海部(あまべ)氏の系図


これは出版していない3冊目以降の本の著作権を含む。

京都府宮津市の元伊勢籠(この)神社宮司家の海部氏は、国宝『海部氏系図』が日本最古の系図の一つで、女王の卑弥呼と台与(とよ)の系図に当たると考えられて、注目する歴史学者や歴史家が少なくない。
『海部氏系図』に「日女命(ひめのみこと)」と記されて卑弥呼だと考えて、別名を神大市姫命(かむおおいちひめのみこと)と倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)とも記して、『日本書紀』に「倭迹迹日百襲姫命が死んで大市(おおいち)に葬り、墓を名付けて箸墓(はしはか)と言う」の記述から、箸墓古墳の埋葬者の倭迹迹日百襲姫命と考えられる。
『海部氏系図』の日女命から2世代下がって再び「日女命」と記されて、別名を小止与姫(おとよひめ)と記されて、台与(とよ)を連想させるが、しょせん『海部氏系図』の日女命は名前だけで、実在が確かでないと考えられる。

本当の卑弥呼と台与は、皇族の倭姫命(やまとひめのみこと)と神功(じんぐう)皇后(抹消された名前が豊姫命;とよひめのみこと)で、『日本書紀』が40年間に渡って研究し続けて、ワザとこの二人を歴史書から系図操作などして、卑弥呼と台与であることを偽装工作した。
しかしアインシュタイン博士以上の天才の僕に小細工など通用せず、日中の歴史書を駆使して、確実な西暦年で対応させて反論できるはずもなく、専門家を数百年から数千年レベルで上回る超頭脳が求めた。
それでも『海部氏系図』に挑戦するのは、自分が無知なことの証明にしかならず、己の力量を世に知らしめる愚考にしかならない。
『日本書紀』を正当にひもとく実力を持つ僕は、古史古伝(「記紀」に反する書物)『ホツマツタエ』などをしっかり対比して、『海部氏系図』の真の価値を再評価した。

海部氏の祖先神の天火明命(あめのほあかりのみこと)は、一伝によると丹波平定将軍の丹波道主王(たにはみちぬしのみこ)と言って、海部氏の先祖に丹波道主王がいた可能性が高く、丹波道主王の父親の彦坐王(ひこいますのみこ)を天火明命に神格化したと考えられる。
天火明命が彦坐王を神格化した理由は、丹波道主王が海部氏の先祖で、丹波道主王の異母兄弟の狭穂彦王(さほひこのみこ)が物部(もののべ)氏の先祖と考えられて、彦坐王が海部氏と物部氏の始祖だからである。
天香語山命(あめのかごやまのみこと)は丹波道主王を神格化して、天村雲命(あめのむらくものみこと)が朝廷別王(みこどわけのみこ)を神格化したのが系図から見て自然と考えられる。
天村雲命は別の漢字で天牟羅雲命(あめのむらくものみこと)と書けると考えられて、天牟羅雲命が伊勢神宮三大宮司家の一つである度会(わたらい)氏の祖先神で、度会氏が海部氏の派生氏族と考えられる。

天忍人命(あめのおしひとのみこと)の弟の天忍男命(あめのおしおのみこと)は、神武天皇時代の人物である葛城国造(かつらぎくにみやつこ)の剣根(つるぎね)の娘である賀奈良知姫(かならちひめ)を妻として、瀛津世襲(おきつよそ)と建額赤命(たけぬかがのみこと)と世襲足姫(よそたりひめ)をもうけた。
『ホツマツタエ』から瀛津世襲は、古代豪族で武家の大伴(おおとも)氏の直系先祖で、建額赤命は津守(つもり)氏の先祖で、瀛津世襲と建額赤命が崇神(すじん)天皇と彦坐王の伯父(おじ)に当たって、大伴氏と津守氏が彦坐王を始祖とする古代太陽神氏族に含まない。
世襲足姫は欠史(けっし)八代の孝昭(こうしょう)天皇の皇后で、その息子の天足彦国押人命(あまたりひこくにおしひとのみこと)と孝安(こうあん)天皇が彦坐王と崇神天皇を祖先化した人物に当たって、彦坐王と崇神天皇の実母が世襲足姫だと考えられる。

