二人の天照大神(あまてらすおおみかみ)
天照大神(あまてらすおおみかみ)は、皇祖神(こうそしん;天皇家の祖先神)で女性の太陽神で、日本神話の神々の最高神でもあって、伊勢神宮内宮や元伊勢内宮や元伊勢籠(この)神社などの元伊勢を始め全国的に祭られる。
天照大神(あまてらすおおみかみ)は、卑弥呼や台与(とよ)を神格化したなど色々な説があるが、これに関して言うなら間違っていないと考えられて、色々な考え方で、天照大神(あまてらすおおみかみ)を考察する。
『ホツマツタエ』は、古代の男性の太陽神である天照神(あまてるかみ)が登場して、現在の天照大神(あまてらすおおみかみ)が蛇体の男性だった説があって、天照神(あまてるかみ)を始めとする古代太陽神にたどりつく。
最古の太陽神の宮司と考えられる彦坐王(ひこいますのみこ)は、男性の太陽神の天照神(あまてるかみ)と初代・大物主神(おおものぬしのかみ)と2代目・火明命(ほあかりのみこと)と饒速日命(にぎはやひのみこと)と天日槍(あめのひぼこ)などに神格化された。
古代の蛇体の太陽神は、歴代の大物主神(おおものぬしのかみ)と伊勢神宮の横を流れる五十鈴川(いすずがわ)全体を神格化した古代信仰の蛇神の滝祭神(たきまつりのかみ)と滝祭神(たきまつりのかみ)を怪物視した出雲の八岐大蛇(やまたのおろち)の3例だけと考えられる。
『ホツマツタエ』の天照神(あまてるかみ)は、別名をアマテラスともヲヲンカミとも記して、天照大神(あまてらすおおみかみ)に語源変化したと考えられて、天照大神(あまてらすおおみかみ)の前身の可能性が高い。
『ホツマツタエ』の男性の太陽神である天照神(あまてるかみ)は、何らかの理由から女性の太陽神の天照大神(あまてらすおおみかみ)に変わって、答えにたどり着けるはずがない。
男性の太陽神の天照神(あまてるかみ)は、最古の太陽神の宮司と考えられる彦坐王(ひこいますのみこ)とその直系子孫の伊勢神宮の斎王(さいおう;太陽神に仕える未婚の皇女)の倭姫命(やまとひめのみこと;卑弥呼)と摂政(せっしょう;天皇に代わって政治する役職)の神功(じんぐう)皇后(台与;とよ)の3人を神格化したと考えられる。
女性の太陽神の天照大神(あまてらすおおみかみ)は、倭姫命(やまとひめのみこと;卑弥呼)と神功(じんぐう)皇后(台与;とよ)の2人を神格化して、絶対に彦坐王(ひこいますのみこ)を含まない。
日本神話を完全解釈できる僕は、日本神話の神々の誰が史実の誰を神格化して、その理由も誰もが納得(なっとく)できる可能性を指摘できる。
これは僕の経験則に基づいた18年間の研究成果の結果である。
天照大神(あまてらすおおみかみ)は、国生みの夫婦神の伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)の子供とする場合と父親の伊弉諾尊(いざなぎのみこと)だけで生んだ伝承があって、ちゃんと理由を説明できる。
伊弉諾尊(いざなぎのみこと;垂仁(すいにん)天皇を神格化)の妻の伊弉冉尊(いざなみのみこと)は、垂仁(すいにん)天皇の3人の皇后を神格化して、この伝承が生まれた理由に間違いない。
伊弉冉尊(いざなみのみこと;狭穂姫(さほひめ)を神格化)は、火傷(やけど)を負って亡くなって、最初の皇后の狭穂姫(さほひめ)が実兄の狭穂彦王(さほひこのみこ)の反乱で焼死して、この神話と史実の合致が両親か父親だけで生んだ伝承になった。
天照大神(あまてらすおおみかみ;倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)は、母親が伊弉冉尊(いざなみのみこと;樺井月姫(かばいつきひめ)を神格化)で、樺井月姫(かばいつきひめ)が2番目の皇后である。
伊弉諾尊(いざなぎのみこと;垂仁(すいにん)天皇を神格化)と妻の伊弉冉尊(いざなみのみこと;3人の皇后を神格化)が健在の時、両親が天照大神(あまてらすおおみかみ;倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)を生んだか、伊弉冉尊(いざなみのみこと;最初の皇后の狭穂姫(さほひめ)を神格化)が亡くなって、父親の伊弉諾尊(いざなぎのみこと;垂仁(すいにん)天皇を神格化)だけ(2番目の皇后の樺井月姫(かばいつきひめ)を伊弉冉尊(いざなみのみこと)に神格化しない)で生んだかの伝承の違いである。
