『ホツマツタエ』と『三国志・魏志倭人伝』


これは出版していない3冊目以降の本の著作権を含む。

古代の男性の太陽神アマテルカミ(天照神)と現在の女性の太陽神・天照大神(あまてらすおおみかみ)は、共に倭姫命(やまとひめのみこと;卑弥呼)と神功(じんぐう)皇后(台与;とよ)を神格化して、月読尊(つくよみのみこと)が景行(けいこう)天皇(男弟)を神格化して、素戔嗚尊(すさのおのみこと)が日本武尊(やまとたけのみこと;男王)を神格化したのが間違いないが一つの疑問が浮かぶ。
天照大神と月読尊と素戔嗚尊は、三貴子(みはしらのうずのみこ)という三人姉弟の高貴な子供とする。
『三国志・魏志倭人伝』に出てくる女王と勘違いされる女王国(伊勢国)の卑弥呼(倭姫命)と実質的に邪馬台国(やまとこく;大和国)を統治する卑弥呼の男弟(異母弟)の景行天皇と卑弥呼の死後に立った男王(日本武尊)とまた女王と勘違いされる台与(神功皇后)は、なぜ4人を三貴子に神格化したのか考えると、『三国志・魏志倭人伝』の影響と考えられる。
古史古伝(「記紀」に反する書物)『ホツマツタエ』のアマテルカミは天照大神の前身で、『ホツマツタエ』の編者が『三国志・魏志倭人伝』を読んだのが間違いない。
倭姫命(卑弥呼)と神功皇后(台与)をアマテルカミに神格化して、景行天皇(男弟)をアマテルカミの弟ツキヨミに神格化して、日本武尊(男王)をツキヨミの弟スサノオに神格化したことは、4世紀中頃以降の『ホツマツタエ』を編纂(へんさん)した古代天皇家が『三国志・魏志倭人伝』を利用した。
『ホツマツタエ』や「記紀」は、古代天皇家の人物たちが八百万(やおよろず)の神々に神格化されたことを隠して、未来に誰かがひもとくことを願って書物に残した。
たまたまそれを成し遂げたのがアインシュタイン博士以上の天才の僕である。

倭姫命(卑弥呼)と神功皇后(台与)が女王と勘違いした古代中国人の思いを利用して、アマテルカミも天照大神も太陽神で最高神に君臨するように日本神話を作り上げて、その解釈を巡って現代日本人が古代中国人の勘違いをさらに曲解して間違いだらけにした。
『ホツマツタエ』の編者は、勘違いさせる偽装工作を大量にほどこして、倭姫命(卑弥呼)と神功皇后(台与)と景行天皇(男弟)と日本武尊(男王)を歴史の闇に隠れさせた。
しかしアインシュタイン博士以上の天才の僕は、わずかな痕跡を頼りに見事なまでに過去の歴史を再現し直して、倭姫命(卑弥呼)と神功皇后(台与)と景行天皇(男弟)と日本武尊(男王)の軌跡(きせき)を求めることに成功した。
倭姫命(卑弥呼)と神功皇后(台与)を女王として扱った『三国志・魏志倭人伝』を読んだ古代天皇家は、『ホツマツタエ』の中に最高神で男性の太陽神のアマテルカミとして神格化して、後世にアマテルカミを天皇家が女性の太陽神の天照大神に変化させたと考えられる。
邪馬台国論争の争点の卑弥呼と台与を太陽神アマテルカミとした古代天皇家は、倭姫命(卑弥呼)と神功皇后(台与)を歴史の闇に隠れさせて本質を変えて、景行天皇(男弟)と日本武尊(男王)をアマテルカミの弟神としてさらに混乱させた。

『三国志・魏志倭人伝』で卑弥呼には男弟がいて、卑弥呼の死後に男王が立ったと記して、『ホツマツタエ』の編者がそれをうまく利用して、崇神(すじん)天皇10年にヤマトトトヒモモソヒメをハシヅカ(箸墓(はしはか)古墳)に葬礼して、ヤマトトトヒモモソヒメを卑弥呼で、崇神天皇を男弟で、タケハニヤスを男王と勘違いさせたが、うまい具合に系図の祖先化をほどこして舌を巻く。
逆に考えると『ホツマツタエ』にヤマトトトヒモモソヒメをハシヅカに葬礼したと記して、箸墓古墳の埋葬者が景行天皇と証明する材料になって、『ホツマツタエ』の編者が『三国志・魏志倭人伝』を読んだ証明になる。

『ホツマツタエ』と『三国志・魏志倭人伝』が関連する理由は、狗奴国(くぬこく;熊襲(くまそ)王国)の記述なども含む。
『ホツマツタエ』の景行天皇12年から19年(西暦202年から209年)に九州を平定して、この時以降の遣使で敵対国の熊襲王国を『後漢書』の拘奴国(くぬこく)と記された。
『ホツマツタエ』で熊襲王国が再び反乱したのは景行天皇27年だが、正しく求めると景行天皇57年(西暦247年)で、『三国志・魏志倭人伝』の狗奴国が反乱した西暦247年と重なる。
『ホツマツタエ』が熊襲王国の反乱を隠したのは、『三国志・魏志倭人伝』との関わりを無くすためだが、アインシュタイン博士以上の天才の僕をごまかせなかった。

『ホツマツタエ』と『三国志・魏志倭人伝』の関係は、古代天皇家と古代中国の王朝との外交関係を知る材料で、外交関係がほぼ途絶えた時期より後に古代中国へ使者を派遣して、『三国志・魏志倭人伝』などの歴史書を読んで『ホツマツタエ』が編纂された。
『日本書紀』の記述から摂政(せっしょう)46年3月1日(西暦366年4月上旬頃)に百済(くだら)との外交が再開して、西暦366年以降に中国に使者を派遣して『三国志・魏志倭人伝』などを読んで、『ホツマツタエ』の編纂がそれ以降と考えられる。
『ホツマツタエ』と『三国志・魏志倭人伝』の奥深さは、我々のような現代人に測(はか)り知れない深淵(しんえん)の謎である。

<参考文献>
『完訳秀真伝』
鳥居礼・編著者 八幡書店・発行
『日本書紀(上)全現代語訳―全二巻―』
宇治谷孟・著者 株式会社講談社・発行
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