アインシュタイン博士以上の超天才で、哲学者と歴史家を名乗る偉人  芦田 真也(あしだ しんや)


アインシュタイン博士以上の超天才は、僕が名乗っておきながら、2023年6月まで理由を書かなくて、凡人(僕以外の人間)に理解されなくて当然だった。
アインシュタイン博士は、1955年に亡くなって、約半世紀後の2004年7月までに僕がアインシュタイン博士クラスの超天才と気付いて、20年半の歴史研究で、自分がアインシュタイン博士以上の超天才と嫌でも理解した。
僕は現代哲学理論「現象学」を考え方の哲学と再定義して、自分とノーベル物理学賞受賞者の中村修二博士がよく似た考え方と自己分析して、考え方そのものを徹底的に定義付けて、まさに神技(かみわざ)である。
僕が公表した歴史研究の成果は、あまりに膨大な量で、100%否定できない史実・真実・事実で、古代天皇家の歴史を初めて証明した。

僕は京都府福知山市大門505で暮らす。
僕がホームページでプライベートを多くを公表するのは、下手に隠すより公(おおやけ)にして、動く方が都合が良いからである。
僕は住所やプライベートを公表することで、僕個人に対して犯罪行為をしても、警察やNTTなどの協力を求めやすくして、逆に犯人を特定しやすい状況を作れる。
僕の自宅などへの電話は、できるだけ遠慮してもらいたいが、いたずら電話などがひどいなら、警察やNTTなどに協力を求めて、解決することもあり得る。
疑問があまりに多いなら、手紙などのやり取りをお願いしたくて、歴史研究の疑問などができるだけ自分で、歴史研究会などに参加して、解決してもらいたいと思う。
そのうち僕の自論が認められたら、僕が主催する歴史研究会などを立ち上げたいと考えている。

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今年7月2日に僕は、『犯人へ告ぐ不正アクセスと厳重注意』の題名を『用意周到な犯人と僕の反撃』に改めて、2つの犯行を詳細に推理などで組み立てて、罪を償わせたいと思う。

用意周到な犯人と僕の反撃

僕は2冊の歴史本の著書を出版して、出版していない本も含めて、まとめて新しい章に記す。

僕の出版した本と出版していない本

僕の血と汗と涙と努力の結晶は、決して誰にも理解できない純粋な僕の頑張りである。

血と汗と涙と努力の結晶

僕の歴史研究は、純粋な思いから求めて、まとめて新しい章に記す。

純粋な思い

僕の歴史研究の内容とホームページの更新日などは、まとめてここの章に記す。

僕の歴史研究

人間の拡大解釈は、根本的な理由を追及して、頭の片隅に置いて考えてほしい。

拡大解釈

僕のホームページを見るに当たっての注意書きは、まとめて新しい章に記す。

注意書き


予兆と終止符

僕は2冊の著書を出版した時から、宮内庁にも史料や手紙やCD−Rなどを送って、絶対に皇室を蔑(ないがし)ろにしないと決めて、迷惑がられたかもしれないが、覚悟を促(うなが)す機会があったと思う。
2023年5月25日の午後5時頃は、崩年干支(ほうねんかんし)を特定して、以降の宮内庁に何度目かのメールで、仁徳(にんとく)天皇が334年即位の367年死去で、4世紀前半から中頃の天皇と判明して、大仙(だいせん)古墳(仁徳(にんとく)天皇陵)が5世紀前半から中頃の築造で、仁徳(にんとく)天皇の孫と曾孫の在位期間を求めて、それが古墳埋葬者と報告して、予兆が確かにあった。
2023年6月19日に僕は、『歴代天皇の在位期間の対比図』を修正し終わって、神武(じんむ)天皇以降の歴代天皇の系図を完全に否定して、僕の自論の公表が終止符で、新しい時代の始まりを告げた。


女王の幻(まぼろし)