日本神話は、何の根拠もなく物語が作られたわけでなく、日本神話を完全解釈できる僕にしか求められない。
天岩戸隠(あまのいわとかく)れ神話は、邪馬台国(やまとこく;大和国)論争の神話化で、西暦248年9月5日の皆既日食で卑弥呼の殺害と新王の台与(とよ)の共立に当たるとか、敵対国の狗奴国(くぬこく)との戦争で負けて卑弥呼が殺害されたとか、わけの分からない説が多すぎる。
天岩戸隠(あまのいわとかく)れ神話は、邪馬台国(やまとこく;大和国)論争の他にも色々な説があって、何らかの権力者の世代交代や何らかの皆既日食の神話化などが考えられるが、全(まった)く何の根拠もない架空の推論にすぎない。
素戔嗚尊(すさのおのみこと)は、地上から高天原(たかまがはら;天上の神々の世界)にやって来て、天照大神(あまてらすおおみかみ)と素戔嗚尊(すさのおのみこと)が誓約(うけい;5男3女神を生み出した神事)をしたり、素戔嗚尊(すさのおのみこと)が高天原(たかまがはら;天上の神々の世界)で数々の悪行を働いたりした。
ある時に天照大神(あまてらすおおみかみ)は、機殿(はたどの)に入ったのを素戔嗚尊(すさのおのみこと)が見て、素戔嗚尊(すさのおのみこと)が機殿(はたどの)に馬の死骸を投げ入れて、驚いた天照大神(あまてらすおおみかみ)が先のとがった機織(はたおり)の梭(ひ)でケガして、怒った天照大神(あまてらすおおみかみ)が天岩戸(あまのいわと)の扉を閉じて、太陽神の天照大神(あまてらすおおみかみ)がいなくなって、世界中が闇に閉ざさされた。
天岩戸(あまのいわと)に閉じこもった天照大神(あまてらすおおみかみ)を出すために様々な神様は、会議をしてお祭りを開いて、騒がしいのが気になって天岩戸(あまのいわと)を開いた天照大神(あまてらすおおみかみ)が出てきて、世界中に太陽の光が戻って、素戔嗚尊(すさのおのみこと)が罪(つみ)をおかしたため、罰金と高天原(たかまがはら;天上の神々の世界)を追放して、一件落着となる。
天岩戸隠(あまのいわとかく)れ神話は、天照大神(あまてらすおおみかみ;倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)を素戔嗚尊(すさのおのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)が殺して、太陽神の天照大神(あまてらすおおみかみ;倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)と皇祖神(こうそしん;天皇家の祖先神)の天照大神(あまてらすおおみかみ;神功(じんぐう)皇后を神格化)が入れ替わって、決して簡単に求められない内容である。
景行天皇60年10月2日(西暦250年11月上旬頃)に皇太子の日本武尊(やまとたけのみこと)は、皇居を出立して東海平定の総大将として向かって、翌月の11月7日(西暦250年12月上旬頃)に日本武尊(やまとたけのみこと)の父親の景行(けいこう)天皇が崩御(ほうぎょ;天皇が亡くなること)して、皇太子の日本武尊(やまとたけのみこと)が不在で皇位継承権争いが起こった。
翌年の西暦251年(天皇不在の年)は、東海平定から帰還した皇太子の日本武尊(やまとたけのみこと)と息子の仲哀(ちゅうあい)天皇と蘆髪蒲見王(あしかみかまみのみこ)の最低3人で皇位継承権争いして、時期不明に蘆髪蒲見王(あしかみかまみのみこ)が戦死して、8月4日(西暦251年9月上旬頃)に日本武尊(やまとたけのみこと)が二種の神器か三種の神器を強奪して、強行即位して日本武(やまとたけ)天皇になった。
日本武(やまとたけ)天皇は、皇位継承権に絶大な発言力を持つ伯母(おば)を倭姫命(やまとひめのみこと)を訪ねようと考えて、10年9月17日から月末(西暦251年10月中旬頃から下旬頃)に伊勢市の磯(いそ)神社のいる倭姫命(やまとひめのみこと)の所に行ったが、日本武(やまとたけ)天皇の軍勢が押し寄せて、倭姫命(やまとひめのみこと)が自殺か殺されて、太陽神に仕(つか)える巫女(みこ)を殺した太陽神殺しの汚名を日本武(やまとたけ)天皇が着て、出雲王国(物部(もののべ)氏)に亡命した。
