本当の自分


本当の自分を隠すことは、人間なら誰でも当たり前で、僕も例外に漏れずに隠すことが多いが、少しでも正しく知ってもらうために公表して、都合の悪いこともあるが、下手に隠すより信頼を得ることを選んだ結果で、そのことに後悔するけど我慢する。

僕は自分でも覚えていない小さい頃、一才半上の兄と僕が箪笥(たんす)で遊んで、箪笥(たんす)の上にあったテレビが落ちて、僕の左の眉毛(まゆげ)上に傷跡ができたと小学生頃に確か母に聞いた覚えがあるが、今の母がその話を覚えていなくて、それ以来テレビが低い台に乗っている。
僕は自分が幼い頃に一番記憶に残ったのが大雪で、僕が3才か4才の冬で、弟が生まれた年か分からないが、地元で1メートルの雪が積もって、かまくらをしたのが強く印象に残って、これが僕の覚えている一番小さい頃の記憶かもしれない。

僕は小さい頃から歯磨きが苦手で、1ヶ月から数ヶ月に一度で歯磨きすることもよくあって、虫歯が1才から2才頃までに虫歯の人との経口感染でうつるとされて、僕が子供から大人の時期まで虫歯をずっと治療し続けて、何度治療してきたか分からない。

僕の自宅のペットは、僕が溺れた1才半の時から、おそらく自宅の池で金魚を飼って、捕獲した野ウサギだと思うが、小学校低学年頃に一週間ほどか白いウサギ一匹を飼って、たまたま助けたシジュウカラを数日飼って死なせて、高校生の時に池の金魚が鳥のサギかシラサギに食べられたのを僕が見て、今が何年か前から育てた金魚とメダカを飼っている。

幼少から僕は、遊園地が兵庫県の東条湖ランドや大阪府のひらかたパークなどに行って、ジェットコースターなどの絶叫系が高所恐怖症でなく、ロープウェイなどが大丈夫で、高速で高い所だから恐怖を感じたと考えられて、水族館が大阪府の海遊館や兵庫県の須磨水族館などに行って、国会議事堂が中学の修学旅行で一度行ったきりで、なんばグランド花月が福知山共同作業所の旅行で行って、宝塚歌劇団が一度も行ってない。

保育園の5才頃、おねしょ(夜尿症)だったのを恥ずかしくて隠した。
僕は保育園頃の鬼祭りで、鬼が怖くて両親の足元に隠れて泣いたと聞いて、小学生から高校生頃まで花火大会や祭りに時々参加して、屋台などを楽しんで、短大を卒業して地元に帰ってから、花火大会に出かけたのが2回ほどで、2013年8月15日の花火大会の露店爆発事故で花火大会が中止になって、今は地元の祭りを少し見に行く程度である。

僕は小学生以来ずっと成績表に真面目と記すが、やっていることを途中で中途半端に投げ出すことがあって、長続きしないこともよくあった。
しかし保育園年長組で恐竜のポケット図鑑をもらって、保育園児のズボンのポケットに入らないくらいでも、大人のズボンのポケットに十分入るくらいの大きさの本で、これが古代へのあこがれになった。
そのポケット図鑑の恐竜は、ティラノサウルスなどが人間と同じ2足歩行の姿で、当時のドラえもんの映画も同じ姿だが、その姿だと体重が重すぎて足がつぶれるため、現在のジュラシックパークや博物館などの恐竜の姿に変更して、時代の考え方が変わったことを意味する。
恐竜の古生物学に興味を持った後、小学校中学年で天文学に興味を持って、小学校高学年で考古学に興味を持って、中学校で超古代文明に興味を持って、高校の修学旅行で祖父の死に目に会えなくて、命・魂・精神・戦争・平和を考えて、大人になって20年間を歴史研究して、古代天皇家の正史をひもといたことは、大昔にあこがれて、ここまで長続きして、自分でも正直に言うと驚いている。
小学校高学年で考古学は、古代日本史を習って、縄文土器などを和久寺の伯母(おば)などからもらったりして、自分で古墳や邪馬台国(大和国;やまとこく)論争の新聞記事などを切り抜いたり、考古学の図鑑を買ったりして、遺跡・遺物を科学的根拠からひもとく大切さを知った。
僕の夢は、小学校中学年が天文学者で、小学校高学年が考古学者だったが、歴史研究を始めて歴史家になって、考古学者と畑違いでも、邪馬台国(大和国;やまとこく)論争などをひもとく世界唯一の超天才になった。
学生時代は、歴史の年号を数字(言葉)で覚えたが、学校でテストに出たことがほとんどなくて、学生時代に算数と数学を学んで、社会でほとんど使わず、コンビニなどの計算が元々数字に弱くて、ちょくちょく間違った。