邪馬台国(大和国;やまとこく)論争の女王の卑弥呼(ひみこ)と台与(とよ)は、邪馬台国(大和国;やまとこく)の女王と勘違いして、そもそも女王でもなく、『魏志倭人伝』をそのまま信じた馬鹿さ加減が現在の認識力の限界である。
女王国(伊勢国)の卑弥呼(ひみこ)の倭姫命(やまとひめのみこと)は、伊勢神宮の巫女(みこ)の斎王(さいおう;太陽神に仕(つか)える未婚の皇女)で、邪馬台国(大和国;やまとこく)の台与(とよ)が夫の仲哀(ちゅうあい)天皇が亡くなって、摂政(せっしょう;天皇に代わって政治をする役職)になった神功(じんぐう)皇后で、天皇家で最長の69年間も政治をして、女性の上位や優位と勘違いして、そもそも男性社会で、『魏志倭人伝』を信じた間違いだった。
2002年10月頃に歴史研究を始めた僕は、短期間で西暦84年から329年まで特定して、邪馬台国(大和国;やまとこく)時代を含んで、考古学(遺跡・遺物)と歴史学(歴史書解釈)で証明して、とっくの昔に完全決着したのに認められなくて、僕の自論を認めさせるため、ずっと影で暗躍し続けて来た。
遙か昔の女王の幻(まぼろし)は、僕が卑弥呼(ひみこ)の倭姫命(やまとひめのみこと)と台与(とよ)の神功(じんぐう)皇后の2人と特定して、誰も反論できない論理的根拠で、完全に黙らせて終らせた。
しかし専門家(考古学会と歴史学会)は、超天才の僕の自論を馬鹿にして、超絶な論理飛躍の産物としたが、自分たちの無能な認識力の問題で、現実の圧倒的な証拠に黙らせれて、一生かけても絶対に勝てない僕の恐ろしさを知って、現実離れした超天才の僕が古代天皇家の歴史と証明した。
自分たちの認識力を過信した専門家(考古学会と歴史学会)は、歴史上で最も恥ずかしい痴態(ちたい)を演じて、僕と言う超偉大な存在が現実を教えて、基本の基本も疎(おろそ)かにした現代人(僕以外の人間)の哀(あわ)れな末路で、世界中の痴(し)れ者(現代人)と正論を提唱した聖者(僕)の誕生だった。


僕の超感覚の秘密と人類史上初の大偉業

僕は保育園年長組で恐竜に興味を持って、古い時代にあこがれて、小学校中学年が天文学で、論理的に求めることを知って、高学年が考古学で、物的証拠の大切さを知って、中学生が超古代文明で、古代文字の神代(しんだい)文字などを理解して、高校の修学旅行で祖父の死に目に会えず、命・魂・精神・戦争・平和を考えて、22才の誕生日前に歴史研究を始めて、日本神話の神々の領域…神域をひもとく超感覚が生まれた。
僕は日本に生まれて、幼少から神道の神社に参拝して、仏教の葬式をして、キリスト教のクリスマスを祝(いわ)って、宗教や神様を幼くても理解して、小学校高学年で考古学や「記紀」(『古事記』と『日本書紀』)などを学んで、2002年10月頃から歴史研究して、20年半の歴史研究の成果を蓄積して、超感覚を天性(生まれ持った才能)でなく、後天性の人生経験で入手して、決して誰も僕の超感覚をまねできない。
世の中は、常(つね)に圧倒的な理不尽で、僕のような奇跡の人が何の努力もなく、生まれることがあり得なくて、僕の超感覚が何十年の長時間で生まれて、それを自分で研究して、他人に警告して、努力や人生経験の大切さを教えるためである。

