意識して初めて正しいか間違いか分かる


これは出版していない3冊目以降の本の著作権を含む。

2019年6月8日の午前1時頃にようやく僕は、意識して初めて正しいか間違いか分かることに気付いて、人間全ての考え方が成立することに気付いた。
これは僕の証明した現代哲学理論「現象学」に基づいて、全ての人間が捕らわれる常識・固定観念・先入観・理屈・伝統にも関係して、全ての人間の考え方にも関わる一大革命である。
全人類の考え方は正しいか間違いか分からず、人間一人一人の考え方も正しいか間違いかも分からないが、共通した認識があると意識して常識・固定観念・先入観・理屈・伝統を生み出す。
そもそも全ての人間は、共通の考え方をするかしないかも「思い込み」で、共通すると思い込んで常識・固定観念・先入観・理屈・伝統を生み出すが、明確に共通するものなどない矛盾が生まれる。
人間は共通の認識で正しいか間違いか生み出すが、人間一人一人の間違いが常識・固定観念・先入観・理屈・伝統に捕らわれて成立する。
人間の考え方は、全てが意識するかしないかで初めて正しく認識することを証明することだった。

言葉で簡単に説明できないが現代哲学理論「現象学」は、考え方そのものを徹底的・根本的に定義付ける哲学で、全ての人間の考え方を哲学させることが目的である。
現代哲学理論「現象学」は、「当たり前だと思うことを疑う」や「伝統的なものの見方をひっくり返す」などと訴えるが、根本的に考え方を哲学して答えを導く人間の登場…つまり僕を待っていた。
当たり前だと思うことは、人間全てに共通する考え方で、常識・固定観念・先入観・理屈・伝統に捕らわれることで、僕の全ての本やホームページや資料を疑問視することでもある。
僕の定義付けた現代哲学理論「現象学」の答えは、全てを根本的・徹底的に疑うことで成立して、明確に正しい答えがあるかも分からない。
確かに僕は現代哲学理論「現象学」を自分なりに哲学して定義付けたが、それが正しいか間違いか完全な答えなどなくて、人間の全ての考えに明確な答えがない。

数学は明確な答えがあると言うが、小数点が割り切れず、ゼロの概念がインドで発見されるまで世界中になくて、数学に明確な答えなど存在しないけれど、誰も気付かなかっただけで元々答えが存在した。
国語や哲学は明確な答えがなく、十人十色という言葉通りに人類全員の数だけ答えがある。
常識・固定観念・先入観・理屈・伝統は、10進数が当たり前で人間の指が10本だからで、人間の指が8本なら8進数が常識で、人間の指が6本なら6進数が常識になる。
それはつまり人間の考え方は、全て常識・固定観念・先入観・理屈・伝統に捕らわれて、正しいか間違いか認識して、それが正しいか間違いかの矛盾である。
人間の考え方は明確な答えがなくて、全てが矛盾して矛盾していない考え方が正しくて、こんがらがるかもしれないが答えがそれである。
僕はそもそも考え方を哲学して答えを導いたが、そこに明確な答えがない矛盾こそが物事の心理である。

誰かが著作権を侵害したとか、裁判で過去の判例があるから裁(さばか)かれるとか、人を殺したから許さないとか、人道や正道に反するとか、そういった認識は全ての人間が共通の認識をするから成立するが、逆を言えば全ての人が従わないから成立しない。
人間全てが共通の認識をするか疑問視すべきで、人間の考え方の全てが矛盾する。
アインシュタイン博士は相対性理論を生み出して、絶対の理論と思い込んでいるが、いつか否定される理論も登場するだろう。
僕は日本神話が史実を神話化したと証明して、古史古伝(「記紀」に反する書物)『ホツマツタエ』の日本神話から実証して、黄泉国(よみのくに)下り神話が狭穂彦王(さほひこのみこ)の反乱を何重にも神話化して、「記紀」から海幸彦(うみさちひこ)と山幸彦(やまさちひこ)の神話が『日本書紀』の大山守皇子(おおやまもりのみこ)の反乱を神話化したことを証明した。
これを僕はホームページでも公表するが、十人十色の言葉通りに色々な解釈がされて、正しいとも間違いとも意見が分かれて人々が証明するしかない。
しかし世間で専門家と呼ばれる人もしょせんは人間で、十人十色で星の数ほど意見が分かれて、統一見解を生み出せるかもあやしい。
考古学会と歴史学会は、邪馬台国(やまとこく;大和国)論争で北九州4ヶ国(北九州の属国)の定説の間違いを認めず、僕の自論が正しいのが真実・事実でも、学会の統一見解をいつまでも出さなかった。
僕は宮内庁に何度も僕の本とCD−RやUSBなどを送って、僕のホームページのことも報告して、僕の自論が正しいことを訴えて、すでに皇族方が僕の自論を知っておられる可能性もあるが、守秘義務などで明かされないかもしれない。
どうであるにしても僕の自論は、いつの日か僕の実力や才能と共に証明されて、一大革命を迎える時が訪れて、僕が生きているか死んでいるかも分からない。

反重力理論や地殻移動説は物理学や地質学から異端視されるが、僕の好きな興味分野で大いに刺激されて、理解できない所も多くあるのにあこがれる。
UFOやUMA(未確認生物)や幽霊や超常現象や超古代文明などは、証明されなくて人間の好奇心や恐怖心を刺激して、僕の興味対象の分野で、映画やアニメなどで日常的に取り上げる。
神様も同じだが、神様は『ホツマツタエ』で神が人で人が神だとして、神が人を殺して逆に人が神も殺して、僕が日本神話の神々が実在した人物を神格化したと証明した。
人間の好奇心や恐怖心を刺激する未知の分野は、僕が神様を証明したように人々に理解される日が来るだろう。
人間の疑問はどんなものでも当たり前で、僕が超天才なのを誇りにしたり恐怖したり、僕の自殺願望があこがれたり恐怖したり、僕が死ぬことを天才とも馬鹿とも考えたりするのも矛盾で、人間なら当たり前に考えられる。
それは僕が正常でも異常でもあって、天才や馬鹿が相反する考え方に行き着くのが自然で、それが人間の自然な思考や感情である。
人間だれしも人に理解されたいとも理解されたくないとも考えて、世の中に理解できることとできないことがあるように、色々な考え方を生み出す興味対象が転がる。
人類の数68億通りの人生や思いが存在して、星の数ほどの考え方を全て結び付けることなど不可能で、神様のような創造主でない限り不可能である。

<参考文献>
『この一冊で「哲学」がわかる!』
白取春彦・著者 株式会社三笠書房・発行

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