三種の神器の矛


これは出版していない3冊目以降の本の著作権を含む。

三種の神器の矛は、『ホツマツタエ』の日本神話で斧や逆矛(さかほこ)や剣など色々な形の武器で、『ホツマツタエ』で草薙剣(くさなぎのつるぎ)の前に神剣の三種の神器である八重垣剣(やえがきのつるぎ)の名前で出てきて、他にも天(あま)の逆鉾(さかほこ)や天沼矛(あめのぬぼこ)や天詔琴(あめののりごと)や伊勢神宮正殿下の心(しん)の御柱(みはしら)や新羅(しらぎ)王の門に立つ矛などとして登場すると考えられる。
三種の神器の矛は、武器の矛として日本神話や人間の時代に登場して、『ホツマツタエ』の日本神話で他の形の武器で登場して、『古事記』で楽器の琴として登場するが、間違いなく矛を指すと僕が証明できる。
三種の神器の矛は、草薙剣より前の三種の神器で、神剣や神矛(しんぼう)として重要な意味を持って、それらをひもといていく。

『ホツマツタエ』の日本神話は、面足尊(おもたるのみこと)と惶根尊(かしこねのみこと)の時代に斧で、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)の時代に逆矛で、男性の太陽神である天照神(あまてるかみ)の時代に八重垣剣となって、人間の時代にずっと八重垣剣で登場して三種の神器の神剣で、そのうち草薙剣と入れ替わった。
インターネット検索すると八重垣剣と草薙剣を混同するが、本当は全く別の神剣である。

天の逆鉾は、鹿児島県と宮崎県の県境の霧島高千穂峰(たかちほみね)で山頂に刺さった高さ5メートルほどの武器で、天孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと;誉田別尊(ほむだわけのみこと)・即位しない応神(おうじん)天皇を神格化)が刺した伝説があって、かつて火山の噴火で折れたらしく、今のものがレプリカ(模造品)だと言う。
摂政(せっしょう)元年(西暦261年)頃に母の神功(じんぐう)皇后から三種の神器を持たされて生まれたばかりの誉田別尊が宮崎県に行った時代に刺したか、誉田別尊が大きくなってから刺した可能性が高い。

天沼矛は、『古事記』の表記で、『日本書紀』で天之瓊矛(あめのぬぼこ)や天瓊戈(あめのぬぼこ)と記して、『古事記』で伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)が天沼矛で海をかき混ぜて、淤能碁呂島(おのごろしま)を作ったとされる。
伊弉諾尊(垂仁(すいにん)天皇を神格化)と伊弉冉尊(狭穂姫(さほひめ)を神格化)の時代に三種の神器が逆矛と天沼矛で、同一のものと考えられて皇位継承物として大切な意味を持つ。

天詔琴は、『古事記』の出雲神話で登場して、根(ね)の国の須佐之男命(すさのおのみこと)を訪れた大国主神(おおくにぬしのかみ)が盗み出した楽器の琴で、生太刀(いくたち;草薙剣(くさなぎのつるぎ)か?)と生弓矢(いくゆみや;天鹿児弓(あめのかごゆみ)と天羽羽矢(あめのははや)と天詔琴(天逆矛(あめのさかほこ)の三種類である。
須佐之男命(日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)は、出雲王国に亡命して大国主神(飯入根(いいいりね)を神格化)に宝物を預けたと考えられる。

伊勢神宮正殿下の心の御柱は、天照大神(あまてらすおおみかみ)を祭る伊勢神宮正殿の床下中央に立てる柱(はしら)で、忌柱(いみばしら)や天御柱(てんのみばしら)や天御量柱(てんのみはかりばしら)などとも言って、逆矛に当たる伝承もある。
天の逆鉾が霧島高千穂峰(たかちほみね)で山頂に刺さることに共通性があって、かつて本物の天の逆鉾は伊勢神宮正殿の床下中央に立てられた可能性も考えられる。
『ホツマツタエ』で猿田彦(さるたひこ)の持つ神宝の逆矛木(さかほこぎ)は、三種の神器の逆矛を模(も)した木と考えられて、心の御柱の可能性が高いと考えられる。

新羅王の門に立つ矛は、『日本書紀』の神功皇后の三韓征伐で登場して、次の文章のように記す。
ある人は新羅の王を殺そうという者もいたが、神功皇后が言われて、「神の教えによって金銀の国を授(さず)かろうとしている。降伏を申し出ている者を殺してはならない」と。
その縛(なわ)を解(と)いて馬飼(か)いとされた。
その国の中に入り、重宝の倉を封じて、地図や戸籍を没収した。
皇后が持っておられた矛を新羅王の門に立て、後世への印とされて、その矛は今も新羅王の門に立っている。
その文章を僕は、次の文章のように訂正する。
ある人は出雲国王を殺そうと言う者もいたが、神功皇后が「降伏を申し出ている者を殺してはならない」と言われて、その縄をといて馬飼いなどとされて、出雲王国の中に入って重宝の倉を開けて地図や戸籍を没収した。
神功皇后が持っていた矛を出雲国王の門に立て、後世への印とされて、その矛は今も出雲国王の門に立っている。
この矛はもしかすると、天の逆鉾なら『日本書紀』が成立した西暦720年まで刺さって、現在の天の逆鉾が火山の噴火で折れて、レプリカと伝えられることを意味するかもしれない。

『ホツマツタエ』の出雲の国譲り神話は、武甕槌神(たけみかづちのかみ)が建御名方神(たけみなかたのかみ)を長野県で降伏させてから出雲に帰って、事代主神(ことしろぬしのかみ)が次のように言う。
『(大国主神は)我が子が去って、私もここを去って命に服そう。しかし今私がここを去ると、私の代わりに民を治める神が誰かいるだろうか? わが草薙(くさなぎ)の矛を献上して、それを使って治めて下さい』と。
それを解釈すると、仲哀(ちゅうあい)天皇9年神無月(西暦260年11月頃)に出雲王国を崩壊させて、神功皇后は三種の神器の八重垣剣と草薙剣(草薙の矛)を入れ替えて、日本武尊の皇位継承権争いで持ち出されて、出雲王国に渡った三種の神器や十種(とくさ)の神宝などの宝物が無事に古代天皇家(邪馬台国)に戻ったことになる。
三種の神器はかつて出雲に渡って、皇位継承権争いの火種(ひだね)になったことがある史実が隠されたが、日本神話や古代天皇家の歴史の伝承を隠れ蓑(みの)にして、ヒントを残しまくって僕がひもといた。

三種の神器の矛は、かつての三種の神器として歴史の闇に葬られた秘宝で、その奥に隠された真実が分かれば後が公表するだけである。
古代天皇家の歴史でひもとけない謎は、全て僕に任せてもらうしかなく、凡人や専門家の出番などない。

<参考文献>
『日本書紀(上)全現代語訳―全二巻―』
宇治谷孟・著者 株式会社講談社・発行
『古事記(上)(中)―全三巻―』
次田真幸・著者 株式会社講談社・発行
『ホツマ辞典』
池田満・著者 ホツマ刊行会・発行
『完訳秀真伝』
鳥居礼・編著者 八幡書店・発行
インターネット

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