恐(こわ)い常識


これは出版していない3冊目以降の本の著作権を含む。

人間は常識・固定観念・先入観・理屈・伝統に捕らわれるのが当たり前で、僕がそれを排除して新しいイメージを作り出す能力を得意とするが、それでも常識に捕らわれていて新しいイメージを常に作り続けている。
これを記した2018年7月11日より数日前に知ったことでユダヤ人が白人なのが固定観念・先入観だと知って、古代のユダヤ人が縄文人系モンゴロイドの可能性が高いことが分かった。
僕らはユダヤ人が白人と誤解していて、『旧約聖書』に登場するユダヤ人に白人が一人も存在しなくて、彼らが人種的に「セム系」と呼ばれて、黒髪で黒目の肌の浅黒い人々だった。
モーゼやダビデ王やソロモン王やイエス・キリストなど皆は、非白人(オリエンタル)だったと記されている。
一般にユダヤ人社会では、白人系ユダヤ人が「アシュケナージ系ユダヤ人」と呼んで、オリエンタル系(アジア・アフリカ系)ユダヤ人が「スファラディ系ユダヤ人」と呼んで区別している。
8世紀以前の世界にはごくわずかな混血を除いて、白人系ユダヤ人がほとんど存在せず、8世紀から9世紀を境にして、突然に白人系ユダヤ人が歴史の表舞台に登場して、ユダヤ人が白人だと固定観念・先入観を植え付けた。
7世紀頃にコーカサスからカスピ海北岸にハザール王国という巨大王国が存在して、住民はトルコ系白人で、商人・職人・武人としてすぐれていたが、周囲の国と違ってこれという宗教を持たなかった。
不運なことにキリスト教が国教の東ローマ帝国とイスラム教が国教のイスラム帝国は、ハザール王国をはさんで政治的にも宗教的にも対立した。
そのためハザール王国は次第に両国の宗教的な干渉を受けて、どちらの宗教に改宗しても国全体が戦火に巻き込まれる状況になった。
普通なら国が瀕死の状態の時、どちらか強い方の勢力を選ぶが、ハザール王国の王オバデアがこともあろうに国民まとめてユダヤ教に改宗させた。
彼らはユダヤ教に改宗しただけでなく、自分たちが血統的にもアブラハムの子孫だとして、いわばユダヤの仮面をつけてしまった。
彼らがそこまでユダヤに同化した理由は、キリスト教もイスラム教もユダヤ教を母体にした宗教だから、ユダヤ教に改宗してしまえば、両国からの宗教的干渉を回避できると計算したためと言う。
この8世紀末から9世紀にかけて、全国民がユダヤ教に改宗した世界史上に例を見ないことを成し遂げたハザール王国は、東ローマ帝国と新たに台頭したモンゴル帝国の攻撃を受けて12世紀前後に滅亡した。
この時に発生した大量の難民(改宗ユダヤ教徒ハザール人)は、西へ西へと移住して東欧に住み着いて、この東欧に住み着いた難民たちこそが「アシュケナージ系ユダヤ人」と呼ばれる人々で、祖国を失ったハザール人がこの時からユダヤ人として生きることとなった。
そもそもユダヤ人という言葉は、1世紀の歴史家フラビウス・ヨセフスが作った造語とされて、日ユ同祖論(日本人とユダヤ人が共通の先祖だとする説)は架空の物語でない可能性があって、日本人と一部のユダヤ人とチベット人の男性だけが持つYAP遺伝子が特殊な遺伝子の可能性が高くて、ユダヤ人の先祖と天皇家の先祖が共に縄文人系モンゴロイドの可能性が高いと考えられる。
ユダヤ人は白人だとするのが固定観念・先入観で、常識に捕らわれていたのが最近までの自分自身だと思い知らされた。

