僕の閃(ひらめ)きのスピード
僕が最初に古代に興味を持ったのは、一成(いっせい)保育園の年長組で、恐竜のポケット図鑑をもらった時で、当時のティラノサウルスやイグアノドンなどが人間の二足歩行の姿と同じだが、体重が重すぎて潰(つぶ)れるため、今のジュラシックパークなどの姿になって、これが僕の古代への憧(あこが)れになった。
隣の恐竜王国の福井県は、見に行ったことが一度もなくて、隣の兵庫県丹波(たんば)市で、日本最大の恐竜の丹波竜(たんばりゅう)や世界最小である恐竜の卵の化石などが出土して、福知山市夜久野町(やくのちょう)のアンモナイトや3万6千年前の旧石器時代の遺跡である稚児野(ちごの)遺跡なども、現物を見たことがないが、小さい頃に福井県の三方五湖(みかたごこ)を見に行った。
修斉(しゅうせい)小学校中学年で僕は、宇宙の天文学や古生物学などに興味を持って、天文学の授業に興味を待って、科学的に証明する大切さに気付いて、小学校低学年で見たアニメの『聖闘士(セイント)星矢』が放送終了したと思うが、星座の聖衣(クロス)を纏(まと)う内容が好きで、僕が星座に興味を持った理由の一つかもしれない。
修斉(しゅうせい)小学校高学年で僕は、歴史の授業を習って、縄文時代から古墳時代や邪馬台国(やまたいこく)論争が特に好きで、縄文土器などを集めたり、古墳や邪馬台国(やまたいこく)論争の新聞記事を切り抜いたが、当時の僕の考え方が凡人(僕以外の人間)レベルで、認識力や判断力などに差がなくて、考古学で科学的に証明する大切さを理解してないと思う。
小学校高学年の歴史の授業は、修斉(しゅうせい)小学校の視聴覚室に外部から講師を招いて、1986年(昭和61年)に福知山市東羽合町(ひがしはごうちょう)の4世紀後半の広峯(ひろみね)15号墳から出土した「景初(けいしょ)4年(西暦240年)」の年号が入った三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)を含(ふく)めた講義をして、邪馬台国(やまたいこく)論争への興味に繋(つな)がった。
僕は小学校高学年か中学生で、古代中国の故事の「矛盾(コントラダクション;Contradiction)」を学んで、僕の自己矛盾の考え方を生み出して、後に矛盾が地動説と進化論と相対性理論と僕の歴史研究の4例がコペルニクス的転回(非常識な考え方の集合体)の基礎の考え方と気付いて、成長して現代哲学理論「現象学」などと結び付いて、僕の考え方が超成長した「きっかけ」である。
成和(せいわ)中学生の僕は、世間で話題になった超古代文明の本『神々の指紋(しもん)』を買って、これが漢字以前の時代の古代文字である神代(しんだい)文字や神道の古代信仰などを理解して、超古代文明的な分野…オカルト系と言うが、僕の考え方の下地を生み出す大切な土壌で、重要な分岐点だった。
大江(おおえ)高校生の修学旅行中に僕は、一緒に暮らす祖父の死に目に会えず、その後に家族にも言わないで塞(ふさ)ぎ込んで、命・魂・精神・戦争・平和の分野を考えて、人間的に大きく成長したが、自殺願望を生み出す「きっかけ」にもなって、神道やキリスト教などの宗教観、太平洋戦争の日本人の償(つぐな)いなど、大きく考える下地になった。
ここまでの僕は、一成(いっせい)保育園の年長組の恐竜、修斉(しゅうせい)小学校中学年の天文学、修斉(しゅうせい)小学校高学年の考古学、成和(せいわ)中学生の超古代文明の本、大江(おおえ)高校生で死に目に会えなかった祖父の死などを経験して、それで僕が歴史研究を始めて、日本神話の神々の領域…神域を求めて、神話化と神格化を証明する考え方が完成して、こんな考え方を凡人(僕以外の人間)が簡単に形作れない。
短大生時代に僕は、アダルトゲーム(美少女ゲーム)の『神語(かんがたり)』をプレイして、日本神話で双璧の軍神(いくさがみ)の経津主神(ふつぬしのかみ)と武甕槌神(たけみかづちのかみ)と神刀の布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)などに強い興味を持って、これが日本神話に深く興味を持った理由で、出雲王国(物部(もののべ)氏)を求めて、自分に無い強さ(武力)に憧(あこが)れた。
出雲王国(物部(もののべ)氏)の強さ(武力)への憧(あこが)れは、2002年10月中旬から下旬頃に参考文献『BooksEsoterica第2号 神道の本 八百万の神々がつどう秘教的祭祀の世界』を読んだからと思うが、双璧の軍神(いくさがみ)の経津主神(ふつぬしのかみ)や武甕槌神(たけみかづちのかみ)と神刀の布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)の興味を呼び戻して、さらに神道の魂振(みたまふり)や鎮魂(みたましずめ)などの霊魂に興味を持った。
これは歴史研究の始まりまでの僕の記憶で、詳細な前後関係を書き直して、他人が理解しやすいように時系列で書いて、他人(僕以外の人間)が超天才の僕を理解する一助として、後世の研究者に伝える教本の役割もある。
参考文献『BooksEsoterica第2号 神道の本 八百万の神々がつどう秘教的祭祀の世界』は、歴史研究の開始前に買ったと思うが、自分の記憶に十分な自信がない。
僕の歴史研究の開始日は、2002年10月下旬頃にTSUTAYA AVIX福知山店で、『日本書紀(上)(下)全現代語訳―全二巻―』(著者・宇治谷孟 発行・株式会社講談社)と『古事記(上)(中)(下)―全三巻―』(著者・次田真幸 発行・株式会社講談社)を買って、防犯カメラの映像が残っていれば、僕の歴史研究の開始日を特定できる。
僕が「記紀」の現代語訳本を買った日は、垂仁(すいにん)天皇26年9月16日(西暦177年10月中旬頃)の伊勢神宮内宮の最終遷宮日と合致するか不明で、旧暦年月日と西暦年月日の修正で、合致する可能性があって、古代天皇家の歴史を証明した超天才の僕と伊勢神宮内宮が関係するのも当然である。
僕は数日間で「記紀」の現代語訳本を流し読みして、おそらく11月上旬頃に『日本書紀』の伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の黄泉国下(よみのくにくだ)り神話と『古事記』の狭穂彦王(さほひこのみこ)の反乱が合致して、合致を数日間で特定して、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が黄泉平坂(よもつひらさか)を登り逃げる所と狭穂姫(さほひめ)が誉津別命(ほむつわけのみこと)を兵士に渡して稲城に入る所が合致すると気付いた。
