『後漢書』の解釈2


これは僕の最初の本『古代日本史への挑戦』から抜粋して、元々2007年9月に出版しているので多少の解釈変更もある。
『後漢書』の原文を青字、僕の解釈を赤字、僕の説明文を黒字で記す。

其大倭王居邪馬台国、案今名邪摩惟音之訛也。

その大日本王は大和国(奈良県)に居て、案ずるに今の国名が「やまと」のなまったものである。

後漢王朝と外交した天皇は、垂仁(すいにん)天皇(西暦152年から190年に在位)と景行(けいこう)天皇(西暦191年から250年に在位)の2人である。
後漢王朝に派遣された使者は、西暦188年(後漢王朝の中平5年;垂仁天皇37年)に到着して、使者が垂仁天皇の皇子の祖別命(みおやわけのみこと;田道間守(たじまもり)と同一人物)と考えられる。

楽浪郡徼去其国万二千里、去其西北界拘耶韓国七千余里。

楽浪郡の境は邪馬台国を去ること1万2千里、北西にある楽浪郡から拘耶韓国(王都は韓国の金海(キメ)である)へ去ること7千里余り。

楽浪郡の場所は不明で、北朝鮮南部と平壌(ピョンヤン)付近の2説があって、拘耶韓国(加羅(から)や伽耶(かや)と呼ばれる朝鮮の一国)までの距離が正しいはずで、邪馬台国(大和;古代天皇家)からの距離が『魏志倭人伝』の引用と考えられる。

其地、大較在会稽東冶之東与、朱崖耳相近、故其法俗多同。
は「にんべん」に・の漢字で、ホームページで表示できるが注意書きにする。

その土地は、だいたい会稽郡(浙江省と江蘇省)の東冶県(福建省侯県の辺り)の東にあって、朱崖(広東省瓊山県の辺り)と耳(同省県の辺り)にお互い近い特徴があって、そのため法規や習俗の多くが同じである。
は中に虫と書く漢字で、ホームページで表示できるが注意書きにする。

僕の本では日本人全体が広東省の民族と近い特徴と書いているが、文脈から考えると邪馬台国(古代天皇家)に従属する近畿地方を中心とする民族を指すと考えられる。
広東省の民族と近い特徴は、稲作文化を伝えた弥生人の起源をこの辺りとする学説があっても同一視すべきでなく、そもそも古代天皇家に限るとモンゴロイドかも分からない。
最近の縄文人の核DNAとミトコンドリアDNAの違いで先祖が分からなくなった記述を見たが、イブ仮説(ミトコンドリア・イブ)もミトコンドリアDNAから2種類のタイプに分かれるとされて、先祖を求めるには遺伝子や考古学など慎重な立場が要求されると考えられる。

<参考文献>
『新訂 魏志倭人伝 他三篇―中国正史日本伝(1)―』
石原道博・編訳者 株式会社岩波書店・発行

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