僕の考え方や人間の興味と嵌(はま)り方

僕の歴史研究の興味は、保育園の年長組で、恐竜のポケット図鑑に興味を持って、古代に憧(あこが)れて、小学校高学年で、歴史の授業を学習して、縄文時代から古墳時代や邪馬台国(大和国;やまとこく)論争などに憧(あこが)れて、中学生頃に世間で流行(はや)った超古代文明の本『神々の指紋(しもん)』を買って、高校生の修学旅行で、一緒に暮らした祖父の死に目に会えず、命・魂・精神・戦争・平和の分野を考えて、人間的に成長したが、後に自殺願望も生まれることに繋(つな)がって、これらが歴史研究の基礎になった。
2002年10月下旬頃に僕は、歴史研究を始めて、TSUTAYA AVIX福知山店で、『日本書紀(上)(下)全現代語訳―全二巻―』(著者・宇治谷孟 発行・株式会社講談社)と『古事記(上)(中)(下)―全三巻―』(著者・次田真幸 発行・株式会社講談社)を買って、「記紀」の現代語訳本を買った日が垂仁(すいにん)天皇26年9月16日(西暦177年10月中旬頃)の伊勢神宮内宮の最終遷宮日と合致するか不明で、旧暦年月日と西暦年月日の修正で、合致する可能性があって、僕が伊勢神宮内宮と関係するのも当然である。
僕は数日間で「記紀」の現代語訳本を流し読みして、おそらく11月上旬頃に『日本書紀』の伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の黄泉国下(よみのくにくだ)り神話と『古事記』の狭穂彦王(さほひこのみこ)の反乱が合致して、合致を数日間で特定して、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が黄泉平坂(よもつひらさか)を登り逃げる所と狭穂姫(さほひめ)が誉津別命(ほむつわけのみこと)を兵士に渡して稲城に入る所が合致すると気付いて、実話(現実に起きた出来事)を神話化したのが日本神話の可能性に気付いて、これが歴史研究に打ち込む「きっかけ」である。
僕の歴史研究の興味は、何段階にも「きっかけ」を繰り返して、生み出された物だが、他の人間にも当てはまるものでなく、少し例外を考えて行こうと思う。

将棋の羽生善治(はぶよしはる)や藤井壮太(ふじいそうた)は、一度の「きっかけ」で、将棋に興味を持って、打ち込み始めたか、人生経験を聞かないと分からなくて、野球のイチロー選手や大谷翔平(おおたにしょうへい)も、野球に一度の「きっかけ」で、興味を持って打ち込み始めたか、人生経験を聞かないと分からないが、人間がやりたいことに興味を持って、嵌(はま)り込んで行くのに大きな違いがないと思う。
人間の興味と嵌(はま)り方は、人それぞれだが、宗教の勧誘(かんゆう)で、騙(だま)されて嵌(はま)り込んだり、お金を騙(だま)し取られて、借金まみれになったり、詐欺(さぎ)や犯罪にずっと手を染(そ)めたりと同じことを繰(く)り返して、興味と嵌(はま)り方が中毒になって、抜(ぬ)け出せない泥沼(どろぬま)なのだろう。
人間の興味と嵌(はま)り方は、良い方向にも悪い方向にも当てはまって、善行(ぜんこう)を積(つ)む人と悪行(あくぎょう)を繰(く)り返す人に分(わ)かれて、僕も決して善人(ぜんにん)などでなく、悪いことをしてしまうことがあって、道路の信号無視ぐらいから、違う犯罪をしたことも告白して、自分の心と向き合った結果である。
人間の興味と嵌(はま)り方は、良くも悪くも成功と失敗があるが、人それぞれが好きなアイドルや興味分野などを探求した結果で、人間が何日か興味を持って、またすぐに興味分野が入れ替わる中で、運命の出会いをして、自分の憧(あこが)れの夢や職業にしたり、尊敬する先輩や偉人と同じ道を歩みたいなどと思う物である。
将棋の藤井壮太(ふじいそうた)は、加藤一二三(かとうひふみ)さんや羽生善治(はぶよしはる)などの先人に憧(あこが)れて、野球の大谷翔平(おおたにしょうへい)も、先人のベーブ・ルースやイチロー選手に憧(あこが)れたはずで、超天才の僕も憧(あこが)れた人がいて、20世紀最高の天才アルバート・アインシュタイン博士が僕と同じ考え方コペルニクス的転回(非常識な考え方の集合体)の同類で、歴史研究の先人の筑紫申真(つくしのぶざね)さんや宮ア康平(みやざきこうへい)さんなどである。
人間は、興味分野が同じなら、目標や尊敬する人物に出会うことがあって、僕もコペルニクス的転回の考え方の師匠がアインシュタイン博士で、いつの間にか神様を直接定義付けた功績で、アインシュタイン博士をも超越した人類史上最高の超天才になって、誰もできなかった神様を直接定義付けた大偉業が実現して、日本神話の神々を求めた意味で、神様に最も近い人間の僕に勝てる人間が存在しない。

