天照神(あまてるかみ)


これは出版していない3冊目以降の本の著作権を含む。

天照神(あまてるかみ)は、皇祖神(天皇家の祖先神)で男性の古代太陽神で、別名をアマテラスともヲヲンカミとも言ってアマテラスオオミカミに語源変化したと考えられて、古代の伊勢皇大神宮内宮などに祭られた古代天皇家の元々の太陽神と考えられる。
天照神(あまてるかみ)と天照大神(あまてらすおおみかみ)として神格化されている人物は、伊勢神宮の斎王(さいおう;太陽神に仕える未婚の皇女)の倭姫命(やまとひめのみこと)と摂政(せっしょう;天皇に代わって国政執行する役職)の神功(じんぐう)皇后で卑弥呼と台与に当たるのだが、女王というのが古代中国人の勘違いをそのまま踏襲したものである。
天照神(あまてるかみ)は、『ホツマツタエ』に登場する男性の太陽神で、女性の太陽神の天照大神の前身で、古代から天照大神を男性とする考え方があって、まさしくその通りだったのである。
天照神(あまてるかみ)は、別名を天照御魂神(あまてるみたまのかみ)や天照玉神(あまてるたまのかみ)や天照国照命(あまてるくにてるのみこと)や天照国照彦火明命(あまてるくにてるひこほあかりのみこと)や天照国照彦天火明櫛玉饒速日命(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)などがある。

『ホツマツタエ』の天照神(あまてるかみ)の出生の記述は、内容が複数存在して混在させると混乱するので分けて青字で記す。

イサナキ(垂仁(すいにん)天皇を神格化)とイサナミ(カバイツキヒメを神格化)は、滋賀県から富士山の宮殿にうつって千日の祈祷(きとう)の末に、とうとう日の輪の内霊(ちたま;日の精霊)が分け降ってアマテルカミ(倭姫命を神格化)を生んで、幼名をウヒルキ(大日靈貴)とたたえた。
イサナキとイサナミはイサナミの父親のトヨケ(豊受大神・とようけおおかみ;大筒木垂根王(おおつつきたるねのみこ)を神格化:おそらく彦坐王(ひこいますのみこ)の息子・山代之大筒木真若王(やましろのおおつつきまわかのみこ)と同一人物)の元にアマテルカミを送って、祖父の豊受大神はアマテルカミにワカヒトという諱(いみな)を贈られた。


アマテルカミの倭姫命が世継ぎとして神格化されているのは、『ホツマツタエ』の編者が『魏志倭人伝』を読んで倭姫命が女王と勘違いされたことを知り、伊勢神宮の斎王としてアマテルカミの巫女を生涯つとめたことに由来すると考えられる。
大日靈貴は『日本書紀』で天照大神の別名「おおひるめむち」と呼ぶが、『ホツマツタエ』の男性の太陽神アマテルカミを差して、大いなる日の輪の内霊より生まれた男神を意味する。
彦坐王はアマテルカミの宮司で、その息子・山代之大筒木真若王も宮司で、その孫娘と考えられる倭姫命が幼少から斎王となるために教育された可能性が高いと考えられる。