僕が気付いた共通性は、実話(現実に起きた出来事)を神話化したのが日本神話の可能性に気付いて、数日間での特定が絶対に間違いなくて、日本神話と古代天皇家の歴史の面白さが歴史研究に打ち込む「きっかけ」で、神話化と神格化の特定で、僕の歴史研究の基本ができて、天皇家の歴史の中で、最も重要な出来事で、後世まで語り継ぐ伝説の誕生である。
黄泉国下(よみのくにくだ)り神話の神格化は、伊弉諾尊(いざなぎのみこと;垂仁(すいにん)天皇を神格化)と伊弉冉尊(いざなみのみこと;狭穂姫(さほひめ)を神格化)と軻遇突智(かぐつち;狭穂彦王(さほひこのみこ)を神格化)を特定して、火夜子(ひよるこ;誉津別命(ほむつわけのみこと)を神格化)が特定できず、当時の僕の超感性が凄(すご)いと分かる。
この超感覚(超頭脳)は、僕が神の国・・・日本に生まれて、幼少から日本神話などを学んで、神道の神社や仏教の寺を参拝して、キリスト教のクリスマスを祝(いわ)って、上記に記した幼少から高校生までの人生経験が下地で、生み出された感性で、祖父の死で生まれた精神障害の統合失調症・・・自殺願望でなく、隠れた障害の発達障害や学習障害の類(たぐい)を疑うが、天性(生まれた時から持つ才能)でなく、元々の後天性(僕が成長して、人生経験で体得した才能)の才能が大きい。
黄泉国下(よみのくにくだ)り神話は、2007年9月に出版した最初の著書で、京都の民話『山姥(やまんば)と馬吉』に民間伝承したと記したが、他に誰も指摘していないらしい。
2002年12月頃に僕は、2世紀中頃の邪馬台国(大和国;やまとこく)論争の倭国大乱(わこくたいらん)が狭穂彦王(さほひこのみこ)の反乱で、黄泉国下(よみのくに)り神話に神話化した可能性を疑って、12月から翌年2003年1月頃まで大量の歴史書を買って、今の歴史書が合計100冊以上の合計30万円以上である。
僕が買った一番高価な本は、いつ購入したか不明で、消費税抜きの3万円した参考文献『完訳秀真伝 上巻下巻』(編著者・鳥居礼 発行・八幡書店)と、定価3万円で購入額2万7498円の参考文献『竹内文書・但馬故事記』(著者・亜郷清彦 発行・叶V国民社)の2冊である。
2003年1月頃に僕の直感は、日本神話と倭国大乱(わこくたいらん)を合致させて、『日本書紀』の黄泉国下(よみのくにくだ)り神話と『古事記』の狭穂彦王(さほひこのみこ)の反乱が合致するなら、2世紀中頃の垂仁(すいにん)天皇時代で、天照大神(あまてらすおおみかみ;倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)と月読尊(つくよみのみこと;景行(けいこう)天皇時代)が3世紀前半に実在で、素戔嗚尊(すさのおのみこと)が誰を神格化したか分からず、僕が何となく結論付けた。
2003年2月頃に僕は、邪馬台国(やまたいこく)論争を試行錯誤して、国生み神話が古代天皇家の勢力拡大の領土を示す可能性、2世紀中頃が垂仁(すいにん)天皇時代で、景行(けいこう)天皇時代が3世紀前半なら、崇神(すじん)天皇の非実在説があり得る可能性、天皇家の起源が衰退時期の後漢王朝とする説など、色々な考え方を巡らせて、僕の考え方が発展途上中だった。
2003年3月頃に僕は、『日本書紀』の神名と人名の末名の「尊(みこと)」と「命(みこと)」を特定して、神名が天皇皇后と重要人物を神格化して、人名が歴代天皇と国政執行した人物だけで、景行(けいこう)天皇の息子の成務(せいむ)天皇と日本武尊(やまとたけのみこと)を同一人物と疑(うたが)って、僕の直感が正しいと証明した。
『先代旧事本紀(せんだいくじほんき)』の神様の饒速日尊(にぎはやひのみこと)は、神名と人名の末名の「尊(みこと)」と「命(みこと)」が漢字の違いが『日本書紀』と共通で、『日本書紀』より後世にできた歴史書の可能性に気付いて、饒速日尊(にぎはやひのみこと)が物部(もののべ)の3人を神格化したのを特定した時期が分からないが、僕の能力の凄(すご)さを物語る。
2003年4月頃に僕は、欠史(けっし)八代の後半4世代が祖先化されたと特定して、孝安(こうあん)天皇から開化(かいか)天皇の4世代が崇神(すじん)天皇から日本武尊(やまとたけのみこと)の4世代を祖先化して、実在した4世代を先祖の系図に組み込んで、繋(つな)がらない先祖と子孫の系図をワザと繋(つな)いで、実在しない作られた系図が生まれたと求めて、祖先化と子孫化の方法が判明した。
2003年5月頃に僕は、僕が歴史研究を始めて約半年で、邪馬台国(大和国;やまとこく)論争を徹底的に研究して、1ヶ月ほどで成立した神技(かみわざ)で、2007年9月に出版した僕の最初の著書で、僕の自論を公表したが、当時の専門家(考古学会と歴史学会)が全く理解できない超知識だった。
専門家(考古学会と歴史学会)の北九州4ヶ国(北九州の属国)の定説は、属国に対比する古代地名を古代中国語でなく、現代日本語読みで当てはめて、末廬国(まつろこく)から不弥国(ふみこく)の4ヶ国を方角も対比地名も滅茶苦茶で、僕の自論の4ヶ国が方角も対比地名も見事に合致した。
崇神(すじん)天皇時代の四道(しどう)将軍の平定は、丹波(たんば;古代の京都府北中部)と吉備(きび;岡山県と広島県東部)と東海と北陸の平定で、四道(しどう)将軍の実在年代がバラバラで、一年で奈良県から東北地方南部まで往復して、理論的に考えておかしくて、僕の自論の詳細を省(はぶ)くが、別々の時代の将軍を崇神(すじん)天皇時代にまとめて、4地方を統一した平定の物語を作って、別の天皇時代にそれぞれが平定された。
「記紀」の皇族は、卑弥呼(ひみこ)が倭姫命(やまとひめのみこと)で、卑弥呼(ひみこ)の男弟(だんてい)が倭姫命(やまとひめのみこと)の実兄の景行(けいこう)天皇で、兄妹関係に疑問を抱いて、後に実兄を異母弟に訂正して、男王(だんおう)が日本武尊(やまとたけのみこと)で、台与(とよ)が神功(じんぐう)皇后と特定して、圧倒的な奇跡だった。
『私という存在』の記録は、垂仁(すいにん)天皇陵(垂仁(すいにん)天皇古墳)の纏向(まきむく)石塚古墳を特定できず、垂仁(すいにん)天皇か景行(けいこう)天皇の皇居を都市遺跡の纏向(まきむく)遺跡で、景行(けいこう)天皇陵(景行(けいこう)天皇古墳)を箸墓(はしはか)古墳に断定したようだが、十分な自信がなかった。
