箸墓(はしはか)古墳


これは出版していない3冊目以降の本の著作権を含む。

箸墓古墳は全長280メートルの前方後円墳で箸中山古墳とも呼ばれるが、『ホツマツタエ』でハシヅカと呼ぶと記されて、箸塚(はしづか)古墳という正しい呼び名に改名すべきだと考える。
箸墓古墳は宮内庁指定の倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)陵とされて発掘調査ができず、まず天皇家が許可しない限り発掘調査ができない。
箸墓古墳が纏向3から4式の土器が出土して、前方後円墳の大まかな築造時期を特定できる。
『魏志倭人伝』に「卑弥呼以死、大作冢、径百餘歩、循葬者奴婢百餘人」と記されて、卑弥呼の墓を指すように考えられるが、僕は男弟の墓を古代中国人が勘違いしたと考えている。
この記述の解釈は、卑弥呼の死後に男弟の墓を作って径百歩余り(直径144メートルほど)で、殉死者の替わりに埴輪百個余りを立てたと考えられる。
卑弥呼が伊勢神宮の斎王(さいおう;太陽神に仕える未婚の皇女)の倭姫命(やまとひめのみこと)で、男弟が倭姫命の異母弟の景行(けいこう)天皇に当たるなら、『魏志倭人伝』の記述の血縁と時期的なものが重なる。
『日本書紀』から景行天皇60年11月7日(西暦250年12月上旬頃)に景行天皇が崩御(ほうぎょ;天皇が亡くなること)されて、翌年に倭姫命が亡くなって、仲哀(ちゅうあい)天皇元年11月10日(西暦252年12月上旬頃)に景行天皇を葬礼したと解釈する。
直径144メートルほどに該当する墓は、後円部160メートルで箸墓古墳しか存在するわけがなく、景行天皇陵に当たる可能性が高いと見て良い。
メディアに国立歴史民俗博物館が放射性炭素年代測定法で箸墓古墳の築造年代を西暦240年から260年頃だと発表したのは、精度や真偽のほどがあるが景行天皇陵の公算を高める貴重なデータと言える。

『魏志倭人伝』に循葬者と記されるのが殉死者のことで、『日本書紀』に殉死者の替わりに立てるのが埴輪と記されており、古墳から初めて特殊器台埴輪の断片が出土する箸墓古墳を示す可能性が高いが、古代日本に主人を葬った後に従者を生き埋めにする殉死の風習が間違いなくあり、纏向石塚古墳の最古の土師器が最古の埴輪である。
垂仁天皇陵が纏向石塚古墳で、景行天皇陵が箸墓古墳だとすれば、考古学で間違いなく古墳時代の始まりの場所だと分かっている古代天皇家誕生の地という可能性が高いと考えられる。
僕の著書2冊を宮内庁京都事務所に送って、3冊目以降の資料も宮内庁に送ったが皇室が天皇陵である可能性を知ったか分からず、まず許可される可能性が低いことを知らせておく。
纏向石塚古墳と箸墓古墳は考古学的に天皇陵の可能性が高くて貴重で重要な古墳だが、非常に調査困難で魅力的な価値が高いのが言うまでもない。

<参考文献>
『大和・飛鳥考古学散歩<第2版>』
伊達宗泰・著者 株式会社学生社・発行
『日本書紀(上)全現代語訳―全二巻―』
宇治谷孟・著者 株式会社講談社・発行
『新訂 魏志倭人伝 他三篇―中国正史日本伝(1)―』
石原道博・編訳者 株式会社岩波書店・発行
2009年5月29日の朝日新聞
『ホツマ辞典』
池田満・著者 ホツマ刊行会・発行
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