自殺や殺人の願望と歴史研究

僕の自殺願望と殺人願望と歴史研究は、切っても切れない関係で、理屈や常識で説明できなくて、僕の心の奥深くに巣食う魔物で、僕が自殺願望の持ち主と2冊目の著書や出版していない本にも記した。

僕が自殺願望を抱える理由は、大江高校生の1997年10月8日(水)の午後1時42分に一緒に暮らす祖父が亡くなって、その時に僕が修学旅行3日目の長崎市で、自由行動だった時間で、祖父の死を看取(みと)れなかったことに起因する。
僕は祖父が福知山市民病院に入院した時、修学旅行に出掛ける前の土曜日に学校の帰りに一度だけお見舞いに行って、祖母に付き添われて病室に戻ろうとした祖父と一分足らずの会話をしたのが最期となって、僕が修学旅行から帰って来た日、従兄が福知山駅に迎えに来ていて、そこで祖父の死を知って、お通夜で自宅の仏壇の前で、親戚を前にして、祖父の死に目に会えなかったことを泣いた。
僕はお祖父ちゃん子なのだろうが、祖父を看取れなかったことが心をさいなんで、高校に通いながらも1ヶ月近く心の中でふさぎ込んで、いつしかその思いが僕の心の中に自殺願望を生み出して、自殺願望が短大生時代に生まれたと考えるが、明確な時期が分かるわけもない。
祖父の死に立ち会えなかった「きっかけ」は、命・魂・精神を考えるようになって、その後に戦争・平和も考えることになって、命・魂・精神・戦争・平和に固執するようになった。
命・魂・精神・戦争・平和を考える僕は、日本国政府の取る太平洋戦争の考え方、宗教の精神的概念や神様、仏教や神道の根本的な考え方など色々と考えるようになって、僕が人間として成長する上で、大きく影響を与えた。

僕の歴史研究は、2002年10月頃にTSUTAYA AVIX福知山店で、「記紀」の現代語訳本を購入して、古代日本史に興味を持って、研究し始めたことがきっかけである。
2004年8月頃に録音したテープは、最初の自殺未遂の前に自殺願望があることに気付いたと話して、24才の誕生日の10日前である11月18日(北)に最初の自殺未遂とリストカットをして、歴史研究の資料を残して僕が死んで、僕の功績を評価することを願ったが、当時の現代人(僕以外の人間)レベルの認識力で、絶対に不可能なことで、もみじヶ丘病院に約3ヶ月入院した。
2007年9月に僕は、最初の著書を出版して、当時の歴史研究の認識力を正したかったが、誰も北九州の属国(北九州4ヶ国)の自論などを無視して、自分たちの考え方を根本的に疑わなくて、2008年1月8日の午前1時か2時頃に僕が2度目の自殺未遂とリストカットをして、最初の著書の出版でうまく行かず、生きる意味や価値を見失って、左手首を7針縫う一大事で、放って置くと出血多量で死んだが、この時に歴史研究が関係ないとも記して、よく分からない。
2009年6月に2冊目の著書を出版して、7月14日の真夜中に僕は、3度目の自殺未遂とリストカットをして、出版がうまく行かないこと、歴史研究の資料を残して僕が死んで、功績を認められることなどを願ったが、運命が僕を死なせなかった。
2018年6月12日のデイケア中に僕は、衝動的に4度目のリストカットをして、衝動的だからなぜリストカットしたか理由を述べられず、リストカットの理由が歴史研究でなく、他の自殺未遂を含めると、全く分からない。

