僕の閃(ひらめ)きのスピード
おそらく2003年10月中旬から下旬頃に僕は、参考文献『BooksEsoterica第2号 神道の本 八百万の神々がつどう秘教的祭祀の世界』を購入して、歴史研究を始めたと思うが、買った記憶が正しいか自信がない。
僕が歴史研究を始めた理由は、双璧の軍神(いくさがみ)の経津主神(ふつぬしのかみ)や武甕槌神(たけみかづちのかみ)と神刀の布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)と神道の魂振(みたまふり)や鎮魂(みたましずめ)などに興味を持って、自分に無い出雲王国(物部(もののべ)氏)の強さ(武力)にあこがれた。
僕の歴史研究の開始日は、2003年10月下旬頃に「記紀」の現代語訳本を買った日で、垂仁(すいにん)天皇26年9月16日(西暦177年10月中旬頃)の伊勢神宮内宮の遷宮日と合致するかもしれない。
僕は2003年10月下旬頃にTSUTAYA AVIX福知山店で、「記紀」の現代語訳本を購入して、防犯カメラの映像が残っていれば、僕の歴史研究の開始日を特定できて、おそらく11月上旬頃に『日本書紀』の黄泉国下(よみのくにくだ)り神話と『古事記』の狭穂彦王(さほひこのみこ)の反乱が合致して、数日間で特定した。
僕が買った「記紀」の現代語訳本は、『日本書紀(上)全現代語訳―全二巻―』(著者・宇治谷孟 発行・株式会社講談社)と『古事記(上)(中)(下)―全三巻―』(著者・次田真幸 発行・株式会社講談社)で、数日間で「記紀」を流し読みして、偶然に神話化の共通性に気付いて、実話を神話化した可能性に行き当たって、日本神話と古代天皇家の歴史の面白さが歴史研究に打ち込む「きっかけ」で、数日間の期間が絶対に間違いない。
この奇跡は、日本神話と古代天皇家の歴史が合致して、神話化と神格化の特定で、僕の超知識の基本ができて、僕の閃(ひらめ)きが人類史上最高最大最強の奇跡の瞬間で、天皇家の歴史で最も重要な出来事で、後世まで語り継ぐ伝説である。
黄泉国下(よみのくにくだ)り神話の神格化は、伊弉諾尊(いざなぎのみこと;垂仁(すいにん)天皇を神格化)と伊弉冉尊(いざなみのみこと;狭穂姫(さほひめ)を神格化)と軻遇突智(かぐつち;狭穂彦王(さほひこのみこ)を神格化)を特定して、火夜子(ひよるこ;誉津別命(ほむつわけのみこと)を神格化)が特定できず、歴史研究で最初の功績である。
この超感覚(超頭脳)は、僕が神の国・・・日本に生まれて、幼少から日本神話などを学んで、神道の神社や仏教の寺を参拝して、キリスト教のクリスマスを祝(いわ)って、小学校高学年で歴史を勉強して、中学生で超古代文明を学んで、高校の修学旅行中に祖父の死に目に会えず、命・魂・精神・戦争・平和を考えて、僕の超感性が成立したと考えられる。
この超感性は、僕が祖父の死で生まれた精神障害の統合失調症・・・自殺願望でなく、隠れた障害が発達障害や学習障害の類(たぐい)を疑うが、天性(生まれた時から持つ才能)でなく、元々の後天性(僕が成長して、人生経験で体得した才能)で、僕が超天才になった。
2002年12月頃に僕は、2世紀中頃の邪馬台国(大和国;やまとこく)論争の倭国大乱(わこくたいらん)が黄泉国下(よみのくに)り神話に神話化された可能性を疑って、12月から翌年2003年1月頃まで大量の歴史書を買って、今の歴史書が合計100冊以上の合計30万円以上で、一番高価なのがいつ購入したか不明で、消費税抜きで3万円の『完訳秀真伝』である。
2003年1月頃に僕は、日本神話と倭国大乱(わこくたいらん)の一致で、伊弉諾尊(いざなぎのみこと;垂仁(すいにん)天皇を神格化)と伊弉冉尊(いざなみのみこと;狭穂姫(さほひめ)を神格化)と軻遇突智(かぐつち;狭穂彦王(さほひこのみこ)を神格化)を特定して、火夜子(ひよるこ;誉津別命(ほむつわけのみこと)を神格化)が特定できなかった。