2002年10月頃に僕は、「記紀」の現代語訳本を買って、数日後に黄泉国下(よみのくにくだ)り神話と狭穂彦王(さほひこのみこ)の反乱(倭国大乱;わこくたいらん)を合致して、2023年6月7日の午前9時頃にネット検索で、中世哲学の神様の存在証明を検索して、僕が人類史上初めて神様を証明したと気付いて、有史以来のエジプト文明やメソポタミア文明なども神話を伝えて、数千年も神様を証明できなかった。
2003年7月頃に僕は、『日本書紀』の干支(えと)の即位年干支法(そくいねんかんしほう)を名付けて、西暦84年から329年までを年代特定して、2023年5月25日の午後5時頃に『古事記』の干支(えと)の崩年干支(ほうねんかんし)が正しいと証明して、330年から507年の不明年代の西暦年月が確定して、皇室の歴史を初めて完全証明した。
僕は2004年5月に『この一冊で「哲学」がわかる!』(著者・白取春彦 発行・株式会社三笠書房)を購入して、現代哲学理論「現象学」を考え方の哲学と再定義して、自分とノーベル物理学賞受賞者の中村修二博士がよく似た考え方と自己分析して、考え方そのものを徹底的に定義付けた。
アインシュタイン博士や藤井壮太や大谷翔平などは、神様に例(たと)えても偽物で、僕の神様の証明や考え方の分析などが本当の神技(かみわざ)で、これだけの大偉業を後世にできるか不明で、僕の偉大さを例(たと)える言葉を思い付かない。


死角(しかく)のない僕と資格(しかく)のない専門家(考古学界と歴史学界)

超天才の僕は、歴史研究に死角がなくて、専門家(考古学界と歴史学界)が歴史を語る資格がなくて、「しかく」の言霊(ことだま;言葉の魂)に捕らわれた。
歴史研究を始めて約半年後の2003年5月頃に僕は、邪馬台国(大和国;やまとこく)論争の定説や異説を徹底的に研究して、『邪馬台国論争の証明』と『北九州4ヶ国の間違い』などのページで公表した自論を作って、2007年9月に最初の著書を出版して、専門家(考古学界と歴史学界)の資格を完全に否定した。
専門家(考古学界と歴史学界)は、僕の最初の著書『古代日本史への挑戦』を認めて、負けを宣言していたら、僕が歴史研究をやめて、20年半の歴史研究の成果が出なかったかもしれない。
いつか覚えてないが、東京に行って、邪馬台国の会に出席して、安本美典(やすもとびてん)氏と対話して、当時の僕が発展途上で、理解されなくて当然だった。
2012年6月16日に僕は、福知山市の三和壮(みわそう)で、邪馬台国(大和国;やまとこく)論争の講演をした考古学者の赤塚次郎(あかつかじろう)氏と対話して、この頃も発展途上で、理解されなくて当然だった。
僕の自論は、日本神話と邪馬台国(大和国;やまとこく)時代を完全に合致して、人知を超えた超感覚の僕が自分の能力に気付かず、好き放題に遊び感覚で努力した結果で、まさに好きこそ物の上手なれである。


判明した古墳埋葬者と皇居

垂仁(すいにん)天皇元年10月11日(西暦152年11月中旬頃)に崇神(すじん)天皇の亡骸(なきがら)は、山辺(やまのべ)に葬礼して、従者5人を殉死(じゅんし;主人の後を追って従者が死ぬこと)した。
崇神(すじん)天皇陵の最有力候補は、奈良県橿原市の瀬田(せた)遺跡の円形周溝墓(えんけいしゅうこうぼ)で、2016年に発見して、前方後円墳の形で、埋葬者が見つからず、2世紀中頃から後半頃の築造年代で、前方後円墳をネット検索して、2022年10月18日に求めた。
竹内(たけうち)氏の口伝(くでん;言葉で伝えること)の正統『竹内文書(たけのうちもんじょ)』は、前方後円墳の形の不明な伝承を残して、歴代天皇陵が全て前方後円墳の形で、西暦152年葬礼の崇神(すじん)天皇陵が確定して、1900年以上の伝承が『ホツマツタエ』の完成より古くて、古墳時代の前方後円墳の呼び名を残す可能性も考えられる。

