アインシュタイン博士以上の超天才で、哲学者と歴史家を名乗る偉人 芦田 真也(あしだ しんや)
僕は京都府福知山市大門505で暮らして、ホームページで住所やプライベートを多くを公表するのが下手に隠すより公(おおやけ)にして、動く方が都合が良いからである。
僕の自宅などへの電話は、できるだけ遠慮してもらいたいが、いたずら電話などがひどいなら、警察やNTTなどに協力を求めて、解決することもあり得る。
歴史研究の疑問は、あまりに多くて分からないなら、手紙でのやり取りをお願いしたくて、疑問ができるだけ歴史研究会などに参加して、僕に頼らないで求めることを願う。
僕が公表した歴史研究の成果は、あまりに膨大な量で、100%否定できない史実・真実・事実で、古代天皇家の正史(正しい歴史)を初めて証明して、そのうち僕の自論が認められたら、僕が主催する歴史研究会などを立ち上げたいと思う。
アインシュタイン博士は、1955年に亡くなって、約半世紀後の2004年7月までに僕がアインシュタイン博士クラスの超天才と気付いて、22年以上の歴史研究で、自分がアインシュタイン博士以上の超天才と嫌でも理解して、僕がアインシュタイン博士以上の超天才と名乗っておきながら、2023年6月まで理由を書かなくて、凡人(僕以外の人間)に理解されなくて当然だった。
僕は自分と同類の超天才を研究・分析して、万能の天才レオナルド・ダ・ヴィンチと発明王トーマス・エジソンと20世紀最高の天才アルバート・アインシュタイン博士の3人で、彼らや僕の考え方などを色々と分析して、ノーベル物理学賞受賞者の中村修二博士が僕とよく似た考え方と研究・分析して、僕らの考え方を徹底的に研究して、神技(かみわざ)の教本を作った。
僕は現代哲学理論「現象学」を考え方の哲学と再定義して、「現象学」がコペルニクス的転回(非常識な考え方の集合体)「自己認識の再構築」の説明に最適で、地動説と進化論と相対性理論と僕の歴史研究が同じコペルニクス的転回で、過去の天才や僕の考え方そのものを徹底的に分析して、まさに神技(かみわざ)で、いつ頃からか哲学者を自称した。
僕は小学校中学年で、天文学に興味を持って、天文学者が夢になって、高学年で歴史に興味を持って、考古学者が夢になって、歴史研究を始めて、歴史家を自称して、考古学者になれなかったが、専門家(考古学界や歴史学界)をも超越して、歴史研究の夢を叶えた。
僕は日本神話の神々の領域・・・神域を完全解釈できて、神学者を名乗っても不思議でなくて、日本神話の神々の領域…神域を求められる唯一の人間で、他にも様々な称号を欲しいままにできる超天才である。
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ホームページ更新と2回の入院 |
僕のホームページ更新の過程 |
僕の出版した本としてない本 |
血と汗と涙と努力の結晶 |
純粋な思い |
拡大解釈 |
注意書き |
記述が不十分な理由
記述が不十分な理由は、僕のホームページ全てを修正するのに時間がかかりすぎて、中途半端で公表せざるを得ないためで、見る人がおかしいと感じる点が多々あると思う。
僕の超知識は、凡人(僕以外の人間)が何ヶ月から何年もかけて、ようやく理解できるレベルで、22年以上の歴史研究の成果を持つ僕に及ばなくて、比較すること自体がおかしすぎる。
僕の22年以上の歴史研究は、必死に挫折(ざせつ)と努力を重ねて、生み出した奇跡の結晶で、誰にもまねできない凄(すさ)まじい数々の偉業を語れなくて、中途半端な公表を許してほしい。
ネットの不安と恐怖
2021年10月1日に眞子様の結婚に関する記者会見を宮内庁がして、僕が眞子様のインターネットの書き込みで、結婚に反発する人々が「妬(ねた)み」や「嫉妬(しっと)」を抱(いだ)くからと言うのを見た。
10月2日の午後2時頃に一緒に暮らした祖父母の25回忌と7回忌の法事をして、眞子様の結婚に国民が怒るのは、「妬(ねた)み」や「嫉妬(しっと)」だとして、それが僕の歴史研究に向く恐怖に駆(か)られて、午後5時24分頃に土師川橋(はぜがわばし)の真ん中(約10メートル;3階分の高さ)から飛び下り自殺未遂をして、福知山市民病院の救急外来に運ばれて、小腸が切れて、両手首と左肩を骨折したのが判明した。
おそらく2020年4月以前に僕は、73代目・武内宿禰(たけのうちのすくね)の竹内睦泰(たけうちむつひろ)氏にメールして、2023年6月9日の午後4時45分頃に宮内庁にメールして、竹内氏の関係者の神職にメールを監視されたか、僕のホームページを見たかなどが考えられて、6月11日頃にユーチューブのコヤッキースタジオが『竹内文書(たけのうちもんじょ)』を一般公開する暴露動画を出して、それを僕が6月13日から14日頃に見て、7月12日にもみじヶ丘病院へ医療保護入院する「きっかけ」になった。
2023年7月12日の医療保護入院は、竹内氏の関係者の神職が絶対に公開しないはずの『竹内文書(たけのうちもんじょ)』の一般公開をして、当時のノートパソコンの不正アクセス、新宿の出版社の文芸社に送った7冊目と8冊目のノートの行方(ゆくえ)不明で、この3つが重なって、精神的に不安定になって、自分で精神科へ入院を望んだ。
僕は自分の著書を出版した以降、ネット検索して自分の名前などを調べ回る時があって、僕への誹謗(ひぼう)中傷などが目についた場合、自殺する「きっかけ」になったり、相手を特定できる証拠などを残すかもしれず、ネット情報で僕の生死や精神状態が左右されて、今後もないと断言できない。