倭国大乱(わこくたいらん)は、2世紀中頃の垂仁(すいにん)天皇時代で、天照大神(あまてらすおおみかみ;倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)と月読尊(つくよみのみこと;景行(けいこう)天皇時代)が3世紀前半に実在で、素戔嗚尊(すさのおのみこと)が誰を神格化したか分からなくて、僕が何となく結論付けた。
2003年2月頃は、邪馬台国(大和国;やまとこく)論争を試行錯誤して、国生み神話が古代天皇家の勢力地の可能性、2世紀中頃が垂仁(すいにん)天皇時代で、景行(けいこう)天皇時代が3世紀前半なら、崇神(すじん)天皇の非実在説の可能性、皇室の起源が衰退時期の後漢王朝とする説など、色々な考え方を巡らせて、僕の考え方が発展途上だった。
2003年3月頃は、『日本書紀』の神名と人名の末名の「尊(みこと)」と「命(みこと)」を特定して、景行(けいこう)天皇の息子の成務(せいむ)天皇と日本武尊(やまとたけのみこと)を同一人物と疑って、僕の直感が正しかった。
『先代旧事本紀』の饒速日尊(にぎはやひのみこと)は、神名と人名の末名の「尊(みこと)」と「命(みこと)」が漢字の違いに気付いて、『日本書紀』と同じ特徴と気付いたが、饒速日尊(にぎはやひのみこと)が3人を神格化したのを特定した時期が分からない。
2003年4月頃は、欠史(けっし)八代の祖先化を特定して、孝安(こうあん)天皇が崇神(すじん)天皇を祖先化して、開花(かいか)天皇が日本武尊(やまとたけのみこと)を祖先化して、実在した4世代を欠史(けっし)八代の後半4天皇に祖先化したと気付いて、祖先化と子孫化の方法が見つかった。
2003年5月頃は、僕が歴史研究を始めて約半年で、邪馬台国(大和国;やまとこく)論争を徹底的に研究して、1ヶ月ほどで成立した神技(かみわざ)で、2007年9月に出版した僕の最初の著書で、僕の自論を公表したが、当時の専門家(考古学会と歴史学会)が全く理解できない超知識だった。
専門家(考古学会と歴史学会)の北九州4ヶ国(北九州の属国)の定説は、属国に対比する古代地名を古代中国語でなく、現代日本語読みで当てはめて、末廬国(まつろこく)から不弥国(ふみこく)の4ヶ国を方角も対比地名も滅茶苦茶で、僕の自論の4ヶ国が方角も対比地名も見事に合致した。
崇神(すじん)天皇時代の四道(しどう)将軍の平定は、丹波(たんば;古代の京都府北中部)と吉備(きび;岡山県と広島県東部)と東海と北陸の平定で、四道(しどう)将軍の実在年代がバラバラで、一年で奈良県から東北地方南部まで往復して、理論的に考えておかしくて、僕の自論の詳細を省(はぶ)くが、別々の時代の将軍を崇神(すじん)天皇時代にまとめて、4地方を統一した平定の物語を作って、別の天皇時代にそれぞれが平定された。
「記紀」の皇族は、卑弥呼(ひみこ)が倭姫命(やまとひめのみこと)で、卑弥呼(ひみこ)の男弟(だんてい)が倭姫命(やまとひめのみこと)の実兄の景行(けいこう)天皇で、兄妹関係に疑問を抱いて、後に実兄を異母弟に訂正して、男王(だんおう)が日本武尊(やまとたけのみこと)で、台与(とよ)が神功(じんぐう)皇后と特定して、圧倒的な奇跡だった。
2004年7月から8月に記録した『私という存在』は、垂仁(すいにん)天皇陵の纏向(まきむく)石塚古墳を特定できず、垂仁(すいにん)天皇か景行(けいこう)天皇の皇居を都市遺跡の纏向(まきむく)遺跡で、景行(けいこう)天皇陵を箸墓(はしはか)古墳に断定したが、十分な自信がなかった。
垂仁(すいにん)天皇32年(西暦183年)の埴輪(はにわ)と田道間守(たじまもり;祖別命(みおやわけのみこと)を祖先化)などは、邪馬台国(大和国;やまとこく)論争と考古学が合致して、「記紀」と『三国志・魏志倭人伝』の時期が合致するはずと考えて、僕の自論に自信を持ち始めた。
2003年6月頃に僕は、邪馬台国(大和国;やまとこく)論争の登場人物を皇族と特定して、1ヶ月以上かけて、倭(わ)の五王の定説が僕の比定した皇族と年代的にずれると判明して、5人の倭王(わおう)の人名を古代中国語読みで当てはめて、歴代天皇の国風諡号(しごう)も古代中国語読みを仮定して、僕の自論を作成して、見事に定説を打破した。
