天皇家の大きな謎


これは天皇家の大きな謎を解くために僕が興味本位で記すものである。
この記述の多くはインターネットで求めて記して、僕が自分の考え方をまとめたものである。

天皇家は太陽信仰すなわち女性の太陽神の天照大神(あまてらすおおみかみ)を祭るが、古代に男性の太陽神の天照神(あまてるかみ)を祭って、他にも多くの古代太陽神がいると僕が示した。
世界中の太陽神が男性で日本の太陽神が女性なのは、それを隠して天皇家が日の目を見るためだったのでないかと考えられる。
古代に男性の太陽神だったのを隠したのは、天皇家が世界中から注目されても消されないためで、何度も国難にあっても皇室が滅亡せずに存続した理由で、第二次世界大戦で負けても皇室が断絶しなかった理由でないのか?
太陽信仰は世界中に当たり前にあるが、元々皇室が世界中に伝えて文明に関わり発祥させたためで、超古代文明も世界中の文明も天皇家が生み出したと考えられる。
SFの読みすぎと言われるかもしれないが、天皇家という存在の謎はあまりにも多すぎて、誰も一体どうやって日本を築いていったのか近年に僕が公表するまで分からなかった。
しかし僕の公表した古代天皇家の歴史が嘘で、本当の答えがどこかにあるという考え方もできて、僕が確実に正しいという保証がない。
「記紀」は偽装工作がほどこされて、古代天皇家の歴史が隠された考え方も本当でも嘘でもあって、正しい答えなどどこにも存在しない。

事実も真実も皆が正しいと信じているだけで、本当は全てが正しいか間違いか分からなくて、どんな答えも正しいと信じる「思い込み」から成立する。
僕の名前の真(まこと)は本当の答えが分からず、哲学や数学にも真の答えがないためで、全て正しいと信じる「思い込み」である。
数学は必ず答えがあるのが思い込みで、端数が小数点以下が割り切れず答えがなく、そもそもインドでゼロの概念が見つかるまで世界中になく、二進法や十進法も意識して生み出している。
現代哲学理論「現象学」は「当たり前だと思うことを疑う」と教えて、当たり前だと思うことが常識を指して、常識を辞書で調べると普通の人が共通に持っている知識や理解力や判断力である。
しかし常識は本当に普通の人が共通に持っている知識や理解力や判断力か疑問で、そもそも全ての人が共通に持つ考え方があるかも疑うのが「現象学」で、結局どんな考え方にも明確な答えなどない。
「現象学」の本質は全てを疑うことで、信じるか信じないか明確な答えがないように、本当か嘘かにも明確な答えがない「思い込み」なのが事実や真実である。
UFOや未確認生物や超古代文明や幽霊などは、本当か嘘か分からず明確な答えがなく、「思い込み」なのが本当である。
僕は日本神話の神々が全ておそらく実在した人物を神格化したと示したが、それも明確に信じるか信じないかで、古代天皇家の中に卑弥呼と台与(とよ)がいるかも本当に「思い込み」である。
人間は信じたいものを信じて、あるがままを見て本当に感じているだけで、十人十色と言うように明確に同じことなどなくて、人類が存在する星の数ほどの「思い込み」がある。
人間が信じたい天皇家は、世界的盟主で超古代文明の王家の末裔(まつえい)で、人類を導いてくれる希望なのだとか、あることないことを「思い込み」で想像する。
僕は超天才か馬鹿か分からず、それが本当でも嘘でもあって、明確な答えなど存在せず「思い込み」である。