僕は小さい頃にブリーフで、高校生頃以降ずっとトランクスで、幼少の普段服が両親や自分が選んで、中学と高校で指定の制服で、学校指定の制服が黒い長ズボンで、短大生頃に黄土色や灰色などの長ズボンで、夏も冬も長ズボンを穿(は)いて、2000年代後半頃に黒い長ズボンを穿(は)くことが増えたはずで、それから今に至ると思う。

僕は小学生中学年で太りだした時期、映画『白い手』が放映されて、僕の顔によく似た少年が出演していて、兄弟もよく似ていると言っていた。
僕は太った後で、冗談だと思うが、相撲取(すもうと)りの力士になったらと家族や知り合いに言われて、幼少から運動嫌いで体力がなく、稽古(けいこ)などに耐えられそうになくて、僕がなれなくて当然だった。

僕は小学生頃から深爪(ふかづめ)で血を出して、両親によく怒られて、今でも爪切りで血を出すことがある。
小学生でプールは、7メートル泳いだのが最高で、中学年頃に大門などの仲間たちと一度だけ由良川で泳いで、中学生以降にプールに入っていない。
確か小学校3年生で引っ越してきた同級生の仲田篤史(なかたあつし)君は、当時から姫髪山(ひめがみやま)登山競争でずっと一位で、帝京大学で箱根駅伝を走った。

小学生低学年頃にミツバチに刺されて、高校生でサンダルの中に隠れたキイロスズメバチに刺されて踏みつぶして、たぶん夏頃で冷却シートがあって冷やして、翌日に高校に行って、短大卒業頃だと思うが、実家の下の剪定(せんてい)をした時、黒い2センチメートル程度のハチに刺されて、2年連続でだるくなって、アレルギーを疑って、アレルギー検査でよく刺すハチのスズメバチとアシナガバチとミツバチだけを調べて、反応がなく全てのハチの検査をしていないから、アレルギーがあるか分からない。

僕の地元の大門(だいもん)は、下の方に駄菓子屋があって、ビックリマンチョコやポッキンアイスなどを買って、僕が当時からポッキン(アイス)と呼んで、今も夏になるとその名前で呼んで、市街で買っている。
僕の家は、小さい頃から高校生頃まで正月とお盆に従兄弟姉妹の家族が遊びに来て、寿司やすき焼きを食べて祝うことをずっとして、高校生ぐらいまで続いた。
僕の家は、小さい頃から市販のルーで、普通のカレーライスを作って、キーマカレーなどをごくたまに作る程度である。
僕は幼少から鮭が好きで、焼き鮭が特によく食べて、寿司ネタのサーモンよりもマグロが好きだが、大人になっても鮭が好物である。
僕は小さい頃から日本茶が苦手で、夏場に飲む麦茶が好きで、水道水をよく飲む子供で、大人になってもそれが変わらなくて、好き嫌いと水道水を飲むのが変わらなかった。
弟が小学生頃の時、喉(のど)にウナギの蒲焼きの骨が刺さって、おそらく頭に近い部分の骨が刺さって、体の骨でない可能性が高い。
僕の嫌いな食べ物は、キノコとトロロなどで、小学生時代からキノコが苦手で、ちらし寿司に入った椎茸(しいたけ)程度なら食べられるが、生(なま)のマッシュルームなどが生理的に見た目で完全に駄目で、幼少時からトロロも完全に駄目だった。
小学生の給食で一度だけ納豆が出て、完全に食べられなかったが、短大生時代の交通事故で味覚障害になって、味覚を取り戻すために納豆を食べて、結局は京都大学附属病院の薬で味覚が戻って、常人より少し味覚が弱くなったが、現在も好んで納豆を食べている。
交通事故で味覚障害になって、治ってから旨味(うまみ)のグルタミン酸などを強く感じるようになって、旨味(うまみ)が日本人の強く感じる味覚で、旨味(うまみ)がキノコや海草に多く含まれて、2000年に5番目の味覚の旨味(うまみ)が世界的に知られるようになった。

