火明命(ほあかりのみこと)


これは出版していない3冊目以降の本の著作権を含む。

火明命は『日本書紀』に一回だけ天照国照彦火明命(あまてるくにてるひこあめのほあかりのみこと)の正式名称で記されて、天照大神(あまてらすおおみかみ)と同じ「天照」を関する男性の古代太陽神である。
京都府宮津市の元伊勢(この)籠神社では、火明命の別名を天照御魂神(あまてるみたまのかみ)や饒速日命(にぎはやひのみこと)や天照国照彦天火明櫛玉饒速日命(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)や丹波道主王(たにはみちぬしのみこ)とも伝えて、元伊勢籠神社宮司家の海部(あまべ)氏が火明命の直系子孫となる。
火明命は『ホツマツタエ』でホノアカリと呼ぶが、僕が呼び慣れた「ほあかりのみこと」と発音する。

元伊勢籠神社の伝承にある火明命の丹波(たには;古代の京都府北中部)の天孫降臨神話を記す。

火明命(彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)は天道日女命(あめのみちひめのみこと;またの名を屋乎止女命(やおとめのみこと)と言う:息長水依比売(おきながみずよりひめ)を神格化)をめとって、天香語山命(あめのかごやまのみこと;丹波道主王を神格化)を生んだ。
火明命は佐手依姫命(さでよりひめのみこと;またの名を日子朗女神(ひこいらつめのかみ)と言う)をめとって、穂屋姫命(ほやひめのみこと;丹波之河上之摩須郎女(たにはのかわかみのますのいらつめ)を神格化)を生んだ。
天香語山命は穂屋姫命をめとって、天村雲命(あめのむらくものみこと;朝廷別王(みかどわけのみこ)を神格化)を生んだ。
その後で天祖(あまつみおや)の二璽神宝(ふたつのみしるしのかんだから;息津鏡(おきつかがみ)と邊津鏡(へつかがみ)のこと)と天鹿兒弓(あめのかごゆみ)と天羽々矢(あめのははや)を副(そ)え賜(たま)いて、火明命に授け給(たま)いて、汝宜(いましよろ)しく葦原中国(あしはらなかつくに)の丹波国に降(お)り坐(ざ)してこの神宝を斎(いつ)き奉(たてまつ)り、速(すみ)やかに国土(くに)を造り修(おさ)めよと詔(の)リ給う。
故爾(かれここ)に火明命は之(これ)を受け給いて、丹波国の凡海息津嶋(おおしあまのおきつしま;現在の冠島と考えられる)に降り坐す。
爾に火明命は其(そ)の後由良の水門(みなと)に遷(うつ)り坐しし時、即(すなわ)ちその神宝(邊津鏡)を香語山命に分け授け給い、汝宜しく此(こ)の神宝を斎き奉りて、速やかに国土を造り修めよと詔リ給う。(省略)
故爾に火明命は佐手依姫命と共に、養老三己未(つちのとひつじ)年(西暦719年)三月廿二(にじゅうに)日籠宮(このみや;元伊勢籠神社)に天降(あまくだ)り給う。


息津鏡と邊津鏡は日本最古の伝世鏡(埋蔵されずに神社や寺に伝わる鏡)で、息津鏡が後漢時代(約1950年前)の内行花文長宜子孫八葉鏡で、邊津鏡が前漢時代(約2050年前)の内行花文昭明鏡であって、西暦188年の後漢王朝から下賜された銅鏡と考えられる。
元伊勢籠神社には日本最古の系図の『海部氏系図』もあって、非常に由緒(ゆいしょ)ある伝統の神社で、崇神(すじん)天皇39年(西暦122年)に遷宮された京都府北部の元伊勢に当たるが、西暦719年に元伊勢籠神社ができたのなら最初の所在地が奥宮の真名井(まない)神社と考えられる。
火明命は丹波王国平定の総大将でアマテルカミの宮司と考えられる彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化していて非常に興味深い。

<参考文献>
『日本書紀(上)全現代語訳―全二巻―』
宇治谷孟・著者 株式会社講談社・発行
『元伊勢の秘宝と国宝海部氏系図』
海部光彦・編著者 元伊勢籠神社社務所・発行
『完訳秀真伝』
鳥居礼・編著者 八幡書店・発行
『日本の神様読み解き事典』
川口謙二・編著者 柏書房株式会社・発行
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