天日槍(あめのひぼこ)

『ホツマツタエ』は、アメヒボコやヒボコとも記して、『日本書紀』で垂仁(すいにん)天皇時代に天日槍(あめのひぼこ)と記して、『古事記』で応神(おうじん)天皇時代に天之日矛(あめのひぼこ)と記す人物である。
天日槍(あめのひぼこ;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)は、崇神(すじん)天皇39年に記すことで、古代太陽神の天照神(あまてるかみ;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)などと合致させて、正体を臭(にお)わしたと考えられる。

崇神(すじん)天皇39年(西暦122年)に初めて来日した天日槍(あめのひぼこ;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)は、播磨(はりま;兵庫県西南部)から淡路島の宍粟邑(ししあわむら)に向かった。
その時に大友主(おおともぬし)と長尾市(ながおいち)を播磨に派遣して、天日槍(あめのひぼこ)が何者なのか尋ねると、「新羅(しらぎ;古代朝鮮国家)の王子で名前を天日槍(あめのひぼこ)と言って、弟の知古(ちこ)に国を譲って、私は東国仙境の聖(ひじり)の君に服従しようと参りました」と。

大友主(おおともぬし)は、大田田根子(おおたたねこ;彦坐王(ひこいますのみこ)を祖先化)の息子の大御気持命(おおみけもちのみこと;誰か不明)と出雲鞍山祗姫(いずもくらやまつみひめ;誰か不明)の息子で、三輪(みわ)氏の血筋である。
長尾市(ながおいち)は、市磯長尾市(いちしのながおいち)の別名があって、大田田根子(おおたたねこ;彦坐王(ひこいますのみこ)を祖先化)と共に記して、出自が分からない人物である。
兵庫県北部の天日槍(あめのひぼこ;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)は、東国仙境(奈良県)の弟の知古(ちこ;崇神(すじん)天皇)に国を譲って、新羅(しらぎ;古代朝鮮国家)の王子の天日槍(あめのひぼこ)が兵庫県北部の天日槍(あめのひぼこ)と入れ替わる。

天日槍(あめのひぼこ)は、明らかに朝鮮人でなく、日本人の名前で、日を人名として古代太陽神を連想させて、彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化した偽装工作を求めさせた。
『播磨国風土記』で天日槍(あめのひぼこ)は、葦原志挙乎(あしはらしこお;大国主神(おおくにぬしのかみ)の別名)や伊和大神(いわおおかみ;これも大国主神(おおくにぬしのかみ)らしい)と争うことを記して、『筑前国風土記』に「高麗(こうらい)の国の意呂山(おろやま)より降り来し日鉾(ひぼこ)」と記して、どちらも人間でなく、神様のように考えられる。
このように天日槍(あめのひぼこ)は、新羅の王子でなく、神様のように扱われて、古代太陽神に神格化して、神様とも人間とも認識したと考えられる。

使者2人は、天日槍(あめのひぼこ)の返事を崇神(すじん)天皇に伝えると、「播磨のイテサ邑(むら)でも、淡路島の宍粟邑(ししあわむら)でも好きな所に居れば良い」とのお言葉があって、すると天日槍(あめのひぼこ)が「もし許されるなら、住む所を求めて各地を巡り見たいと存じます」と請(こ)い願って、崇神(すじん)天皇がそれを許した。
天日槍(あめのひぼこ)は、まず宇治川(うじがわ;京都市伏見区南部)に至って、ついで近江(おうみ;滋賀県)の吾名邑(あなむら;滋賀県米原市箕浦付近)に行って、その地に住んで、またさらに若狭(わかさ;福井県南部)を巡って、但馬(たじま;兵庫県北部)に至って、その地に住んだ。
天日槍(あめのひぼこ)が新羅(しらぎ)から連れてきたお伴の陶彦(すえひこ)は、狭間谷(はざまたに;滋賀県蒲生郡にある鏡山の麓(ふもと)の鏡谷か?)に残した。
天日槍(あめのひぼこ)が持っていた宝物は、葉細珠(はぼそたま)と足高珠(あしたかたま)と鵜鹿鹿珠(うかがたま)と出石小刀(いずしこがたな)と出石槍(いずしほこ)と日鏡(ひかがみ)と熊の神籬簀(ひもろげのず)と胆狭浅太刀(いであさのたち)の8種類で、全て但馬国(兵庫県北部)に納めた。

天日槍(あめのひぼこ)が巡った播磨と但馬(2つ合わせて兵庫県)と山城(京都府南部)と近江(滋賀県)と若狭(福井県南部)と淡路島は、西暦122年の古代天皇家の勢力地が近畿地方北中部で合致した。
淡路島の宍粟邑(ししあわむら)は、出石小刀(いずしこがたな)を御神体として奉納した神社があった可能性があって、西暦188年の後漢王朝遣使(遣漢使;けんかんし)と合致するかもしれないが、淡路島の神社が特定できるか分からない。

天日槍(あめのひぼこ)は、出島(いずしま;出石(いずし;兵庫県豊岡市出石町か?)の太耳(ふとみみ)の娘である麻多烏(またお)と結婚して諸助(もろすけ)を生んで、諸助の子供が日楢杵(ひならぎ)で、日楢杵の子供が清彦(きよひこ;迦具夜姫(かぐやひめ)を祖先化)で、清彦の子供が田道間守(たじまもり;祖別命(みおやわけのみこと)を祖先化)となる。

田道間守(たじまもり;祖別命(みおやわけのみこと)を祖先化)は、清彦(きよひこ)が垂仁(すいにん)天皇で、日楢杵(ひならぎ)が御井津比売(みいつひめ)で、諸助(もろすけ)が彦坐王(ひこいますのみこ)なら、天日槍(あめのひぼこ)が彦坐王(ひこいますのみこ)でなく、系図が混乱して、祖別命(みおやわけのみこと)の母方の系譜が正しいと考えられる。
天日槍(あめのひぼこ;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)の系図は、祖別命(みおやわけのみこと)や神功(じんぐう)皇后たちの母方の系譜と考えられて、特定した僕の超感性が特別すぎた。

<参考文献>
『完訳秀真伝』
鳥居礼・編著者 八幡書店・発行
『日本書紀(上)全現代語訳―全二巻―』
宇治谷孟・著者 株式会社講談社・発行
インターネットの不明サイトから少々拝借

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