火の神様の系図
日本神話の火の神様と雷神は、出雲王家(物部(もののべ)氏)の直系の人間だけを神格化して、僕の自論の根幹を形作る考え方で、僕がずっとこの考え方にこだわり続けて、導き出した結論である。
物部(もののべ)氏は、古代豪族の武家で、圧倒的な軍事力を持って、すごい勢力を誇(ほこ)った古代豪族と理解するが、謎(なぞ)に包まれた存在と認識された。
狭穂姫(さほひめ)は、誉津別命(ほむつわけのみこと)を生んだ年月を『日本書紀』に記すが、『古事記』が狭穂彦王(さほひこのみこ)の反乱の時に誉津別命(ほむつわけのみこと)が生まれたと記して、誉津別命(ほむつわけのみこと)の生まれた時期が混乱するようにした。
誉津別命(ほむつわけのみこと)は、生後すぐにしゃべれず、伊奘冉尊(いざなみのみこと;狭穂姫を神格化)が流産した火夜子(ひよるこ;誉津別命を神格化)を障害者のように見せたが、素戔嗚尊(すさのおのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)が誉津別命(ほむつわけのみこと)と同一人物と思わせて、出雲王国の関係を臭(にお)わせた。
参考文献『完訳秀真伝』は、日寄(ひよ)る子(こ)と記して、僕が火夜子(ひよるこ)の神名に修正して、誉津別命(ほむつわけのみこと)が狭穂彦王(さほひこのみこ)の反乱の時に生まれて、狭穂姫(さほひめ)が火の中で生んで、母親だから火(ほ)の人名を付けて、物部(もののべ)氏の血筋だから、火の神様に神格化して、火(ほ)の人名に疑問がない。
火の神様と火(ほ)の人名は、互いに物部(もののべ)氏の共通性と気付いて、現代人(僕以外の人間)が絶対にたどり着けない奇跡で、 2023年11月29日に気付いた。
物部(もののべ)氏の祖先神の饒速日命(にぎはやひのみこと)は、初代出雲国王で始祖の彦坐王(ひこいますのみこ)、息子で2代目出雲国王の狭穂彦王(さほひこのみこ)、子孫で神武(じんむ)東征の祖先神に初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)を神格化して、この3人を一人の饒速日命(にぎはやひのみこと)に神格化して、今に伝わって誤解した。
逆に言えば僕は、わずかな伝承を3つに分けて分析して、3人の人物を特定して、その超頭脳(超感覚)があまりに凄(すさ)まじすぎて、自分の神技(かみわざ)の神髄(しんずい)にあきれて、自分にこれほどの超人的な才能があることが信じがたい。
彦坐王(ひこいますのみこ)の饒速日命(にぎはやひのみこと)は、河内(かわち;大阪府東部)の天孫降臨神話が西暦84年の建国より前に大阪府を制圧した伝承で、狭穂彦王(さほひこのみこ)の饒速日命(にぎはやひのみこと)が物部(もののべ)氏の祖先神で、初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)の饒速日命(にぎはやひのみこと)が神武(じんむ)東征の時の饒速日命(にぎはやひのみこと)である。
これをたった一人の僕は、自分の直感だけで自論を作って、超展開させて行って、それを論理的に説明して、他人(僕以外の人間)を納得させて、『饒速日命(にぎはやひのみこと)』のページを検索してほしい。
饒速日命(にぎはやひのみこと;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)の河内(かわち;大阪府東部)の天孫降臨神話は、2代目・火明命(ほあかりのみこと;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)の丹波(たには;京都府北中部)の天孫降臨神話と共通して、西暦84年の建国(天皇家誕生)より前の大阪府の平定、94年の丹波(たんば)王国の平定で京都府を支配下に置いて、彦坐王(ひこいますのみこ)の武勲(ぶくん)である。
さらに彦坐王(ひこいますのみこ)は、鳥取県と島根県を平定して、西暦95年に出雲王国(物部(もののべ)氏)を建国して、物部(もののべ)氏の敵対氏族で、「記紀」の総合監督の藤原不比等が物部(もののべ)氏の歴史を隠したが、わずかな違和感から僕が特定して、2代目・火明命(ほあかりのみこと)が火の神様で、物部(もののべ)氏とつながる。
饒速日命(にぎはやひのみこと;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)の河内(かわち;大阪府東部)の天孫降臨神話は、出雲の建国神話と別物で、神武(じんむ)東征(仁徳(にんとく)東征を祖先化した実話)の時の饒速日命(にぎはやひのみこと;初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)を神格化)とも別神で、僕の総合的な超頭脳がすごいと証明した。