2003年7月頃に僕は、『古事記』の干支年(かんしねん)の崩年干支(ほうねんかんし)が西暦年と対比すると気付いて、『日本書紀』の干支年(かんしねん)が即位年と気付いて、干支(えと)の年から歴代天皇時代が特定できないかと考え始めた。
2003年7月から8月頃に僕は、自分の考え方が異常で、地動説のコペルニクスやガリレオや進化論のダーウィンや相対性理論のアインシュタイン博士と同じコペルニクス的転回と同類の考え方で、後に哲学を学んで、コペルニクス的転回を現代哲学理論「現象学」で説明して、コペルニクス的転回(非常識な考え方の集合体)と定義した。
僕の歴史研究の超成長スピードは、あまりにも異常で、僕の超頭脳が目覚ましく発展して、僕が専門家(考古学会と歴史学会)と全く違う超天才と気付き始めて、僕が歴史研究に自信を付け始めた。
2003年8月頃に僕は、『日本書紀』の干支年(かんしねん)を即位年干支(そくいねんかんし)と名付けて、祖先化など対比して、西暦84年から329年を確定して、後に即位年干支法(そくいねんかんしほう)と改名して、大和時代を再定義して、日本の建国年(天皇家誕生年)から神功皇后の死去年までを大和時代と呼ぶことにした。
『日本書紀』の即位年干支法(そくいねんかんしほう)は、天日槍(あめのひぼこ;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)の子孫が西暦188年で合致して、摂政(せっしょう)39年が古代中国の魏(ぎ)王朝遣使の西暦239年に合致するなど、西暦年を知っていたと気付いたが、歴代天皇時代の西暦年の特定がバラバラで、いつ頃か分からない。
おそらく2003年中に僕は、『日本書紀』の仲哀天皇3年2月1日(西暦254年3月上旬頃)の国造(くにみやつこ;国主)の選定と仲哀天皇4年9月(西暦255年10月頃)の国造(くにみやつこ;国主)の任命を求めたが、2024年6月7日の午後9時頃に仲哀天皇4年2月1日(西暦255年3月上旬頃)と仲哀天皇4年9月(西暦256年10月頃)が正しいと気付いて、たぶん20年以上たって判明したと思われる。
2003年9月頃に僕は、参考文献『アマテラスの誕生』を読んで、買った時期が不明で、古代太陽神の天照神(あまてるかみ)を再調査して、元伊勢内宮に行って、太陽の昇る方角の天龍(てんりゅう)・八岐龍(やまたのりゅう)神社の祠(ほこら)に八岐大蛇(やまたのおろち)を祭ると知って、八岐大蛇(やまたのおろち)が伊勢神宮横の五十鈴川(いすずがわ)を神格化した蛇神の滝祭神(たきまつりのかみ)を怪物視したと求めた。
英雄の素戔嗚尊(すさのおのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)は、邪神の八岐大蛇(やまたのおろち)を退治するが、逆転して邪神の素戔嗚尊(すさのおのみこと)が古代太陽神の八岐大蛇(やまたのおろち)を殺したと気付いて、僕の超感性が凄(すご)すぎた。
この頃の僕は、天御中主尊(あめのみなかぬしのみこと;崇神(すじん)天皇を神格化)から火火出見尊(ほほでみのみこと;仁徳(にんとく)天皇を神格化)までの神様の血筋を特定したが、他にどれほど求めたか分からなくて、『私という存在』などを見てほしい。
2003年11月頃に僕は、後漢王朝時代の銅鏡で、神宝の辺津鏡(へつかがみ)や沖津鏡(おきつかがみ)と東大寺山(古墳出土)鉄刀が後漢王朝から下賜されて、彦坐王(ひこいますのみこ)を始祖とする古代太陽神氏族の和珥(わに)氏がもらったと判明して、僕の直感が凄(すご)すぎる。
2003年11月から12月頃に僕は、古史古伝(こしこでん;「記紀」に反する書物)に注目して、特に『先代旧事本紀』を調べて、12月頃に『先代旧事本紀』の『国造本紀』を重視して、東北地方南部から関東地方の古墳埋葬者を特定して、福島県会津盆地の前方後円墳の杵ヶ森(きねがもり)古墳と千葉県市原市の前方後円墳の神門(ごうど)古墳群も古墳埋葬者を特定できた。