皇統譜(天皇家の戸籍簿)で初代・神武(じんむ)天皇は、実在したか非実在か分からない「思い込み」だが、実在の初代・崇神(すじん)天皇と5代目・仁徳(にんとく)天皇を祖先化したと僕が求めた。
皇統譜で2代目から9代目の8人の天皇は、歴史を欠(か)いた天皇で欠史(けっし)八代と呼ばれて、欠史八代の後半4天皇が実在の初代・崇神天皇から皇太子の日本武尊(やまとたけのみこと;成務(せいむ)天皇と同一人物)までを祖先化したと僕が示した。
伊弉諾尊(いざなぎのみこと;実在の2代目・垂仁(すいにん)天皇を神格化)と伊弉冉尊(いざなぎのみこと;垂仁天皇の皇后を神格化)は、妻の伊弉冉尊が火傷(やけど)を負って死んだが、垂仁天皇の最初の皇后・狭穂姫(さほひめ)が焼死して、偶然の一致でなく伊弉冉尊に神格化した。
三種の神器の八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)は、出雲で作られて京都府から献上されて石上(いそのかみ)神宮に納められて物部(もののべ)氏が管理して、出雲王国(物部氏)と親戚関係の海部(あまべ)氏(現在の京都府宮津市の元伊勢籠(この)神社宮司家)がいる。
姉の天照大神(倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)と弟の月読尊(つくよみのみこと;実在の3代目・景行(けいこう)天皇を神格化)は、『魏志倭人伝』の卑弥呼と男弟に当たって、古史古伝『ホツマツタエ』に倭姫命が景行天皇の異母姉と記されている。
『ホツマツタエ』に景行天皇は、81人の子供がいると記されるが、日本武尊と成務天皇が同一人物と考えられて80人が正しくて、大国主神(おおくにぬしのかみ;日本武尊の婿(むこ)養子の飯入根(いいいりね)を神格化)の兄弟の八十神(やそがみ)が景行天皇の子供80人を指すと僕が求めた。
素戔嗚尊(すさのおのみこと;日本武尊を神格化)は出雲に関係が深く、日本武尊も出雲に関係があると記されて、素戔嗚尊と日本武尊が同じトリックスターで、『ホツマツタエ』で素戔嗚尊の生まれ変わりが日本武尊とされる。
素戔嗚尊が八岐大蛇(やまたのおろち)を退治して入手した三種の神器の草薙剣(くさなぎのつるぎ)は、日本武尊に縁(ゆかり)の大切な神剣である。
『魏志倭人伝』の卑弥呼と台与(とよ)と男弟と男王は、倭姫命と神功(じんぐう)皇后と景行天皇と日本武尊で、全て古代天皇家の人間に当たると僕が求めた。
仲哀(ちゅうあい)天皇が崩御(ほうぎょ;天皇が亡くなること)されて神功皇后は、出雲王国を崩壊させて日本武尊が奪った三種の神器を取り戻して、三種の神器の八重垣剣(やえがきのつるぎ)と草薙剣を入れ替えた。
日本武尊の反乱の教訓は、神功皇后が生まれたばかりの皇太子の誉田別尊(ほむだわけのみこと)に三種の神器を預けて日向(ひうが;宮崎県)に行かせて、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと;誉田別尊を神格化)が天孫降臨で三種の神器を持って日向に降り立った。
神功皇后は物部氏の血筋で、物部氏の直系子孫だけが火の神様に神格化されて、火瓊瓊杵尊(ほのににぎのみこと)と息子の火火出見尊(ほほでみのみこと;仁徳天皇を神格化)が神功皇后の息子と孫である。
火火出見尊は神武天皇と合わさった名前が『日本書紀』に記されて、神日本磐余彦火火出見尊(かむやまといわれびこほほでみのみこと)が偶然の一致で片付けられない。
歴代天皇には多く側室がいて、全てが皇統譜に記されているか分からず、天皇の子供の数にも大いなる疑問がある。
明治天皇には40人の側室がいたと言われて、非嫡出子の子供が圧倒的に多くいても不思議でなく、事実は小説よりも奇なりである。
明治天皇まで続いた側室は、あまりに多すぎて『ホツマツタエ』の景行天皇の記述もあって、皇室の直系子孫があまりに多すぎて分からない。
ここまで僕が求めた史実・事実・真実は、全てが嘘で偶然の一致で片付けて、はいさよならとして良いものだろうか?

太陽神アメン・ラーを飲み込もうとする巨大な蛇アポピスは、古代天皇家とも超古代文明とも関係があるかもしれない。
太陽神の子孫の古代天皇家(邪馬台国)は、蛇神・大物主神(歴代出雲国王を神格化)を祭る出雲王国(物部氏)と戦争して、古代天皇家と出雲王家(物部氏)が親戚関係である。
伊弉諾尊(いざなぎのみこと;垂仁(すいにん)天皇を神格化)は、2代目・大物主神(狭穂彦王(さほひこのみこ)を神格化)と戦争して殺して、垂仁天皇と狭穂彦王が従兄弟で皇族である。
太陽神の天照大神(倭姫命を神格化)を海神の素戔嗚尊(すさのおのみこと;日本武尊を神格化)が殺して、倭姫命と日本武尊が伯母と甥で皇族である。
垂仁天皇と狭穂彦王の戦争と倭姫命と日本武尊の戦争は、共に古代天皇家と出雲王家の戦争である。
太陽神の化身の皇帝ラ・ムーが治めるムー大陸は、海神ポセイドン(ギリシア神話の海神の名前で、アトランティスの海神の名前は不明)に分け与えられたアトランティス大陸と共存しようとしたが、互いに関わり合う関係のために共立できなかったと考えられる。
ムー大陸とアトランティス大陸の王家が親戚関係で、互いに戦争が地球規模での大災厄を生み出して、それが世界中の伝承につながるのでないか?
太陽神の天照大神(倭姫命を神格化)と海神の素戔嗚尊(日本武尊を神格化)の戦争は、太陽神のムー大陸と海神のアトランティス大陸の戦争と重なるとすれば、とんでもない真実である。

天皇家はトルテカ文明やエジプト文明やメソポタミア文明やイスラエルなど、インターネット上で騒がれているように世界中の王家や神と関係があって、決して無関係を決め込むことなど不可能だろう。
事実も真実も本当も嘘も明確な答えがなくて、ただ信じることを信じて思い込めばいいのであって、それが全ての人間の共通した考え方である。
その上で皇室という存在を考える時、人類の象徴的存在にするかしないか人間に突き付けられた究極の選択で、地球の環境を滅茶苦茶にする人類が「思い込み」でどうするかである。
天皇家も僕も人類も全て一つの答えに向かっているはずで、向かっているか向かっていないかも「思い込み」で考える必要がある。
ネアンデルタール人の子孫がいるかいないか、恐竜の子孫が鳥か違うのかなど分からないように、人間は信じていることを信じて一直線に突き進むだけで、安倍政権が悪いことをしていると信じるか信じないかの問題で、安倍首相に悪い自覚があるかないかの問題で、これらも「思い込み」である。
人は目の前に突き付けられた現実しか見ないもので、現実問題として捕らえられる人間などそう多くいないはずで、何も分からない世界へ答えを思い込んで突き進むしかない。

<参考文献>
インターネット

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