伝統的な物の見方をひっくり返す
現代哲学者フッサールは、伝統的なものの考え方や捕らえ方や見方が、自分の周囲の世界を見て感じるのでなく、自分の意識が世界を見せるのだと捕らえるべきだと言う。
過去から現代までの人が「記紀」を読んで西暦506年以前の空白史を知っても、「記紀」の編者が作り出した「嘘・偽り」の歴史しか知ることができず、自分が周囲の世界を見て感じて、その歴史が正しいと信じ込む。
しかし僕は自分の意識で世界を見るため、「記紀」の編者が生み出した「嘘・偽り」の偽装工作を打ち破り、「記紀」の核心部分に触れた「嘘・偽り」のない歴史を求めて、そこからコペルニクス的転回を起こせることに気付いた。
今まで古代日本史を研究してきた僕も他人も含めて、求めた歴史の可能性が正しいと信じるだけで、単なる「思い込み」にすぎない考え方を哲学者フッサールは言う。
確かに歴史においてエジプト文明が計32王朝あったのを実証できるのに対して、日本は宮内庁指定陵など多くの制約が付きまとって、正しい可能性を求めるのに問題がある。
今までの研究者が考古学と歴史学をうまく合致できなかったのに対して、僕は考古学的証拠と歴史書解釈を確かに合致させる所まで持ち込んだ。
過去からの伝統に捕らわれた者に見えないものがあって、哲学者フッサールの言う通り伝統的なものの見方をひっくり返して、自分の感性で捕らえる僕だから違った可能性が見えた。
確かに伝統は大切で、それに捕らわれても見えないものがあって、自分の感じるままに身をゆだねて貫き通すことも大切で、それがあったから僕自身が新しい可能性に行き当たった。
何も僕のまね事をしたら良いのでなく、時には伝統にしばられず、自由気ままに考えることで見えることもある。
<参考文献>
『古代日本史への挑戦』
著者・僕 発行・株式会社オカムラ
『続・私の半生と古代日本史』
著者・僕 発行・株式会社オカムラ
『この一冊で「哲学」がわかる!』
著者・白取春彦 発行・株式会社三笠書房
インターネットの不明サイトから少々拝借
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