天登目命(あめとめのみこと)と息子の建登目命(たけとめのみこと)は、参考文献『竹内文書・但馬故事記』から求めて彦坐王と丹波道主王の親子を祖先化したと考えられる。
建田勢命(たけたせのみこと)と建日潟命(たけひがたのみこと)と市大稲日命(いちおおいなひのみこと)と大那毘命(おおなびのみこと)の縦系図は、神格化と祖先化と実在系譜をつなぐために作られただけで、作られた架空の系譜だと考えられる。

小縫命(おぬいのみこと)は彦坐王と崇神天皇の実父の孝昭天皇で、その妹に(おおあまひめ)がいると考えられて、実在の初代が崇神天皇のはずで、孝昭天皇が実際に天皇でないと考えられる。
大海姫は崇神天皇の妃で尾張氏の出身で、彦坐王と崇神天皇の叔母(おば)に当たると考えられて、崇神天皇と大海姫が近親婚だと考えられる。
『古事記』は和珥(わに)氏の先祖である日子国意祁都命(ひこくにおけつのみこと)の妹である意祁都比売命(おけつひめのみこと)が彦坐王を生んで、その妹の袁祁都比売命(おけつひめのみこと)が彦坐王の妃になったと記して、世襲足姫の妹が彦坐王の妃と考えられる。

天御蔭命(あめのみかげのみこと)は、『先代旧事本紀』の倭得玉彦命(やまとえたまひこにみこと)と同一人物で、彦坐王に当たると考えて間違いないない。
彦坐王は「記紀」で崇神天皇11年(西暦94年)の丹波平定にしか出てこないが、非常に重要な人物でワザと「記紀」から抹消したと考えられる。

宇介水彦命(うけみずひこのみこと)は、『先代旧事本紀』の弟彦命(おとひこのみこと)と同一人物で、丹波道主王に当たると考えて間違いない。
丹波道主王は丹波王国を攻撃した崇神天皇10年(西暦93年)に父の彦坐王と一緒に行ったのがおそらく間違いで、「丹波」の名前を冠するから丹波を平定したと記したと考えられる。
年齢や記述の信頼性から、崇神天皇39年3月3日(西暦122年4月上旬頃)に京都府宮津市に元伊勢を遷宮した時、幼少の丹波道主王が御饌(みけ;神にそなえる供物)をささげたことに神の恵みがあって、5人の子供を授かったと考えられる。
崇神天皇39年(西暦122年)からかなり経(た)って5人の子供を授かって、垂仁天皇15年2月15日(西暦166年3月中旬頃)に丹波道主王の娘5人を妃に迎えたと記されて、娘5人を授かったのが年齢的に考えて遅いと考えられて、『古事記』で娘5人の弟が朝廷別王である。

宇介津彦命(うけつひこのみこと)は、『先代旧事本紀』の淡夜別命(たんやわけのみこと)と同一人物で、『古事記』の朝廷別王に当たると考えられる。
『ホツマツタエ』でヒコイマスの孫のタンヤは朝廷別王と同一人物で、淡夜別命が「あわやわけのみこと」でなく「たんやわけのみこと」と発音すると考えられる。
朝廷別王はいつ頃の人物か明確な記述が見つからない。

小登與命(おとよのみこと)の兄弟に日本武尊(やまとたけのみこと)の妃で仲哀(ちゅうあい)天皇の実母の両道入姫(ふたじいりひめ)がいて、『ホツマツタエ』でヒコイマスの孫であるタンヤの娘のフタヂイリヒメと記されて、両道入姫が海部氏の出身だと考えられる。
両道入姫は『日本書紀』で垂仁(すいにん)天皇の娘と記されるが、日本武尊の妃になるなら年齢がいきすぎる計算になっておかしく、『ホツマツタエ』の記述の方が正しい。
小登與命は景行(けいこう)天皇時代の前半の人物で、西暦200年から220年くらいの人物と考えられる。

