだわりを持つことで成長するもので、どんなに小さな些細(ささい)なことでも良いからこだわるべきで、それを持たない人間だと非常に小さなみじめな存在になるように思う。

<参考文献>
『「バカになれる男が勝つ!」』
中村修二・編者 株式会社三笠書房・発行

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