垂仁(すいにん)天皇32年(西暦183年)の埴輪(はにわ)と田道間守(たじまもり;祖別命(みおやわけのみこと)を祖先化)などは、邪馬台国(大和国;やまとこく)論争と考古学が合致して、「記紀」と『三国志・魏志倭人伝』の時期が合致するはずと考えて、僕の自論に自信を持ち始めた。
2003年6月頃に僕は、邪馬台国(大和国;やまとこく)論争の登場人物を皇族と特定して、1ヶ月以上かけて、倭(わ)の五王の定説が僕の比定した皇族と年代的にずれると判明して、5人の倭王(わおう)の人名を古代中国語読みで考えて、歴代天皇の国風諡号(しごう)も古代中国語読みを仮定して、僕の自論を作成して、見事に定説を打破した。
2003年7月頃に僕は、『古事記』の干支年(かんしねん)の崩年干支(ほうねんかんし)が西暦年と対比すると気付いて、『日本書紀』の干支年(かんしねん)が即位年と気付いて、干支(えと)の年から歴代天皇時代が特定できないかと考え始めた。
2003年7月から8月頃に僕は、自分の考え方が異常で、地動説のコペルニクスやガリレオや進化論のダーウィンや相対性理論のアインシュタイン博士と同じコペルニクス的転回(非常識な考え方の集合体)と同類の考え方で、後に哲学を学んで、コペルニクス的転回を現代哲学理論「現象学」で説明して、コペルニクス的転回を再定義した。
僕の歴史研究の超成長スピードは、あまりにも異常で、僕の超頭脳が目覚ましく発展して、僕が専門家(考古学会と歴史学会)と全く違う超天才と気付き始めて、僕が歴史研究に自信を付け始めたが、自分の超成長に不安を感じ始めた時期でもある。
2003年8月頃に僕は、『日本書紀』の干支年(かんしねん)を即位年干支(そくいねんかんし)と名付けて、神格化や祖先化などと対比して、西暦84年から329年までを確定して、後に即位年干支法(そくいねんかんしほう)と改名して、大和時代を再定義して、日本の建国年(天皇家誕生)から神功皇后の死去年までを大和時代と呼ぶことにした。
『日本書紀』の即位年干支法(そくいねんかんしほう)は、天日槍(あめのひぼこ;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)の子孫が西暦188年で合致して、摂政(せっしょう)39年が古代中国の魏(ぎ)王朝遣使の西暦239年に合致するなど、西暦年を知っていたと気付いたが、歴代天皇時代の西暦年の特定がバラバラで、気付いたのがいつ頃か分からない。
おそらく2003年中に僕は、『日本書紀』の仲哀天皇3年2月1日(西暦254年3月上旬頃)の国造(くにみやつこ;国主)の選定と仲哀天皇4年9月(西暦255年10月頃)の国造(くにみやつこ;国主)の任命を求めたが、2024年6月7日の午後9時頃に仲哀天皇4年2月1日(西暦255年3月上旬頃)と仲哀天皇5年9月(西暦256年10月頃)に修正して、たぶん20年以上たって判明したと思われる。
2003年9月頃に僕は、参考文献『アマテラスの誕生』(著者・筑紫申真 発行・株式会社講談社)を読んで、買った時期が不明で、古代太陽神の天照神(あまてるかみ)を再調査して、元伊勢内宮に行って、太陽の昇る方角に八岐大蛇(やまたのおろち)を祭る天龍(てんりゅう)・八岐龍(やまたのりゅう)神社の祠(ほこら)があると知って、八岐大蛇(やまたのおろち)が伊勢神宮横の五十鈴川(いすずがわ)を神格化した蛇神の滝祭神(たきまつりのかみ)を怪物視したと求めた。
英雄の素戔嗚尊(すさのおのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)は、邪神の八岐大蛇(やまたのおろち)を退治するが、逆転して邪神の素戔嗚尊(すさのおのみこと)が古代太陽神の八岐大蛇(やまたのおろち)を殺したと気付いて、僕の超感性が凄(すご)すぎて、この頃から男性と蛇体の古代太陽神に気付いた。
この頃の僕は、天御中主尊(あめのみなかぬしのみこと;崇神(すじん)天皇を神格化)から火火出見尊(ほほでみのみこと;仁徳(にんとく)天皇を神格化)までの神様の血筋を特定したが、他にどれほど求めたか分からなくて、『私という存在』などを見てほしい。
2003年11月頃に僕は、後漢王朝時代の銅鏡で、神宝の辺津鏡(へつかがみ)や沖津鏡(おきつかがみ)と東大寺山(古墳出土)鉄刀が後漢王朝から下賜(かし)されて、彦坐王(ひこいますのみこ)を始祖(しそ;始まりの先祖)とする古代太陽神氏族の和珥(わに)氏がもらったと判明して、僕の直感が凄(すご)すぎる。
2003年11月から12月頃に僕は、男性と蛇体の古代太陽神が存在すると確信して、古史古伝(こしこでん;「記紀」に反する書物)に古代太陽神の記述が多くあると注目して、『先代旧事本紀』の古代太陽神の饒速日尊(にぎはやひのみこと;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)を詳細に調べ始めて、『ホツマツタエ』や『竹内文書(たけのうちもんじょ)』などにも、興味を持ち始めた。
僕は12月頃に『先代旧事本紀』の『国造本紀』を重視して、東北地方南部から関東地方の古墳埋葬者を特定して、福島県会津盆地の前方後円墳の杵ヶ森(きねがもり)古墳と千葉県市原市の前方後円墳の神門(ごうど)古墳群も、古墳埋葬者を特定した。
2003年12月頃から翌年2004年1月頃に僕は、『倭姫命世紀(やまとひめのみことせいき)』に注目して、近畿地方を中心とする元伊勢、古代信仰の岩や川などを崇(あが)めること、御神体山をピラミッドとする可能性など、超古代文明的な要素に近づいて、『ホツマツタエ』に一歩近づいた。
2004年1月頃に僕は、古代太陽神氏族の和珥(わに)氏を求めて、伊勢神宮宮司家の度会(わたらい)氏、京都府宮津市の元伊勢籠(この)神社宮司家の海部(あまべ)氏、古代豪族で武家の物部(もののべ)氏、岐阜県の太陽信仰を崇(あが)めた彦坐王(ひこいますのみこ)の息子の神大根王(かみおおねのみこ)などを調べて、後に共通性を証明した。
2004年2月の上旬か中旬に僕は、ジャスコ(イオン)の当時の書店名が不明で、参考文献『ホツマ辞典』を買って、『ホツマツタエ』で、ヤマトヒメの異母弟が景行(けいこう)天皇と知って、卑弥呼(ひみこ;ヤマトヒメ)の男弟(だんてい;異母弟)の景行(けいこう)天皇が正しい血筋と判明して、『記紀』で景行(けいこう)天皇の実妹の倭姫命(やまとひめのみこと)が完全な偽装工作で、邪馬台国(大和国;やまとこく)論争がチェックメイトした。