2021年10月1日(金)に眞子様の結婚に関する記者会見を宮内庁がして、僕が眞子様のインターネットの書き込みで、結婚に反発する人々が「妬(ねた)み」や「嫉妬(しっと)」を抱(いだ)くからと言うのを見た。
眞子様の結婚に国民が怒るのは、「妬(ねた)み」や「嫉妬(しっと)」だとして、それが僕の歴史研究に向く恐怖に駆(か)られて、10月2日(土)の午後5時24分頃に土師川橋(はぜがわばし)の真ん中(約10メートル;3階分の高さ)から飛び下り自殺未遂をして、福知山市民病院の救急外来に運ばれて、小腸が切れて、両手首と左肩を骨折したのが判明した。
自殺未遂をした当日の午後8時頃、切れた小腸の手術をして、臍(へそ)をなぞって上下に15cmほど切って、長い小腸を70cmほど切って繋(つな)いで、手術の時間などが聞いた情報である。
10月13日の午前9時頃から左肩と左手首の骨折の手術をして、両方に金属のボルトを埋め込んで、10月21日の午前9時頃から右手首の骨折の手術をして、金属のボルトを埋め込んだ。
福知山市民病院は、10月29日の午後2時頃に退院して、もみじヶ丘病院で主治医の診察を受けて、同日の午後4時頃に2階西病棟に転院して、もみじヶ丘病院に入院中の11月9日に女系男子天皇などに気付いて、僕が死ぬことを運命が許さなくて、12月8日に外泊退院した。
両親が埼玉県朝霞市に行くことになって、僕一人を自宅に置いて行くのが心配で、僕も少々不安で、12月16日の午前10時頃に再び、もみじヶ丘病院の2階西病棟に任意入院して、12月21日に本退院した。
眞子様のインターネットの書き込みは、僕の不安をかき乱して、歴史研究に起因しながら、飛び下り自殺未遂して、インターネットの恐怖を感じて、再び繰り返さない自信がない。
インターネットで僕は、普段から自分の名前などを検索して、もし僕の誹謗(ひぼう)・中傷が目に付いた場合、自殺しないと言い切れなくて、僕のパソコンの中にデータが残っていれば、疑われて当然である。
僕は飛び下り自殺未遂が例外だが、ずっと誰にも気付かれない時を選んで、自殺未遂を繰り返して、良くないと分かっても止められなくて、それをずっと繰り返し続けて、僕にとって自殺未遂が一生繰り返し続けるだろうが、自殺願望が無くなるはずもなく、決して自分の日常で無くせるわけもなく、僕が自殺と言う死に逃げるのが全てから逃げて、卑怯(ひきょう)なことでも消せない痛みである。

僕は天皇家誕生1940年やアインシュタイン博士以上の超天才や彼の後継者的存在や世界的救世主としての重責を抱えて、その重責を理解できる人間などこの世に存在するはずもなく、僕が常に孤独な天才としての責務を果たさなければならない。
僕はあまりに孤独すぎる孤高の天才で、世界でただ一人自分だけが全てを理解できて、全て自分でしか解決できない孤独にさいなまれて、誰にも共有されることのない永遠の孤独を味わっている。
これは僕の運命や宿命や天命で、誰にも決して汚(けが)すことのできない神聖な思いで、それゆえに僕が他の人々から聖者や賢者と呼ばれることになるかもしれない。
人は神で神が人であって、亡くなった者を神様として神格化したもので、神様も自殺するのが人だから当然で、思い悩むことが神も人も同じである。
神の人も同じ神であり人間でもあって、思い悩み苦しみ続けるのが正しい神と人の在り方で、何の変わりもない物と知るべきである。

何年か前に最初の殺人願望が出て、両親を殺して、犯罪者になって著作権を公表する考え方をした。
2019年3月6日(水)の午後4時頃に僕は、普通の精神状態で自殺願望が出て、午後6時以降に2度目の殺人願望が出て、福知山市拝師(はいし)のセブンイレブンで店員や客をナイフで刺すなど、赤の他人を殺すことを考えて、刑務所で著作権を公表することを考えたりして、殺人願望を考えるくらいなら、僕が首切り自殺や焼身自殺や身投げ自殺や入水(じゅすい)自殺などをした方がマシだとも考えた。
翌日の3月7日だと思うが、クリニックまほらの主治医に緊急で診察してもらったと考えて、カルテなどが残っているのでないかと思う。
この時の殺人願望は、一過性の物だと思うが、持続的な物だと言えなくて、全く不安がないと言えば嘘(うそ)で、今の家庭環境や日本国内や世界情勢などにもおよんで、歴史研究の不安が殺人願望につながった。

僕は自殺未遂した後、僕の著作権を公表してもらう筋書きを考えて、よく主治医やデイケアなごみの職員などに相談する。
コペルニクスは、敬虔(けいけん)なキリスト教徒で、死後にキリスト教の天動説に反する地動説の著書を出版して、僕もコペルニクスのように死後に出版したいのかもしれない。
自殺願望にしても殺人願望にしても僕は、非常に危険な精神状態になって、注意する必要があることを訴えておく。