縄文人は太い眉毛で二重まぶたで唇が分厚く、弥生人が細い眉毛で一重まぶたで唇が薄いのが特徴だとされるが、固定観念・先入観が働いてどこまで信用できるか分からない。
縄文人は一重まぶたと二重まぶたが半々ぐらいで、二重まぶたが縄文人の特徴でないという情報もあって、常識を鵜呑みにするのが良くない。
縄文人は人骨から平均して背が低く、彫りが深い顔立ちで、眉間が突き出して一方で鼻の付け根が引っ込んでいて、目は大きめで顎の骨が発達している。
弥生人は頭蓋骨の計測値で渡来系弥生人に最も近いのが新石器時代の河南省、青銅器時代の江蘇東周の前漢人と山東臨の前漢人で、眼窩が鼻の付け根が扁平で、上下に長く丸みを帯びてのっぺりとして、歯のサイズが縄文人より大きく、平均身長が縄文人よりも高いが、人骨資料のほとんどが北部九州や山口県や島根県の日本海沿岸の遺跡から発掘されている。
は「サンズイへん」の横に上が巛で下が田で、ホームページで表示できるが注意書きにする。
南九州から北海道まで他の地方からも似た特徴を持つ弥生時代の人骨は発見されるが、それらが人種間の形態とその発生頻度までを確定付けるに至っていない。
近年だと福岡県糸島半島の新町遺跡で大陸墓制である支石墓から発見された人骨は縄文的習俗である抜歯が施されて、長崎県大友遺跡の支石墓群から多くの縄文的な人骨が発見されて、神戸市新方遺跡の人骨も縄文的形質を備えているという。
ただ福岡市の雀居遺跡や奈良盆地の唐古・鍵遺跡の前期弥生人は、渡来系の人骨だと判定されている。
つまり最初に渡来系が展開したと考えられる北部九州や瀬戸内や近畿地方でさえ、弥生時代初期の遺跡から渡来系の人と判定される人骨の出土数が縄文系とされる人骨より少ない。
そのことから水田稲作の先進地帯でも縄文人が水稲耕作を行なって、絶対多数の縄文人と少数の大陸系渡来人との協同のうちに農耕社会へと移行したと考えられる。
このように縄文人と弥生人は、人骨や研究などの成果から明らかになったことが多くある。
しかし縄文人と弥生人の混血によって特徴が分からず、現代日本人の多くが縄文人と弥生人の混血で、一方的な情報を鵜呑みにするのが危険である。

常識に捕らわれていた僕は、最古の埴輪(はにわ)が最古の特殊器台埴輪だと思い込み、崇神(すじん)天皇10年の武埴安彦命(たけはにやすひこのみこと)の反乱の年代を西暦年で求められず、常識に捕らわれることの恐ろしさを実感した。
最古の埴輪が考古学的には、箸墓(はしはか)古墳出土の最古の特殊器台埴輪だが、僕の自論に基づくと纏向(まきむく)石塚古墳出土の最古の土師器(はじき)が最古の埴輪で、『ホツマツタエ』と『日本書紀』の歴史書解釈によるものである。
武埴安彦命の反乱は逆賊の日本武尊(やまとたけのみこと)の反乱であることは、僕の最初の著書でも分かることだが、武埴安彦命の反乱が西暦251年の日本武尊の反乱に当たることが近年まで僕の常識に捕らわれた考え方で分からなかった。
アインシュタイン博士以上の天才である僕でも常識に捕らわれて、ユダヤ人が白人という固定観念・先入観に捕らわれていたように、常識に捕らわれることがどんな天才でも当たり前で、恐ろしいことだと意識する必要がある。

地動説や進化論や相対性理論が常識となる前の世界は、地球が天体の中心で神様が生物を作って、相対性理論を受け入れる前の物理学が常識とされて、当時の常識が根本的に入れ替わって、常識の理解が一切されていなかった。
凡人は常識が根本的に入れ替わることを正しく理解せず、教え諭(さと)されてその時に覚えているかもしれないがすぐに忘れて、すぐ新しいものに目移りしてしまうようで、正しく理解しているのか疑問である。
僕のように常に意識する人間にとっては当たり前でも、意識しない人間だと当たり前に受け入れられず、これが超天才の僕と凡人の決定的格差でもある。
地動説や進化論や相対性理論は現在の常識だが、現代人が根本的に常識として意識しているからであって、意識していなければ常識として受け入れられない。
キリスト教を常識とした数百年前のヨーロッパは、現在の常識に支配された世界と別物で、時代によって常識が入れ替わって、自分の意識下にある考え方の中で常識を入れ替えてしまう僕が特別なのである。
自分の意識下で常識を入れ替える僕は、自分の考えを根本的に意識してもしなくても常識を塗り替えて、新しいイメージを作り出す才能を生み出して、自分の能力を超人的に高め続けた。
人は意識の仕方次第で天才にも馬鹿にもなって、自分を変革しようときっかけがあれば変われて強くも弱くもなれる。

<参考文献>
インターネット

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