熱田(あつた)神宮


これは出版していない3冊目以降の本の著作権を含む。

熱田神宮は昔から三種の神器の草薙剣(くさなぎのつるぎ)が奉納された神宮とされて、古代より連綿と受け継がれてきた由緒正しい宮殿に当たる。
『ホツマツタエ』と「記紀」などの歴史書を見ると、熱田神宮の歴史は皇太子の日本武尊(やまとたけのみこと)が亡くなった仲哀天皇9年(西暦260年)神無月以降に創建されたと考えられる。

『ホツマツタエ』の熱田神宮の記述と思われるものを記す。

神のお告げにより、日本武尊を熱田神(あつたかみ)として祭り、宮簀媛(みやずひめ)が伊勢の宇治宮の斎宮(いつきのみや)に準じて神のそばに近くお仕えした。
神主も宮司並みの位と定めた。


日本武尊は熱田神宮の熱田大神(あつたのおおかみ)に間違いなく、日本武尊に縁(ゆかり)の草薙剣を熱田神宮に奉納して、日本武尊の妻の宮簀媛が熱田神宮で斎宮(さいぐう;太陽神に仕える未婚の皇女)と同じくらいの扱いで神にお仕したと考えられる。
『ホツマツタエ』の時代に神主も宮司並みの位と定めたとあるが、現在だと基準がややこしくてよく分からない。
熱田神宮の祭神の熱田大神は現在だと誰を神格化したか分からないが、『ホツマツタエ』から日本武尊に間違いないと分かって、『ホツマツタエ』が編纂(へんさん)される以前の時代に創建されたと考えられる。

熱田神宮を祭ったのは日本武尊との間に二人の子をもうけた宮簀媛で、宮簀媛の甥の尾綱根命(おづなねのみこと)が尾張(おわり;古代の愛知県西部)を統治した尾張氏の先祖で、熱田神宮に宮簀媛と実兄の建稲種命(たけいなだねのみこと)が祭られている。
そのことから熱田神宮の最古の宮司家は尾張氏と考えられて、尾張氏が古代太陽神として神格化される彦坐王(ひこいますのみこ)の直系子孫として愛知県に勢力を持っていたと考えられる。
尾張氏は『先代旧事本紀』と国宝『海部(あまべ)氏系図』から系図を組み立てられて、尾張氏の直系子孫として源頼朝(みなもとのよりとも)がいるとされる。

『ホツマツタエ』で三種の神器の剣は元々が八重垣剣(やえがきのつるぎ)とされて、『ホツマツタエ』10章の解釈から神功(じんぐう)皇后時代に草薙剣と入れ替わったと考えられる。
神功皇后時代に八重垣剣と草薙剣が入れ替わって、5代目・仁徳(にんとく)天皇が即位に初めて草薙剣を使って、『ホツマツタエ』編纂(へんさん)以降に熱田神宮に草薙剣が奉納されたと考えられる。
草薙剣は別名を天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)とも言って、逆賊の素戔嗚尊(日本武尊を神格化)が古代太陽神の八岐大蛇(やまたのおろち;滝祭神(たきまつりのかみ)を怪物視)を退治したときに入手したとされる。
八岐大蛇退治神話は日本武尊が伊勢神宮を襲撃して草薙剣を強奪して、日本武(やまとたけ)天皇として強行即位した時に手に入れたと考えられて、草薙剣が日本武尊と深い関係にある。
草薙剣は伊勢神宮斎王(さいおう;太陽神に奉仕する未婚の皇女)の伯母(おば)・倭姫命(やまとひめのみこと)から日本武尊が受け取って、東海平定に出陣して相模(さがみ;神奈川県)の小野(おの;秦野市の辺りか?)で賊が火を放って野原が燃え、天叢雲剣で燃える草を薙(な)ぎ切ったことから草薙と名付けられたと言うが、『日本書紀』の静岡県焼津市の地名が間違いである。
天叢雲剣で燃える草を薙ぎ切ったことは創作で、もっと昔から草薙剣と呼んだと考えられる。
草薙剣は皇位継承の証(あかし)で、源平合戦の壇ノ浦(だんのうら)の合戦で海に沈んで行方不明になって、現在のが代用品という伝承などが有名である。

熱田神宮は伊勢神宮と並んで大切な神社とされて、互いに三種の神器が奉納されていると伝えられて、皇位継承権の象徴とする大切な歴史がある。
僕らの知る歴史など建国1935年からすればちっぽけなもので、僕の求めた古代天皇家の歴史の真実から見ると、圧倒的にすさまじいものである。

<参考文献>
『完訳秀真伝』
鳥居礼・編著者 八幡書店・発行
『日本書紀(上)全現代語訳―全二巻―』
宇治谷孟・著者 株式会社講談社・発行
インターネット

戻る