『ホツマツタエ』は、漢字以前の時代の古代文字である神代(しんだい)文字で書かれたと信じて、「記紀」よりも古い日本最古の歴史書の可能性に気付いて、僕が超古代文明的な書物と考えて、後に最重要の歴史書になると知る由(よし)もなかった。
2004年5月8日の午後2時から3時頃の約一時間を僕は、京都府宮津市の元伊勢籠(この)神社の海部光彦(あまべみつひこ)宮司と対話して、僕の歴史研究を家族以外で、始めて話した人で、アインシュタイン博士が哲学者で、僕の話に哲学的な要素があって、哲学の勉強を僕に勧(すす)めて、まだ海部(あまべ)氏が彦坐王(ひこいますのみこ)の子孫と特定してなかった。
僕は最初の著書で、初代・火明命(ほあかりのみこと)が彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化して、2代目・火明命(ほあかりのみこと)が丹波道主王(たにはみちぬしのみこ)を神格化したと求めたが、2代目・火明命(ほあかりのみこと;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)が海部(あまべ)氏の祖先神で、僕の考え方が発展途上中だった。
2004年5月25日に僕は、参考文献『ホツマ辞典』を読んで、7代目タカミムスビ(武虎別皇子(たけこわけのみこ)を神格化)と娘のタクハタチチヒメ(神功(じんぐう)皇后を神格化)を特定して、タクハタチチヒメの弟(実弟か異母弟か、いまだに不明)がフツヌシやフトタマ(武渟川別(たけぬなかわわけ)を神格化)で、伯父(おじ)のスクナヒコナ(少彦男心命(すくなひこおこころのみこと)を神格化)も求めて、母方(母系)のアマテラス(神功(じんぐう)皇后を神格化)の血筋が判明した。
2004年7月から8月に僕は、『後漢書』と『三国志・魏志倭人伝』と『宋書』を僕自身が現代日本語訳した史料を纏(まと)めて、2004年9月から10月に『私という存在』の2冊のノートをまとめて、歴史研究の過程を時系列順に纏(まと)めて、自分の心の病気・・・精神的疾患なども記して、コペルニクス的転回(非常識な考え方の集合体)なども纏(まと)めて、非常に興味深い。
『私という存在』は、当時の僕の歴史研究が詳細に記録されて、当時の僕の勘違いや間違った考え方を含んで、後世に修正した過程も分かって、2冊の著書と出版してない本でも知れない貴重な情報が眠って、本当の真実を記したパンドラの箱で、後世の宝物として大切に保管してほしい。
2004年9月から10月に僕は、『私という存在』の2冊のノートを記して、垂仁(すいにん)天皇29年から39年(西暦180年から190年)まで、古代中国の後漢(ごかん)王朝の遣使(遣漢使;けんかんし:遣隋使や遣唐使に習(なら)って遣漢使と表現する)を特定して、田道間守(たじまもり)の常世国(とこよのくに)行きに物語を変更したと特定した。
2007年9月に出版した僕の最初の著書は、田道間守(たじまもり)が垂仁(すいにん)天皇の息子の祖別命(みおやわけのみこと)と特定してないが、娘の弟橘姫(おとたちばなひめ)が非常に重要な鍵(かぎ)と気付いて、全てを求める「きっかけ」になった。
同じく僕の最初の著書は、神武(じんむ)東征が仁徳(にんとく)東征の可能性が高いと疑(うたが)って、2023年7月21日の午後7時頃に神武(じんむ)東征(仁徳(にんとく)東征)の年代が確定して、僕の直感が正しかったことを証明して、僕の偉大な功績だが、未熟さの露呈(ろてい)でもある。
同じく僕の最初の著書は、垂仁(すいにん)天皇37年(西暦188年)や崇神(すじん)天皇60年が仲哀(ちゅうあい)天皇9年(西暦260年)など、旧暦年と西暦年が合致して、世界中で僕だけが『日本書紀』と『古事記』が西暦年を使ったと証明して、当時から僕の才能が特別だが、僕が自覚してない所もあった。
2009年6月に出版した僕の2冊目の著書は、僕の出生から歴史研究の過程まで、蛇体や男性の古代太陽神の証明、古代天皇家の考古学的証拠など、色々と詳細を分析・研究して、2冊の著書の分析・研究なども、後世の課題になるだろう。
僕はおそらく2010年代に現代哲学理論「現象学」の基礎を書いて、僕の考え方のコペルニクス的転回(非常識な考え方の集合体)「自己認識の再構築」を定義付けて、僕の考え方がノーベル物理学賞受賞者の中村修二博士と似て、自分や他人の考え方を根本的に分析・研究して、凡人(僕以外の人間)に教える教本が完成したと考えられる。
2012年1月に僕は、出雲王国の正体が物部(もののべ)氏と気付いて、そこから系図や特徴などが次々に判明して、完全な史実・真実・事実で、2025年5月18日に僕が記録したノートを見直して、求めた年月が判明した。
左足首を骨折して福知山市民病院に入院中した2016年1月1日に僕は、『ホツマツタエ』16章の完全解釈を終了して、今が行方(ゆくえ)不明の7冊目のノートを全て記し終えて、僕の出版してない本の一番最後の部分に当たる。
飛び下り自殺未遂して、もみじヶ丘病院に入院中の2021年11月9日に僕は、父方の天照大神(あまてらすおおみかみ;倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)の男系男子天皇でなく、母方の天照大神(あまてらすおおみかみ;神功(じんぐう)皇后を神格化)の女系男子天皇が今の皇室の血筋に繋(つな)がると気付いて、明らかな僕の怠慢(たいまん)だった。
母方の天照大神(あまてらすおおみかみ;神功(じんぐう)皇后を神格化)の女系男子天皇は、入院先に『日本書紀』の現代語訳本を持ち込んで研究して、2004年以前から特定に17年以上もかかって、僕の慢心(まんしん)や驕(おご)りが生み出した結果で、自分の不甲斐(ふがい)なさに呆(あき)れた。
2022年6月1日の午前5時45分頃に僕は、日本武尊(やまとたけのみこと)の不倫を完全に求めて、不倫を神格化した素戔嗚尊(すさのおのみこと)や異母兄弟の大碓命(おおうすのみこと)に擦(なす)り付けて、皇太子や天皇を異母兄弟の成務(せいむ)天皇に押し付けて、逆賊を祖先化した武埴安彦命(はにやすひこのみこと)に被(かぶ)せて、都合の悪い事実を全部隠して、悲劇的英雄の仮面を偽装工作した。
