卑字(ひじ)と頭文字(かしらもじ)

卑字(ひじ)は、卑(いや)しい字で、『後漢書』と『三国志・魏志倭人伝』が記す邪馬台国(やまとこく)や卑弥呼(ひみこ)や台与(とよ)などの名前で、頭文字(かしらもじ)が『宋書』などの記す倭(わ)の五王である倭王(わおう;古代日本王)の名前で、この国名や人名をそもそもの正しい解釈ができてないのが専門家(考古学会と歴史学会)の現状である。
邪馬台国(やまとこく)や台与(とよ)の呼び名は、邪馬壱国(やまいちこく)や壱与(いちよ)の読み方が間違いと僕が証明して、邪(よこしま)な馬(うま)の台(だい)の国と台(だい)を与(あた)えると卑(いや)しい意味で、古代中国王朝が古代日本を見下した漢字で、そもそも「記紀」から古代天皇家や歴代天皇の実在を証明できないとするが、この程度の認識力が専門家(考古学会と歴史学会)の限界である。
倭王(わおう)の名前は、専門家の歴史学会が全く証拠ない理由ばかりで、僕の自論が歴代天皇の頭文字を当てはめて、誰も反論できない完全に正しい理論である。

専門家(考古学会と歴史学会)は、邪馬台国(やまとこく)時代が2世紀中頃から西暦266年までで、倭(わ)の五王時代が413年から502年までで、自分たちの認識力の欠如が原因で、全く特定できなくて無能な集団の自覚がない。
超天才の僕は、邪馬台国(大和国;やまとこく)時代が垂仁(すいにん)天皇5年(西暦156年)から西暦266年までの111年間で、倭(わ)の五王時代が安康(あんこう)天皇19年(西暦413年)から武烈(ぶれつ)天皇28年(西暦502年)までと特定して、崇神(すじん)天皇から武烈(ぶれつ)天皇までの実在を証明して、世界でただ一人の正しい認識力の絶大さを示した。
超天才の僕と専門家(考古学会と歴史学会)の認識力は、地球と宇宙や天と地や神様と人間ほどの歴然とした差で、現代人(僕以外の人間)の誰もが僕の超頭脳(超感覚)に及ばなくて、人類史上最強最高最大の超天才としか呼べなくて、火を見るよりも明らかな結果を知る僕の偉大さが分からない方がおかしい。
超天才の僕の認識力は、歴史研究を開始した時から特別で、現代人(僕以外の人間)と専門家(考古学会と歴史学会)をとっくの昔に超越して、日本神話の神々の領域…神域に踏(ふ)み込んで、21年以上の歴史研究の成果で、誰も近づけない神域の極限の最奥にまでたどり着いて、奇跡の中の奇跡を何千回も何万回も繰り返した偉人だからできた。

垂仁(すいにん)天皇5年(西暦156年)から西暦266年までの邪馬台国(大和国;やまとこく)時代は、垂仁(すいにん)天皇陵が纏向(まきむく)石塚古墳で、景行(けいこう)天皇の皇居の纏向日代宮(まきむくひしろのみや)が纏向(まきむく)遺跡で、卑弥呼(ひみこ)の倭姫命(やまとひめのみこと)の墓(はか)が三重県伊勢市の形が分からない古墳で、景行(けいこう)天皇陵が箸墓(はしはか)古墳である。
福島県河沼郡会津坂下町の前方後円墳の杵ヶ森(きねがもり)古墳は、3世紀末から4世紀初頭の築造で、石背国造(いわせくにみやつこ)の建彌依米命(たけみよりまいのみこと)か阿尺国造(あさかくにみやつこ)の比止彌命(ひとねのみこと)が古墳埋葬者と考えられる。
千葉県市原市の前方後円墳の神門(ごうど)3・4・5号墳は、3世紀後半の築造で、菊麻国造(きくまくにみやつこ)の大鹿国直(おおかくにのあたい)か上海上国造(かみうなかみくにみやつこ)の忍立化多比命(おしたちかたひのみこと)の一族が古墳埋葬者と考えられる。
長野県中野市の前方後円墳の高遠山(たかとおやま)古墳は、4世紀前半の前方後円墳で、三野後国造(みののみちのしりくにみやつこ)の臣賀夫良命(おみかぶらのみこと)が古墳埋葬者と考えられる。
邪馬台国(大和国;やまとこく)時代は、古代天皇家の時代で間違いなくて、僕の自論の考古学的証拠がありすぎて、全て否定出来たら奇跡で、100%覆(くつがえ)せない。

卑字(ひじ)の邪馬台国(大和国;やまとこく)と卑弥呼(ひみこ)の倭姫命(やまとひめのみこと)と台与(とよ)の神功(じんぐう)皇后は、100%僕の自論が正しくて、絶対に誰も否定できない超絶理論である。

倭(わ)の五王の頭文字(かしらもじ)は、讃(さん)と珍(ちん)と済(さい)と興(こう)と武(ぶ)で、僕の自論の安康(あんこう)天皇と雄略(ゆうりゃく)天皇と清寧(せいねい)天皇と顕宗(けんそう)天皇と武烈(ぶれつ)天皇に当たる。
専門家の歴史学会は、倭(わ)の五王を応神(おうじん)天皇から雄略(ゆうりゃく)天皇に当てはめて、和風諡号(しごう)の読み方を適当に当てはめて、『日本書紀』の応神(おうじん)天皇から雄略(ゆうりゃく)天皇の在位期間を理由にするが、僕が全て理由を述べて潰(つぶ)した。
僕の自論は、倭(わ)の五王の名前と歴代天皇の漢風諡号(しごう)の頭文字(かしらもじ)が古代中国語発音を想定して、僕の自論の正しい在位期間などを求めて、誰も打ち破れない鉄壁の理論である。

倭(わ)の五王は、讃(さん)が安康(あんこう)天皇で、珍(ちん)が雄略(ゆうりゃく)天皇で、済(さい)が清寧(せいねい)天皇で、興(こう)が顕宗(けんそう)天皇で、武(ぶ)が武烈(ぶれつ)天皇で、僕の超天才ぶりが際立(きわだ)つ。

卑字(ひじ)と頭文字(かしらもじ)は、邪馬台国(大和国;やまとこく)時代を考古学(遺跡・遺物)と歴史学(歴史書解釈)で証明して、倭(わ)の五王時代を歴史学(歴史書解釈)で証明して、僕の凄(すさ)まじい超天才ぶりが大偉業をなし遂げて、2024年3月23日に記した。

<参考文献>
『納得する古代日本史<古代史篇>』
著者・鷲田小彌太 発行・株式会社言視舎
インターネットの不明サイトから少々拝借

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