僕の修学旅行先は、小学校が確か奈良で、中学校が東京で、高校が北九州で、旅行中に祖父が亡くなって、帰宅した日がお通夜だった。
数学のルート5は、2.2360679(富士山麓オウム鳴く)で、富士山麓でオウム真理教が泣いて、1995年(平成7年)5月16日に僕が中学校の修学旅行で、僕の記憶が間違いなければ、バスで富士山何合目からか下りて、バスガイドの説明通りなら第7サティアンを見た日の夕方頃に東京のホテルに向かうバスの放送で、第6サティアンで麻原彰晃を逮捕したニュースを聞いて、歴史的な出来事だった。

中学生でパソコン部に所属して、情報検索サイトを使ったか覚えてなくて、高校生から40代の今までずっと情報検索サイトは、YAHOO!JAPANを利用して、グーグルなどを使うことがほとんどなかった。

高校生の頃から髭(ひげ)が生(は)え始めて、2から3日ほど放っておいても、必ず髭剃(ひげそ)りやシェーバーで剃(そ)って、長い髭(ひげ)を生(は)やして人前に出たことが一度もない。

大江高校の卒業アルバムで、クラスで最初にハゲると思われる人の一番に選ばれて、髪の毛が薄(うす)いのを気にして、短大生時代に近くのドラッグストアで初めて育毛剤を買って、2004年2月下旬から理容フォーユー福知山店で初めて丸ボウズにして、それ以来一年中ずっと理容フォーユー福知山店で丸ボウズにして、今も育毛剤を使っている。

短大生時代に僕は、エロゲーム(美少女ゲーム)を購入し始めて、『神語(かんがたり)』や『IZUMO』などをプレイして、日本神話に興味が出てきて、短大卒業後に歴史研究するきっかけになった。
エロゲーム(美少女ゲーム)は今でもプレイして、ある意味ゲーム依存症で、恥ずかしくてオナニーを隠した。
『神語(かんがたり)』は、日本神話で双璧の軍神(いくさがみ)の経津主神(ふつぬしのかみ)と武甕槌神(たけみかづちのかみ)と神刀の布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)などに強い興味を持って、その後に神道の「みたまふり」や「みたましずめ」などの霊魂や石上(いそのかみ)神宮や古代豪族で武家の物部(もののべ)氏に興味を持って、これが後の歴史研究につながって、僕が自分にない強さ(武力)にあこがれた。

短大生時代の食事は自炊で、ジャガイモと人参と玉ねぎで、カレーライスやシチューやハヤシライスを作って、お好み焼きなどの家庭料理を多く作って、外食することが少なくて、授業日が昼食を学食で食べて、一度調理中に皮むき器で小指を切って、かなりの出血だったが、絆創膏を貼って、数日間で治った。
短大を一年間留年して、二十才を越えてから飲酒して、短大卒業後に車の免許を取って、福知山市和久市町(わくいちちょう)の「酒屋くん」だけでお酒を買って、短大生時代か免許を取ってから飲酒し始めたのか覚えていないが、アルコール度数10%以下のワインや日本酒などをよくチビチビ飲んで、太りすぎで脂肪肝が判明して、福知山市民病院に通院してから、飲酒が父のビールを何ヶ月かに一本を拝借する程度で今に至る。

短大の卒業後に自宅の農業は、2000年代が手伝うことが多かったが、2010年代頃から手伝うことが少なくなったように思えて、田んぼや畑仕事や田植えや稲刈りやトマトのテント作りなど親任(まか)せである。
短大の卒業後に自宅へ帰って毎年の夏は、夜の寝る時に毎日扇風機に当たって、夏風邪などの感染の原因になって、自室のエアコンが暑い時の昼間や夜に何度も止めて、部屋の温度が上がったらスイッチを入れるようにする。

たぶん2008年頃に自宅へインターネットをつないで、有線ケーブルを伸ばして、自室でインターネットをできるようにしたが、2004年2月下旬に買った白い机に届かなくて、ベッドの枕元にようやく届いて、ベッドでうつ伏せになって、昔からずっと同じ体勢でインターネットをする。

僕はYouTubeでたまに見る動画があって、伊勢神宮の公式動画『伊勢神宮 いせの いすずの もりのみや』(作曲はFFの音楽担当の植松伸夫(うえまつのぶお)氏)を公開以降からずっと見て、『鬼のいざない』(福知山市のPR動画)や『福知山市の元伊勢巡り Power Spot』もちょくちょく見て、3つとも伊勢神宮に関係する。
僕はいつ頃からかYouTubeでよく見る動画で泣いたこともあって、お笑い芸人のゴルゴ松本さんが少年院で教えた「命の授業」で、元の動画や外人が加工した動画を見て、漢字の意味や教訓などを教えて、すごく感動する人生の道筋である。