僕は精神障害…統合失調症の自殺願望の持ち主で、2度も重傷の自殺未遂(左手首を7針縫ったリストカットと高さ10メートルからの飛び降り自殺未遂)を繰り返して、精神的に非常に不安定で、気を付けなければ、どうするか分からなくて、注意が必要と警告する。
象徴天皇と見逃される真実
象徴天皇は、日本国憲法で、天皇を国と国民統合の象徴で、その地位を国民の総意に基づくと定めて、天皇として生まれなくて、なりたくて天皇になるのでなく、在位期間に品行方正を求めて、悪いことをせず、天皇である限り国民の見本になって、自由な意思のない堅苦しさがあって、僕はそういう物と思う。
象徴天皇は、一般的に理解されない一面があって、本当の姿や悲しさの真実を伝えて、それを日本国民や世界中の人々が理解して、象徴天皇の真実を知る必要がある。
天皇家や出雲大社宮司家の千家(せんげ)氏などは、日本神話の神々の時代から、先祖代々の系図や特徴などを超天才の僕が証明して、考古学(遺跡・遺物)と歴史学(歴史書解釈)を合致して、神技(かみわざ)の中の神技(かみわざ)が偉大すぎる。
現在の日本漁業は、成長して親になる前の魚を乱獲して、卵を産む親の数が減少する成長乱獲が真実・事実で、ウナギやサバやノドグロやイカナゴなどが激減して、海水温上昇や外国が悪いなどと責任転嫁して、事実を隠して、騒動を回避して、見苦しい言い訳(わけ)である。
見逃される真実は、象徴天皇や現代日本の色々な現状にあって、深く真実・事実を追及して、正しく理解して、現状をどのように改善するかが問われる。
5の倍数の歴代天皇
5の倍数の歴代天皇は、皇統譜(こうとうふ;皇室の戸籍簿)で、初代の神武(じんむ)天皇から25代目の武烈(ぶれつ)天皇までが5の倍数に関係して、5の倍数が人間の5本指で説明できて、5代目の孝昭(こうしょう)天皇と10代目の崇神(すじん)天皇と16代目の仁徳(にんとく)天皇と25代目の武烈(ぶれつ)天皇を指して、その理由を述べる。
5代目の孝昭(こうしょう)天皇と皇后の世襲足媛(よそたりひめ)は、架空の作られた天皇だが、実在した崇神(すじん)天皇の実の両親で、崇神(すじん)天皇の両親として5代目の天皇にして、6代目から9代目が実在の人物を祖先化して、作られた系図と証明した。
10代目の崇神(すじん)天皇は、間違いなく実在の初代天皇で、神武(じんむ)天皇が初代の崇神(すじん)天皇と5代目の仁徳(にんとく)天皇を祖先化して、作られた架空の人物と証明して、5の倍数の10代目天皇とした。
16代目の仁徳(にんとく)天皇は、間違いなく実在の5代目天皇で、父の誉田別尊(ほむだわけのみこと;即位しない応神(おうじん)天皇)が在位しなくて、祖母の神功(じんぐう)皇后が摂政(せっしょう;天皇に代わって政治を行なう役職)ができなくなって、祖母の後を継いで、新しい血筋の認識で、5代目天皇になった。
25代目の武烈(ぶれつ)天皇は、仁徳(にんとく)天皇からの血筋が途絶(とだ)えて、正しく求めると14代目天皇で、新しい血筋の継体(けいたい)天皇の前に5の倍数の25世代の天皇がいて、5の倍数を聖数にしようと偽装工作した。
僕が皇室を崇(あが)める理由
僕が皇室を崇(あが)める理由は、僕が神の国・・・日本に生まれて、幼少から神様や仏様を崇(あが)めて、歴史研究で日本神話と邪馬台国(大和国;やまとこく)論争と倭(わ)の五王を証明して、皇室に計115人の天皇が在位して、彦坐王(ひこいますのみこ)と崇神(すじん)天皇の子孫が太陽神の血筋と僕が求めて、初代の崇神(すじん)天皇が崇(あが)める神と書いて、そのまま神様を崇(あが)める日本国を指す。
僕は幼少から皇室が大切と考えたが、歴史研究をして尚更(なおさら)に尊敬の対象になって、いつの間にか崇拝(すうはい)の対象となって、神様の血筋を守る皇室の維持が非常に大切で、世界中の国々や人々に知らせるべき情報と認識して、僕の大切な役目と神様からの啓示(けいじ)でないかと考えた。
僕は日本神話の神々の領域・・・神域をひもといて、実在した物と人物を神格化したと証明して、僕の役目が古代天皇家の史実・真実・事実の公表で、誰にも任(まか)せられない崇高(すうこう)な行為である。
崇(あが)める漢字は、祟(たた)る漢字とよく似て、崇(あが)めることと祟(たた)りが表裏(ひょうり)一体で、僕が日本(にほん)や倭(大和;やまと)を崇(あが)めるが、呪(のろ)いで祟(たた)る呪縛(じゅばく)にも取りつかれて、天皇家(皇室)に対して、呪(まじな)いや呪(のろ)いにも似た感情を抱(いだ)く。
人間は必ず何かに対して、敬意と畏怖(いふ)を抱(いだ)いて、崇(あが)めて祟(たた)りをもたらす物で、僕の天皇家(皇室)に対する思いも、至極(しごく)当然の普通の感情である。
僕が歴史研究に興味を持った理由
僕が歴史研究に興味を持った理由は、幼少時から絵本などで日本神話などの断片的な知識を得て、小学校高学年で歴史を習って、縄文時代や邪馬台国(大和国;やまとこく)論争などの考古学に興味を持って、高校生の修学旅行で祖父の死に目に会えず、命・魂・精神・戦争・平和を考えて、神道などの宗教の精神的な部分に触れて、歴史研究の要因が幼少から培(つちか)われた。
短大生時代に僕は、アダルトゲーム(美少女ゲーム)の『神語(かんがたり)』をプレイして、日本神話で双璧の軍神(いくさがみ)の経津主神(ふつぬしのかみ)と武甕槌神(たけみかづちのかみ)と神刀の布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)などに強い興味を持って、後に神道の魂振(みたまふり)と鎮魂(みたましずめ)などにも興味を持って、これが日本神話に深く興味を持った理由で、自分に無い出雲王国(物部(もののべ)氏)の強さ(武力)にあこがれた。