建稲種命(たけいなだねのみこと)は丹波の統治者で、尾張(おわり;愛知県西部)にいなかった可能性が高く、妹の宮簀姫(みやずひめ)が日本武尊の妃で二人の息子をもうけた。
宮簀姫は日本武尊の反乱の後に尾張にいて、三種の神器の草薙剣(くさなぎのつるぎ)を名古屋市の熱田(あつた)神宮に奉納して、宮簀姫が甥の尾綱根命(おづなねのみこと)と尾張にいたのが正しいと考えられる。
日本武尊と建稲種命と宮簀姫は、熱田神宮の祭神とされる。
建稲種命は景行(けいこう)天皇時代の後半の人物で、西暦230年から250年くらいの人物と考えられる。

京都府福知山市今安の天照玉命(あまてるたまのみこと)神社は、成務(せいむ)天皇時代に大倉岐命(おおくらきのみこと)が神社を創建したと記されて、成務天皇が日本武尊を仮の天皇とした架空の天皇だから、正確に求めて仲哀(ちゅうあい)天皇時代から神功(じんぐう)皇后時代(西暦250年代から280年くらい)に神社を創建した可能性が高い。
大倉岐命の兄弟の尾綱根命が尾張氏の先祖で、明確に丹波と尾張の統治者が分かれたのがこの年代と考えられて、仲哀天皇時代から神功皇后時代に尾張氏が誕生したと考えられる。

明国彦命(あけくにひこのみこと)は神功皇后時代後半の人物で、西暦280年代から310年くらいの人物と考えられる。
難波根子健振熊命(なにわねこたけふるくまのみこと)は、『日本書紀』仁徳(にんとく)天皇時代で、飛騨(ひだ;岐阜県北部)の賊の両面宿儺(りょうめんすくな)を討伐した和珥氏の先祖の難波根子武振熊(なにわねこたけふるくま)と同一人物で、討伐が西暦330年代頃と考えられる。
海部氏は和珥氏と同一氏族とされて、物部氏と和珥氏も同一氏族とされて、海部氏と物部氏と和珥氏が全て彦坐王を始祖とする古代太陽神氏族と考えられて、同一氏族とすることが間違っていないと考えられる。

建振熊宿祢(たけふるくまのすくね)は、仁徳天皇時代かその三人の息子が天皇の時代の人物か分からない。
海部直都比(あまべのあたいのつひ)は初めて海部氏の名字を与えられた人物で、仁徳天皇の三人の息子が天皇である時代の人物だと考えられる。
建振熊宿祢と海部直都比は、『日本書紀』を詳しく調べて実在年代を求める必要がある。

彦坐王の直系子孫の海部直都比は実在したと考えられて、その直系子孫が養子に来た海部光彦(あまべみつひこ)宮司の妻で、直系の血筋が途絶えていないと考えられる。
海部氏の人物の名前は、『ホツマツタエ』や『日本書紀』から読み取って、明確に年代が特定できる可能性があって、歴史書から各氏族の人物の実在年代を予測できれば、系図が操作されたか正しいか求められる。

<参考文献>
『元伊勢の秘宝と国宝海部氏系図』
海部光彦・編著者 元伊勢籠神社社務所・発行
『推理◎邪馬台国と日本神話の謎 古代物部氏と『先代旧事本紀』の謎』
安本美典・著者 勉誠出版梶E発行
『日本書紀(上)全現代語訳―全二巻―』
宇治谷孟・著者 株式会社講談社・発行
『完訳秀真伝』
鳥居礼・編著者 八幡書店・発行
『竹内文書・但馬故事記』
吾郷清彦・著者 新国民社・発行
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