2003年12月頃から翌年2004年1月頃に僕は、『倭姫命世紀(やまとひめのみことせいき)』に注目して、近畿地方を中心とする元伊勢、古代信仰の岩や川などを崇(あが)めること、御神体山をピラミッドとする可能性など、超古代文明的な要素に近づいた。
2004年1月頃に僕は、古代太陽神氏族の和珥(わに)氏を求めて、伊勢神宮宮司家の度会(わたらい)氏、京都府宮津市の元伊勢籠(この)神社宮司家の海部(あまべ)氏、古代豪族で武家の物部(もののべ)氏、岐阜県の太陽信仰を崇(あが)めた彦坐王(ひこいますのみこ)の息子の神大根王(かみおおねのみこ)などを調べて、後に共通性を証明した。
2004年2月の上旬か中旬に僕は、ジャスコ(イオン)の当時の書店名が不明で、参考文献『ホツマ辞典』を買って、古史古伝(こしこでん)の『ホツマツタエ』を知って、ヤマトヒメが景行(けいこう)天皇の異母姉で、卑弥呼(ひみこ)の男弟(だんてい;異母弟)と判明して、完全に邪馬台国(大和国;やまとこく)論争がチェックメイトした。
『ホツマツタエ』は、漢字以前の時代の古代文字である神代(しんだい)文字で書かれて、「記紀」以前の時代に成立した歴史書の可能性などを求めて、僕が超古代文明的な書物と考えた。
2004年5月8日の午後2時から3時頃の約一時間を僕は、元伊勢籠(この)神社の海部光彦(あまべみつひこ)宮司と対話して、僕の歴史研究の成果を家族以外で、始めて話した人のはずで、アインシュタイン博士が哲学者で、僕の話に哲学的な要素があって、哲学の勉強を僕に勧(すす)めて、まだ海部(あまべ)氏が彦坐王(ひこいますのみこ)の子孫と特定してなかった。
僕は最初の著書で、初代・火明命(ほあかりのみこと)は、彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化して、2代目・火明命(ほあかりのみこと)が丹波道主王(たにはみちぬしのみこ)を神格化したと考えたが、2代目・火明命(ほあかりのみこと;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)が元伊勢籠(この)神社宮司家の海部(あまべ)氏の祖先神で間違いなくて、僕の発展途上の考え方が分かる。
2004年5月25日に僕は、参考文献『ホツマ辞典』を読んで、7代目タカミムスビ(武虎別皇子(たけこわけのみこ)を神格化)と娘のタクハタチチヒメ(神功(じんぐう)皇后を神格化)を特定して、弟がフツヌシやフトタマ(武渟川別(たけぬなかわわけ)を神格化)とスクナヒコナ(少彦男心命(すくなひこおこころのみこと)を神格化)も求めて、母方(母系)のアマテラス(神功(じんぐう)皇后を神格化)の血筋が判明した。
2004年7月から8月は、『後漢書』と『三国志・魏志倭人伝』と『宋書』を僕が現代日本語訳した史料をまとめて、2004年9月から10月に『私という存在』の2冊のノートをまとめて、歴史研究の過程を時系列順にまとめて、自分の心の病気・・・精神的疾患なども記して、コペルニクス的転回(非常識な考え方の集合体)などもまとめて、非常に興味深い。
『私という存在』は、当時の僕の歴史研究が詳細に記録されて、当時の僕の勘違いや間違った考え方を含んで、後世に修正した過程も分かって、2冊の著書と出版してない本でも知れない貴重な情報が眠って、本当の真実を記したパンドラの箱で、後世の宝物として大切に保管してほしい。
2010年6月頃に僕は、Wordで3冊目の本を記し始めて、2012年か2014年の1月だと思うが、『ホツマツタエ』に7人のオオモノヌシがいて、7人の出雲国王を神格化したと気付いて、出雲王国が物部(もののべ)氏と合致して、オオモノヌシを特定した日付を3冊目の本のどこかに記すかも知れないが、14年間記して多すぎるため分からない。