垂仁(すいにん)天皇39年12月10日(西暦191年1月上旬頃)は、纏向(まきむく)石塚古墳(垂仁(すいにん)天皇陵)に葬礼して、埋葬者が見つからず、景行(けいこう)天皇4年11月1日(西暦194年12月上旬頃)に皇居の纏向日代宮(まきむくひしろのみや)を建てて、都市遺跡の纏向(まきむく)遺跡で、仲哀(ちゅうあい)天皇元年11月10日(西暦252年12月上旬頃)に箸墓(はしはか)古墳(景行(けいこう)天皇陵)へ葬礼して、埋葬者が見つかってない。
2007年9月に出版した僕の最初の著書は、邪馬台国(大和国;やまとこく)時代に1つの皇居(纏向(まきむく)遺跡)と2つの天皇陵(垂仁(すいにん)天皇陵と景行(けいこう)天皇陵)を特定して、絶対に覆(くつがえ)せない事実である。

国内最大の前方後円墳の大仙(だいせん)古墳は、5世紀前半から中頃の築造で、埋葬者が見つからず、仁徳(にんとく)天皇陵が嘘(うそ)で、仁徳(にんとく)天皇が4世紀前半の西暦334年に即位して、4世紀中頃の367年に死去して、安康(あんこう)天皇から顕宗(けんそう)天皇の辺りが古墳埋葬者である。
僕の歴史書解釈は、完全に史実(歴史上の事実)を求めて、どんなに考古学的証拠で否定しても、ひっくり返せるはずもなく、天皇陵と皇居が100%確実に正しいと考えられる。

東北地方の最古の前方後円墳は、福島県河沼(かわぬま)郡会津坂下町の杵ヶ森(きねがもり)古墳で、3世紀末から4世紀初頭の築造で、石背国造(いわせくにみやつこ)の建彌依米命(たけみよりまいのみこと)か阿尺国造(あさかくにみやつこ)の比止彌命(ひとみのみこと)が古墳埋葬者と考えられる。
関東地方の最古の前方後円墳は、千葉県市原市の神門(ごうど)3・4・5号墳で、3世紀後半の築造で、菊麻国造(きくまくにみやつこ)の大鹿国直(おおかくにのあたい)か上海上国造(かみうなかみくにみやつこ)の忍立化多比命(おしたちかたひのみこと)が古墳埋葬者と考えられる。
僕が求めた前方後円墳の埋葬者は、天皇陵も含めて6人で、他の古墳の埋葬者も判明した。

現在の専門家(考古学会と歴史学会)が求めた古墳埋葬者は、福岡県八女市の前方後円墳の岩戸山(いわとやま)古墳が西暦527年に反乱した筑紫君磐井(つくしのきみいわい)と埼玉県行田(ぎょうだ)市の前方後円墳の稲荷山(いなりやま)古墳が乎居臣(おわくこのおみ)で、この2人以外に分からない。
は「獣へん」に「草かんむり」がなくて隻の漢字で、ホームページで表示できるが注意書きにする。
名前の判明した古墳埋葬者は、僕の功績が非常に大きくて、誰も僕を超えられない。


僕としんぶん赤旗

僕の家は、幼少から日本共産党のしんぶん赤旗を購入して、「安倍政権」や「安保法案」や「核兵器廃絶」などや他の章に利用して、幼少から僕の考え方などに深く影響して、僕の人間性の根幹に影響したと考えられる。
しんぶん赤旗は、日本共産党を支持に関係なく、共産党のホームページのしんぶん赤旗を一読して、ウクライナ侵攻のロシア報道の一貫性、他の記事の詳しさやクオリティの高さ、内容の充実性などを確かめてみることを勧(すす)める。
幼少から影響を受けることは、人の考え方や行動や性格など色々と現れるはずで、僕がしんぶん赤旗や宗教や死生観などが深く影響したのが明白で、僕の古代天皇家の歴史研究が成功する多くのきっかけがあった。
しんぶん赤旗は、日本共産党の支持に関係なく、長い目で一読して、他の政党のやり方や考え方などを深く知って、社会事情などに詳しく踏み込んで、国内や世界中に広く目を向けて、正しい情報を知ってほしいと僕は思う。
僕のホームページや本は、幼少から僕がしんぶん赤旗を毎日読んで、僕の人間性の根幹を作って、今の僕がその影響でまとめた資料だと知ってほしい。


