『魏志倭人伝』の解釈5


これは僕の最初の本『古代日本史への挑戦』から抜粋して、元々2007年9月に出版しているので多少の解釈変更もある。
『魏志倭人伝』の原文を青字、僕の解釈を赤字、僕の説明文を黒字で記す。

自女王国以北、特置一大率、検察諸国畏憚之。常治伊都国。於国中有如刺史。王遣使詣京都帯方郡諸韓国。及郡使倭国、皆臨津捜露、伝送文書賜遺之物詣女王、不得差錯。

女王国(伊勢)より北は、特に中軍を置いて、諸国を検察させて、これを恐れて気がねする。(北九州では)常に伊都国が治める。国中に行政結果を報告する官人のような者がいる。王(天皇か諸国の統治者か不明)が使者を派遣して、魏の王都の洛陽、帯方郡、諸韓国に行く。また郡使が日本に来る時は、皆が港から海を見て探し出して、文書や下賜品を伝送して天皇に届けて、入り乱れや交じり合いがない。

中軍を置くのは天皇家の統治下の諸国で、常に伊都国が治めるというのが帯方郡の使者を守る意味で、九州を直接統治する意味が拡大解釈と考えられる。
景行(けいこう)天皇57年(西暦247年)に期間的に景行(けいこう)天皇の命令で帯方郡に使者を派遣したと考えられず、位登(いと)国の統治者が使者を派遣したのでないかと考えられる。
文書や下賜品を景行天皇に届けるのは、北九州4ヶ国を通って海路と陸路を通して纏向(まきむく)遺跡(邪馬台国の王都)に送ったと考えられる。

『魏志倭人伝』の解釈は、元々2007年9月に最初の本を出版した時の記述に基づいて、その後に僕の解釈が加わっている。
この『魏志倭人伝』の解釈は最初の本の訳が間違いで、ある程度訂正して正しい解釈に戻していて、当時の僕が未熟な考え方だったことを示す。

<参考文献>
『新訂 魏志倭人伝 他三篇―中国正史日本伝(1)―』
石原道博・編訳者 株式会社岩波書店・発行


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