『ホツマツタエ』のスサノヲ(日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)は、不倫して反乱(皇位継承権争い)を起こした国賊で、皇太子で皇族に認められない天皇にもなって、出雲の国譲(くにゆず)り神話で戦死して、出雲王国(物部(もののべ)氏)を崩壊させて、決して悲劇的英雄でなく、悪行の数々を生み出した元凶である。
日本武尊(やまとたけのみこと)の不倫は、元から予感があったが、求めるのに数時間がかかって、『ホツマツタエ』のスサノヲ(日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)の不倫を前から知って、当日にコクミ(日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)とクラコヒメ(弟橘姫(おとたちばなひめ)を神格化)の不倫を特定して、大いなる一歩だった。
2022年9月20日に僕は、卑弥呼(ひみこ)の倭姫命(やまとひめのみこと;)の殺害日や葬礼日と出雲王国(物部(もののべ)氏)の建国年などを特定して、一日かけて西暦年月の修正をして、長年の悲願をようやく達成して、大きな謎(なぞ)を暴(あば)いた。
倭姫命(やまとひめのみこと)の殺害日や葬礼日は、『ホツマツタエ』のヤマトタケの東海平定の年代とハニヤスヒコ(日本武尊(やまとたけのみこと)を祖先化)の反乱の年代を求めて、数時間で西暦年月を修正して、出雲王国(物部(もののべ)氏)の建国年が西暦94年の丹波(たんば;古代の京都府北中部)平定の翌年95年に出雲(島根県東部)を平定して、建国を数時間かけて特定して、当時に西暦100年の四国に渡る船舶(せんぱく;大型の舟)の建造を出雲に行く舟と勘違いしたが、後に訂正した。
2022年10月18日に僕は、前方後円墳をネット検索して、初代天皇の崇神(すじん)天皇陵(崇神(すじん)天皇古墳)が奈良県橿原市の瀬田(せた)遺跡の円形周溝墓(えんけいしゅうこうぼ)と判明して、天皇陵だから前方後円墳の形で、古代中国の歴史書『後漢書』に邪馬台国(大和国;やまとこく)が初めて登場する前の考古学的証拠で、一日かけて前方後円墳と瀬田(せた)遺跡の円形周溝墓(えんけいしゅうこうぼ)の記述を別々に纏(まと)めた。
神武(じんむ)天皇の即位年(紀元前660年)から武烈(ぶれつ)天皇8年(西暦506年)は、超天才の僕が崇神(すじん)天皇元年(西暦84年)から摂政(せっしょう)69年(西暦329年)まで特定して、明らかに干支年(かんしねん)と西暦年で、西暦330年から506年まで合致しなくて、考古学(遺跡・遺物)と歴史学(歴史書解釈)の齟齬(そご)が生まれた。
2023年5月20日頃に僕は、『ホツマツタエ』のアスス歴を解釈して、5月25日の午後5時頃に『古事記』の干支年(かんしねん)の崩年干支(ほうねんかんし)が正しいと求めて、6月16日の午前6時頃に本当の倭(わ)の五王を解釈した「歴代天皇の在位期間の対比図」を作成して、ようやく長年の謎(なぞ)を解(と)いた。
2023年5月27日に新宿の出版社の株式会社文芸社は、僕の手元にUSBと史料を送り返して、僕がUSB8つから9つの全てのデータを消して、史料の中に6冊目と7冊目のノートがなくて、僕が2000年代に神社巡りした日付入りと2015年11月に交通事故を起こした日付入りのノートの切れ端などがなくて、行方(ゆくえ)不明と結論付けて、精神的に不安定になった。
6月13日から7月5日まで僕は、ホームページを5回更新して、7月11日の午後4時から5時頃に文芸社に電話して縁切りして、4度目の飛び降り自殺未遂を計画して、ユーチューブのコヤッキースタジオが『竹内文書(たけのうちもんじょ)』を一般公開する暴露動画を出したこと、僕のノートパソコンを不正アクセスで買い替えたこと、6冊目と7冊目のノートが行方(ゆくえ)不明なことの3つが重なって、精神的に不安定になって、医療保護入院する「きっかけ」になった。
行方(ゆくえ)不明の6冊目と7冊目のノートは、数年規模で求めた史料で、僕がやる気を出せば、数ヶ月で求められる物だが、神話や神様の系図や特徴などが国家機密レベルの情報と考えられて、その所在の特定が非常に重要な意味・価値を秘めて、凡人(僕以外の人間)が簡単に想像できない重要度で、そこに記した神々の系図や特徴などが簡単に求められる物でない。
もみじヶ丘病院の医療保護入院は、2023年7月12日から8月31日で、7月21日の午後7時頃に僕が神武(じんむ)東征(仁徳(にんとく)東征)の年代を特定して、摂政(せっしょう)69年(西暦329年)が仁徳(にんとく)東征1年で、天皇不在の年の西暦333年が仁徳(にんとく)東征5年で、仁徳(にんとく)天皇元年(西暦334年)などが判明して、祖母の神功(じんぐう)皇后時代と孫の仁徳(にんとく)天皇時代が西暦年で、年代が完全に繋(つな)がった運命の瞬間だった。
2024年4月4日のクリニックまほらの診察から帰宅した僕は、「記紀」に出雲の建国神話がなくて、ネット検索で出た『出雲国風土記』の国引き神話が出雲の建国神話と求めて、出雲の創造神の八束水臣津野命(やつかみずおみつののみこと;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)を特定して、出雲王国(物部(もののべ)氏)の直系子孫が水神や海神に神格化したと証明して、この時に凄(すさ)まじすぎる数時間の高速処理をしたが、僕のパソコン入力の遅さが影響して、パソコン入力の従業員が必要と実感した。
2024年5月22日の午後10時半頃に僕は、『ホツマツタエ』の原本の『ミミノハ(耳の葉)』と『ミソギノフミ(禊(みそぎ)の文)』を調べて、古代中国の後漢(ごかん)王朝に遣使(遣漢使;けんかんし:遣隋使や遣唐使に基づいた僕の造語)して、使者が製紙業と漢字を学んで、景行(けいこう)天皇元年3月(西暦191年4月頃)に日本国内へ持ち帰ったと考えられる。
垂仁(すいにん)天皇29年から39年(西暦180年から190年)は、遣漢使(けんかんし)の使者が古代中国で、10年近く何もしなかったと考えられず、製紙業と漢字を学んだのが自然な考え方で、3世紀中頃の仲哀(ちゅうあい)天皇の死後に漢風諡号(しごう)を使用して、倭(わ)の五王の人名に安康(あんこう)天皇から武烈(ぶれつ)天皇が生前に漢風諡号(しごう)を使ったと考えられる。