初めての人

僕の歴史研究を初めて話した人は、家族だと思うが、他人に話したのが2004年5月8日の午後2時から3時頃の一時間で、京都府宮津市の元伊勢籠(この)神社の海部光彦(あまべみつひこ)宮司で、僕に哲学の勉強を進めて、現代哲学理論「現象学」を証明して、哲学者になる「きっかけ」だった。
2023年5月25日の午後5時頃に崩年干支(ほうねんかんし)を証明して、5月27日の午後3時40分頃に僕の自宅の下方に暮らす芦田拓也さんと10分間ほど話して、崩年干支(ほうねんかんし)を証明して、西暦84年から507年まで年代特定したことも話した最初の人である。


ジャンプ先


必読する僕の自論

『邪馬台国の年表』は、『古代天皇家の年表』と統合したので、古代日本史の正確な西暦年月を求めた『古代天皇家の年表』を見て、日本神話を論理的にまとめた『日本神話の解釈』の段落を読んで、邪馬台国(大和国;やまとこく)論争の正当な解釈の『邪馬台国論争の証明』と『北九州4ヶ国の間違い』なども見て、暦法を証明した『即位年干支法と崩年干支』と『暦法の勘違いと真実』なども見てほしい。
女性皇族問題の『女系男子天皇と女性天皇』と『女性宮家』なども見て、僕が超天才を証明した『アインシュタイン博士を超える理由』も見て、歴代天皇の年齢などの『古代皇族の年齢と在位期間』も見て、古墳時代の定義などの『前方後円墳と古墳時代の始まり』も見て、蛇体の古代太陽神を証明した『天皇家と竜神』なども必ず見てほしい。
縄文人や弥生人や古墳人などを求めた『古代日本人のイメージ』も見て、超古代文明を証明した『天皇家と超古代文明』も見て、僕が地元をひもといた『天照玉命神社』と『福知山市と大門の歴史』も見て、古代天皇家の史実(歴史上の事実)をひもといた『日本の建国と国号』と『出雲王国の建国』と『西暦251年の内乱』と『出雲王国の崩壊』なども必ず見てほしい。
『ホツマツタエ』と『日本書紀』と『古事記』と『正統『竹内文書』』は、最近まとめた重要な歴史書の説明で、『歴代天皇の在位期間の対比図』を詳細に調べて、『神様は存在するか』が非常に重要で、絶対に見てほしい。
『火の神様の系図』は、かなり重要な内容で、出雲王国(物部(もののべ)氏)にまつわるページも重要で、物部(もののべ)氏が非常に大きな存在感で、面倒だと思うが、絶対に見てほしい。
2023年5月25日の午後5時頃に僕は、『古事記』の干支(えと)の崩年干支(ほうねんかんし)が正しいと証明して、西暦330年から507年までの西暦年月を特定して、日本の建国(天皇家誕生)の84年から329年までの西暦年月と統合して、1年9ヶ月ぶりの6月13日にホームページを更新した。
6月15日に一日デイケアに参加した僕は、やるべきことを色々と考えて、『歴代天皇の在位期間の対比図』と『神様は存在するか』と『火の神様の系図』などを5日で作成や修正して、6月19日に再びホームページが更新された。
6月27日の午前4時すぎに僕は、藤原氏が金髪なのかと頭の中で閃(ひらめ)いて、同日中に『古代の天皇家と豪族は何人種』と『犯人へ告ぐ不正アクセスと厳重注意』を作成して、6月28日の午前4時頃から修正し始めて、『藤原氏の系図』と『竹内氏の系図』などを午後8時半頃に修正し終えて、昼までにホームページが更新された。
7月2日に僕は、『犯人へ告ぐ不正アクセスと厳重注意』の題名を『用意周到な犯人と僕の反撃』に改めて、内容をまとめ直して、7月3日の午前10時頃に『倭の五王の定説と自論』は、修正し終えて、その日に再びホームページが更新された。
7月4日の午前7時頃に僕は、やっと告発と被害届の意味の違いに気付いて、再び『用意周到な犯人と僕の反撃』や『仁徳天皇陵は本物か』や『古代天皇家の年表』の仲哀(ちゅうあい)天皇時代を中心になど色々と修正して、このホームページの更新がたぶん5度目である。