神様と宗教は、切っても切れない関係で、多神教(複数の神様の宗教)の日本神話と一神教(一人の神様の宗教)のユダヤ教やキリスト教やイスラム教など、簡単に受け入れられなくて、対立するのが普通で、色々な物事が対立するのが常識で、僕自身が対立の図式そのものを定義付けようとしたり、手広く考え方の研究・分析をした証拠でもある。
過去の人間は、多くの学問を興(おこ)して、色々な研究結果を蓄積(ちくせき)して、超天才の僕もそれらにあやかって、研究・分析の結果を積み上げて、後世の研究者の資料になるはずで、僕の知的な研究心や探求心を満(み)たして、僕が学問を探求する知力を欲(ほっ)して、僕が知らないことを知りたい魔力に魅入(みい)られた。
味覚(みかく)の欲求が強い僕は、日本人なら誰もが好きなカレーライスの味や臭(にお)いが好きで、幼少から炭酸飲料の味が忘れられず、幼少から焼き鮭(ざけ)などの味が好きで、日本人だから和牛のおいしさが実感できないが、外人からすると和牛が桁外(けたはず)れらしく、色々な味覚(みかく)の中毒で、多くの人が自覚しない中毒がこのような物で、日本人に生まれて幸せで、日本食であまり実感しない。
とにかく僕は、恵まれた中に生きて来て、他人に羨(うらや)ましがられる生き方でないが、歴史研究の公表が人類史上最高の功績で、僕の人生経験の結果が血と汗と涙と努力の結晶で、誰にも分(わ)からない僕だけの悩(なや)みで、人の苦労(くろう)を誰も一生分(わ)からない証拠で、僕のあまりにも偉大すぎる超高速で、超複雑怪奇な頭脳処理能力が理解できるはずもない。
僕の興味と嵌(はま)り方は、運命付けられた僕の人生経験の結果で、圧倒的な天文学的数値から、僕が歴史研究を公表して、古代天皇家の正史(正しい歴史)が判明して、革命を起こす歴史の筋書き通りで、僕と言う存在がいなければ、絶対に成立しない出来事で、神様も運命も何が起きるか知っていたから、実現した奇跡である。
人間の興味と嵌(はま)り方は、科学的な中毒性を証明できるか知らないが、僕の記した内容をある程度の参考にして、考える資料になればと思う。

ある大学教員は、アンケートを読んでビックリしたのが学生に授業で嫌(いや)なことがないか教えてほしいと集計すると、授業で知らない話ばかりされて腹(はら)が立つらしく、大学の話が知らない話ばかりで、しっかり聞いて特訓するのが当然なのに腹(はら)が立つと言う短絡的(たんらくてき)な考え方で、大学教授の偉(えら)い話がマウント(人間同士の会話で相手よりも、優位だと示そうとする言動や態度)を取られたと感じるらしく、言語学や学校教育の専門家などの視点から、改善点を指摘して、社会的な教育が必要だと思う。
昔はパソコンのない手書き文化で、パソコンの普及するネット社会になって、ネット社会でユーチューブなどの動画やインスタグラムやティックトックなどの動画・写真共有サービスなどが普及して、中高年のありがたい話などが説教(せっきょう)などに思えて、僕の歴史研究の説明も、圧倒的な超天才のありがた迷惑な自慢話(じまんばなし)に聞こえて、現代の若者世代の言語学的な問題提起(ていき)で、近年の社会的な問題点とも考えられる。
ネット社会の動画や動画・写真共有サービスなどは、一目(ひとめ)で見て分(わ)かる以上の理解力を求められると、腹(はら)が立つ人々が多く増(ふ)えたからで、僕の歴史研究の説明も、偉(えら)そうに思われるかもしれないが、僕からすると唯(ただ)の世間話(せけんばなし)で、世界中で僕だけが古代天皇家の歴史をひもといて、あまりにも偉大な解説付きの授業である。
僕は家族やタクシーの運転手などに僕の歴史研究の説明をして、どのように思われたか知らないが、あまりにも次元の違う超天才がそれらしく話して、理解できない本当にあった事実(現実に起きた出来事)を話すように感じて、鬱陶(うっとう)しがっていたかもしれない。
しかし僕は、日常でずっと歴史研究を鍛錬(たんれん)や研究・分析し続けて、頭の回転の速さが異常で、発明王トーマス・エジソンや20世紀最高の天才アルバート・アインシュタイン博士たちも上回るレベルの凄(すさ)まじさで、超頭脳や超知識が急成長する現状で、今の自分のレベルを客観的に分析しても、人類史上最大最高最強最速の段階で、古代天皇家の歴史を求める佳境(かきょう)に来た。