饒速日命(にぎはやひのみこと;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)は、子孫の甕速日神(みかはやひのかみ;屋主忍男武雄心命(やぬしおしおたけおこころのみこと)を神格化)とその息子の?速日神(ひはやひのかみ;初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)を神格化)の3神が共に火の神様で、共に物部(もののべ)氏の血筋だから火の神様に神格化した。
饒速日命(にぎはやひのみこと;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)の息子は、2代目・大物主神(おおものぬしかみ)と孫の3代目・大物主神(おおものぬしかみ)として置いて、その娘が養子の小益姫早子(こますひめはやこ;弟橘姫(おとたちばなひめ)を神格化)で、この女神が太陽神の天照神(あまてるかみ)の妾(めかけ)で、素戔嗚尊(すさのおのみこと)と不倫したと『ホツマツタエ』が記す。
天照神(あまてるかみ;倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)は、月読尊(つくよみのみこと;景行(けいこう)天皇を神格化)と入れ替わって、その妾(めかけ)の小益姫早子(こますひめはやこ;弟橘姫(おとたちばなひめ)を神格化)と素戔嗚尊(すさのおのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)が不倫して、父から寝取って正妻としたが、深掘りしなくて省略する。
月読尊(つくよみのみこと;景行(けいこう)天皇を神格化)と小益姫早子(こますひめはやこ;弟橘姫(おとたちばなひめ)を神格化)は、長男の神櫛皇子(かんぐしのみこ)を生んで、6代目出雲国王の彦太忍信命(ひこふつおしのまことのみこと)と同一人物で、6代目・大物主神(おおものぬしかみ;彦太忍信命(ひこふつおしのまことのみこと)を神格化)につながる。
彦太忍信命(ひこふつおしのまことのみこと)の息子の屋主忍男武雄心命(やぬしおしおたけおこころのみこと)は、息子が初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)で、屋主忍男武雄心命(やぬしおしおたけおこころのみこと)が7代目出雲国王の飯入根(いいいりね)と同一人物か別人か分からなくて、初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)が初代出雲大社宮司の盧濡渟(うかずくぬ)と同母か異母の兄弟か従兄弟か不明である。
盧は「盧へん」に鳥の漢字で、ホームページで表示できるが注意書きにする。
7代目出雲国王の飯入根(いいいりね)と息子の盧濡渟(うかずくぬ)は、物部(もののべ)氏の血筋で、直系子孫が出雲大社宮司家の千家(せんげ)氏で、初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)の直系子孫の竹内(たけうち)氏と遠縁で、由緒(ゆいしょ)ある血縁関係が証明された。
神櫛皇子(かんぐしのみこ)の彦太忍信命(ひこふつおしのまことのみこと)は、名前が分からない物部(もののべ)氏の女性(ワザと記録から抹消)と結婚して、息子の屋主忍男武雄心命(やぬしおしおたけおこころのみこと)と曾孫の初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)が生まれて、この2人を物部(もののべ)氏の出身と記して、弟橘姫(おとたちばなひめ)の不倫を隠して、血筋の混乱を生んだが、僕を騙(だま)せなかった。
彦太忍信命(ひこふつおしのまことのみこと)の妻は、ワザと名前を隠して、混乱させる目的で消して、物部(もののべ)氏の出身と特定できる僕の誕生を待ったが、『日本書紀』の成立から1300年以上かかった。
『ホツマツタエ』は、火の神様ヒノハヤヒコと軍神(いくさがみ)タケミカツチが同一神と記して、樋速日神(ひはやひのかみ;初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)を神格化)と武甕槌神(たけみかづちのかみ;初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)を神格化)が同一神で、色々と面白い情報である。