仲哀(ちゅうあい)天皇元年1月11日(西暦252年2月中旬頃)に仲哀(ちゅうあい)天皇は即位して、邪馬台国(やまとこく;大和国)の仲哀(ちゅうあい)天皇と出雲王国(物部(もののべ)氏)の日本武(やまとたけ)天皇の2朝廷並列時代に入って、仲哀(ちゅうあい)天皇2年1月11日(西暦253年2月中旬頃)に神功(じんぐう)皇后を正妻(皇后)に迎(むか)えて、仲哀天皇9年神無月(西暦260年11月頃)に日本武(やまとたけ)天皇を殺して、出雲王国(物部(もののべ)氏)が滅亡して、金銀財宝を没収した。
これが天照大神(あまてらすおおみかみ;倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)を素戔嗚尊(すさのおのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)が殺して、太陽神の天照大神(あまてらすおおみかみ;倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)と皇祖神(こうそしん;天皇家の祖先神)の天照大神(あまてらすおおみかみ;神功(じんぐう)皇后を神格化)が入れ替わった天岩戸隠(あまのいわとかく)れ神話の真実である。
機殿(はたどの)は、天照大神(あまてらすおおみかみ;倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)のいる伊勢市の磯(いそ)神社で、馬の死骸が素戔嗚尊(すさのおのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)の軍勢で、機織(はたおり)の梭(ひ)が天照大神(あまてらすおおみかみ;倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)にとどめを刺したことと考えられる。
天照大神(あまてらすおおみかみ)が隠れたのは倭姫命(やまとひめのみこと)の死で、様々の神々の会議とお祭りが皇族による日本武尊(やまとたけのみこと)の包囲網と古代大和朝廷の再建で、天照大神(あまてらすおおみかみ)が出て来たのが神功(じんぐう)皇后の登場で、素戔嗚尊(すさのおのみこと)の罪(つみ)と罰金が日本武(やまとたけ)天皇の戦死と金銀財宝の没収である。
天岩戸隠(あまのいわとかく)れ神話は、天照大神(あまてらすおおみかみ)の世代交代が僕の求めた史実が正しくて、全(まって)く何の根拠のなくでっち上げのドシロウトがあまりに滑稽(こっけい)である。
正しいことを求められるのは、この世でただ一人の超天才の僕だけと思い知るべきである。
天岩戸隠(あまのいわとかく)れ以前の太陽神の天照大神(あまてらすおおみかみ;倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)と天岩戸隠(あまのいわとかく)れ以後の皇祖神(こうそしん;天皇家の祖先神)の天照大神(あまてらすおおみかみ;神功(じんぐう)皇后を神格化)は同一人物で、父系(男系)の天照大神(あまてらすおおみかみ)の血筋が現在の皇室に続くと信じている。
しかし天岩戸隠(あまのいわとかく)れ神話は説明した通り、父系(男系)の倭姫命(やまとひめのみこと;卑弥呼)が一生独身で、父系(男系)の天照大神(あまてらすおおみかみ;倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)の血筋が途絶えて、男系男子天皇の伝統の根拠が否定された。
母系(女系)の神功(じんぐう)皇后(台与;とよ)は、古代天皇家の武烈(ぶれつ)天皇まで血筋が続いて、新しい血筋の継体(けいたい)天皇から今の天皇陛下まで同族が101代続いて、現在の皇室が母系(女系)の天照大神(あまてらすおおみかみ;神功(じんぐう)皇后を神格化)の血筋を受け継ぐか分からないが、直系子孫と信じるしかなくて、父系(男系)でなく、母系(女系)の天照大神(あまてらすおおみかみ)の血筋を受け継ぐと考えられる。
父系は父の父…そのまた父とさかのぼるように、父系が男系で、母系なら女系とも言い換えられて、遺伝子なら父系が精子…Y染色体で、母系ならミトコンドリアDNAでさかのぼれて、男系男子天皇と女性天皇・女系天皇などの継承問題に関係する。
これは間違いなく正しい史実・真実・事実は、男子天皇天皇を否定して、女性天皇・女系天皇や女性宮家などの女性皇族を大いに後押しして、もはや自民党だけでなく、日本国政府も皇室も絶対に無視できない緊急事態である。
僕がここまで記したのは、宮内庁がこの緊急連絡を予想したか知らないが、僕が歴史研究の公表をすれば、十分に考えられたことだろう。
