彦坐王(ひこいますのみこ)
アーサー王は、5世紀後半から6世紀初めのイギリスのケルト人の国王で、円卓の騎士をひきいて、ゲルマン系のサクソン人の侵攻を撃退した伝説的英雄で、後世に圧倒的に脚色されて、彦坐王(ひこいますのみこ)が日本のアーサー王と呼べる伝説的英雄である。
彦坐王(ひこいますのみこ)は、孝昭(こうしょう)天皇45年5月15日(西暦45年6月中旬頃)生まれで、西暦130年頃まで間違いなく生きて、娘の狭穂姫(さほひめ)が早く生まれても、この年代まで生きた計算になる。
彦坐王(ひこいますのみこ)は、「記紀」にほとんど登場しないが、複数の男性の古代太陽神に神格化して、元伊勢籠(この)神社宮司家の海部(あまべ)氏と出雲王国(物部(もののべ)氏)の先祖で、物部(もののべ)氏の子孫が竹内(たけうち)氏と出雲大社宮司家の千家(せんげ)氏で、大阪府と奈良県と京都府と兵庫県と鳥取県と島根県を平定したなど、あまりにも凄(すご)い伝説的英雄である。
崇神(すじん)天皇11年4月13日(西暦94年5月中旬頃)に彦坐王(ひこいますのみこ)は、息子の丹波道主王(たにはみちぬしのみこ)に丹波(たんば;古代の京都北中部)を統治させて、その子孫が後の海部(あまべ)氏になって、崇神(すじん)天皇12年3月11日(西暦95年4月中旬頃)に彦坐王(ひこいますのみこ)が初代出雲国王になって、出雲王国(物部(もののべ)氏)を建国して、西暦140年代頃にもう一人の息子の狭穂彦王(さほひこのみこ)が2代目出雲国王になった。
京都府宮津市の元伊勢籠(この)神社宮司家の海部(あまべ)氏は、古代からずっと皇室の太陽神を祭って、1900年以上前の古代中国の銅鏡2面を大切に保管して、日本最古の系図『海部(あまべ)氏系図』を伝えて、仲哀(ちゅうあい)天皇5年9月(西暦256年10月頃)に愛知県西部の尾張(おわり)氏と分家した。
出雲王国(物部(もののべ)氏)は、太陽神を祭る一族を隠して、なぜ皇室に次ぐ2番目の古代豪族か分からなくなって、島根県と物部(もののべ)氏が結び付かないように偽装工作して、物部(もののべ)氏が古代天皇家に対して、2度の内乱(皇位継承権争い)を起こしたことも消して、根本的な真実を求められなくしたが、超天才の僕が全て求めた。
西暦230年頃に4代目出雲国王の物部十市根(もののべのといちね)の子孫は、物部(もののべ)氏の本家として、物部守屋(もののべのもりや)の家系と分家して、西暦250年頃に出雲大社宮司家の千家(せんげ)氏と初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)の子孫の竹内(たけうち)氏に分家した。
竹内(たけうち)氏は、景行(けいこう)天皇45年(西暦235年)生まれの初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)の子孫で、竹内(たけうち)氏が物部(もののべ)氏の子孫と伝えて、73代目・武内宿禰(たけのうちのすくね)の竹内睦泰(たけうちむつひろ)氏が2020年1月13日に亡くなって、竹内(たけうち)氏が伝える『竹内文書(たけのうちもんじょ)』が圧倒的な歴史書である。
出雲大社宮司家の千家(せんげ)氏は、出雲王国(物部(もののべ)氏)の子孫を隠されて、出雲神話と国津神(くにつがみ)などの関係も忘れられたが、超天才の僕が全てひもといて、初代出雲国王の彦坐王(ひこいますのみこ)を始祖(しそ;始まりの先祖)として、圧倒的な武力で、島根県を統治した物部(もののべ)氏の忘れ去られた歴史を蘇(よみがえ)らせた。
天足彦国押人命(あまたりひこくにおしひとのみこと;彦坐王(ひこいますのみこ)を祖先化)の子孫の和珥(わに)氏は、理論的に物部(もののべ)氏と海部(あまべ)氏を同族として、僕の自論で彦坐王(ひこいますのみこ)の子孫全てを古代太陽神氏族の和珥(わに)氏で、一括(ひとくく)りにまとめ上げた。
6世紀頃に和珥(わに)氏は、春日(かすが)氏や柿本(かきのもと)氏や小野(おの)氏などに分家して、柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)や小野妹子(おののいもこ)や小野小町(おののこまち)などを輩出して、『ホツマツタエ』が和珥(わに)氏の分家を記すため、6世紀以降に成立した書物と証明された。
藤原不比等(ふじわらのふひと)は、「記紀」の総合監督で、彦坐王(ひこいますのみこ)の子孫の海部(あまべ)氏と物部(もののべ)氏を隠して、物部(もののべ)氏の子孫の千家(せんげ)氏と竹内(たけうち)氏も隠して、藤原氏が物部(もののべ)氏と同族も隠して、徹底的な偽装工作をほどこしたが僕を騙(だま)せなくて、史実・真実・事実を求めた。
藤原不比等(ふじわらのふひと)は、斉明(さいめい)天皇5年(西暦659年)に島根県松江市大庭町から霊亀2年(西暦716年)に今の島根県出雲市大社町杵築に出雲大社を遷宮させて、養老3年(西暦719年)に京都府宮津市の元伊勢籠(この)神社を創建させて、本殿が神明造(しんめいづくり)を採用して、千家(せんげ)氏と海部(あまべ)氏の弱体化をさせたと考えられる。
日本のアーサー王の彦坐王(ひこいますのみこ)は、藤原不比等(ふじわらのふひと)が「記紀」で隠した伝説的英雄で、アーサー王のように非常に多くの功績を持つ。
<参考文献>
『日本書紀(上)全現代語訳―全二巻―』
宇治谷孟・著者 株式会社講談社・発行
『ホツマ辞典』
池田満・著者 ホツマ刊行会・発行
『別冊歴史読本K 新視点 古代豪族の研究』
株式会社新人物往来社・発行
インターネットの不明サイトから少々拝借
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