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僕について 僕と専門家の認識力の違い 僕のよく用いる歴史書 僕が求める考古学的証拠 僕がひもとく神代 僕がひもとく人代 僕がひもとく神社
本当の自分 歴代天皇の在位期間の対比図 『ホツマツタエ』 天皇家誕生の時期 神格化された系図 古代日本人のイメージ 伊勢神宮
左右される僕 邪馬台国論争の証明 『日本書紀』 瀬田遺跡の円形周溝墓 伊弉冉尊 古代天皇家の年表 京都府の元伊勢
超頭脳 北九州4ヶ国の間違い 『古事記』 埴輪 二人の天照大神 出雲王国 石上神宮
僕の超天才は障害者だからか? 女王国 正統『竹内文書』 後漢王朝からの下賜品 素戔嗚尊 彦坐王 熱田神宮
僕の自殺願望と殺人願望 倭の五王の定説と自論 『先代旧事本紀』 纏向石塚古墳 天穂日命 狭穂彦王 出雲大社
著作権 即位年干支法と崩年干支 『後漢書』 纏向遺跡 経津主神 倭姫命 神魂神社
遺言 古代皇族の年齢と在位期間 『魏志倭人伝』 九州の考古学的証拠 武甕槌神 日本武尊 宗像大社・沖ノ島
僕の言霊と称号 祖先化した系図 『宋書』 箸墓古墳 瓊瓊杵尊 神功皇后 天照玉命神社
僕の詠んだ句 年代・内容の変更・改変 東日本の古墳埋葬者 大国主神 武内宿禰 熊野を冠する神社
真の意味 僕と専門家の考え方の違い 仁徳天皇陵は本物か? 火火出見尊 仁徳天皇 太陽信仰と神社
僕の超頭脳と現代人の頭脳の差 古代天皇家の歴史 歴代の人物の疑問点 色々な神々 僕がひもとく古史古伝 歴史から抹消された真実
アインシュタイン博士を超える理由 日本の建国と国号 神武天皇の疑問点 怨霊 『ホツマツタエ』と『魏志倭人伝』 「記紀」に頼りすぎ
究極の超天才の僕と現代人 出雲王国の建国 欠史八代の疑問点 物部氏と祟り神 但馬国司文書 「記紀」は何時代を指す?
僕の考え方の正体 倭国大乱 崇神天皇の疑問点 雷神 甲斐古蹟考 「記紀」の記述の真意
僕と同等の能力を体得する難しさ 卑弥呼共立 垂仁天皇の疑問点 天津神と国津神 上記 古代太陽神の共通性
IQで知能の価値を測れない 九州全土の平定 景行天皇の疑問点 場違いな神様 富士宮下文書 天照大神と豊受大神
無意識と深層心理 西暦188年の遣漢使 成務天皇の疑問点 隠された忘れ去られた神々 九鬼文書 彦坐王と古代太陽神
理性と感情と心の問題 遣魏使 仲哀天皇の疑問点 神様も人物も女性中心 和田家文書 桃太郎の正体
太平洋戦争の真実 熊襲王国の滅亡 神功皇后の疑問点 神様は存在するか!? 伊未自由来記 新羅の先祖と王子
中国の国際的な立場 西暦251年の内乱 応神天皇の疑問点 神様を感じること その他の古史古伝 三種の神器の矛
国家規模の嘘が生む断罪 出雲王国の崩壊 仁徳天皇の疑問点 神様と霊魂 暦法の勘違いと真実