福知山市の平成26年(2014年)8月豪雨は、弟がお盆で帰宅して、市内の蔵出し料理あじくら福知山市本店で夕食を食べた帰りに大雨が降り始めて、弟が福知山駅から帰宅する予定だったが、洪水で近づけなくて、父に車で送ってもらって、兵庫県から電車で帰宅して、大雨が引いた翌日に僕が市民病院の診察で、自転車で自宅から行って、帰宅すると自転車のタイヤに土砂が詰(つ)まって、山水のホースで洗い流したことが記憶に新しい。

僕は陥没乳首で、身長163センチメートルが短大入学時からずっと変わらず、飛び下り自殺未遂後の入院で166センチメートルに伸びた。
短大入学時で体重は70キログラムほどで、交通事故で味覚と嗅覚がほとんど分からなくなって、60キログラムまで落ちて、京都大学附属病院に通院して感覚が戻って、リバウンドで70キログラムに戻って、短大卒業の後に自家用車でコンビニ食などを買って食べて、90キログラムほどになって、数年して100キログラムを超えたこともあって、飛び下り自殺未遂後の入院で75キログラムほどに落ちて、今が少し太っている。

僕はアニメオタクで、深夜アニメを夜中に起きて見たり、昔からアニメのDVDを多く購入したり、海外のサイトで無料アニメを見たりして、僕がDVDで恋愛アニメをよく購入して、結婚願望もあるが、親戚にずっと結婚しないだろうと言っている。
国内や海外の無料アニメを検索するようになって、それから数年して夜中に起きて、国内の気に入った深夜アニメを夜ふかしして放送直後に見て、眠くて午前10時近くまで寝ることもあって、毎日の朝食を食べない日も出てきて、現在まで続いている。
僕は保育園児でNHKの幼児向け番組『おーい!はに丸』を見て、小学生1年頃にテレビアニメの『ドリモグだァ!!』と『聖闘士星矢』などを見て、『聖闘士星矢』の単行本を買って、続きを読むのが楽しみだった。
僕は大人になってから見始めたアニメがガンダムなどで、幼少時に『世界名作劇場』の『大草原の小さな天使 ブッシュベイビー』と『愛の若草物語』など、『ドラゴンボール』シリーズと『北斗の拳』シリーズと『セーラームーン』の2期か3期辺りまで見て、『幽遊白書』と『るろうに剣心』などを見ていた。
僕が特に好きなガンダム作品は、『新機動戦記ガンダムW』と『機動戦士ガンダムSEED』と『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』と『機動戦士ガンダム00』などで、買ったDVDをたまに通して見る。
2020年5月から6月頃は、初めて『小説家になろう』で、『本好きの下克上〜私書になるためには手段を選んでいられません〜』と『異世界はスマートフォンとともに。』を読んで、おそらく11月頃に『ありふれた職業で世界最強』を読んで、2021年1月から『異世界でもふもふなでなでするためにがんばってます。』を読んで、7月5日から「なろう系」で人気の高い『転生したらスライムだった件』を読んだ。
『異世界はスマートフォンとともに。』は、2017年7月から深夜アニメで1期を見て、それから無料アニメのサイトを検索して1期を何度も見て、2期も何度も見返して、僕が一番好きなアニメで、『小説家になろう』で原作を読んでから、原作を何度も読み返して、いつからか原作が更新されて読むのを楽しんで、主人公の望月冬夜の無双っぷりや爽快(そうかい)さが面白かった。
大人になって深夜アニメは、なろう系や異世界ものが好きで、人気の『ワンピース』や『鬼滅の刃』や『進撃の巨人』などに全く興味がない。
僕が非常に感動したアニメは、アニメ版『AIR』やアニメ版『CLANNAD』や『タッチ』やアニメ版と劇場版の『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』などである。
僕は『るろうに剣心 追憶編』の緋村巴(ひむらともえ)の最期と『るろうに剣心 星雫(せいそう)編』の緋村剣心(ひむらけんしん)の最期、『幽遊白書』の浦飯幽助(うらめしゆうすけ)の最期、『機動戦士ガンダム00』(ファーストシーズン)のロックオン・ストラトスの最期、『AIR』と『CLANNAD』と『タッチ』と『YAWARA!』など、他にも多くのアニメを見て泣いた。
僕は喜怒哀楽やケガや病気などで普通に泣いて、普段から泣くことが多くて人並みで、高校生の修学旅行中に祖父の死に目に会えず、通夜で親戚を前にして、自宅の仏壇の前で泣いて、この時ほど辛(つら)かったことなどそう多くない。
僕はホームページの記事を見て泣くこともあって、2019年5月14日の午前9時頃にYahoo!で『寝たきり「象徴天皇」を見送った明仁(あきひと)皇太子の決意』という記事を見て、昭和天皇がこだわった天皇終身制を知って泣いて、太平洋戦争の戦死者のために寿命を貫かれたと思ったのが泣いた理由で、このように様々な感情などに左右されたり、病気やケガなどで当たり前に涙を流すことが多い。