これらは、僕が出雲王国(物部(もののべ)氏)に深くこだわって、物部(もののべ)氏をひもとく起爆剤になって、幾つもの歴史研究の人生経験で、僕の興味分野や超知識が形成された。
予兆と終止符
僕は2冊の著書を出版した時から、宮内庁にも史料や手紙やCD−Rなどを送って、絶対に皇室を蔑(ないがし)ろにしないと決めて、迷惑がられたかもしれないが、覚悟を促(うなが)す機会があったと思う。
2002年10月頃に僕は、「記紀」の現代語訳本を買って、数日後に『日本書紀』の黄泉国下(よみのくにくだ)り神話と『古事記』の狭穂彦王(さほひこのみこ)の反乱(倭国大乱;わこくたいらん)を合致して、日本神話と邪馬台国(大和国;やまとこく)論争を合致した瞬間だが、その事実に気付いたのが何年も後で、気付くまでにそれなりの時間が必要だった。
2007年9月に出版した僕の最初の著者は、母方の天照大神(あまてらすおおみかみ;神功(じんぐう)皇后を神格化)を求めたが、孫の仁徳(にんとく)天皇から直系子孫の武烈(ぶれつ)天皇で血筋が途絶えて、神功(じんぐう)皇后から9世孫から11世孫ほどの継体(けいたい)天皇から今の天皇陛下まで、女系男子天皇と気付いたのが2021年11月9日だった。
2023年5月25日の午後5時頃は、崩年干支(ほうねんかんし)が正しいと気付いて、以降の宮内庁に何度目かのメールで、仁徳(にんとく)天皇が334年即位の367年死去で、4世紀前半から中頃の天皇と判明して、大仙(だいせん)古墳(仁徳(にんとく)天皇陵)が5世紀前半から中頃の築造で、仁徳(にんとく)天皇の孫と曾孫の在位期間を求めて、それが古墳埋葬者と報告して、予兆が確かにあった。
2023年6月19日に僕は、『歴代天皇の在位期間の対比図』を修正して、神武(じんむ)天皇以降の歴代天皇の在位期間を完全に否定して、西暦84年から506年までの423年間に14人の天皇がいたと証明して、今まで合計115人の天皇がいたと証明した。
2023年7月12日に医療保護入院した僕は、入院中に歴史研究して、7月15日の午後4時頃に九州平定の年代を特定して、7月21日の午後7時頃に神武(じんむ)東征(仁徳(にんとく)東征)の年代を特定して、西暦84年の日本の建国から506年までの423年間の空白年代を完全に特定して、2024年8月のホームページの更新で、大きく前進した。
日本神話の神々と氏神(うじがみ)
氏神(うじがみ)は、血縁的な関係の一族を神格化して祭って、一族の祖先神や守護神であって、古代日本からの独自の考え方で、日本神話の神々も実在した古代天皇家や古代豪族の人物を神格化して、氏神(うじがみ)と定義して間違いない。
現代日本人は、血縁的な関係の一族を氏神(うじがみ)に神格化して、昔から神様の存在を証明したが、日本神話の神々を証明した僕の功績が世界中の神話の神々を特定する「きっかけ」で、人類史上初めて神様の存在を証明したとも言える。
『古代天皇家の年表』の章
『古代天皇家の年表』の章は、僕のホームページで唯一の古代天皇家の歴史を正確に統一して記して、赤色と緑色の文字を2024年9月から10月に追加して、僕のホームページか最初の著書か出版してない3冊目の本を読まない限り、正確な情報を知れなくて、出版してない3冊目の本の出版が絶対に必要である。
僕の父は、僕が本を出版する以前に歴史研究の話題を嫌って、歴史研究の会話を全く話せない状態で、その事実・真実を公表する最終手段に出る決意をして、僕のホームページを見た人々に本当のことを伝えて、3冊目の本を出版できるように父を説得する世間の声が必要で、本の出版に必要なお金が不足して、お金を募(つの)る必要もある。
新宿の出版社の株式会社文芸社は、2023年7月11日に縁切りして、今の僕が新しい出版社と契約する所から始めて、新しい出版社か地元の出版社の株式会社オカムラで、僕の手元にある最初と2冊目の著書を電子書籍化して、僕の歴史研究の成果を僕のホームページと共に披露(ひろう)する必要がある。
僕がよく使う歴史書4選
僕がよく使う歴史書4選は、1番の『ホツマツタエ』と2番目の『日本書紀』と3番目の『古事記』と4番目の正統『竹内文書(たけのうちもんじょ)』で、「記紀(『古事記』と『日本書紀』)」以外の2書が無名で、『先代旧事本紀(せんだいくじほんき)』と『風土記(ふどき)』と中国の歴史書の『三国志・魏志倭人伝』などが例外で、僕が重要性と独断などで選んで、2024年9月29日の午後3時頃に記した。
僕が最もよく使う歴史書の『ホツマツタエ』は、漢字以前の時代の古代文字とする神代(しんだい)文字のホツマ文字で記すが、古代天皇家が漢字を持ち帰った景行(けいこう)天皇元年3月(西暦191年4月頃)より後の6世紀から7世紀に『ホツマツタエ』が完成した時期の文字で、『記紀』より古い日本最古の書物と証明して、最も信頼できる僕の最高の相棒として、非常に重要な歴史書で、本当と嘘(うそ)を混(ま)ぜて記す。
『ホツマツタエ』の原本の『ミミノハ(耳の葉)』と『ミソギノフミ(禊(みそぎ)の文)』は、6代目出雲国王の彦太忍信命(ひこふつおしのまことのみこと;神櫛皇子(かんぐしのみこ)と同一人物)と曾孫の2代目・武内宿禰(たけのうちのすくね)がまとめて、摂政(せっしょう)46年(西暦406年)に献上した原本、日本神話をまとめた原本の2冊の可能性があって、それらを推古(すいこ)天皇30年2月22日(西暦622年4月8日)に亡くなった聖徳太子が最終的にまとめたと考えられる。
