王女の卑弥呼共立
『新羅本紀(しらぎほんき)』8代目・阿達羅尼師今(アダラ・イサグム)20年5月(西暦173年6月頃)に「倭(わ)の女王の卑弥乎(ひみこ)が遣使して聘(め)して来た」と記して、卑弥乎(ひみこ)が卑弥呼(ひみこ)の書き間違いである。
『新羅本紀(しらぎほんき)』は、12世紀以降にできて、『三国志・魏志倭人伝』の影響で、使者が卑弥呼(ひみこ)の倭姫命(やまとひめのみこと)の名前で朝貢して、斎王(さいおう;太陽神に仕(つか)える未婚の皇女)になる前だが、仮(かり)の卑弥呼(ひみこ)共立の前年で、3つ子の長子で特別視して、政治に参加した可能性も考えられる。
垂仁(すいにん)天皇22年12月28日(西暦174年1月下旬頃)に皇女の倭姫命(やまとひめのみこと)は、2代目の伊勢神宮の斎王(さいおう;太陽神に奉仕する未婚の皇女)見習いとなるため、若子(わかご)親子が共に伊勢国(三重県中部)に向かった。
天鈿女命(あめのうずめのみこと)は、倭姫命(やまとひめのみこと)の髪を大垂髪(おおすべらかし)にゆい上げるために、髪をほどいて落とした間に年が明けて、初日(2月上旬頃)が明けると共に小原を立って、伊勢の高宮(たかみや)に入って、初代の斎王(さいおう)の豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)に仕(つか)えた。これは2代目の伊勢神宮斎王(さいおう)の見習い任命で、仮(かり)の卑弥呼(ひみこ)共立である。
卑弥呼(ひみこ)が歴史に登場したのは、西暦173年の卑弥乎(ひみこ)の初見か、翌年174年の倭姫命(やまとひめのみこと)を伊勢神宮斎王の選定(仮の卑弥呼(ひみこ)共立)した時で、176年に倭姫命(やまとひめのみこと)を正式に2代目の伊勢神宮斎王に任命(正式な卑弥呼(ひみこ)共立)した。
若子(わかご)親子とは、伊勢神宮宮司家の度会(わたらい)氏の人物と考えられて、参考文献『新編 姓氏家系辞書』(著者・太田亮 発行・株式会社秋田書店)に大若子命(おおわかごのみこと)と弟の乙若子命(おとわかごのみこと)が記されて、この人物の関係が兄弟でなく、『ホツマツタエ』の親子の可能性が高い。
度会(わたらい)氏の祖先神は、天児屋命(あまのこやねのみこと)か天御雲命(あめのみくものみこと)の息子の天牟羅雲命(あめのむらくものみこと)で、平安時代の藤原氏と近縁氏族で、古代天皇家の派生氏族でもあって、京都府宮津市の元伊勢籠(この)神社宮司家の海部(あまべ)氏が祖先神に天村雲命(あめのむらくものみこと)がいて、神名が同じだけで全く別の神様である。
伊勢の高宮(たかみや)は、元伊勢の飯野高宮(いいのたかみや)で、候補地が幾つもあって、どこが正しいか分からない。
大垂髪(おおすべらかし)は、「おすべらかし」とも言って、平安時代の貴族女性の髪形で、特別に何もせず長髪を垂(た)らした状態を差すこともあって、現在の皇室の宮中祭祀で皇族女性がする髪形でもあって、ツタンカーメンの黄金のマスクが表裏で大垂髪(おおすべらかし)の髪型とそっくりである。
垂仁(すいにん)天皇23年1月1日(西暦174年2月上旬頃)の天鈿女命(あめのうずめのみこと)は、天岩戸隠(あまのいわとかく)れ神話に猿田彦(さるたひこ)の妻の天鈿女命(あめのうずめのみこと)で登場して、猿田彦神(さるたひこのかみ)も垂仁天皇26年(西暦177年)に登場して、猿田彦神(さるたひこのかみ)と天鈿女命(あめのうずめのみこと)の夫婦が2組を神格化した証拠である。
つまり西暦170年代と西暦263年頃の天岩戸隠(あまのいわとかく)れ神話は、時代的に考えておかしくて、2組の猿田彦神(さるたひこのかみ)と天鈿女命(あめのうずめのみこと)の夫婦を神格化したと考えられる。
垂仁(すいにん)天皇25年3月8日(西暦176年4月上旬頃)に豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)は、102才で斎王(さいおう)を続けられなくて、倭姫命(やまとひめのみこと)に見習わせて2代目の斎王として、念願だった大内(おうち)の大巫女(おみこ;正式な斎王)になった。
卑弥呼(ひみこ)の倭姫命(やまとひめのみこと)は、女王国(伊勢国)で正式な伊勢神宮の斎王(さいおう)になって、皇女を女王と勘違いして、鬼道(神道)で皆を導いて、正式な卑弥呼(ひみこ)共立である。
倭姫命(やまとひめのみこと)の伊勢神宮の斎王(さいおう)任命が卑弥呼(ひみこ)共立で、皇女を女王と古代中国人が勘違いして、現代人がそれを受け継いで、僕が正しい事実を突き止めた。
王女の卑弥呼(ひみこ)共立は、倭姫命(やまとひめのみこと)の伊勢神宮の斎王(さいおう)任命で間違いなくて、『ホツマツタエ』を完全解釈できる僕以外に求められなかった。
<参考文献>
『古代日本史への挑戦』
著者・僕 発行・株式会社オカムラ
『続・私の半生と古代日本史』
著者・僕 発行・株式会社オカムラ
『日本書紀(上)(下)全現代語訳―全二巻―』
著者・宇治谷孟 発行・株式会社講談社
『古事記(上)(中)(下)―全三巻―』
著者・次田真幸 発行・株式会社講談社
『完訳秀真伝(上巻)(下巻)』
編著者・鳥居礼 発行・八幡書店
『ホツマ辞典』
著者・池田満 発行・ホツマ刊行会
『新訂 魏志倭人伝 他三篇―中国正史日本伝(1)―』
編訳者・石原道博 発行・株式会社岩波書店
インターネットの不明サイトから少々拝借
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