因幡(いなば;鳥取県東部)の白兎(しろうさぎ)神話


これは出版していない3冊目以降の本の著作権を含む。
『記紀』の原文を青字、僕の解釈を赤字、僕の説明文を黒字で記す。

大己貴神(おおなむちのかみ)の兄弟の八十神(やそがみ)は、全員が因幡(いなば)の八上比売(やがみひめ)と結婚したい下心があって、共に因幡(いなば)に行った時、大己貴神(おおなむちのかみ)に袋を持たせて、従者として連れて行った。
鳥取市の気多岬(けたのみさき)に来た時、丸裸になった兎(うさぎ)が横たわって、これを見た八十神(やそがみ)が兎(うさぎ)に言って、「体を治すには塩水を浴びて、高い山の頂上で風に当たると良い」と教えられて、兎(うさぎ)がその通りにすると塩水が乾くにつれて、体の皮膚が風に吹かれてひび割れた。
兎(うさぎ)が痛み苦しみ泣き伏していると、八十神(やそがみ)の最後に付いて来た大己貴神(おおなむちのかみ)が兎を見て、なぜ泣いているのか尋ねると兎(うさぎ)が答えた。

「私が隠岐島(おきのしま)からここに渡りたいと思って、渡る方法がなかったので海にいるサメをだまして、兎(うさぎ)とサメの一族のどちらが多いか数えるので、サメの一族がこの島から気多岬まで一直線に並んで、私がその上を走りながら数え渡って、どちらの一族が多いか分かるだろう」と言った。
そして、「サメが並んでだまされている時、私がその上を数えて渡って今や地上に下りる時に、お前は私にだまされたのだと言い終わると、一番端にいたサメが私を捕まえて、私の皮をはぎ取って丸裸になり、泣き悲しんでいた所に八十神(やそがみ)が来て、塩水を浴びて風に当たって寝ると良いと言われて、その通りにすると私の体が全身傷だらけになった」と言う。
大己貴神(おおなむちのかみ)が兎(うさぎ)に教えるには、「今すぐに河口の真水で体を洗って、すぐに河口の蒲(がま)の花粉をまき散らし、その上に寝転がればお前の皮膚(ひふ)は、元ように治るだろう」と言った。
そこで教えの通りにした所、兎(うさぎ)の体は元通りになって、これが因幡(いなば)の白兎(しろうさぎ)の物語である。
今もこの兎(うさぎ)を兎神(うさぎがみ)と呼び、その兎(うさぎ)が大己貴神(おおなむちのかみ)に、「八十神(やそがみ)がきっと八上比売(やがみひめ)と結婚できず、袋を背負っているけれど、あなたこそ八上比売(やがみひめ)と結婚できるでしょう」と言った。


八十神(やそがみ)は、白兎(しろうさぎ;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)の兄弟で、『ホツマツタエ』で日本武尊(やまとたけのみこと)の父である景行(けいこう)天皇の子供が計81人で、数がほぼ一緒で重なる。
白兎(しろうさぎ;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)は、八十神(やそがみ;日本武尊(やまとたけのみこと)の兄弟)がだましたが、太陽神殺しの大罪で強行即位して、『常陸国風土記(ひたちのくにふどき)』で「倭武天皇命(やまとたけのすめらみこと)」と記して、『阿波国風土記(あわのくにふどき)』で「倭健(やまとたけ)天皇」と記して、悲劇的英雄の嘘(うそ)で、だましたと考えられる。
白兎(しろうさぎ;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)は、皇位継承権争いでサメ(皇族や豪族)の包囲網ができあがって、追いつめられて海に逃れて出雲王国に亡命して、最後の出雲国王の大己貴神(おおなむちのかみ;飯入根(いいいりね)を神格化)が白兎(しろうさぎ)の仲介(ちゅうかい)で、八上比売(やがみひめ;誰を神格化したか不明)と結婚した。


白兎(しろうさぎ;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)を救った大己貴神(おおなむちのかみ;飯入根(いいいりね)を神格化)は、八上比売(誰を神格化したか不明)と結婚したのでなく、元々が結婚していた可能性がある。
大己貴神(おおなむちのかみ;飯入根(いいいりね)を神格化)と八上比売(やがみひめ;誰を神格化したか不明)の息子は、木俣神(きまたのかみ;別名を御井神(みいのかみ)が物部(もののべ)氏の出石心大臣命(いずしこころおおおみのみこと)を神格化で、出石(いずし)の県主(あがたぬし)になったなら、因幡(いなば)の白兎(しろうさぎ)神話以前の子供の可能性がある。
大己貴神(おおなむちのかみ;飯入根(いいいりね)を神格化)の正妻は、須勢理毘売(すせりひめ;布忍姫(ぬのおしひめ)を神格化)で、八上比売(やがみひめ;誰を神格化したか不明)と別人で、須勢理毘売(すせりひめ)の嫉妬(しっと)を恐れて、八上比売(やがみひめ)が息子を連れて、出石(いずし)に逃げ帰った。

白兎(しろうさぎ;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)を襲ったサメ(皇族や豪族)は、出雲王国に亡命するため船で逃げる日本武尊(やまとたけのみこと)を追撃する皇族や豪族の乗る軍船を神格化した。
白兎(しろうさぎ)は、隠岐島(おきのしま)から鳥取市の気多岬(けたのみさき)に渡って、武埴安彦命(たけはにやすひこのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を祖先化)が山城(京都府南部)にいて、京都府北部の海岸から出雲王国に逃げたと考えられて、因幡(いなば)の白兎(しろうさぎ)神話の真相である。
『ホツマツタエ』垂仁(すいにん)天皇23年10月8日は、誉津別命(ほむつわけのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を祖先化)が鵠(くぐい;葦髪蒲見王(あしかみかまみのみこ)を祖先化)を追いかけさせて、但馬(たじま;兵庫県北部)路から出雲(いずも;島根県東部)に向かって、鳥取部(とっとりべ)の名字(みょうじ)が登場して、因幡(いなば)の白兎(しろうさぎ)神話が鳥取県側から亡命して、この日付を2022年9月20日に求めた。
『日本書紀』景行(けいこう)天皇28年の月日不明は、日本武尊(やまとたけのみこと)が大和へ帰る途中で、吉備穴門(きびあなと;広島県深安郡)と波速(なみは・難波;現在の大阪市)の柏済(かしわのわたり;淀川河口付近の船着場)にいた賊を皆殺しにして、逆に大阪湾から広島県に逃げて、因幡(いなば)の白兎(しろうさぎ)神話を連想するようにした。
因幡(いなば)の白兎(しろうさぎ)神話は、八岐大蛇(やまたのおろち)退治神話と同じく、固定観念や先入観を利用して、うまく嘘(うそ)にだまされた。
白兎(しろうさぎ)の皮膚(ひふ)を治した蒲(がま)は、古くから治療効果があるのが知られていた。

因幡(いなば)の白兎(しろうさぎ)神話は、『古事記』を基(もと)にして、西暦251年(天皇不在の年)の皇位継承権争いの逃亡を神話化した。

<参考文献>
『日本書紀(上)全現代語訳―全二巻―』
宇治谷孟・著者 株式会社講談社・発行
『古事記(上)(中)―全三巻―』
次田真幸・著者 株式会社講談社・発行
『完訳秀真伝』
鳥居礼編・著者 八幡書店・発行
インターネット

戻る