僕が2番目によく使う歴史書の『日本書紀』は、西暦720年に献上して、西暦年と対比する干支(えと)の年を重視して、『ホツマツタエ』の記述を参考にして、本当と嘘(うそ)を混(ま)ぜて記すが、神武(じんむ)東征や景行(けいこう)天皇から仲哀(ちゅうあい)天皇時代の東国平定などの年月日が重要な意味・価値を持って、『古事記』と共に非常に重要で、僕が非常に重視する理由である。
僕が3番目によく使う歴史書の『古事記』は、西暦712年に献上したのが嘘(うそ)で、720年に献上したと考えられて、因幡(いなば)の白兎(しろうさぎ)神話などの出雲神話が『ホツマツタエ』と『日本書紀』に記さず、『古事記』で独自に作った神話で、日本神話を理解した証拠で、「記紀」の干支(えと)の年や他のヒントが『日本書紀』と共通するなど、本当と嘘(うそ)を混(ま)ぜて記すが、僕が非常に重視する理由である。
僕が4番目によく使う歴史書の正統『竹内文書(たけのうちもんじょ)』は、景行(けいこう)天皇45年11月15日(西暦235年12月中旬頃)生まれの初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)から合計73人もいた歴代の武内宿禰(たけのうちのすくね)がまとめた歴史書で、今知られる古代文字の神代(しんだい)文字でなく、未知の神代(しんだい)文字を何十種類以上も記して、他にも多くの内容や特徴を伝えて、本当と嘘(うそ)を混(ま)ぜて記すが、僕が非常に重視する理由である。
「記紀」は、共に西暦720年の献上と考えられて、『ホツマツタエ』が6世紀から7世紀に完成した日本最古の書物で、正統『竹内文書(たけのうちもんじょ)』が2020年1月13日に亡くなった73代目・武内宿禰(たけのうちのすくね)の竹内睦泰(たけうちむつひろ)氏までの系譜を記して、『ホツマツタエ』より古い弥生時代中期以前の記録を記す可能性があるが、日本最古の書物と認められない。
『ホツマツタエ』の遺伝子の超知識
『ホツマツタエ』16章は、精子が骨や脂肪になって、卵子が血液や内臓になって、圧倒的な遺伝子レベルの超知識で、精子と卵子が結び付いて起きる現象を記して、子宮の中で胎児の何ヶ月目の様子を記して、現代医学も真っ青の成長記録で、『ホツマツタエ』の他の章に人間の男女の染色体23個が合体して、人間一人の染色体46個になると解釈して、6世紀から7世紀の遺伝子レベルが現代の遺伝子学を超越したのか?
『ホツマツタエ』の遺伝子の超知識は、2024年7月22日の7時半頃に気付いて、日本の建国(天皇家誕生)の西暦84年から6世紀から7世紀の『ホツマツタエ』の完成まで、古代天皇家の医療レベルや遺伝子レベルの超知識があって、超古代文明と結び付けるのが間違いで、1300年以上前に現代の遺伝子学を超越して、驚愕(きょうがく)の史実・真実・事実で、聖徳太子が未来を見て、未来の遺伝子工学から得た知識でないか?
『ホツマツタエ』の遺伝子の超知識は、顕微鏡や遺伝子を調査・研究する圧倒的な機械が必要で、鬼と河童(かっぱ)のミイラや巨人の骨など、UMA(ユーマ;未確認生物)が遺伝子操作で生まれて、オーパーツ(未確認の超技術の加工品)やUMA(ユーマ;未確認生物)が5千年近く前の産物で、恐竜の生存説や恐竜人間や鳥の進化説の否定などを生み出して、恐竜と人の足跡が存在するのがタイムトラベル(時間旅行)の証拠だが、過去と未来の往復が可能か証明できない。
今の世界中で人類滅亡説は、出回って第3次世界大戦が起きるかもしれないが、人類が存続して、精子が骨や脂肪で、卵子が血液や内臓になる未来を聖徳太子が未来を見る超古代文明時代のパソコンで見て、人類が環境汚染や地球温暖化で絶滅するまで時間があると考えられて、人類が滅亡するカウントダウンが近い可能性を忘れてはならない。
豊臣秀吉の6本指と大河ドラマ
もみじヶ丘病院の任意入院中に買った『月刊ウィル 2024年10月1日発行 通巻238号』の204ページは、豊臣秀吉の右手が6本指で、「先天性多指症」と考えられて、ポルトガルのカトリック宣教師ルイス・フロイスや豊臣秀吉と同じく織田信長の家臣の柴田勝家の記録2つが6本指と記して、2人共に豊臣秀吉と何度も会って、日本と外国の記述が合致して、史実・真実・事実と考えられて、2026年の大河ドラマ『豊臣兄弟!』で、歴史学者が正しく描(えが)くことを願う。
これまで豊臣秀吉の右手は、TVやアニメで全て5本指で描(えが)いて、史実(歴史上の事実)通りの6本指で描(えが)かれず、正しい認識や解釈がされて、世間の反応を変える必要があって、歴史書の解釈がこのように正しい可能性を評価して、史実・真実・事実を認めるべきで、僕の歴史研究も全く同じで、何が正しいか間違いかを理解して、正しく解釈することが大切である。
僕の人類史上最大最高最強の大偉業
天皇家(皇室)は、世界最長の血筋が続く世界中で一番に尊敬される王家で、その古代天皇家の歴史を証明した僕が人類史上最大最高最強の大偉業で、最も優秀な超天才と評価されても不思議でない。
僕は日本の建国(天皇家誕生)と古墳時代の始まりなどを西暦年月で求めて、西暦年月日を確定できず、実在の初代の崇神(すじん)天皇陵と9代目の安康(あんこう)天皇陵の最有力候補を求めて、2代目の垂仁(すいにん)天皇陵と3代目の景行(けいこう)天皇陵を100%確定して、景行(けいこう)天皇の皇居も100%確定して、一つも古墳の天皇陵を求められない専門家(考古学会と歴史学会)を出し抜いた。
2002年10月に僕は、「記紀」の現代語訳本を買って、数日後に『日本書紀』の黄泉国下(よみのくにくだ)り神話と『古事記』の狭穂彦王(さほひこのみこ)の反乱(倭国大乱;わこくたいらん)を合致して、2023年6月7日午前9時頃にネット検索で、中世哲学の神様の存在証明を知って、理論的に神様の存在を証明した初めての人間である。