イサナキとイサナミは交わり子を孕んだが、子供が10ヶ月たっても一年たっても生まれず、何かの病気かと思って心を傷めていると、96ヶ月目(8年間)してやっと体が準備できて生まれてこれがアマテルカミである。
1月1日(旧暦の元旦)にほのかにうっすら明るい出ずる初日と共に生まれたが、生まれ出たと思った子が円い卵子の形をしていて、何と不思議なことでアマテルカミの義兄のオオヤマツミ(誰を神格化したか不明)が祝いの歌を詠んだ。
(胎盤のまま生まれたことは神の子として最もなことで、胎盤のままとが行く先よろしい吉兆で、この子こそ世の民の幸福を開く神である)
その嬉しさに夜通し祝うことが3度にも及び、雲もよろしく行く末もめでたく、皆祝いあって誰かがその卵の様子を聞くと、トヨケの教えがあった。
『先に災いを及ぼす朝の敵イソラ(動物霊をあやつって宮中を狙う者)の汚(けが)れを恐れて禊(みそぎ)をした故に、胎盤のまま生まれてきたのである。その胎盤の囲みは、祖先神がヲノコロ(『ホツマツタエ』の奥義中の奥義)を持って乗り巡った時のような天地開闢(かいびゃく)の卵のような形であるので行く末もよろしい。卵の岩戸を開けよ』と言われた。
櫟(いちい)の木の枝が胎盤を裂く笏(さく)として、今こそ天の岩戸を開くのだと言われ、胎盤より出られた若君は、まるで朝日のようにうるわしく輝き尊い光に満ちあふれていた。
伊奘諾尊の従兄弟(狭穂彦王(さほひこのみこ)のこと)の娘であるシラヤマヒメ(欝色謎命(うつしこめのみこと)を神格化)はアマテルカミを産湯につけて、アカヒコ(誰を神格化したか不明)が桑で育てた蚕に糸を引かせ、それをナツメ(誰を神格化したか不明)が産着(うぶぎ)を織って、その産着をシラヤマヒメが宮中に奉納した。
イサナミはアマテルカミを8年間も身ごもって産後の病状悪く亡くなって、乳を与える者がいなかったので稲穂(いなほ)の神のミチツヒメ(誰を神格化したか不明)が乳母(うば)になって養育した。
しかしアマテルカミは瞳を閉じたままで、昼も夜もなく眠り続けて日々を過ごして、ようやくその年の9月15日(10月中旬頃)に目を開け、そのかわいらしい潮の目に民が手を打って喜んで、その民の喜ぶ姿を亡くなったイサナミが天から見られて疲れを忘れ、誠に深い恵みの子が誕生された。


皇后のカバイツキヒメは娘の倭姫命を3年間身ごもって、それを神話化したのがイサナミがアマテルカミを8年間身ごもっていたもので、倭姫命の出産の翌月にカバイツキヒメが産後の病状悪く亡くなり、ツヅキカバイノツキノカミという名前で神格化された。
アマテルカミが胎盤のまま生まれてきた神話は、倭姫命の出生を生来の神聖化するためのものと考えられる。
倭姫命が男性の太陽神アマテルカミとして神格化されているのは、古代太陽神として神格化されている最古の皇族の彦坐王が男性だからか、あくまで古代天皇家が太陽神を男性としていたためか分からない。

アマテルカミの出生(倭姫命の出生)だけを取り上げて、神功皇后のことを取り上げていないが、『ホツマツタエ』は太陽神アマテルカミが絶大な絶対神とされて、色々な伝承として記されている。
『日本書紀』で天照大神は素戔嗚尊(すさのおのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)に機織(はたお)りの(ひ)で身体にケガをさせられるが、『ホツマツタエ』だとこれがアマテルカミでなく、別の女神の物語になっていて、ちょくちょく見受けられると考えられる。
アマテルカミの天岩戸(あまのいわと)隠れ神話などは、「記紀」などより詳しく神話化されて、倭姫命(卑弥呼)と神功皇后(台与)の実話とよく分かる。
『ホツマツタエ』と『日本書紀』の編者は、『魏志倭人伝』を読んで倭姫命(卑弥呼)と神功皇后(台与)を女王のように扱って、アマテルカミと天照大神の男性と女性の太陽神で最高神とした。
アマテルカミが倭姫命と神功皇后の直系先祖と考えられる彦坐王も神格化していて、別の古代太陽神としても彦坐王を神格化していて、京都府福知山市今安の天照玉命(あまてるたまのみこと)神社が鍵を握って、詳しくは「天照玉命神社」の章を見てもらえば分かる。
人の想像力とは不思議なもので、壮大な日本神話が根本的に史実と考えられて、神の領域を世界で唯一知っている僕でもあまりにも驚かされて、神様の手のひらで踊らされている気分だった。

<参考文献>
『完訳秀真伝』
鳥居礼・編著者 八幡書店・発行
『日本書紀(上)全現代語訳―全二巻―』
宇治谷孟・著者 株式会社講談社・発行
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