『魏志倭人伝』の解釈6


これは僕の最初の本『古代日本史への挑戦』から抜粋して、元々2007年9月に出版しているので多少の解釈変更もある。
『魏志倭人伝』の原文を青字、僕の解釈を赤字、僕の説明文を黒字で記す。

其国本亦以男子為王、住七八十年、倭国乱、相攻伐歴年。

邪馬台国(大和;古代天皇家)は元々男性を天皇として、建国から72年目の西暦156年(垂仁(すいにん)天皇5年)に皇位継承権争いの狭穂彦王(さほひこのみこ)の反乱が起こって、互いに攻め討伐して数年がたった。

建国から72年目と訳せることから、初代・崇神(すじん)天皇の在位期間が68年なのは正しくて、昭和天皇の在位期間64年より長くて、歴代天皇で最も長い在位期間である。
『魏志倭人伝』の倭国乱は倭国大乱のことで、倭国大乱がよく日本全土が内乱になったと誤解されて、『日本書紀』を完全解釈すれば2代目出雲国王の狭穂彦王の反乱だと分かって、世界でただ一人僕だけが解釈できる。
狭穂彦王の反乱は少なくとも一年以上で、出雲国王の狭穂彦王が右大臣で味方が多かったために戦争が長引いたと考えられる。

乃共立一女子、為王名曰卑弥呼。事鬼道能惑衆、年已長大、無夫婿、有男弟佐治国。自為王以来、少有見者、以婢千人自侍。唯有男子一人、給飲食、伝辞出入居処。宮室楼観城柵、厳設、常有人、皆兵守衛。

すなわち推薦で立てた伊勢神宮斎王の一皇女を倭姫命(やまとひめのみこと)と言う。古代太陽神のアマテルカミ(天照神)を祭る神道の神託で朝廷の官人を困惑させるカリスマ性を持ち、すでに年が高齢で、夫がなくて、異母弟の景行(けいこう)天皇の国政執行を補佐する。自ら斎王になって以来、姿を見る者が少なく、身分の低い侍女が千人いて自分のものとした。ただ一人の男性がいて、飲食を給仕して、言葉を伝えるため居場所に出入りした。宮中・楼閣・宮殿の柵を厳重に設置して、いつも人がいて、兵士を配置して護衛した。

この記述は『後漢書』の引用でなく、『魏志倭人伝』の独自のもので、卑弥呼(倭姫命)のその後の研究に役立つと考えられる。
倭姫命は古代中国語表記で邪馬台卑弥呼で、邪馬台が邪馬台国と合致するからはぶかれて卑弥呼が残って、一皇女なのが女王と勘違いした古代中国人の間違いを現代日本人が継承して、推薦と自分から進んで伊勢神宮斎王になったと分かる。
有男弟佐治国の解釈は、異母弟の景行天皇の国政執行を補佐する卑弥呼(倭姫命)で、多くの人が卑弥呼を弟が補佐したと誤解するが、国を統治したのが弟で景行天皇であって、正しいことが分からないためにそう解釈するのである。
『ホツマツタエ』の景行天皇20年の記述から、伊勢神宮斎王を隠居して伊勢市の磯(いそ)神社にいても、身分の低い侍女が千人いて兵士が護衛して、強い権力を持っていたと考えられて、磯神社の規模が半端でなく大きい可能性がある。
卑弥呼(倭姫命)と男弟(景行天皇)の関係は、「記紀」で景行天皇の実妹の倭姫命と偽装工作されて、姉の天照大神(あまてらすおおみかみ)と弟の月読尊(つくよみのみこと)に神格化されて、正しいことを把握できれば簡単に求められる。
卑弥呼は古代天皇家の歴史から抹消するため「記紀」に偽装工作をほどこしたが、『ホツマツタエ』の異母姉弟の倭姫命と景行天皇が記されて、正しいことを記した歴史書が残されていたことが災いした。

この『魏志倭人伝』の解釈は、『日本書紀』の西暦年と偽装工作を正しく把握して修正できる超頭脳を持つ僕からすれば簡単で、凡人だと一生かかってもひもとけなかった。
専門家も邪馬台国論争のシロウト研究者も未熟で、一生かかっても僕のレベルに到達できるはずがなく、アインシュタイン博士以上の天才の僕を甘く見ていた。
世界でただ一人の孤独な邪馬台国論争の第一人者の僕は、あまりに天才すぎて自分の才能に恐怖することもある悩みがあって、凡人に一生分からない贅沢(ぜいたく)な悩みである。

<参考文献>
『新訂 魏志倭人伝 他三篇―中国正史日本伝(1)―』
石原道博・編訳者 株式会社岩波書店・発行

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