瀬田(せた)遺跡の円形周溝墓(えんけいしゅうこうぼ)


これは出版していない3冊目以降の本の著作権を含む。

宮内庁指定の崇神(すじん)天皇陵は、奈良県天理市の4世紀後半の築造と考えられる242メートルの行燈山(あんどんやま)古墳だが、完全な間違いである。

崇神(すじん)天皇55年8月14日(西暦138年2月上旬頃)に初代出雲国王の彦坐王(ひこいますのみこ)は、亡骸(なきがら)を博多原(はかたのはら;奈良県御所(ごせ)市の辺り)に葬礼して、殉死(主人の後を追って従者が死ぬこと)者を供葬して、2023年5月30日の午前2時頃に求めた。
彦坐王(ひこいますのみこ)は、この前に娘の狭穂姫(さほひめ)を生んで、出雲で亡くなって、大和に葬礼して、日本武尊(やまとたけのみこと)も出雲で戦死して、同様に大和で葬礼して、孝昭(こうしょう)天皇が亡くなった33年後(133年)で、孝安(こうあん)天皇元年が己丑(つちのとうし;89年)で、崇神(すじん)天皇元年が甲申(きのえさる;84年)で計算した。
崇神(すじん)天皇陵の最有力候補は、瀬田(せた)遺跡の円形周溝墓(えんけいしゅうこうぼ)で、前方後円墳の形で、天皇陵だから前方後円墳の形と考えられて、彦坐王(ひこいますのみこ)陵の可能性が低い。

崇神(すじん)天皇68年12月5日に崇神(すじん)天皇は、こと切れて何も言わず、崩御(ほうぎょ;天皇が亡くなること)して、垂仁(すいにん)天皇元年10月11日に亡骸(なきがら)を山辺(やまのべ)に葬礼した。

孝安(こうあん)天皇102年1月9日に孝安(こうあん)天皇(崇神(すじん)天皇を祖先化)は、崩御(ほうぎょ)して、息子の孝霊(こうれい)天皇(垂仁(すいにん)天皇を祖先化)が喪(も)に服して、48日の神葬祭をして、新しい皇居に御座(おわ)して、政治を聞こえ召(め)した。
9月3日に孝安(こうあん)天皇の亡骸(なきがら)は葬礼して、この時に5人の従者が殉死(じゅんし;主人の後を追って従者が死ぬこと)して供に納(おさ)めて、孝安(こうあん)天皇を秋津神(あきつかみ)の神名で祭った。

崇神(すじん)天皇68年12月5日(西暦152年1月上旬頃)に崇神(すじん)天皇は、崩御(ほうぎょ)して、皇太子の垂仁(すいにん)天皇が喪(も)に服して、48日の神葬祭をして、垂仁(すいにん)天皇元年10月11日(西暦152年11月中旬頃)に亡骸(なきがら)を葬礼して、5人の従者が殉死(じゅんし)して共葬して、崇神(すじん)天皇を秋津神(あきつかみ)の神名で祭った。
『日本書紀』の崇神(すじん)天皇陵の名称は、山辺道上陵(やまのべみちうえのみささぎ)で、『古事記』の名称が山辺道勾岡上陵(やまのべみちまがりおかうえのみささぎ)で、「記紀」が適当に名前を増やして、考古学の円形周溝墓(えんけいしゅうこうぼ)の名前がなく、『ホツマツタエ』から山辺陵(やまのべのみささぎ)と僕が自称して、後世に呼ぶと考えられる。

崇神(すじん)天皇陵は、間違いなく殉死(じゅんし)者を供葬して、秋津神(あきつかみ)の神名が神武(じんむ)天皇31年でなく、崇神(すじん)天皇31年4月1日(西暦114年5月上旬頃)に崇神(すじん)天皇が日本国を秋津洲(あきつしま)と名付けたことに基づくと考えられる。
孝霊(こうれい)天皇(垂仁(すいにん)天皇を祖先化)から開化(かいか)天皇(日本武尊(やまとたけのみこと)を祖先化)までの天皇陵は、殉死(じゅんし)者がいなくて、垂仁(すいにん)天皇時代に殉死(じゅんし)を禁止したためである。
48日の神葬祭は、今の四十九日で、古代と一日の日数違いがあると考えられて、研究してみても面白い。

崇神(すじん)天皇陵の最有力候補は、奈良県橿原市の瀬田(せた)遺跡の円形周溝墓(えんけいしゅうこうぼ)で、2016年に発見して、前方後円墳の形で、埋葬者が見つからず、2世紀中頃から後半頃の築造年代で、前方後円墳をネット検索して、2022年10月18日に求めた。
竹内(たけうち)氏の口伝(くでん;言葉で伝えること)の正統『竹内文書(たけのうちもんじょ)』は、前方後円墳の形の不明な伝承を残して、歴代天皇陵が全て前方後円墳の形で、西暦152年葬礼の崇神(すじん)天皇陵が確定して、1900年以上の伝承が『ホツマツタエ』の完成より古くて、古墳時代の前方後円墳の呼び名を残す可能性も考えられる。
垂仁(すいにん)天皇陵は、最古の前方後円墳の纏向(まきむく)石塚古墳で、奈良県から大阪府の前方後円墳の衰退が6世紀後半から末頃で、衰退時期が欽明(きんめい)天皇から崇峻(すしゅん)天皇の辺りで、全ての歴代天皇陵に前方後円墳の形を採用したと考えられて、蒲生君平(がもうくんぺい;1768年から1813年)が前方後円墳と名付けた。

瀬田(せた)遺跡の円形周溝墓(えんけいしゅうこうぼ)は、まず間違いなく崇神(すじん)天皇陵で、最有力候補として今後の研究が重要になる。

<参考文献>
インターネット

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