僕にとって古代天皇家の歴史研究は、21年半以上も繰り返して考え続けて、これがなければ僕の研究成果が完成することなどなかった。
2020年は、『日本書紀』が西暦720年に献上されて1300年目で、1910年(明治43年)に東大と京大が邪馬台国(やまとこく;大和国)論争を始めて110年目だった。
その後の2022年の僕は、6月1日に日本武尊(やまとたけのみこと)の不倫が確実になって、9月20日に倭姫命(やまとひめのみこと;卑弥呼)の殺害日と葬礼日や出雲王国(物部(もののべ)氏)の建国年代などが確定して、これらを求めることが僕の運命だった。
西暦506年以前の僕が求めた歴史研究は、今や僕の趣味の領域で、「記紀」の記述内容を根本的に疑って、賛否両論の正否判断を繰り返して、正しい可能性を一つずつ潰(つぶ)して、21年半以上の研究で形作った歴史で、僕の独断と偏見でまとめた文章や資料で、僕の血と汗と涙と努力の結晶である。
凡人(僕以外の人間)の歴史研究は、僕のまとめた賛否両論の正否判断を一から学んで、僕におんぶにだっこされて、ようやく一人前の知識が身に付くことを実感する必要がある。
僕の歴史研究は、考古学的証拠と歴史書解釈が合致しても、正しいか間違いか正否判断して、自分の存在や考え方や生き方などを自己否定や自己分析して、自殺願望や破滅願望に苦しんで、葛藤しながら答えを求め続けた僕のことが他人に理解できるはずがない。
僕はずっと自己否定しながら生き続けて、自然とどんなことも賛否両論の正否判断を繰り返して、自然にたどり着いた歴史研究の賛否両論のぶつかり合いから、正しい可能性を拾い上げる日々で、僕が21年半以上も繰り返した努力を馬鹿にできない。
僕の21年半以上の歴史研究は、根本的に全てを疑う考え方をして、現代人(僕以外の人間)に徹底させるが、根本的に僕の作った膨大な超知識で、基本から応用まで手取り足取りで、自分たちの努力が超天才の僕に学ぶ恥ずかしさを知ることにある。
現代人(僕以外の人間)は、過去の研究者の何万通り以上もある考え方を全て否定して、僕の示した一筋を信じて、僕のバックアップ(21年半以上の超知識)無しで求められず、僕がいかに規格外の超天才か一目瞭然である。
僕は自分視点の独断や偏見で、ウクライナ侵攻のロシアやプーチン大統領を悪者で、自衛隊の違憲も自分の意見で、歴史研究で日本武尊(やまとたけのみこと)の悪者とするなど、自分の感性に基づくことが多い。

僕の自殺願望と歴史研究は、表裏(ひょうり)一体で、別々の物でもあって、互いに干渉する時としない時があって、自分自身でちゃんと分かる物でもない。
僕の歴史研究の成果は、日本神話の神々の領域…神域を完全解釈して、その能力が万能の天才レオナルド・ダ・ヴィンチと発明王トーマス・エジソンと20世紀最高の天才アルバート・アインシュタイン博士たちを超えて、宗教家をも遥(はる)かに超えた物で、「神に最も近い人間」と自称するだけはあるだろう。
古代天皇家の歴史は、超古代文明時代やエジプト文明やメソポタミア文明やイスラエル文明などにも及んで、日本神話がギリシア神話とよく似る例が挙げられて、世界中の神話との関連性も証明して、皇室が世界中の神や王家の血脈と考えられる。

僕の自殺願望と殺人願望と歴史研究は、僕自身が簡単に消せない命と魂の結晶で、誰にも汚(けが)されない聖域で神域でもある。
僕が今の自分を作り上げるには、僕の人生経験や勉強などがコペルニクス的展開(非常識な考え方の集合体)を生み出して、21年半以上もコペルニクス的展開を発揮し続けて、歴史研究の成果が成立した。
僕の偉業は、簡単に言葉で表せなくて、誰よりも悩み苦しみ抜いた人間だからできた。
僕の自殺願望は、いつしか自分の中に日本や人類の破滅願望を生み出して、地球環境や戦争・紛争で破壊をする人間に対する絶望を増長することになった。
僕は自分の自殺願望がいつしか他人への殺人願望などにならないかなどを心配することもあって、自分を殺すことに執着し続けるのか自分のことがよく分からない。
僕の自殺願望と殺人願望は、歴史研究の公表をしても、おそらく消えず、一生に渡って僕が生き続ける限り永遠に苦しんで、自分がいかに弱い心の持ち主か知って、多くの人に見守ってもらう必要がある。

<参考文献>
僕の手記など
インターネットの不明サイトから少々拝借

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