僕の超感覚(超知識)は、思い込みが常識・固定観念・先入観・理屈・伝統・拡大解釈などに含まれて、意識して排除できる僕の神技(かみわざ)を公表して、コペルニクス的展開「自己認識の再構築」や考え方の哲学の現代哲学理論「現象学」などを論理的にひもといて、数ヶ月から数年以上で、凡人(僕以外の人間)が意識して、体得できる可能性を示して、人類史上最高最大最強の超天才と呼べるだろう。
正しいか間違いかの思い込みは、僕が意識してか無意識か分からないが、論理的に排除した神レベルの超人で、他人に教える教本を作って、僕の多芸の才能が異常すぎて、誰にも僕の超頭脳や超知識をまねできなくて、僕の情報の権利・・・著作権を馬鹿にできない。
コペルニクス的展開は、高度な考え方の地動説と進化論と相対性理論と僕の自論の4つを自己分析して、ノーベル物理学賞受賞者の中村修二博士と僕の考え方が似て、僕が自分の考え方を理論的に分析して、これらをホームページ上で公表して、凡人(僕以外の人間)が超天才になれる可能性を示して、100%体得できると後押しできないが、挑戦するか本人のやる気の問題で、これらをたぶん2010年代に求めたと思う。
左足首を骨折して福知山市民病院に入院中の2016年1月1日に僕は、『ホツマツタエ』16章の完全解釈を終了して、今が行方(ゆくえ)不明の8冊目のノートを全て記し終えて、僕の出版してない本の一番最後の部分に当たる。
もみじヶ丘病院に入院中の2021年11月9日は、父方の天照大神(あまてらすおおみかみ;倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)の男系男子天皇でなく、母方の天照大神(あまてらすおおみかみ;神功(じんぐう)皇后を神格化)の女系男子天皇が今の皇室の血筋につながると気付いて、僕の最初の著書で、天照大神(あまてらすおおみかみ)が倭姫命(やまとひめのみこと)と神功(じんぐう)皇后を神格化したが、明らかな僕の怠慢(たいまん)だった。
母方の天照大神(あまてらすおおみかみ;神功(じんぐう)皇后を神格化)の女系男子天皇は、入院先に『日本書紀』の現代語訳本を持ち込んで研究して、2004年以前から特定に17年以上かかって、僕の慢心(まんしん)や驕(おご)りが生み出した結果で、自分のふがいなさに呆(あき)れた。
2022年6月1日は、日本武尊(やまとたけのみこと)の不倫を完全に求めて、不倫を神格化した素戔嗚尊(すさのおのみこと)や異母兄弟の大碓命(おおうすのみこと)になすりつけて、皇太子や天皇を異母兄弟の成務(せいむ)天皇に押しつけて、逆賊を祖先化した武埴安彦命(はにやすひこのみこと)にかぶせて、都合の悪い事実を全部隠して、悲劇的英雄の仮面を偽装工作した。
『ホツマツタエ』のスサノオ(日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)は、不倫して皇位継承権争いを起こした逆賊で、皇太子で皇族に認められない天皇にもなって、出雲の国譲(くにゆず)り神話で、出雲王国(物部(もののべ)氏)を崩壊させて、決して悲劇的英雄でなく、悪行の数々を生み出した元凶である。
日本武尊(やまとたけのみこと)の不倫は、元から予感があったが、求めるのに数時間かかって、『ホツマツタエ』のスサノオの不倫を前から知って、当日にコクミ(日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)とクラコヒメ(弟橘姫(おとたちばなひめ)を神格化)の不倫を特定して、大いなる一歩だった。
2022年9月20日は、卑弥呼(ひみこ)の倭姫命(やまとひめのみこと)の殺害日や葬礼日と出雲王国(物部(もののべ)氏)の建国年などが判明して、一日かけて西暦年月の修正を特定して、長年の悲願を達成して、大きな謎(なぞ)を暴(あば)いた。