天御中主尊(あめのみなかぬしのみこと;崇神(すじん)天皇を神格化)の息子は、伊弉諾尊(いざなぎのみこと;垂仁(すいにん)天皇を神格化)で、その娘と息子が天照大神(あまてらすおおみかみ;異母姉の倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)と月読尊(つくよみのみこと;異母弟の景行(けいこう)天皇を神格化)で、つまり僕が日本神話を完全解釈した。
景行(けいこう)天皇元年3月(西暦191年4月頃)に古代中国の後漢王朝から帰国した祖別命(みおやわけのみこと)は、父の垂仁(すいにん)天皇が亡くなったと知って、禁止した殉死(じゅんし;主人の後を追って従者が死ぬこと)をしたが、祖別命(みおやわけのみこと)が病(やまい)で、帰国して亡くなった可能性もある。
後漢王朝から帰国した使者たちは、古代中国の文化(製紙業と漢字など)を取り込んで、数年間で漢字を紙に書いて、漢字の音読みと訓読みを作って、音読みが中国語発音で、訓読みが日本語発音で、日本で漢字を初めて使ったのが191年である。
漢字以前の古代文字と考えられる神代(しんだい)文字のホツマ文字は、『ホツマツタエ(秀真伝)』と『ミカサフミ(三笠文)』と『フトマニ(太占)』の3書を記して、僕がホツマ文字を漢字以降の時代の古代文字と証明して、『ホツマツタエ』が6世紀前半の西暦525年以降から7世紀にできた日本最古の書物とも証明した。
正統『竹内文書(たけのうちもんじょ)』は、今知られる神代(しんだい)文字の数十種類よりも多い数百種類にもなる神代(しんだい)文字を記すと伝えるらしく、非常に興味深い伝承で、多くの謎(なぞ)を残す歴史書である。
僕は今年2024年が建国1940年目で、西暦84年から506年までの423年間で14人の歴代天皇がいて、今の天皇陛下まで合計115人が歴代天皇で、空白の423年間を完全に証明して、大谷翔平や藤井壮太や万能の天才レオナルド・ダ・ヴィンチや20世紀最高の天才アルバート・アインシュタイン博士などが僕に絶対に勝てなくて、スポーツの大谷翔平と超頭脳の僕の分野が違う。
大谷翔平の成績や藤井壮太の棋力は、数値化して一目で分かって、ゲームのFFやドラゴンクエストが攻撃力やHP(体力)などを数値化して、アニメのドラゴンボールZ以降の同シリーズが戦闘力を数値化するが、レオナルド・ダ・ヴィンチやアルバート・アインシュタイン博士や超天才の僕などの超頭脳が数値化できず、想像できない未知の領域である。
藤井壮太の棋譜(囲碁や将棋やチェスなどのボードゲームで、互いの対局者の手を順番に記入した記録)は、AIでも解析できず、他の人間もAIが解析できない例があるが、僕が古代天皇家の正史(正しい歴史)を求めた生きる伝説で、超天才の僕が持つ分析能力がAIやパソコンでも、永遠に勝てない神技(かみわざ)だろう。
超天才の僕は、日本神話の神々を求めた意味で、キリスト教の開祖イエス・キリストやイスラム教徒の開祖ムハンマドや仏教の開祖の釈迦(しゃか;ゴータマ・シッダールタ)や聖徳太子たちをも超越して、人類史上初めて神様を100%ひもといた偉業が認められて、神技(かみわざ)の中の神技(かみわざ)が奇跡の中の奇跡とも言い換えられて、僕だけの圧倒的な特権である。
神技(かみわざ)は、後の訓練や鍛錬で高度な行為を出来るようになった人で、神業(かみわざ)が人間の業(わざ)でない神にしかできないような高度な技術や行為で、僕がどちらの意味でも「かみわざ」と呼べるが、僕の能力が後天的な人生経験で、積み重ねた神技(かみわざ)の意味の方も大きい。
僕のIQ(知能指数)と考え方の成長
僕のIQ(知能指数)は、最初の自殺未遂で入院中の2004年12月13日に初めてIQテストWAIS(ウェイス)をして、言語性95動作性82全IQ85で、2023年9月19日に再びIQテストWAIS(ウェイス)を受けて、言語性75動作性76全IQ73で、IQの平均値が110から90で、僕のIQが平均値より低いが、僕の超頭脳(超感覚)がIQに全く関係ないと証明した。
万能の天才レオナルド・ダ・ヴィンチや発明王トーマス・エジソンや20世紀最高の天才アルバート・アインシュタイン博士などは、IQテストを受けてないのにIQが高いと想像するが、完全な現代人の空想で、僕のようにIQが低くても、成果を出す天才が世の中に多くて、彼らも僕と同じようなIQでも全く不思議でない。
僕は成和中学校と大江高校の成績が5段階の平均3.2で、IQも一般人の平均値より低くて、平凡な能力値と証明して、僕が国語や歴史や地学や天文学や古生物学などが得意で、歴史研究での功績が凄(すさ)まじい。
僕は隠れた障害・・・発達障害や学習障害と勝手に想像するが、僕の考え方の成長が障害に関係なくて、僕個人が元々持った能力が歴史研究で拡大して、圧倒的な急成長で超頭脳(超感覚)が目覚めた可能性があって、僕の隠れた障害の有無を調べる必要がある。
僕の考え方の成長は、歴史研究の色々な人生経験を重ねて、順調に実績を積み上げて、超頭脳(超感覚)を能力拡大して、それを誰もまねできない僕だけの人生経験として、他人に語るしかない現実である。
IQの平均値より低い僕のIQは、僕自身の脳の解剖を遺言(ゆいごん)して、後世の脳科学などに役立てて、超頭脳の研究の一助とするためである。
知的な強さと僕の歴史研究の公表
知的な強さは、知的な探求心や好奇心に当てはまって、無知の知(知らないことを知ること)と言い換えて、「好きこそ物の上手なれ」に集約して、世界唯一の僕だけが日本神話と邪馬台国(大和国;やまとこく)論争と倭(わ)の五王を完全解釈して、専門家(考古学会と歴史学会)が凡人(僕以外の人間)レベルのシロウト集団にすぎない。