ヒノハヤヒコの神名は、甕速日神(みかはやひのかみ;屋主忍男武雄心命(やぬしおしおたけおこころのみこと)を神格化)の神名が甕速彦神(みかはやひこのかみ)で、息子の樋速日神(ひはやひのかみ)の神名が樋之速彦神(ひのはやひこのかみ)で、甕速日神(みかはやひのかみ)の「甕(みか)」が武甕槌神(たけみかづちのかみ)の「甕(みか)」と同じ漢字で共通して、武甕槌神(たけみかづちのかみ)が物部(もののべ)氏の祖先神と証明した。
饒速日命(にぎはやひのみこと)の神名の速日(はやひ)は、子孫で親子の甕速日神(みかはやひのかみ)と樋速日神(ひはやひのかみ)の速日(はやひ)と共通して、物部(もののべ)氏の祖先神と証明する手がかりになるかもしれない。
甕速日神(みかはやひのかみ)と武甕槌神(たけみかづちのかみ)は、「甕(みか)」の神名が共通して、『ホツマツタエ』でヒノハヤヒコとタケミカツチが同一神と記して、物部(もののべ)氏の初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)を神格化した事実を証明する重要なヒントである。
軍神(いくさがみ)の武甕槌神(たけみかづちのかみ;初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)を神格化)は、父親が武神の稜威雄走神(いつのおばしりのかみ;屋主忍男武雄心命(やぬしおしおたけおこころのみこと)を神格化)で、軍神(いくさがみ)と武神が物部(もののべ)氏の祖先神の証明で、火の神様とも同一神で、論理的に簡単な説明ができる。
稜威雄走神(いつのおばしりのかみ)と息子の武甕槌神(たけみかづちのかみ)は、出雲の国譲(くにゆず)り神話に登場して、景行(けいこう)天皇から仲哀(ちゅうあい)天皇の時代で、日本神話と実話が合致して、神話化が証明された。
2代目・火明命(ほあかりのみこと;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)は、京都府宮津市にある元伊勢籠(この)神社宮司家の海部(あまべ)氏の祖先神で、彦坐王(ひこいますのみこ)の息子の丹波道主王(たにはみちぬしのみこ)の直系子孫で、出雲王家(物部(もののべ)氏)と遠戚関係である。
2代目・火明命(ほあかりのみこと;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)は、息子が火の神様の軻遇突智(かぐつち;狭穂彦王(さほひこのみこ)を神格化)で、別名の火産霊(ほむすび)が火を生み出し意味で、火の神様を生み出して、物部(もののべ)氏の直系の血筋を示して、僕の自論の生命線である。
西暦156年の狭穂彦王(さほひこのみこ)の反乱(倭国大乱;わこくたいらん)は、狭穂彦王(さほひこのみこ)と実妹の狭穂姫(さほひめ)が焼死して、2人を火の神様の伊弉冉尊(いざなみのみこと)と息子の軻遇突智(かぐつち)に神格化して、狭穂姫(さほひめ)の本当の息子である誉津別命(ほむつわけのみこと)を火夜子(ひよるこ)に神格化した。
狭穂姫(さほひめ)以降の2人の皇后は、伊弉冉尊(いざなみのみこと)に神格化したが、物部(もののべ)氏でないから火の神様でなくて、子供たちを神格化した神様の特定が簡単になった。
狭穂彦王(さほひこのみこ)は、反乱で焼死したが、逆賊として死んで、怨霊(おんりょう)の火雷神(ほのいかずちのかみ)に神格化して、子孫の7代目出雲国王の飯入根(いいいりね)を神格化した可能性もあって、まだ特定できてない。
2代目出雲国王の狭穂彦王(さほひこのみこ)は、西暦158年までに焼死して、この頃に娘の高田媛(たかだひめ)が生まれて、菊桐姫(きくきりひめ;くくりひめ;高田媛(たかだひめ)を神格化)が黄泉国下(よみのくにくだ)り神話に登場して、黄泉国下(よみのくにくだ)り神話が狭穂彦王(さほひこのみこ)の反乱を神話化した実話と証明した。
菊桐姫(くくりひめ;高田媛(たかだひめ)を神格化)は、別名が白山姫(しらやまひめ)で、福井県と石川県と岐阜県にまたがる霊峰の白山(はくさん)の祭神で、『ホツマツタエ』で声を聞く切り姫と記して、菊桐姫(きくきりひめ)と言霊(ことだま;言葉の魂)でつながって、狭穂彦王(さほひこのみこ)の忘れ形見と証明した。
高田媛(たかだひめ)は、3代目の景行(けいこう)天皇の年上女房(にょうぼう)で、景行(けいこう)天皇5年6月(西暦195年7月頃)に長男の武虎別皇子(たけこわけのみこ)を生んで、武虎別皇子(たけこわけのみこ)が北陸平定の総大将だった関係で、白山(はくさん)の祭神になったのが間違いない。
