富士宮下文書(ふじみやしたもんじょ)


『富士宮下文書』は日本神話に登場する神々が出てくるが、年代や内容がばらばらで「記紀」と異なりすぎて偽物の可能性が高い。
紀元前219年に秦(しん)の始皇帝に徐福(じょふく)は、当方の不老長寿の霊薬を持って帰ると持ち掛けて、大船85隻で富士高天原を目指して、徐福が日本に到着して、富士高天原で象形文字の神代記録や古老の口伝を集めて、それを漢字に書き直して編纂(へんさん)したのが『富士宮下文書』の原型だと言う。
古代天皇家の建国は西暦84年で、徐福がどんな古伝承を集めても日本神話の欠片(かけら)も作れないと考えられて、『富士宮下文書』の徐福の話が創作と考えられる。
専門家はだませても、アインシュタイン博士以上の天才の僕が古代天皇家の正史を特定した段階でだませず、『富士宮下文書』の伝承など取るに足らない。

『富士宮下文書』は人類の発祥地が須弥山(しゅみせん)と呼ばれて、その山の周辺が東西南北の四州に分かれて、それぞれに人種が発生したとされて、須弥山の場所が天竺(てんじく;インド方面)か蓬莱(ほうらい;富士山付近)とする説などがあるが、人類誕生地がアフリカである。
初期の人類文明が大陸で展開して、これを阿間野世(あまのよ)7代と天之御中世(あめのみなかよ)15代の神々と言う。
阿間野世7代は、「天目野穂日夫神(あめのほほおのかみ)・天目野穂日母神(あめのほほものかみ)」の夫婦の神様を初代として、天竺の阿間都州(パミール高原か?)に暮らしていた。
天之御中世15代は、「天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)・天之御中比女神(あめのみなかひめのかみ)」の夫婦の神様から始まり、震旦(しんたん)国(中国大陸)において栄えた。
これらの神々の時代に、食物の調理や衣類や住居や土器など生活用具の制作といった人間の生活に必要な様々なものが作られて、さらに文字と筆記具が生み出された。
天之御中世の15代目は中国史で神農氏(しんのうし)と呼ばれる聖王で、神農氏の一族が東方の蓬莱を目指してそこを高天原と定めて、目標とした山が「高砂野不二山(たかさごのふじのやま)」や「日向高地火の山(ひゅうがたかちほのやま)」と呼ばれた富士山である。
『日本書紀』では「日向の高千穂」が宮崎県の高千穂峰に当たり、『富士宮下文書』によると九州の山でなく、富士山を意味することになる。

神農氏の兄弟で、兄のクニトコタチと弟のクニサツチが西と東に分かれて国を統治して、それぞれ丹波の田羽山(たわやま)と富士山北麓の菅原の地とに葬られた。
この兄弟から始まる時代を高天原世(たかがははらよ)7代と言って、クニトコタチの墓である田羽山が、京都府亀岡市の出雲大神宮の御神体山である千歳山のことらしい。
高天原世7代に続くのが豊葦原瑞穂国(とよあしはらみずほのくに)5代で、その都が高天原世と同じ富士山の北麓の高天原である。
『ホツマツタエ』は富士山の高天原を記していて、『富士宮下文書』が『ホツマツタエ』と同じ史料を底本にしている可能性がある。
豊葦原瑞穂国の初代が女王のオオヒルメで、その時代に新羅(しらぎ)の王子のタカ王が国土を奪おうと高天原まで攻め寄せて、オオヒルメが一時山奥の岩戸に隠れて難を逃れて、やがてタカ王もオオナムチたち高天原の家臣の説得に応じて、これから後にオオヒルメを姉として敬(うやま)うことを誓って、タカ王がソサノオと名前を改めた。
この神話は「記紀」のスサノオの昇天とアマテラス(オオヒルメ)の天岩戸(あまのいわと)隠れの下りに対応する。
書かれているここまでの神話が滅茶苦茶で、女王オオヒルメと弟ソサノオとあるのが日本神話と共通して、ソサノオの名前がスサノオより古い呼び名で、『ホツマツタエ』と共通なのが注目すべき点である。
タカ王がオオヒルメに恭順の意味を表すために献上した宝物は、剣と鏡と蓬莱山をかたどった玉飾りで、三種の神器として代々の皇統に受け継がれることが決まった。
『富士宮下文書』の三種の神器は剣と鏡と玉で、現在の三種の神器と共通して、多くの古史古伝も同じだろう。
タカ王が新羅の王子という部分は、新羅が朝鮮半島に建国して以降の記述になって、天日槍(あめのひぼこ)が新羅の王子とされることに重なって、『富士宮下文書』の成立が新羅の建国以降になる。
タカ王の侵攻はその改心によって防いだが、その後も豊葦原瑞穂国が外敵の侵攻に悩まされ続けて、豊葦原瑞穂国5代のアソオが九州に遷都して、国の防衛体制を高めることにした。
この九州遷都後以降の世代を宇家潤不二合須世(うがやふきあえずよ)と言って51代続いたとされて、宇家潤不二合須世の歴代は外敵からの侵攻に抵抗し続けたが、51代目の時代に内乱が発生したのを契機に、畿内に遷都して大和朝廷の歴史が始まる。
『上記』のウガヤフキアエズ王朝は73代で、『富士宮下文書』の宇家潤不二合須世が51代で、世代数が異なるだけでなく、『上記』のウガヤフキアエズ王朝に女王がいるが、『富士宮下文書』の宇家潤不二合須世に女王がいなくて、男系のみで王位継承している。
豊葦原瑞穂国の実質的な首長はオオヒルメ以降が女性ばかりで、群臣が3代目にコノハナノサクヤヒメを時期女王に擁したが、彼女がそれを辞退して九州の王であるニニギがそれを聞きつけて、自ら高天原の首長になろうと富士山にやって来て、群臣がコノハナノサクヤヒメを后にするという条件でニニギに国を譲った。
ニニギの妻のコノハナノサクヤヒメは、自ら南島にサクタヒコなどの将兵をひきいて遠征して、戦闘終結後に夫から敵の子をみごもったのかと疑われて、富士山の火口に見を投じた。
首都が冨士を離れた後も宇家潤不二合須世や初期の大和朝廷の歴代天皇は、富士高天原を敬慕して、高天原の神々を祭る阿祖山(あそやま)大神宮を守護し続けた。
しかし富士山の度重なる噴火で、阿祖山大神宮は次第に衰微して、富士高天原の栄光も隠滅された。
『富士宮下文書』の日本神話は、「記紀」と根本的に大きく異なるが、神武(じんむ)天皇以降の古代大和朝廷より前の時代が『上記』と共通する。
『富士宮下文書』は中国やインドの外国を記して、古代天皇家の先祖がそちら方面に渡った可能性が考えられる。
古代天皇家の先祖は世界中を巡って王朝を開いたと考えられて、『上記』と共通する『富士宮下文書』の長大な神様の世代が興味深い。