2世紀後半の遣漢使(けんかんし)は、古代中国の後漢(ごかん)王朝で、製紙業と漢字を学んで、2025年1月23日に公表された高知県南国(なんこく)市の若宮ノ東(わかみやのひがし)遺跡で、「刻書(こくしょ;表面に文字を記す)土器」が3世紀前半頃の文字と考えられる。
2024年6月7日の午後から夜に僕は、『日本書紀』の景行(けいこう)天皇時代から仲哀(ちゅうあい)天皇時代の東国(中部地方から東北地方南部)平定の年代を中心に求めて、翌日8日の朝に『ホツマツタエ』の景行(けいこう)天皇時代で、東国(中部地方から東北地方南部)平定の年代を中心に求めた。
6月10日頃から26日までは、景行(けいこう)天皇60年(西暦250年)の東国の平定から仲哀(ちゅうあい)天皇9年2月22日(西暦260年3月下旬頃)までの年代の詳細な出来事の整理をして、『古代天皇家の年表』と『古代天皇家の歴史』の章の年代を上記に当てはめて、時系列に年代を整理した。
2024年7月28日の午後7時頃に前のノートパソコンは、新しいユーザーアカウントを作ったばかりなのに不具合が出て、後にサイバー攻撃の可能性に思い至って、8月7日頃に去年に行方(ゆくえ)不明になった6冊目と7冊目のノートが盗まれた可能性に気付いて、国家機密レベルの情報を盗まれた可能性に思い至って、これらの理由で精神的に追いつめられて、8月11日に任意入院することになった。
2024年8月8日は、「はは」の日で、母以外に羽羽(はは)と書いて、羽羽(はは)が古代に蛇を意味して、古代に蛇が太陽神で、「記紀」で天羽羽斬(あめのははきり)の神剣や天羽羽矢(あめのははや)の神様の矢などが登場して、この日の干支(えと)が今年の干支(えと)と同じ甲辰(きのえたつ)で、午前2時20分頃に僕のスマホで、僕のホームページが更新されたのを確認した。
2024年8月11日から9月11日までの一ヶ月間を僕は、もみじヶ丘病院に任意入院して、歴史研究の公表に向けて、研究・分析と方針の見直しをする時間になったが、6冊目と7冊目のノートが盗まれた可能性に気付いて、僕の精神的な支柱と自覚した。
2024年9月16日の午前10時頃に僕は、約5千年前に超古代文明時代のパソコンが存在して、聖徳太子が超古代文明時代のパソコンで、未来を見た可能性に気付いて、それで聖徳太子が未来の予言や『ホツマツタエ』の遺伝子レベルの超知識を記した可能性に気付いて、面白い想像力の行きすぎかもしれない。
2024年9月27日の午後3時頃に僕は、初めて『古代豪族の格付け』を記して、古代豪族の物部(もののべ)氏と千家(せんげ)氏と海部(あまべ)氏と竹内(たけうち)氏が現代まで系図が続いて、氏族の特徴や特色などを詳細に分析・研究して、天皇家(皇室)に次ぐ2番目から5番目の古代豪族の序列を決めて、凡人(僕以外の人間)の指標とした。
2024年9月29日の午後3時頃に僕は、初めて『僕がよく使う歴史書4選』を記して、1番使う『ホツマツタエ』と2番目の『日本書紀』と3番目の『古事記』と4番目の正統『竹内文書(たけのうちもんじょ)』の順番で格付けして、僕が重要性と独断などの判断で選んで、元々の僕のホームページでも、『僕のよく用いる歴史書』の段落がその順番だった。
2023年7月21日の午後7時頃に僕は、神武(じんむ)東征(仁徳(にんとく)東征)の年代を特定したが、2024年10月6日に『日本書紀』の神武(じんむ)天皇元年(紀元前660年)の干支年(かんしねん)を調べて、神武(じんむ)東征(仁徳(にんとく)東征)の後に2年間の奈良県の平定を見逃したとに気付いて、明らかな僕の怠慢(たいまん)である。
これで僕は、日本最古の神話である饒速日命(にぎはやひのみこと;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)の河内(かわち;古代の大阪府東部)の天孫降臨神話が西暦81年から83年に収(おさ)まること、初代天皇・崇神(すじん)天皇の日本の建国(天皇家誕生)前に奈良県を平定したこと、仁徳(にんとく)天皇時代の正しい年代の把握など、改めた自分の認識力が大爆発して、色々と考え方を革新した。
2024年9月下旬頃から僕は、『古代天皇家の年表』の章で日本神話や神々の記述を赤字で記し始めて、10月22日の午後1時半頃に歴史学会(歴史書解釈)の定説と僕の自論の年代修正を緑字で記し終えて、黒字と青字と赤字と緑字の4種類の文字の色で区別して、古代天皇家の年表をかなり把握やすくなったと思う。
2024年12月から2025年2月中に僕は、日本神話の神々の記述を修正や追加して、天照大神(あまてらすおおみかみ)と月読尊(つくよみのみこと)と素戔嗚尊(すさのおのみこと)と豊受大神(とようけおおかみ)と菊理媛神(くくりひめのかみ)と兵主神(つわものぬしのかみ)と天児屋根命(あまのこやねのみこと)と天忍雲命(あめのおしくものみこと)と天種子(あめたねこ)と嶋津彦命(しまつひこのみこと)の一族と龍蛇神(りゅうじゃしん)などを記したが、ホームページに記さない神様が多い。
2025年5月30日の午前7時半頃に僕は、『思兼神(おもいかねのかみ)と天手力雄神(あめのたぢからおのかみ)』の章を記して、垂仁(すいにん)天皇29年から39年(西暦180年から190年)に古代中国の後漢(ごかん)王朝の遣使(遣漢使;けんかんし:遣隋使や遣唐使に基づいた僕の造語)で、物部十市根(もののべのといちね)が太陰太陽暦を学んだと考えられて、全体の文章を8月10日の午前9時20分頃に修正した。
『ホツマツタエ』のオモイカネ(物部十市根(もののべのといちね)を神格化)は、暦(こよみ)を学んだ神様で、物部十市根(もののべのといちね)が古代中国で、太陰太陽暦を学んで、息子の物部夏花(もののべのなつはな)が日本か古代中国で生まれて、景行(けいこう)天皇元年3月(西暦191年4月頃)に帰国して、西暦190年代に4代目出雲国王に即位したと考えられる。
『ホツマツタエ』のオモイカネ(物部十市根(もののべのといちね)を神格化)の暦(こよみ)は、遣漢使(けんかんし)の太陰太陽暦の学習と合致して、日本神話と実話(現実に起きた出来事)が合致して、日本神話が古代天皇家の歴史を神話化した結論になる。