欝色謎命(うつしこめのみこと;高田媛(たかだひめ)を祖先化)は、姪(めい)の伊香色謎命(いかがしこめのみこと;弟橘姫(おとたちばなひめ)を祖先化)と共に物部(もののべ)氏の姫で、伊香色謎命(いかがしこめのみこと)が孝元(こうげん)天皇と開化(かいか)天皇の親子の妻で、弟橘姫(おとたちばなひめ)の不倫が証明できる。
月読尊(つくよみのみこと;景行(けいこう)天皇を神格化)と菊桐姫(くくりひめ;高田媛(たかだひめ)を神格化)は、7代目・高皇産霊尊(たかみむすびのみこと;武虎別皇子(たけこわけのみこ)を神格化)と火の神様の熊野久須毘命(くまのくすびのみこと;少彦男心命(すくなひこたけおこころのみこと)を神格化)を生んだ。
天国玉神(あまくにたまのかみ;景行(けいこう)天皇を神格化)は、火の子の天稚彦(あめわかひこ;少彦男心命(すくなひこたけおこころのみこと)を神格化)を生んで、天稚彦(あめわかひこ)が出雲神話の別神の少彦名命(すくなひこなのみこと)と同一神で、神名と人名の少彦(すくなひこ)が共通して、事実関係を証明した。
天稚彦(あめわかひこ)と熊野久須毘命(くまのくすびのみこと)は、物部(もののべ)氏の少彦男心命(すくなひこたけおこころのみこと)を神格化して、火の神様の共通性も証明して、僕の最初の著書で、すでに同一人物と指摘して、僕の圧倒的な超感覚が凄(すさ)まじすぎた。
武虎別皇子(たけこわけのみこ)と葛城高額媛(かつらぎのたかぬかひめ)は、景行(けいこう)天皇39年頃(西暦229年頃)に娘の神功(じんぐう)皇后を生んで、女王と勘違いした台与(とよ)を隠して、皇祖神(こうそしん;天皇家の祖先神)で、母方の天照大神(あまてらすおおみかみ;神功(じんぐう)皇后を神格化)で、現在の皇室まで続く女系男子天皇の理由で、非常に大切な意味を持つ。
忍穂耳尊(おしほみみのみこと;仲哀(ちゅうあい)天皇を神格化)と栲幡千千姫(たくはたちちひめ;神功(じんぐう)皇后を神格化)は、長男の初代・火明命(ほあかりのみこと;誉屋別皇子(ほむやわけのみこ)を神格化)と次男の火瓊瓊杵尊(ほのににぎのみこと;誉田別尊(ほむだわけのみこと;即位しない応神(おうじん)天皇)を神格化)を生んで、古代天皇家の直系に初めて出雲王家(物部(もののべ)氏)の血筋が入った。
『日本書紀』は、誉屋別皇子(ほむやわけのみこ)が異母兄弟で、『古事記』が同母兄弟で、誉屋別皇子(ほむやわけのみこと)と誉田別尊(ほむだわけのみこと)を火の神様に神格化して、兄弟が物部(もののべ)氏の血筋と確信して物部(もののべ)氏の血筋(火の神様)が絶対に否定できなくて、僕の20年半の歴史研究を馬鹿にできない。
火瓊瓊杵尊(ほのににぎのみこと;誉田別尊(ほむだわけのみこと)を神格化)は、兄の火酢芹命(ほすせりのみこと;大山守皇子(おおやまもりのみこ)を神格化)と火火出見尊(ほほでみのみこと;仁徳(にんとく)天皇を神格化)を生んで、子の異母兄弟の2人が物部(もののべ)氏の血筋(火の神様)と証明した。
大山守皇子(おおやまもりのみこ)は、異母兄弟の仁徳(にんとく)天皇に反乱(皇位継承権争い)して、逆賊として戦死して、火酢芹命(ほすせりのみこと)と火火出見尊(ほほでみのみこと)が海幸彦(うみさちひこ)と山幸彦(やまさちひこ)の神話で対立して、神武(じんむ)天皇(仁徳(にんとく)天皇を祖先化)と長髄彦(ながすねひこ;大山守皇子(おおやまもりのみこ)を祖先化)でも対立した。
『ホツマツタエ』の長髄彦(ながすねひこ;大山守皇子(おおやまもりのみこ)を祖先化)は、布刀玉命(ふとだまのみこと;武渟川別(たけぬなかわわけ)を神格化)の孫で、母方の祖父が仲哀(ちゅうあい)天皇だから、父方の祖父が武渟川別(たけぬなかわわけ)で、武渟川別(たけぬなかわわけ)の同母か異母の姉が神功(じんぐう)皇后でだが、同じ物部(もののべ)氏である。
火の神様の系図は、僕の長すぎる人生経験20年半の歴史研究の結晶で、誰にも邪魔されずに積み上げて、成功と失敗を繰り返して、必死な努力で生み出した奇跡の神技(かみわざ)である。
<参考文献>
『日本書紀(上)全現代語訳―全三巻―』
著者・宇治谷孟 発行・株式会社講談社
『古事記(上)(中)―全三巻―』
著者・次田真幸 発行・株式会社講談社
『完訳秀真伝』
編著者・鳥居礼 発行・八幡書店
インターネットの不明サイトから少々拝借
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