僕は日本神話の神々の領域…神域を完全解釈した神様に最も近い人間で、古代天皇家の歴史を完全に特定した唯一の超天才で、仁徳(にんとく)天皇から武烈(ぶれつ)天皇の辺りまで、崩御(ほうぎょ;天皇が亡くなること)の記述などをまだ求めてないが、いまだに超頭脳(超感覚)や超知識を拡大して、能力の限界突破がウナギ登りで、全く底が見えない。
こんな僕は、古代天皇家の歴史で、世界唯一の第一人者や本当の専門家と呼んで当然で、何も理解できないシロウト集団の専門家(考古学会と歴史学会)が敵でなく、僕の超頭脳が神技(かみわざ)の中の神技(かみわざ)で、一生かけても凡人(僕以外の人間)が体得できない超感覚で、歴史研究を始める前後の僕の人生経験で、体得した天文学的数値の上に作られた能力である。
僕の歴史研究の公表は、日本神話と邪馬台国(大和国;やまとこく)論争と倭(わ)の五王の完全解釈を公表して、僕の自論の信頼性を他人(僕以外の人間)に示して、誰も知らない史実・真実・事実を伝えて、後世の人々が研究する教本として残して、公表する最大の理由である。
今年2024年の干支(えと)
今年2024年の干支(えと)は、甲辰(きのえたつ)で、20年前の2004年が甲申(きのえさる)の西暦84年で、崇神(すじん)天皇即位年が同じ甲申(きのえさる)で、2004年が干支(えと)の60年周期で32回さかのぼった日本の建国(天皇家誕生)から1920年目で、今年が建国1940年目で、甲子(きのえね)が干支(えと)の始まりで縁起が良くて、甲子園が甲子(きのえね)の年1924年(大正13年)にできて、干支(えと)の甲(きのえ)が共通する。
十二支の辰(たつ)は、想像上の竜を指して、古代から日本で竜が蛇で、昔から天照大神(あまてらすおおみかみ)が蛇神と考えられて、伊勢神宮内宮の滝祭神(たきまつりのかみ)が竜神で、出雲大社に海蛇の龍蛇神(りゅうじゃしん)が祭られて、出雲大社が御神体を蛇とする伝承があって、島根県の斐伊川(ひいかわ)を神格化した八岐大蛇(やまたのおろち)が古代太陽神で、他にも日本神話が蛇神と関係して、日本の太陽神が蛇神(竜神)と深く関係する。
出雲神話の八岐大蛇(やまたのおろち)は、島根県の斐伊川(ひいかわ)の流れを神格化した蛇神だが、伊勢神宮の横を流れる五十鈴川(いすずがわ)を神格化した蛇神の滝祭神(たきまつりのかみ)を怪物視して、滝祭神(たきまつりのかみ)が天照大神(あまてらすおおみかみ)と同格ほどの古代太陽神で、英雄の素戔嗚尊(すさのおのみこと)が邪神の八岐大蛇(やまたのおろち)を殺したのでなく、邪神の素戔嗚尊(すさのおのみこと)が古代太陽神の八岐大蛇(やまたのおろち)を殺して、逆の解釈が正しい。
素戔嗚尊(すさのおのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)は、伊勢神宮内宮を襲撃して、八岐大蛇(やまたのおろち;伊勢神宮や滝祭神(たきまつりのかみ)を神格化)を殺して、三種の神器の八咫鏡(やたのかがみ)を強奪して、日本武(やまとたけ)天皇に強行即位して、父方の天照大神(あまてらすおおみかみ;伯母(おば)の倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)も殺害して、太陽神殺しの大罪をおかした。
今年の十二支の辰(たつ)は、縁起が良い干支(えと)の甲(きのえ)が共通して、男性で蛇神の古代太陽神と現在の女性の太陽神などが深く関係して、蛇神が水神や海神などとして祭られて、2大神社の伊勢神宮と出雲大社が共に蛇神を祭る。
考古学会(遺跡・遺物)の本質の見直し
2004年7月21日の午前9時40分頃に僕は、参考文献『王墓の謎』(著者・河野一隆 発行・株式会社講談社)の参考ネット記事(クフのピラミッドや仁徳天皇陵は「権力の象徴」ではなかった…!大きな「王墓」が造られた「本当の理由」、「王墓=権力の象徴」説は、なぜ定説となったのか?)の2つを見て、今の考古学会が本質を見失った可能性に気づいて、マイノリティー(少数派)の意見も積極的に考える必要があると僕は考えた。
「王墓=権力の象徴」説は、僕も無意識に思い込まされるが、参考文献『王墓の謎』の参考ネット記事を読んで、違った視点から天皇陵の古墳を考えると、他人の意見を重視することを考えさせられる。
初代の崇神(すじん)天皇陵の最有力候補は、奈良県橿原市の瀬田(せた)遺跡の円形周溝墓(えんけいしゅうこうぼ)で、古代天皇家で初めて前方後円墳の形を採用したと考えられて、2代目の垂仁(すいにん)天皇陵の纏向(まきむく)石塚古墳が最古の前方後円墳で、6世紀後半から末頃に奈良県で前方後円墳が衰退するまで、歴代天皇陵が全て前方後円墳の形を採用した可能性を正統『竹内文書(たけのうちもんじょ)』が伝えるかもしれない。
考古学会(遺跡・遺物)は、自分たちの意識や認識力などを見直して、超天才の僕の意識する超知識や超頭脳(超感覚)など、他人に学ぶことを思い出して、一から歴史研究を修業した僕のように頑張って、自分自身の強みを育てる人生経験を大切にしてほしいと思う。
考古学(遺跡・遺物)と歴史学(歴史書解釈)の年号
考古学で日本最古の年号は、古代中国の後漢王朝の遣使(遣漢使;けんかんし:遣隋使や遣唐使に基づいた僕の造語)で、下賜された東大寺山(古墳出土)鉄刀の「中平?年五月丙午(ひのえうま)…」の文字で、霊帝の中平年間(西暦184年から189年)に当たる。
歴史学で日本最古の年号は、後漢(ごかん)王朝の建武中元2年(西暦57年)で、福岡市の志賀島(しかのしま)から出土した「漢委奴國王(かんいぬこくおう)」の金印が奴国(ぬこく)に送られて、奴国(ぬこく)が倭国(わこく;古代日本)の極(きわ)めて南にあると記して、奴国(ぬこく)が福岡市で間違いないと考えられる。
