「不利」な状況で自分をどう励(はげ)ますか


これは僕の4冊目の本に記している内容を抜粋している。

人生には幾つかのもしがある

人間の人生には何度かもしその時どうなっていたら変わっていただろうという瞬間があって、僕ならもし死んでいたらどうなっていたのかと考える時がよくある。
1982年6月5日に1歳半だった僕は、自宅の金魚を飼っていた池で溺れて、後一分遅ければ溺死していたらしく、もし死んでいたら僕という存在がこの世にいなかったことになる。
1999年4月9日の午後3時頃に短大からの帰り道に僕は、交通事故にあって脳挫傷(ざしょう)クモ膜下出血で入院することになり、もし当たり所が悪ければ死ぬか植物人間になっていたかもしれない。
2008年1月7日の午前1時か2時頃に僕は、自宅の風呂場で左手首をカッターナイフで切って2度目の自殺未遂をして、軽く1〜2リットルの血が流れて福知山市民病院で7針縫う大けがで、もし思いとどまらなかったら確実に大量出血で死んでいた。
僕のもし死んでいたらというのは、普通の人間なら相当な大事に捕らえるだろうが、死にあこがれと恐怖を持つ自殺願望があって3度も自殺未遂している僕からすると、死を選ぶことに躊躇(ちゅうちょ)がなくてさっぱりしている。
人生にもしもの瞬間を求めることは現実逃避でしかなく、大切なのが今この時代この時この瞬間に生きていくことである。

先細りの人生を送らないと腹をくくる

中村修二博士は会社の人事異動で思いもかけない部署に配属されても思い悩まず、むしろ大丈夫と自分に言い聞かせるくらいでないと先細りの人生しか送れなくなるという。

僕は古代日本史研究を始めて何度も自分は間違っていないかという疑問にぶつかって何度もくじけそうになったけれど、誰も求めたことのない未知の分野に挑戦しているのだから心配しても仕方なかった。
自分でも答えの全く分からない疑問にぶつかった時、逃げ出すか立ち向かうかの二者択一で、僕が選んだのは立ち向かって前進あるのみで、それが結果として一大理論として成功した。
僕が研究して答えを出した古代日本史は、全く誰も予想のしていなかった360度の発想転換で、コペルニクス的転回(非常識な考え方の集合体)という言葉の解釈の限度を超えるもので、自分も正直そこまで予想しておらず結果的にそうなったのである。
僕は先細りの人生を送らないと腹をくくるわけでないが、人生経験の失敗など当たり前のことで、失敗を恐れていたら成功などあり得ないことを味わって、ただ人生を努力して走っていくだけである。

全くの門外漢が大それた研究に乗り出す

僕は古代日本史研究を小さい頃から勉強してきたわけでなく、小学校高学年の時に土器集めや邪馬台国論争の新聞記事集めをして、その後も歴史に興味を持っていた程度の人間で、全くのシロウトも同然のできそこないにすぎなかった。
ただ22歳の誕生日頃に古代日本史研究を始めた時からアインシュタイン博士クラスのコペルニクス的転回(非常識な考え方の集合体)を発揮して、全くのシロウトのできそこないにすぎなかった自分にとんでもない才能があることに気付きもせず、古代日本史研究を始めて1年半ほどしてアインシュタイン博士クラスの天才であることを知った。
僕は古代日本史の全くのシロウトだったが、日本神話も邪馬台国論争も倭の五王もコペルニクス的転回でしかひもとけず、僕以外の誰も全く解釈できないことに気付かなかった。

コペルニクス的転回は偶然に起こすのと普段から使いこなすのに大きな違いがあって、僕だと普段から使いこなすことのできる実力がそなわっており、それ故に半端でなく偉大な存在になったのだろう。
コペルニクス的転回の持ち主は、どうすればなれるのか僕にも世界中の頭脳研究の学者なども分からないのだから、とにかく色々な分野の勉強をして才能を発揮するしかなく、そうすればコペルニクス的転回を持っているかどうかも分かるだろう。
全くのシロウトがコペルニクス的転回の持ち主なら、その才能はウナギ登りで凡人の常識など通用しない全くの未知数で、世界中で僕のような才能の持ち主が出現することを祈る。

たった一人の研究

中村修二博士は半導体研究がたった一人の研究開発チームで、何をするにも予算が少なかったと記している。

古代日本史研究を孤独の「ひらめき」で頑張ってきた僕と同じく、発明王エジソンも孤独の「ひらめき」で千件以上の特許を取得して、20世紀最高の天才アインシュタイン博士も孤独の「ひらめき」で相対性理論を生み出しており、歴史上の偉人たちはたった一人で頑張って来た人物が多い。
もしたった一人で研究することをなげくのならそれまでで、たった一人だからこそ圧倒的な成功を手にするビッグチャンスであることを知らず、誰よりも可能性のある人間になれる道を閉ざしてしまう。
たった一人で頑張って考えることは独創性…「ひらめき」を高めて、大多数で考えれば似たり寄ったりのドングリの背比べになって大した考えができず、孤独になることを恐れる人間に成功などあり得ない。
たった一人で頑張らなければいけないのなら、それを逆境にむしろプライドを持つのも良いだろうし、そうすれば大成功するきっかけにもなるはずである。

こんな試行錯誤こそ成功のベースになる

中村修二博士はああだこうだと想像力を働かせて試行錯誤しながら物を作り上げ、実際に当初の想像と違ってうまくいかない部分が多く出てくるが、それを自分の経験や知恵で克服して困難を乗り越えたところに創造的な物が生まれてくるのだという。

僕は古代日本史研究で国生み神話に何らかの意味があると試行錯誤して、だが結局のところ国生み神話に大して意味などなかったのだが、日本神話や邪馬台国論争などの定説や異説を細かく研究する頭脳や知識をつちかうのに役立った。
僕は色々な神社巡りをして参考文献を買いあさって少しずつ情報を集めて、それを自分の頭脳と知識で次々に組み合わせていき、古代日本史研究の答えを導き出してきた。
どんなに無駄だった古代日本史研究でも、自分の経験や知識をたくわえて試行錯誤して成功する基盤となり、決して無駄なことでなく必要な時間だった。
自分に与えられた環境や条件を最大限に活用して、どんなに小さなヒントも逃さずに利用していくことが大切で、それが成功への第一歩につながるのである。

<参考文献>
『「バカになれる男が勝つ!」』
中村修二・編者 株式会社三笠書房・発行

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