韓国が漢字を廃止した結果 二人の皇子の反乱 伊勢に祭られる古代太陽神 建国以来の流血の歴史
分かり合えない民族の壁 仁徳天皇の東征と即位 万物に霊魂(神)は宿る 天皇家と竜神
『後漢書』の解釈 『魏志倭人伝』の解釈 『宋書』の解釈 日本神話の解釈 出雲王国の関連内容 天皇家と世界中の文明 神様と古代豪族の系図
『後漢書』の解釈1 『魏志倭人伝』の解釈1 『宋書』の解釈1 天地開闢神話 邪馬台国と出雲王国 世界中の神話と日本神話の一致 大国主神の系図
『後漢書』の解釈2 『魏志倭人伝』の解釈2 『宋書』の解釈2 神生み神話 神功皇后の系図 日本神話の誕生時期 火の神様の系図
『後漢書』の解釈3 『魏志倭人伝』の解釈3 『宋書』の解釈3 黄泉国下り神話 末梢された彦坐王 天皇家とエジプト文明 和珥氏の系図
『後漢書』の解釈4 『魏志倭人伝』の解釈4 『宋書』の解釈4 姉弟神の誓約神話 彦坐王の子孫と出雲 天皇家とメソポタミア文明 物部氏の系図
『後漢書』の誤解 『魏志倭人伝』の解釈5 『宋書』の解釈5 天岩戸隠れ神話 日本武尊と出雲 天皇家とイスラエル文明 海部氏の系図
『魏志倭人伝』の解釈6 『宋書』の誤解 因幡の白兎神話 大田田根子 古代の天皇家と豪族は何人種 千家氏の系図
『魏志倭人伝』の解釈7 根の国下り神話 高田媛 大伴氏の系図
『魏志倭人伝』の解釈8 出雲の国譲り神話 弟橘姫 藤原氏の系図
『魏志倭人伝』の誤解 天孫降臨神話 布都御魂剣 竹内氏の系図
海幸彦と山幸彦の神話 醜(色)と可美の共通性 吉備氏の系図
日本の古代太陽神 皇室について 現象学と自己認識の再構築 中村修二博士と僕の考え方 日本の可能性 古代日本史の雑多な資料
天照神 女系男子天皇と女性天皇 前知識 事前説明 皇室以前の時代 ムー大陸の正体は日本か?
火明命 女性宮家 当たり前だと思うことを疑う 器用でなくていい、自分の「流儀」を持て 古代文字 三角縁神獣鏡
饒速日命 京都居住 伝統的なものの見方をひっくり返す 「不利」な状況で自分をどう励ますか 古代信仰 前方後円墳と古墳時代の始まり
大物主神 三種の神器 「思い込み」の数だけ解釈がある 「横並び」に安住しない気構えを持て 神道 古代日本人の入れ墨
倭大国魂神 天皇家と超古代文明 「純粋意識」を取り出す 野心があるからここまで大きくなれる 安倍政権 神社の古伝承
天日槍 世界的盟主 「純粋意識」とは何か? ついに「常識破り」で勝つ 安保法案 福知山市と大門の歴史
滝祭神 皇室の神性 客観も真理も「確信」にすぎない 他人がまねできない「自分の強み」 核兵器廃絶 遺伝子考古学
八岐大蛇 皇室の在り方 僕の能力の正体 この「こだわり」こそ夢を実現する力 日本の未来 日本の不思議な点
まとめ 世界の指導者 歴代天皇の隠れた名前
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