コンピュータと共存する考え方と僕の論理的な考え方は、過去と現在と未来の考え方の一つと理解して、コンピュータと共存する考え方が将棋の藤井壮太(ふじいそうた)のような天才を生んで、僕の論理的な考え方が発明王トーマス・エジソンや20世紀最高の天才アルバート・アインシュタイン博士と同類の超天才の僕のような考え方をダメにする可能性を示して、色々な論文や資料など、後世に残る一大資料として纏(まと)めたいと思う。
万能の天才レオナルド・ダ・ヴィンチや発明王トーマス・エジソンや20世紀最高の天才アルバート・アインシュタイン博士は、僕が実例で示す超天才の僕の同類で、歴史上の超天才として評価される偉人たちで、昔ながらの論理的な考え方を参考にした天才で、今の僕もパソコンを利用するが、昔ながらの論理的な考え方を重視する超天才の思考パターンで、近年のコンピュータのネット社会で生まれた天才と種類が違って、この分析・研究の結果が後世に役立つだろう。
超天才の僕は、自分の頭で閃(ひらめ)いた考え方を直接に自分の頭脳で考えて、フル回転させた超知識を色々発展させて、何度も分析・研究して、文章に起こして纏(まと)めて、その結果をパソコンでWORD入力するが、自分で直接に考えて発展させるプロセス(過程)が重要である。
僕の歴史研究の過程(プロセス)は、現代人の短絡的(たんらくてき)な考え方と違って、地道な努力を嫌(いや)がらず、何度も挫折(ざせつ)しても、やり直して答えを探し続けて、分析・研究する努力の結晶(けっしょう)で、短気(たんき)で損気(そんき)な人間にマネできない作業で、過去の超天才たちも辿(たど)った道だろう。
ネット社会の現代人は、大学教授の偉(えら)い話がマウント(人間同士の会話で相手よりも、優位だと示そうとする言動や態度)を取られたと感じるらしいが、その程度で腹(はら)が立つ人間なら、超天才の僕のような長期的な思考パターンが不可能で、現代人の短絡的(たんらくてき)な考え方の道標(みちしるべ)になるだろう。

現代人の短絡的(たんらくてき)な考え方は、若者のZ世代やゆとり世代だけに見られるわけでなく、中高年にもネット社会の変化が影響して、思考パターンが日本人の老人から若者まで、全体的に及(およ)んで影響し合(あ)うと考えるのが普通で、現代日本人が向き合うべき現代病とも言うべき病(やまい)であろう。
人間の考え方は、文章に残せない時代が何を考えたか分(わ)からなくて、文章に残しても一部の人間の考え方で、ネット社会になった現代が文章に残しやすくて、時代が変われば使いやすくもあるが、不便(ふべん)な部分も見え隠(かく)れして、時代ごとに文章を読みやすく作り直して、後世に託(たく)す人々も存在する。
僕が一番使う歴史書『ホツマツタエ(秀真伝)』は、7世紀中に作られた日本最古の歴史書だが、江戸時代の研究者たちが現代日本誤訳した結果で、現代日本人の僕が分(わ)かりやすく理解して、後世の僕に託(たく)したと考えられて、現代人の短絡的(たんらくてき)な考え方と違って、後輩(こうはい)に託(たく)す資料を残して、希望を未来につなぐ人々がどの時代にも存在した。

コンピュータと共存する考え方と僕の論理的な考え方は、ネット社会で生まれた現代人の短絡的(たんらくてき)な考え方と違って、非常に大切な分析・研究の結果と認識して、超天才の僕が生きた証(あかし)として、後世に託(たく)す教訓で、2025年10月4日の午前5時半すぎに記し始めて、午後6時頃に記し終えた。

<参考文献>
『私という存在』
著者・僕
『アマテラスの誕生』
著者・筑紫申真 発行・株式会社講談社
インターネットの不明サイトから少々拝借

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