歴史学で2番目に古い年号は、『ホツマツタエ』と『日本書紀』の崇神(すじん)天皇元年1月13日(西暦84年2月中旬頃)で、日本の建国年(天皇家誕生)である。
誰も知らなくて公表してない古墳時代の真実
世界でただ一人の邪馬台国(大和国;やまとこく)時代を特定した僕は、最古の前方後円墳の纒向(まきむく)石塚古墳が垂仁(すいにん)天皇陵で、190年年末か191年年始に葬礼して、僕が古墳時代の始まりを特定した唯一の超天才で、西暦年月日の特定を歴史学者に任(まか)せる。
奈良県で前方後円墳が衰退した時期は、6世紀後半から末で、聖徳太子の祖父の欽明(きんめい)天皇か伯父(おじ;父の兄)の敏達(びだつ)天皇か父の用明(ようめい)天皇か叔父(おじ;父の弟)の崇峻(すしゅん)天皇を葬礼した時期で、欽明(きんめい)天皇が571年10月頃に葬礼して、敏達(びだつ)天皇が591年5月頃に追葬して、用明(ようめい)天皇が587年8月頃に葬礼して、崇峻(すしゅん)天皇が592年12月頃に暗殺された日に葬礼して、この時期を公表していない。
古墳時代の終わりは、7世紀末から8世紀初めで、この時期に葬礼した天皇陵が最後の古墳と考えられて、『日本書紀』と『古事記』の編纂(へんさん)を命じた天武(てんむ)天皇が688年12月頃に葬礼して、天武(てんむ)天皇の妻の持統(じとう)天皇が703年1月頃に死去して、1年後に火葬して、天武(てんむ)天皇陵に合葬して、文武(もんむ)天皇が707年12月頃に葬礼して、元明(げんめい)天皇が716年1月頃に葬礼して、この4人の天皇が最後の古墳に葬礼した候補だが、これも公表してない。
奈良県で前方後円墳が衰退した時期の天皇陵は、聖徳太子の祖父か伯父(おじ;父の兄)か父か叔父(おじ;父の弟)の4人の誰かを埋葬して、古墳時代の終わりの古墳が天武(てんむ)天皇の妻の持統(じとう)天皇か天武(てんむ)天皇と持統(じとう)天皇の孫の文武(もんむ)天皇か天智(てんじ)天皇の娘の元明(げんめい)天皇の4人の誰かを埋葬したと考えられる。
古墳時代の終わりの7世紀末から8世紀初めは、高松塚古墳とキトラ古墳などが作られて、高松塚古墳が特別史跡に指定されて、高松塚古墳の極彩色(きょくさいしょく)壁画が国宝になって、キトラ古墳が史跡と特別史跡に指定されて、キトラ古墳の壁画が指定されず、絵の具で描いた四神の玄武や青竜や飛鳥美人などが知られる。
古墳時代の始まりの190年年末か191年年始は、弥生時代後期後半で、奈良県で前方後円墳が衰退した6世紀後半から末が時代区分の古墳時代が終わる時期で、古墳時代の終わりの7世紀末から8世紀初めが飛鳥時代から奈良時代への変換期である。
古墳時代の始まりは、今年が天皇家誕生(日本の建国)1940年目を特定できる僕だけが求めて、誰も知らなかった史実・真実・事実で、奈良県で前方後円墳が衰退した時期も古墳時代の終わりも公表せず、知らない人が圧倒的に多くて、僕が教えることにした。
赤い日の丸と太陽神を連想させる考古学的証拠
赤い日の丸と太陽神を連想させるのは、赤色を古代天皇家が使った日本最古の考古学的証拠で、僕の分析・研究の結果から2例が考えられる。
垂仁(すいにん)天皇29年(西暦180年)に3つ子で長男の祖別命(みおやわけのみこと)と三男の胆武別命(いたけわけのみこと)は、吉備(きび;岡山県と広島県東部)国王の温羅(うら)を殺して、吉備(きび)王国が滅亡して、温羅(うら)の墓(はか)が2世紀後半の岡山県倉敷市の楯築(たてつき)墳丘墓で、徳島県阿南(あなん)市の若杉山辰砂(しんしゃ)採掘遺跡(弥生時代後期から古墳時代初頭)の水銀朱を使ったと考えられて、水銀朱が赤色の塗料である。
景行天皇40年代から50年代頃(西暦230年から240年代頃)の前方後円墳のホケノ山古墳は、埋葬施設の赤色の水銀朱が徳島県阿南(あなん)市の若杉山辰砂(しんしゃ)採掘遺跡(弥生時代後期から古墳時代初頭)の水銀朱と考えられて、赤色の水銀朱が国旗の赤い日の丸と太陽神を想像させて、築造年代が西暦252年か253年に葬礼の景行(けいこう)天皇陵の箸墓(はしはか)古墳よりも前で、皇族が古墳埋葬者と考えられる。
2世紀後半の楯築(たてつき)墳丘墓遺跡は、埋葬施設の赤色の水銀朱が古代天皇家と関係すると完全に証明できなくて、纏向(まきむく)石塚古墳とホケノ山古墳と箸墓(はしはか)古墳が大和(おおやまと)古墳群に属して、ホケノ山古墳が垂仁(すいにん)天皇陵の纏向(まきむく)石塚古墳と景行(けいこう)天皇陵の箸墓(はしはか)古墳の間に挟(はさ)まる期間で築造して、赤い日の丸と太陽神を連想させる日本最古の考古学的証拠と考えられる。
死角(しかく)のない僕と資格(しかく)のない専門家(考古学界と歴史学界)
超天才の僕は、歴史研究に死角がなくて、専門家(考古学界と歴史学界)が歴史を語る資格がなくて、「しかく」の言霊(ことだま;言葉の魂)に捕らわれた。
歴史研究を始めて約半年後の2003年5月頃に僕は、邪馬台国(大和国;やまとこく)論争の定説や異説を徹底的に研究して、『邪馬台国論争の証明』と『北九州4ヶ国の間違い』などのページで公表した自論を作って、2007年9月に最初の著書を出版して、専門家(考古学界と歴史学界)の資格を完全に否定した。
専門家(考古学界と歴史学界)は、僕の最初の著書『古代日本史への挑戦』を認めて、負けを宣言していたら、僕が歴史研究をやめて、22年以上の歴史研究の成果が出なかったかもしれない。
