『後漢書』の解釈1


これは僕の最初の本『古代日本史への挑戦』から抜粋して、元々2007年9月に出版しているので多少の解釈変更もある。
『後漢書』の原文を青字、僕の解釈を赤字、僕の説明文を黒字で記す。

倭在韓東南大海中、寄山島為居、凡百余国。

古代日本は朝鮮半島南部の南東の大海原中に在って、山々の多い島の土地に居住して、およそ百国余りがある。

方角と国土の特徴は正しいが、弥生時代のいつ頃を指して100国と言うのか不明で、『後漢書』に記された判明している国が奴国(福岡市志賀島)と倭面土国と邪馬台国(大和;古代天皇家)である。
弥生時代前期に稲作文化が伝わって、貧富の差を生んで弥生時代全体で村々ができて戦争するようになったと考えられて、100国と言うのがあくまで予想の数で千か万かもしれない。

自武帝滅朝鮮、使驛通於漢者三十許国、国皆称王、世世伝統。

自国(前漢王朝)の7代目・武帝が朝鮮北部を滅亡させて、(楽浪郡を置いた紀元前108年から前漢王朝と後漢王朝を合わせた)漢王朝に使者・通訳を派遣してきたのが30国ほどで、それらの国々が全て王を自称して、先祖代々より王位継承してきた。

前述した3ヶ国を含めて、漢王朝時代の遺物が出ている古代天皇家が西暦94年に滅ぼした丹波(京都府北中部)王国などが挙げられて、九州の方が交流した国が多いと考えられる。
漢王朝時代の遺物が出ているから全て外交した国と考えるべきでなく、漢王朝からの渡来人がもたらした遺物もあるはずで簡単に求められないだろう。

『後漢書』のこの記述の解釈は、訳本の内容さえ正しく把握すれば誰でも訳せる。

<参考文献>
『新訂 魏志倭人伝 他三篇―中国正史日本伝(1)―』
石原道博・編訳者 株式会社岩波書店・発行

戻る