全(すべ)てを求めて公表した責任は僕にあるが、これからの問題を日本国や世界中がどのように受け止めて、対処して行くかが大切である。
天照大神(あまてらすおおみかみ)の長男の忍穂耳尊(おしほみみのみこと)は、母の命令で葦原中国(あしはらなかつくに;地上世界)に降臨することになった時、妻の栲幡千千姫(たくはたちちひめ)が息子の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を生んで、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を日向(ひうが;宮崎県)に降臨させた。
天照大神(あまてらすおおみかみ;倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)と入れ替わる月読尊(つくよみのみこと;景行(けいこう)天皇を神格化)の孫の忍穂耳尊(おしほみみのみこと;仲哀(ちゅうあい)天皇を神格化)は、妻の栲幡千千姫(たくはたちちひめ;神功(じんぐう)皇后を神格化)が息子の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと;誉田別尊(ほむだわけのみこと):即位しない応神(おうじんてんのう)天皇)を神格化)を生んで、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が三種の神器を持って、日向(ひうが;宮崎県)に降臨した。
宮崎県は天皇家の故郷で、皇太子の誉田別尊(ほむだわけのみこと)が暮らして、息子の仁徳(にんとく)天皇が生まれた土地だからである。
正しいことは、常に僕が常識として公表する以外に求められない。
神武(じんむ)天皇は、三重県熊野市から進軍して、途中で神様が現れて毒気を吐(は)いて、皇軍を眠りについた。
高倉下(たかくらした)と言う人物は、夢で天照大神(あまてらすおおみかみ)が武甕雷神(たけみかづちのかみ)と会話して、武甕雷神(たけみかづちのかみ)が高倉下(たかくらした)に布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)を神武(じんむ)天皇に届けよとお告げした。
翌朝に夢のお告げに従って倉を開けると、倉の底板に逆さに刺さる布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)があって、それを取って神武(じんむ)天皇の所に届けると、神武(じんむ)天皇も皇軍も皆が目を覚ました。
この話は、天照大神(あまてらすおおみかみ;神功(じんぐう)皇后を神格化)が武甕雷神(たけみかづちのかみ;初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)を神格化)に遺言して、東征して来る孫の神武(じんむ)天皇(仁徳(にんとく)天皇を祖先化)を助けてほしいと願って、武甕雷神(たけみかづちのかみ;初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)を神格化)が家臣(高倉下;たかくらした)に布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)を神武(じんむ)天皇に届けさせたのを神話化・神格化・祖先化した物語と考えられる。
つまり神武(じんむ)東征(正しくは仁徳(にんとく)天皇東征)の布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)は、祖母の神功(じんぐう)皇后が亡くなった後の孫の仁徳(にんとく)天皇への遺言(ゆいごん)である。
天照大神(あまてらすおおみかみ)は、二人の皇族女性を神格化して、父系(男系)と母系(女系)が存在して、現在の皇室の問題に直結する。
これは日本国内だけでなく、世界規模や人類規模で直面した問題で、公表した僕にも責任があるが、現代人(全人類)が考えなけらばならない。
<参考文献>
『完訳秀真伝』
鳥居礼・編著者 八幡書店・発行
『日本書紀(上)全現代語訳―全二巻―』
宇治谷孟・著者 株式会社講談社・発行
インターネットの不明サイトから少々拝借
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