倭姫命(やまとひめのみこと)の殺害日や葬礼日は、『ホツマツタエ』のヤマトタケの東海平定の年代とハニヤスヒコ(日本武尊(やまとたけのみこと)を祖先化)の反乱の年代をひもといて、数時間で西暦年月を特定して、僕の大偉業である。
出雲王国(物部(もののべ)氏)の建国年は、西暦94年の丹波(たんば;古代の京都府北中部)平定の翌年95年に出雲(島根県東部)を平定して、建国を数時間かけて特定して、当時に西暦100年の四国に渡る大型船の建造を出雲に行く船と勘違いしたが、後に訂正した。
2022年10月18日は、前方後円墳をネット検索して、初代の崇神(すじん)天皇陵の最有力候補が奈良県橿原市の瀬田(せた)遺跡の円形周溝墓(えんけいしゅうこうぼ)と判明して、天皇陵だから前方後円墳の形と考えられて、古代天皇家が古代中国の歴史書に初めて登場する前の考古学的証拠で、前方後円墳と瀬田(せた)遺跡の円形周溝墓(えんけいしゅうこうぼ)を別々にまとめて、一日かかった。
神武(じんむ)天皇の即位年(紀元前660年)から武烈(ぶれつ)天皇8年(西暦506年)までは、明らかに干支年(かんしねん)と西暦年が合致しなくて、2023年5月20日頃に『ホツマツタエ』のアスス歴を調べて、5月25日の午後5時頃に『古事記』の崩年干支(ほうねんかんし)が正しいと気付いて、6月16日の午前6時頃に倭(わ)の五王に比定した「歴代天皇の在位期間の対比図」を作成して、ようやく長年の謎(なぞ)がひもとけた。
もみじヶ丘病院の医療保護入院は、2023年7月12日から8月31日で、7月21日の午後7時頃は、神武(じんむ)東征(仁徳(にんとく)東征)の年代を特定して、摂政(せっしょう)69年(西暦329年)が仁徳(にんとく)東征1年で、天皇不在の年333年が仁徳(にんとく)東征5年で、仁徳(にんとく)天皇元年が334年と判明して、84年から506年まで年代が完全につながって、歴代天皇時代の西暦年月が確定した。
2024年4月4日のクリニックまほらの帰宅後は、「記紀」に出雲の建国神話がなくて、ネット検索して、『出雲国風土記』の国引き神話(出雲の建国神話)を求めて、出雲の創造神の八束水臣津野命(やつかみずおみつののみこと;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)を特定して、出雲王国(物部(もののべ)氏)の直系子孫を水神や海神に神格化したとも実証して、この時に凄(すさ)まじすぎる数時間の高速処理をして、僕のパソコン入力の遅さが影響した。
2024年5月22日の午後10時半頃に僕は、景行(けいこう)天皇元年(西暦191年)に天皇家が初めて漢字を使って、日本国内の漢字の使用を西暦年で特定して、3世紀中頃の仲哀(ちゅうあい)天皇時代に漢風諡号(しごう)が存在して、倭(わ)の五王の人名に安康(あんこう)天皇から武烈(ぶれつ)天皇が生前に漢風諡号(しごう)を使ったと証明した。
2024年6月7日の午後から夜は、『日本書紀』の景行(けいこう)天皇時代から仲哀(ちゅうあい)天皇時代の東国(中部地方から東北地方南部)平定の年代を中心に求めて、翌日8日の朝に『ホツマツタエ』の景行(けいこう)天皇時代で、東国(中部地方から東北地方南部)平定の年代を中心に求めて、6月10日頃から26日まで景行(けいこう)天皇60年(西暦250年)の東国の平定から仲哀(ちゅうあい)天皇9年2月22日(西暦260年3月下旬頃)までの年代の細かな出来事の内容を記した。
2024年8月8日は、「はは」の日で、母以外に羽羽(はは)と書いて、羽羽(はは)が古代に蛇を意味して、古代に蛇が太陽神で、「記紀」で天羽羽斬(あめのははきり)の神剣や天羽羽矢(あめのははや)の神様の矢などが登場して、この日の干支(えと)が今年の干支(えと)と同じ甲辰(きのえたつ)で、午前2時20分頃にスマホで、僕のホームページが更新されたのを確認した。
2024年8月11日から9月11日までの一ヶ月間は、もみじヶ丘病院に任意入院して、歴史研究の公表に向けて、研究・分析と方針の見直しをする時間になった。