2022年6月1日の午前5時45分頃に僕は、日本武尊(やまとたけのみこと)の不倫の事実を完全に求めて、素戔嗚尊(すさのおのみこと)と胡久美(こくみ)と開化(かいか)天皇と大碓命(おおうすのみこと)の不倫の4例を求めて、2025年3月4日の午前7時台に日本武尊(やまとたけのみこと)の不倫を告発した年月をようやく特定した。
僕は2002年10月頃に歴史研究を始めて、最初に黄泉国下(よみのくにくだ)り神話が2代目出雲国王の狭穂彦王(さほひこのみこ)の反乱(『三国志・魏志倭人伝』の倭国大乱(わこくたいらん)と特定して、2012年1月に出雲王国(物部(もののべ)氏)を特定して、2024年4月4日に出雲の建国神話(出雲の国引き神話)を特定して、2025年6月10日頃から出雲大社の記述を大幅に修正して、20年以上も出雲に縁(えん)がある。
2025年6月10日頃から僕は、出雲大社の記述を大幅に修正して、『出雲大社』の章から『熊野大社と熊野三山』の章を分けて、出雲王国(物部(もののべ)氏)の歴代出雲国王の生没年月や色々な情報の特定など、短時間で圧倒的な超頭脳や超知識の発展があった。
2025年6月14日に僕は、『前方後円墳と古墳時代の始まり』の章を大きく修正して、弥生時代と古墳時代の墓(はか)などの再定義をして、6月17日に『時代区分の概念化』の章を大きく修正して、時代区分の弥生時代や古墳時代を僕の自論の時代区分に再定義したりして、専門家(考古学会と歴史学会)を大きく巻き込むと考えられる。
2025年8月9日の午後に僕は、『武内宿禰(たけのうちのすくね)』の記述中に西暦320年の三韓(さんかん)征伐(新羅国(しらぎのくに)と高句麗国(こうくりのくに)と百済国(くだらのくに)の3国の討伐)と西暦322年の新羅国(しらぎのくに)討伐が事実(現実に起きた出来事)と気付いて、『古代天皇家の歴史』の前部分「日本神話や中韓との断交理由」を2ヶ月以上かけて纏(まと)めて、今までの歴史研究の下地を統一した史料を作った。
2025年8月中旬から下旬頃に僕は、神武(じんむ)東征神話から神武(じんむ)天皇即位を再定義して、神武(じんむ)東征神話の次の神武(じんむ)統一神話(崇神(すじん)統一神話)と神武(じんむ)即位神話(崇神(すじん)即位神話と仁徳(にんとく)即位神話)を定義付けて、新しい僕の作った造語である。
2025年8月26日の午前11時半頃に僕は、『熊野大社』の題名を『熊野大社と熊野三山』に変更して、熊野の神名や神社名や神様などを詳細に調査・研究して、出雲王国(物部(もののべ)氏)との関連性をまとめて記した。
2025年9月1日の午前4時頃に僕は、熱田(あつた)神宮の創建理由を求めて、熱田(あつた)神宮を創建した尾張(おわり)氏の関連史料を2025年9月2日に記して、神社としての『熱田(あつた)神宮』の史料を9月11日の午前4時10分頃まで、何度も修正し続けた。
2025年9月3日の午前11時頃に僕は、集中的に『ホツマツタエ』の神武(じんむ)天皇と綏靖(すいぜい)天皇の時代を求めて、神武(じんむ)天皇30年(アスス87年)が崇神(すじん)天皇37年(西暦120年)と垂仁(すいにん)天皇7年(西暦158年)で、綏靖(すいぜい)反乱1年から4年(紀元前585年から582年)が垂仁(すいにん)天皇4年から7年(西暦155年から158年)に修正すると求めた。
2025年9月4日の午前10時頃に僕は、太陽神の性質(性格)変化を記して、9月15日の午前6時すぎに古代太陽神の属性を記して、性質が物事や人間が持つ固有の特徴や属性を指す言葉で、対象を理解して分析や評価するための基準を指して、属性が一般にある物に共通して、備(そな)わる性質や特徴で、性質と属性の区別が難しいが、男性と女性や古代と現代の太陽神の性質(性格)変化、古代太陽神の男性や蛇体の属性などをまとめた。
2025年9月6日から数日間は、『ホツマツタエ(秀真伝)』と2つの原本の『ミソギノフミ(禊(みそぎ)の文(ふみ)』と『ミミノハ(耳の葉)』の歴史や成立過程などを記して、『ホツマツタエ』16章が子宮の中で、胎児の何ヶ月目の様子を記して、現代医学の超知識で、精子が骨や脂肪で、卵子が血液や内臓になると記して、未来の遺伝子レベルの超知識で、『ホツマツタエ』の成立に関係する聖徳太子の非実在説が存在するが、本当に実在したと確信した。
2025年9月7日の午前7時半頃に僕は、垂仁(すいにん)天皇5年6月1日から7年7月8日(西暦156年7月上旬頃から158年8月上旬頃)までの狭穂彦王(さほひこのみこ)の反乱(皇位継承権争い;倭国大乱:わこくたいらん)で、狭穂彦王(さほひこのみこ)の実妹で、皇后の狭穂姫(さほひめ)が実兄と不貞(ふてい)関係の疑(うたが)いの皇子を出産して、それで謀反(むほん)を計画して、当麻蹶速(たえまのくえはや)が狭穂彦王(さほひこのみこ)の息子と判明して、大きな革命である。
不倫(ふりん)は、一般的に既婚者(きこんしゃ;配偶者のある人)が配偶者以外の人と交際関係を持つことを指して、特に男女関係の不道徳な関係を意味して、浮気(うわき)と区別して、不貞(ふてい)を既婚者(きこんしゃ)が配偶者以外の異性と性的な関係を持つことで、不貞(ふてい)行為と不倫(ふりん)が同義ともされて、実兄妹の狭穂彦王(さほひこのみこ)と狭穂姫(さほひめ)が結婚前の性的関係で、不貞(ふてい)行為でないが、息子の誉津別命(ほむつわけのみこと)がどちらの子か不明で、不貞(ふてい)行為と認識すべきである。
2025年9月13日の午後6時半頃に僕は、今まで明記しなかった出雲王家(物部(もののべ)氏)と千家(せんげ)氏と竹内(たけうち)氏と海部(あまべ)氏と尾張(おわり)氏などが分家した時期を記して、9月20日頃まで分家の記述を何度も修正して、9月18日の午後2時頃に京都府京丹後市が3世紀中頃から5世紀前半頃まで、海部(あまべ)氏の先祖の居住地だった可能性を求めた。
2025年9月15日の午後0時40分頃に僕は、宮内庁(天皇家を司(つかさど)る省庁)が皇室の祖先神や天皇や皇后や皇族の墓(はか)と定めた陵墓や考古学的証拠を国宝と重文(重要文化財)に指定する理由を説明して、『国宝と重文(重要文化財)の指定』の章を記した。
2025年9月20日に僕は、武家の大伴(おおとも)氏と久米(くめ)氏が同族で、祖先神や実在系図の矛盾(むじゅん)などを詳細に説明して、彦坐王(ひこいますのみこ)の子孫の古代太陽神氏族と別の系譜と特定した。
