『魏志倭人伝』の解釈4


これは僕の最初の本『古代日本史への挑戦』から抜粋して、元々2007年9月に出版しているので多少の解釈変更もある。
『魏志倭人伝』の原文を青字、僕の解釈を赤字、僕の説明文を黒字で記す。

其南有狗奴国、男子為王、其官有狗古智卑狗、不属女王。

その(北九州から四国と近畿などをまとめる国境から)南に熊襲(くまそ;南九州)国があって、男性が国王で、その官が県主(あがたぬし)で、天皇に属さない。

官の狗古智卑狗を古代中国語読みから想定して、県主が統治者(熊襲国王)の補佐だと考えられて、一度天皇家の属国になったから官人が置かれたと考えられる。
邪馬台国連合国の南に狗奴国があると誤解されるが、文章から考えて北九州4ヶ国の国境の南に存在すると解釈すべきである。
熊襲は宮崎県と鹿児島県にあったと考えられて、景行天皇12年から19年(西暦202年から209年)と57年(257年)に反逆した属国で、景行天皇に反抗的だった。
『日本書紀』は景行天皇27年に熊襲が滅亡したと記すが、『魏志倭人伝』の記述を基に景行天皇57年(257年)に熊襲が反逆したのを偽装工作して、日本武尊(やまとたけのみこと)が少女の姿をしたのが悲劇的英雄とするための偽装工作で、邪馬台国時代と求められないようにしたと考えられる。

自郡至女王国、万二千余里。

帯方郡から女王国(伊勢)まで至るには、(帯方郡から筑城(ついき)までと大阪湾岸から伊勢までを合わせて)1万2千里余りである。

帯方郡から筑城までの1万7百里余りと大阪湾岸から伊勢までの千3百里余りを合わせて1万2千里余りで、「記紀」を完全解釈できれば簡単に距離の計算ができる。
大阪湾岸から伊勢までの千3百里余りが陸路一月とされて、その半分ほどの蓑生(みのふ)から筑城の7百里が約15日でないかと予想するが、正しいか分からない。

狗奴国と万二千余里の解釈は、「記紀」を完全解釈できる僕だから求められて、他に人間だと一生求められるはずがなく、考え方の次元そのものが違いすぎる。
『魏志倭人伝』を正しく解釈できない現代人には僕の考え方が分からず、世紀の天才の僕だから正しいことが把握できるのである。

<参考文献>
『新訂 魏志倭人伝 他三篇―中国正史日本伝(1)―』
石原道博・編訳者 株式会社岩波書店・発行


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