2024年9月16日の午前10時頃に僕は、約5千年前に超古代文明時代のパソコンが存在して、聖徳太子が超古代文明時代のパソコンで、未来を見た可能性に気付いて、オーパーツ(未確認の超技術の加工品)やUMA(ユーマ;未確認生物)の実在を証明した可能性がある。
2024年9月27日の午後3時頃に僕は、初めて『古代豪族の格付け』を記して、古代豪族の物部(もののべ)氏と千家(せんげ)氏と海部(あまべ)氏と竹内(たけうち)氏が現代まで系図が続いて、氏族の特徴や特色などを僕なりに分析・研究して、天皇家(皇室)に次ぐ2番目から5番目の家柄の序列を決めて、凡人(僕以外の人間)の指標とした。
2024年9月29日の午後3時頃に僕は、初めて『僕がよく使う歴史書4選』を記して、1番使う『ホツマツタエ』と2番目の『日本書紀』と3番目の『古事記』と4番目の正統『竹内文書(たけのうちもんじょ)』の順番で格付けして、僕が重要性と独断などの判断で選んで、元々が前のホームページでも、『僕のよく用いる歴史書』の段落で、その順番になっていた。
2023年7月21日の午後7時頃に僕は、神武(じんむ)東征(仁徳(にんとく)東征)の年代を特定したが、2024年10月6日に『日本書紀』の神武(じんむ)天皇時代の干支年(かんしねん)を特定して、年代の全容を把握してなかったと気づいて、明らかな怠慢(たいまん)と思い知った。
これによって僕は、日本最古の神話である饒速日命(にぎはやひのみこと;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)の河内(かわち;古代の大阪府東部)の天孫降臨神話、初代の崇神(すじん)天皇時代の年代、仁徳(にんとく)天皇時代の正しい年数の把握など、改めた認識力が大爆発した。
2024年9月下旬頃から僕は、『古代天皇家の年表』の章を赤字で記し始めて、10月22日の午後1時半頃に緑字を記し終えて、黒字と青字と赤字と緑字の4種類の文字で区別して、圧倒的な古代天皇家の歴史をかなり分かりやすくなった。
僕の閃(ひらめ)きのスピードは、歴史研究で数秒から数時間ほどの短時間や20年以上もかかった物まで色々で、僕本人にしか分からない超感覚で、他人に言葉や感覚で説明しても理解できず、体得できない未知の感覚を説明できなくて、誰にも教えられない僕だけの超感覚で、いまだに現在進行形で超知識が判明する。
伝説的なイエス・キリストや聖徳太子は、存在しない非実在説があるが、僕が完全に生きている人間で、万能の天才レオナルド・ダ・ヴィンチや発明王トーマス・エジソンや20世紀最高の天才アルバート・アインシュタイン博士なども超越して、類稀(たぐいまれ)な神様と言えるレベルの存在でないだろうか?
僕の閃(ひらめ)きのスピードは、2002年から2004年まで、『私という存在』のノートを中心にまとめて、その後が僕の記録に大きく基(もと)づいて、2024年5月3日から4日に基本を記して、11月5日に最終的な修正をした。
<参考文献>
『BooksEsoterica第2号 神道の本 八百万の神々がつどう秘教的祭祀の世界』
発行・株式会社学習研究社
『私という存在』
著者・僕
『続・私の半生と古代日本史』
著者・僕 発行・株式会社オカムラ
『完訳秀真伝』
編著者・鳥居礼 発行・八幡書店
『ホツマ辞典』
著者・池田満 発行・ホツマ刊行会
『日本書紀(上)全現代語訳―全二巻―』
著者・宇治谷孟 発行・株式会社講談社
『古事記(上)(中)(下)―全三巻―』
著者・次田真幸 発行・株式会社講談社
『新訂 魏志倭人伝 他三篇―中国正史日本伝(1)―』
編訳者・石原道博 発行・株式会社岩波書店
『アマテラスの誕生』
著者・筑紫申真 発行・株式会社講談社
インターネットの不明サイトから少々拝借
https://www.youtube.com/watch?v=yzkBUkLsEyo
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