2025年9月22日の昼食中に僕は、崇神(すじん)天皇58年8月(西暦141年9月頃)に朝鮮半島の加羅国(からのくに)の王子の都怒我阿羅斯等(つのがあらしと)が来日して、朝鮮半島から鉄製品を輸入して、日本海側の京都府と兵庫県と鳥取県と島根県で、弥生時代後期に鉄製品が大量出土して、景行(けいこう)天皇12年から19年(西暦202年から209年)に九州全土を平定して、弥生時代の北九州の鉄製品が出土数を全国一位で、古墳時代初頭から奈良県周辺で、鉄製品が大量出土して、鉄製品急増の理由を求めた革命である。
2025年10月6日の午前2時半頃に僕は、夢で微睡(まどろ)みながら、物部(もののべ)氏の名字(みょうじ)に違和感を覚えて、起きて記述をまとめながら、垂仁(すいにん)天皇時代か景行(けいこう)天皇時代に野見宿禰(のみのすくね)が物部(もののべ)氏の名字(みょうじ)を名乗って、時代背景なども特定して、後に他の氏族が名字(みょうじ)を名乗った時期も求めた。
3冊目の本を作成し始めた時期は、2009年6月に2冊目の著書を出版した後で、2010年6月何日かに作成した『3冊目の本』のプロパティが新しいWordのファイル形式で、保存したために以前のプロパティが見られなくなったか、または保存ディスクを変更し続けたために見られなくなったと考えられて、3冊目の本で、『古代天皇家の歴史』の章が一番多く記す。
『古代天皇家の歴史』の章は、いつから記すか分からなくて、2025年8月9日の午後から、本章の前部分「日本神話や中韓との断交理由」を記録し始めて、2ヶ月後の10月13日の時点で、Wordで105ページ以上の何万文字か分からず、超高レベルな内容に自分でも驚愕(きょうがく)する。
2025年10月16日(木)の午後0時36分は、ホームページを更新して、後の10月17日から19日に自殺願望で、精神的に不安定になって、10月20日から24日にデイケアに通(かよ)って、10月23日(木)にクリニックまほらの主治医の診察を受けた。
自宅の台所にある2025年のカレンダーは、人と電気をつなぐニシムラ株式会社の物で、10月のカレンダーが心の漢字を共通して記して、10月13日(月)が猜疑心(さいぎしん)で、僕がユーチューブを見て、日本国政府を疑(うたが)って、歴史研究のホームページ更新を計画して、10月16日が自負心(じふしん)で、ホームページの歴史研究を更新して、自分に自信を持った。
10月18日(土)のカレンダーの羞恥心(しゅうちしん)は、恥(はじ)をかくことを嫌(いや)がる心で、自殺願望が出て、福知山市街に繰(く)り出した恥(は)ずかしい行動で、10月23日の投機心(とうきしん)が成否を分からないが、思いきって実行しようとする心で、クリニックまほらの主治医の診察当日で、色々と相談して、訪問看護の説明を受ける「きっかけ」になって、デイケアの帰宅後に福知山公立大学の小山元孝(こやまもとたか)教授(専門分野は地域史と宗教史とデジタルアーカイブ)にメールを送って、成功するか分からない挑戦をした。
10月27日(月)のカレンダーの名誉心(めいよしん)は、誉(ほまれ)を重(おも)んじる心で、僕が色々な所に送るメールを作成して、決して誰(だれ)にもできない奇跡の歴史研究の史料が人知れず誉(ほ)められて、10月28日(火)の勇猛心(ゆうもうしん)が勇(いさ)み猛(たけ)る僕が送信するメールの挑戦を意味して、10月29日(水)の利己心(りこしん)が他人より自分のことを優先する自己中心的な意味で、倭国大乱(わこくたいらん)を他人でなく、自分のために求める意味が大きい。
10月30日(木)のカレンダーの廉恥心(れんちしん)は、清(きよ)らかで恥(はじ)を知る心で、「廉(れん)」が思い切り良くて潔(いさぎよ)いことで、「恥(ち)」が恥(は)ずかしいことで、「心(しん)」が精神や気持ちを表(あらわ)わす漢字で、羞恥心(しゅうちしん)が恥(はじ)をかくことを嫌(いや)がる心で、全(まった)く違って、10月30日に僕が廉恥心(れんちしん)の関係した行動を起こす可能性があって、自分の恥(はじ)を知りながら、清(きよ)らかに死に逝(ゆ)きたいと考えた。
廉恥心(れんちしん)は、世界中の人々が古代天皇家の歴史を無知な自分の恥(はじ)を知って、清(きよ)らかに超天才の僕が求めた超知識に学んで、一から勉強し直す「きっかけ」である。
僕の閃(ひらめ)きのスピードは、歴史研究で数秒から数時間ほどの短時間や20年以上もかかった時まで色々で、他人に言葉や感覚で説明しても理解できず、体得できない未知の感覚を説明できなくて、僕本人にしか分からない超頭脳(超感覚)で、今でも現在進行形で、超知識が判明し続けて、2025年8月9日の午後以降が特に凄(すさ)まじすぎる。
伝説的なイエス・キリストや聖徳太子は、存在しない非実在説があるが、僕が生きる伝説の英雄(武勇や才知などが優秀で、凡人にできないような事柄を成し遂げた人物)で、万能の天才レオナルド・ダ・ヴィンチや発明王トーマス・エジソンや20世紀最高の天才アルバート・アインシュタイン博士なども超越して、類稀(たぐいまれ)な神レベルの存在で、日本神話の神々の領域…神域を求めた意味で、神様に最も近い人間で、あまりに超越した奇跡の存在である。
僕の閃(ひらめ)きのスピードは、2002年から2004年までを『私という存在』のノートを中心に記して、それ以降の年月日が僕の2冊目の著書や日記や史料などに基づく。
<参考文献>
『BooksEsoterica第2号 神道の本 八百万の神々がつどう秘教的祭祀の世界』
発行・株式会社学習研究社
『私という存在』
著者・僕
『続・私の半生と古代日本史』
著者・僕 発行・株式会社オカムラ
『完訳秀真伝』
編著者・鳥居礼 発行・八幡書店
『ホツマ辞典』
著者・池田満 発行・ホツマ刊行会
『日本書紀(上)全現代語訳―全二巻―』
著者・宇治谷孟 発行・株式会社講談社
『古事記(上)(中)(下)―全三巻―』
著者・次田真幸 発行・株式会社講談社
『新訂 魏志倭人伝 他三篇―中国正史日本伝(1)―』
編訳者・石原道博 発行・株式会社岩波書店
『アマテラスの誕生』
著者・筑紫申真 発行・株式会社講談社
インターネットの不明サイトから少々拝借
https://www.youtube.com/watch?v=yzkBUkLsEyo
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