僕が自分のことや歴史研究で勝利できた理由は、「自分の全てと向き合う勇気」を持って、できるだけ本当の自分を公表して、嘘(うそ)や偽(いつわ)りを述べずに戦ったからである。
僕は自殺願望と殺人願望を持ち、多くの病気を抱(かか)えた障害者で、肉体的にも精神的にも強くも弱くもあることを公言した。
僕は人生経験で保育園年長組から現在までずっと古代に興味を持って、2冊目の本の半生や出版していない本での発見の日などを克明に記録して、自分の時間の把握をし続けて来た。
僕は大きく成長する上で、自己矛盾や自己批判を繰り返して、肉体的や精神的に自分を追い詰めたが、人間的に大きく成長して、自分の過去と現在と未来などを深く考えて、自分を大きく見つめて記録してきた。
自分の全てを隠すのは普通だが、そうしないで全てをさらけ出して戦う姿勢が今の僕で、中国が過去の虐殺行為の天安門事件からずっと目をそらして現在に至って、韓国が慰安婦問題などの太平洋戦争の亡霊を追い続けて、本当の日本と向き合わず偽りの歴史を見るように、現実逃避して国や民族をあやまった方向に導く者たちがいる。
僕の「自分の全てと向き合う勇気」は、国や民族や組織なども当り前の姿勢で、過去の亡霊を見つめない者に勝利などあり得ない教訓である。

僕は英雄とか超人などの目で見られても、自殺願望と殺人願望を持つ危険な障害者で、現代人(僕以外の人間)をはるかに超える考え方ができるだけで、肉体的や精神的に同年代の人よりも弱い存在である。
肉体的や精神的に弱いのは、自殺未遂と同時のリストカット(自傷行為)の傷跡、階段から落ちて骨折して足に埋め込んだボルトとプレート、飛び下り自殺未遂で埋め込んだボルト、自殺願望が出てすぐに誰かに相談すること、自分の将来や境遇で泣いたりすることなど、僕の弱さをあるがままに公表する。
僕は決して象徴的存在とか政治家などになりたいわけでなく、アインシュタイン博士以上の超天才や後継者的存在でも、そんな特別な存在に見られたいのでない。
どんなに弱くても一生懸命に生きて、自分の歴史研究を少しでも多くの人に発信して、知的な好奇心や探究心を学んでほしいと願う一個人にすぎない。
僕は誰かに崇(あが)められたり尊敬されたい思いもあるが、人並みの幸せを歴史研究に心血を注(そそ)ぎたいだけで、決して特別になりたい見られたいわけでなく、静かに見守って社会の片隅で生きさせてほしくて、そんなささやかな思いを抱(いだ)く。

僕は世界的救世主の重責、古代天皇家の歴史の重み、生と死などへのあこがれと恐怖や渇望、自殺願望で左右される思いと感情など、自分で自分を抑(おさ)えられなくて不安定になって、結果として自殺未遂と同時のリストカットなどを起こした。
僕は少なくとも小学校低学年で何らかの障害があって、現在が自殺願望…精神障害の統合失調症抑(とうごうしっちょうしょうよく)うつが判明して、精神的に不安定になることが分かっているが、主治医やデイケアなごみの職員や両親などに相談してごまかすけれど、限度があってどうにもならない。
僕は世界でただ一人の古代天皇家の正史(正しい歴史)を求められる人間で、全人類の誰もできないことを一人で抱(かか)え込んで、自分の心や感情や障害や重責などと葛藤し続けて、誰にも理解されない思いを孤独に感じている。
僕は誰にも理解されない世界でただ一人の孤独な超天才で、一生誰一人として理解できる人間が現れず、孤独な僕の考え方が一生分かるはずもなく、それが当たり前の日常として生きなければならない。
僕が自殺しないためにすることは、社会全体が僕に自殺させないように注意して、人生を全うさせる雰囲気を作ることである。

<参考文献>
インターネット

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