天穂日命(あめのほひのみこと)


これは出版していない3冊目以降の本の著作権を含む。

天穂日命(日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)は出雲大社宮司家の千家(せんげ)氏の直系祖先神で、天照大神(あまてらすおおみかみ;倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)でなく正しく求めると月読尊(つくよみのみこと;景行(けいこう)天皇を神格化)の息子で、天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと;仲哀(ちゅうあい)天皇を神格化)の父親となっている。
月読尊と天穂日命と天忍穂耳尊は親子関係だが、末名「尊(みこと)」と「命(みこと)」を書き換えて天穂日命を直系系図からはずして、出雲王家の千家(せんげ)氏が日本武尊の子孫であることを闇に葬ったけれど、アインシュタイン博士以上の天才の僕をだませなかった。
僕をだませなかった古代天皇家は、僕に出雲王国の正体という邪馬台国論争の最大の謎をひもとかせるきっかけを与えて、2012年1月に僕が出雲王国の系譜を求めることができた。

『日本書紀』で天穂日命の息子の武日照命(たけひてるのみこと;武夷鳥命(たけひなとりのみこと)とも言う)が千家氏の直系祖先神とされるが、『ホツマツタエ』でホヒの息子オオセイイミクマノが千家氏の直系祖先神とされて、もう一人の天穂日命の息子の大背飯三熊之大人(おおそびみくまのうし)が大背飯三熊野(おおせいいみくまの)と書き換えて、この神様が千家氏の直系祖先神となる。
日本武尊(天穂日命に神格化)の一人娘の布忍姫(ぬのおしひめ)の夫である最後の出雲国王の飯入根(いいいりね;大背飯三熊野に神格化)は、天穂日命の実子の大背飯三熊野でなく婿(むこ)養子となるのが正しく、日本神話を正しく理解できない者に求められるものでない。
天穂日命の息子の大背飯三熊野の子孫で千家氏の先祖として記されているのは、出雲振根(いずもふりね;日本武尊を祖先化)と弟・飯入根と末弟・甘美韓日狭(うましからひさ)、飯入根の息子の濡渟(うかずくぬ)とその息子の野見宿禰(のみのすくね;3代目出雲国王を最後の出雲国王・飯入根の孫に偽装工作)とされているが、実在系譜と架空系譜がごっちゃにされていて、僕にしか正しい系譜を求められない。
は「盧へん」に鳥の漢字で、ホームページで表示できるが注意書きにする。

『日本書紀』によると、7代目・高皇産霊尊(たかみむすびのみこと;武虎別皇子(たけこわけのみこ)を神格化)は葦原中国(あしはらなかつくに;出雲王国)平定に誰を派遣したらいいか諸々の神たちに尋ねると、皆が言うには「天穂日命が大変にすぐれた神で、試してみるとどうでしょう」ということで天穂日命を行かせたが、大国主神(おおくにぬしのかみ;飯入根を神格化)に気に入られて3年たっても復命しなかった。
『出雲国造神賀詞』は出雲の国譲り神話で天穂日命(日本武尊を神格化)の貢献ぶり、出雲大社宮司家の千家氏の天皇家への忠誠心と貢献ぶりを述べることから、一時期天皇家と出雲大社宮司家の間で緊張状態があったのでないかと考えられて、2代目出雲国王の狭穂彦王の反乱と日本武尊の反乱と出雲王国の崩壊を差すと考えられる。

天穂日命(日本武尊を神格化)は天津神(あまつがみ)で、大国主神(飯入根を神格化)が国津神(くにつがみ)とされて、天津神が古代天皇家で国津神が彦坐王(ひこいますのみこ)から始まる物部(もののべ)氏つまり出雲王家という違いだと考えられる。
歴代の出雲国王は歴代の大物主神(おおものぬしのかみ)に神格化されていて、7代目出雲国王の飯入根が7代目・大物主神と大国主神に神格化されているが、千家氏の祖先神の天穂日命(日本武尊を神格化)が濡渟の祖父で、天穂日命を彦坐王から始まる出雲王家の直系先祖とするのが間違いである。
天穂日命が日本武尊を神格化していると気付けば、出雲王家の系譜の意味を求めるのも簡単だが、僕以外に求められる者などいなくてまさに神の領域である。

<参考文献>
『完訳秀真伝』
鳥居礼・著者 八幡書店・発行
『日本書紀(上)全現代語訳―全二巻―』
宇治谷孟・著者 株式会社講談社・発行
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