『魏志倭人伝』の解釈7

これは僕の最初の本『古代日本史への挑戦』から抜粋して、元々2007年9月に出版しているので多少の解釈変更もある。
『魏志倭人伝』の原文を青字、僕の解釈を赤字、僕の説明文を黒字で記す。

其八年、太守王到官。倭女王卑弥呼与、狗奴国男王卑弥弓呼素不和。遣倭載斯烏越等詣郡、説相攻撃状。遣塞曹掾史張政等、因斎詔書黄幢、配假難升米、為檄告諭之。
は「斤へん」に頁の漢字で、ホームページで表示できるが注意書きにする。

西暦247年(正始8年;景行天皇57年)に(帯方郡の)太守としての王が任官した。日本王の景行(けいこう)天皇は、熊襲(くまそ;南九州)国の男性王の取石鹿文(とりいしかや)またの名を熊襲梟師(くまそたける)と元々不和である。使者(載斯烏越;人名不明)たちを派遣して帯方郡に行って、(熊襲と)お互いを攻撃する状況を語った。(王は)塞曹掾史と張政らを遣使させて、詔書と黄色の旗をもたらして、大夫(まえつぎみ;難升米:人名不明)に仮に授けて、檄文を作ってこれを告諭させた。

西暦247年に日本王(倭王)の景行天皇は、東が福井県と岐阜県と愛知県と静岡県まで統治して、西が九州南部まで統治して、倭王の呼び名が間違っていないほどの土地を統治下に置いていた。
熊襲国の男性王は、取石鹿文や熊襲梟師と呼ばれて、古代中国語読みの卑弥弓呼に当てはまるのが熊襲梟師と考えられる。
景行天皇57年(西暦247年;正始8年)10月13日(11月中旬頃)に皇太子の日本武尊(やまとたけのみこと)に熊襲王国の討伐を命じたことから、景行天皇の命令で帯方郡への遣使が間に合わなくて、九州の統治者が独断で使者を派遣したと考えられる。
景行天皇57年12月(248年1月頃)に日本武尊は、南九州に到着して、景行天皇58年2月1日(西暦248年3月上旬頃)に日本武尊一行が皇居の纏向日代宮(まきむくひしろのみや)に帰っているから、日本武尊の武将としての優秀さが分かる。
熊襲の討伐は、『ホツマツタエ』で景行天皇27年に偽装工作して、お得意の年代変更が行なわれたことに気付かない現代人の出番でなく、偽装工作を求められる超天才の僕の役目である。

卑弥呼以死。大作冢、径百余歩、徇葬者奴婢百余人。更立男王、国中不服、更相誅殺、當時殺千余人。

日本武尊は天皇になったが、皇族や豪族からも認められず、さらに伯母(おば)の倭姫命(やまとひめのみこと;卑弥呼)を殺して、さらに互いに誅殺して、当時千人余りが殺された。景行天皇は箸墓(はしはか)古墳に葬礼されて、直径百歩余り(約144メートル以上)の前方部を作って、殉死者百人余りの代わりに埴輪(はにわ)を立てた。

日本武尊は、景行天皇60年10月2日(西暦250年11月上旬頃)に皇居を出立して、東海平定の武将として旅立って、11月7日(西暦250年12月上旬頃)に景行天皇が亡くなった。
天皇不在の年10月7日(西暦251年11月上旬頃)に日本武天皇は、元々太陽神を祭る伊勢神宮斎王だった倭姫命を殺して、天皇家で禁忌の太陽神殺しと呼べる行為で、日本武天皇が皇族も豪族からも認められず、日本武天皇が逆賊となった。
日本武天皇は、抹殺命令から逃れるために出雲王国に亡命して、この反乱を神話化したのが天岩戸(あまのいわと)隠れと八岐大蛇(やまたのおろち)退治と因幡(いなば)の白兎(しろうさぎ)などである。
『魏志倭人伝』の記述は、前後関係が滅茶苦茶だが、日本武天皇の倭姫命の殺害と景行天皇陵の箸墓古墳の築造を考古学(遺跡・遺物)と歴史学(歴史書解釈)で証明して、誰も反論できない。
仲哀(ちゅうあい)天皇元年11月10日(西暦252年12月上旬頃)に景行天皇を箸墓古墳に葬礼して、前方部が160メートルで全長280メートルの大きさを魏王朝に伝えず、魏王朝が薄葬思想で墓を小さく作ることを古代天皇家が知っていて、辺境の日本で魏王朝より大きな墓を造ったと知られることを恐れたためと考えられる。
箸墓古墳は殉死者の代わりに立てる特殊器台埴輪が出土して、日中の歴史書に殉死者が記されることから、古代天皇家で殉死が行なわれたのがまぎれもない事実である。
日本武尊の反乱は僕以外に求められず、「記紀」で天皇家が最も隠したかった汚名と考えられて、幾ら偽装工作をほどこしても僕なら簡単にひもとけてしまった。

『魏志倭人伝』と「記紀」を正しく解釈できる僕は、古代天皇家の悲劇を幾ら隠そうとしても無駄で、凡人に見えないものが僕には見えてしまう。
邪馬台国論争の真実は単純で、古代天皇家が求められる日が来るように偽装工作をほどこしていた。
日本武尊という悲劇的英雄の真実は、太陽神殺しの逆賊の素戔嗚尊(すさのおのみこと)として神格化されて、日本神話を完全解釈できる僕にとって名誉ある仕事である。

<参考文献>
『新訂 魏志倭人伝 他三篇―中国正史日本伝(1)―』
石原道博・編訳者 株式会社岩波書店・発行
『完訳秀真伝』
鳥居礼・編著者 八幡書店・発行
インターネットの不明サイトから少々拝借

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