いつか覚えてないが、東京に行って、邪馬台国の会に出席して、日本史研究家の安本美典(やすもとびてん)氏と対話して、当時の僕の歴史研究が発展途上で、理解されなくて当然だった。
2012年6月16日に僕は、福知山市の三和壮(みわそう)で、邪馬台国(大和国;やまとこく)論争の講演をした考古学者の赤塚次郎(あかつかじろう)氏と対話して、この頃の歴史研究も発展途上で、理解されなくて当然だった。
僕の自論は、日本神話と邪馬台国(大和国;やまとこく)時代を完全に合致して、人知を超えた超感覚の僕が自分の能力に気付かず、好き放題に遊び感覚で努力した結果で、まさに好きこそ物の上手なれで、当時の専門家でも、当然ながら僕を理解できない超知識で、僕があまりに超頭脳だっただけである。
初めての人
僕の歴史研究を初めて話した人は、家族だと思うが、他人に話したのが2004年5月8日の午後2時から3時頃の一時間で、京都府宮津市の元伊勢籠(この)神社の海部光彦(あまべみつひこ)宮司で、僕に哲学の勉強を薦(すす)めて、現代哲学理論「現象学」を証明して、僕が哲学者になる「きっかけ」だった。
2023年5月25日の午後5時頃に崩年干支(ほうねんかんし)を証明して、5月27日の午後3時40分頃に僕の自宅の下方に暮らす芦田拓也さんと10分間ほど話して、崩年干支(ほうねんかんし)などを話して、西暦84年から506年まで年代特定したことも話した最初の人である。
僕の中国と韓国と北朝鮮などへの悪感情
僕の中国と韓国への悪感情は、僕のホームページで、中国と韓国を批判する章を載せる通りで、北朝鮮への悪感情も少なからず記す通りで、米国やロシアに対しても悪感情があって、他の世界中の国々に対しても、少なからずある物だが、僕の中国と韓国と北朝鮮などへの悪感情が顕著(けんちょ)で、中国と韓国と北朝鮮の反日教育などがひどい物である。
僕のホームページの中国と韓国を批判する章は、特に記述内容がひどい物で、僕がどれほどの悪感情を持って、考えているかがよく分かって、中国と韓国が悔(く)い改めることを祈る。
日本国内の外国人観光客は、一部の中国人や韓国人の観光客の非常識さが目立つが、他の国々の観光客も一部が非常識で、食堂や富士山などのマナーの悪さと奈良の鹿への暴行など目にあまる行為があって、奈良公園の鹿が神の使いで、特別天然記念物として守られて、神の国…日本を正しく理解して、厳しく守る法律やルールがあって、僕も一日本人として、外国人が正しく理解することを願う。
在日アメリカ軍の好き勝手
在日アメリカ軍は、日本各地で好き勝手して、航空機のオスプレイに欠陥があるのに米軍基地に配備して、自衛隊と在日アメリカ軍に多くの密約があって、日本国内で米軍が好き勝手にするのをネット記事で多く見て、米軍の好き勝手がまかり通る。
米軍機は、アメリカ人の家の上を飛ばないのが落ちると危ないからで、東京電力が東京で使う電力を東京で作らないのが原発が爆発すると危ないからで、つまり同じ島(沖縄本島)の中で、人権が守られる人間(米軍関係者)と守られない人間(日本人)がいて、諸悪の根源が日米の密約や日本国憲法そのものなどで、それが真実・事実である。
いくら日本は、敗戦国であっても、ここまでやりたい放題がまかり通ると、おかしすぎると考えて当たり前(常識)で、僕が一日本人として強く怒って、僕がホームぺージで公表して、日本国政府に抗議して、政治家連中も正しく事実確認して、正しく厳しく考えて、米軍と協議することを願う。
僕としんぶん赤旗
僕の家は、幼少から日本共産党のしんぶん赤旗を購入して、「安倍政権」や「安保法案」や「核兵器廃絶」など他の章に利用して、幼少から僕の考え方などに深く影響して、僕の人間性の根幹に影響したと考えられる。
しんぶん赤旗は、日本共産党の支持に関係なく、共産党のホームページのしんぶん赤旗を一読して、ウクライナ侵攻のロシア報道の一貫性、他の記事の詳しさやクオリティの高さ、内容の充実性などを確かめてみることを勧(すす)める。
幼少から影響を受けることは、人の考え方や行動や性格など色々と現れるはずで、僕がしんぶん赤旗や宗教や死生観などが深く影響したのが明白で、僕の古代天皇家の歴史研究が成功する多くのきっかけがあった。
しんぶん赤旗は、長い目で一読して、他の政党のやり方や考え方などを深く知って、社会事情などに詳しく踏み込んで、国内や世界中に広く目を向けて、正しい情報を知ってほしいと僕は思う。
僕のホームページや本は、幼少から僕がしんぶん赤旗を毎日読んで、僕の人間性の根幹を作って、今の僕がその影響でまとめた資料だと知ってほしい。
僕の罪と償(つぐな)い
僕自身は犯罪者で、福知山共同作業所の通所中にガンダムなどのDVDのダビングで著作権侵害、いつか不明でアダルトゲームの不法投棄で、福知山市の条例違反を告白して、罪を償(つぐな)うために公表した。
僕が罪を告白したのは、長年に渡って罪悪感があって、いつか告白すべきと考えて、デジタルタトゥーが残るのを覚悟で公表して、償(つぐな)うことを選んだからで、自殺未遂を繰り返すなど、僕が決して完璧な人間でなく、多く悩んだり苦しんだりする。
<参考文献>
『日本書紀(上)(下)全現代語訳―全二巻―』
著者・宇治谷孟 発行・株式会社講談社
『古事記(上)(中)(下)―全三巻―』
著者・次田真幸 発行・株式会社講談社
『完訳秀真伝』
編著者・鳥居礼 発行・八幡書店
『ホツマ辞典』
著者・池田満 発行・ホツマ刊行会
『新訂 魏志倭人伝 他三篇―中国正史日本伝(1)―』
編訳者・石原道博 発行・株式会社岩波書店
インターネットの不明サイトから少々拝借
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