『富士宮下文書』は出雲系の神々のオオナムチとコトシロヌシとスクナヒコナなど皆がニニギの臣下で、「記紀」の国譲り神話で出雲系の神々が高天原の神々と対立したが、『富士宮下文書』にそんな対立関係がない。
『富士宮下文書』はオオヒルメ以降ずっと富士高天原の実質的な首長は女性で、オオナムチとコトシロヌシとスクナヒコナたち群臣がコノハナノサクヤヒメを時期女王に推(お)して、彼女がそれを辞退した。
ところが九州の王のニニギはそれを聞きつけて、自ら富士高天原の首長になろうとやって来て、群臣がコノハナノサクヤヒメを妃にする条件で、ニニギに国を譲ったと言う。
「記紀」の国譲り神話は、出雲でなく富士高天原で起こった出来事で、その時ニニギに譲られたのが富士高天原そのものの王権で、「記紀」の出雲系の神々がなぜ高天原の臣下とされたか謎が解ける。
コノハナノサクヤヒメは王位を辞退したが、群臣から富士高天原の実質的な女王とみなされて、阿祖山大神宮の後継神社の冨士山本浅間大社が祭神をコノハナノサクヤヒメとするのも納得がいく。
ニニギはコノハナノサクヤヒメの入り婿(むこ)になって以降、その王位がニニギの子孫の男系で継承されて、この国譲り神話が女系から男系への転換を表しているとも考えられる。
『富士宮下文書』は「記紀」と全く異なる日本神話を伝えて、本物とみなしがたいが興味深い伝承である。

『富士宮下文書』のコノハナノサクヤヒメの神話は、インド神話の叙事詩『ラーマヤーナ』の筋立てと酷似している。
『ラーマヤーナ』は古代インドの王子ラーマが妃シータを悪魔ランカにさらわれて、猿の王の助けを借りてランカの住む南の島に遠征して、ラーマがシータを救出するがその貞操を疑って、シータが燃える火に身を投じて自らの貞操を証明した後に大地に飲み込まれて、残されたラーマが悲しみに沈む。
『富士宮下文書』はコノハナノサクヤヒメがサクタヒコ(猿田彦(さるたひこ)か?)の助けを借りて南島に遠征して、戦闘終結後に夫のニニギから敵の子をみごもったのかと疑われて、コノハナノサクヤヒメが自らの貞操を証明して富士山の火口に呑み込まれた。
こうして比較すると『ラーマヤーナ』と『富士宮下文書』は共通で、日本神話とインド神話に共通性が多いなら、古代天皇家の先祖がインド神話を伝えた証明となる。
古代天皇家の先祖は世界中の神や王家の血脈で、世界中の多くの文明や王朝が皇室の先祖が開いたと僕が証明して、公然の秘密になりつつある状況で隠すことでもない。
『富士宮下文書』は皇室をインドと結びつける重要な歴史書として、将来重宝される大切な伝承と評価すべきである。

<参考文献>
『『古史古伝』異端の神々』
僕・原田実 株式会社ビイング・ネット・プレス:発行
インターネット

戻る