天皇家と古代イスラエル文明
天皇家と古代イスラエルは、共通の先祖を持つ日ユ同祖論(日本人とユダヤ人が共通の先祖とする説)があって、ウィキペディアで日ユ同祖論を検索すると、あまりに共通性を多く指摘している。
上皇の叔父にあたる三笠宮様は、古代オリエント史の学者として知られるが、当初から研究のメインテーマが古代イスラエルと聖書だったとあまり知られていない。
日ユ同祖論は三笠宮様が興味を持っておられて調査されていた節がある。
歴史学者になられた三笠宮様は、昭和28年1月に日本とユダヤ人の関係を研究し親善を深める目的で結成された日ユ懇話会の会合に出席されて、三種の神器である八咫鏡(やたのかがみ)の裏に、ヘブライ語で「我は在りて有る者」と書いてあるという噂が話題となった。
明治時代に文部大臣を務めた森有礼は、伊勢神宮へ行って天皇でも見ることを許されない八咫鏡を大臣の権限で、特別に頼み込んで見せてもらって、実際に「我は在りて有る者」を意味する文字が書かれていたという。
この話に強い関心を持たれた三笠宮様は、いずれ調査すると語られて、同席した東京イブニングニュースの支局長がスクープして話題となったが、その後で実際に調査されたか発表されていない。
八咫鏡の表面に刻まれた文字は高橋良典氏が解読して、「あな畏(かしこ)け、サハな崇(あが)めつるイサクら言祝(ことほ)ぎつ、あな畏け、サハな崇めつる」と読めて、イスラエル王国の最後の王ホセア(イサク)が、サハと呼ばれた宇宙船サブハを奉(たてまつ)った意味だと言う。
八咫鏡に書かれた文字に関する2つは、共にイスラエルに関係しているが真偽が不明で、本当か嘘か分からず確かめようのない情報である。
現代日本人の父系(男系)の遺伝子グループは、「O」系統が50%で、「D」系統が40%で、残りが「C」系統やその他で、「O」系統が弥生人で、「D」系統が縄文人に由来して、「D1b」が日本人に高頻度で受け継がれて、世界でも貴重な遺伝子系統で、日本人の「D1b」が圧倒的に集中する。
遺伝子グループ「D1a」系統は、チベットやインド東部のアンダマン諸島などの限られたアジア地域でも観測するが、「D1b」系統が日本国内だけで、アイヌ人が約80%で、琉球人が約40%で、本土日本人が約35%で、「D1b」系統が縄文人に由来する遺伝子である。
遺伝子グループ「D」と「E」の系統は、特殊な遺伝子の系統で、遺伝子グループ「DE」系統をまとめたYAP(ヤップ)遺伝子の変異した物に定義して、YAP(ヤップ)遺伝子が約7万年前に東アフリカにすむ一人の男性の遺伝子が変異して、遺伝子グループ「DE」系統ができたと考えられる。
YAP(ヤップ)遺伝子は、日本人の多くが持っていて、特徴としてがっしりした体形で毛深くて、彫りが深くて、目鼻立ちがしっかりして、縄文人の特徴と合致する。
遺伝子グループ「E」系統は、アフリカや中東やヨーロッパの人々で、遺伝子グループ「D」の日本人と遠く離れて、「E」系統で名前が挙がるのが古代イスラエル人で、紀元前722年に北イスラエル王国の滅亡後に消えた「失われた10支族」のほとんどが「E」系統で、エフライム族とマナセ族が「D」系統で、日本に行ったとして、日ユ同祖論(日本人とユダヤ人が同一氏族とする説)を提唱する。
突拍子もない説は、天皇家とエフライム族の系図の似た点や聖書と「記紀」などの関連性もあって、多くの共通点が存在して、日ユ同祖論を簡単に否定できない。
天皇家は、イスラエル文明やメソポタミア文明やエジプト文明などと関係して、正統『竹内文書(たけのうちもんじょ)』の関連性や都市伝説と片付けられず、超古代文明などと同様で、いつかひもとける未来も来るはずで、これを2023年2月16日に記した。
紀元前722年に北イスラエル王国はアッシリアに滅亡させられて、北イスラエル王国にいた10支族(失われた10支族)が行方不明になって、南ユダ王国の2支族が現在のユダヤ人になったとされて、古代イスラエルに12支族がいたとされる。
紀元前721年に皇統譜(天皇家の戸籍簿)の初代・神武(じんむ)天皇は生まれて、紀元前660年1月1日(建国記念日)に即位したとされて、失われた10支族の中から神武(じんむ)天皇が即位して、ユダヤ人の出身のように思わせる偽装工作である。
神武(じんむ)天皇元年1月1日(紀元前660年2月11日)は、北イスラエル王国が滅亡した紀元前722年との関連が指摘されて、干支(えと)の60年周期で、約60年繰り下がって、北イスラエル王国の失われた十二支族(じゅうにしぞく)のユダヤ人が日本にやって来て、神武(じんむ)天皇をユダヤ人と疑わせるため、イスラエルの情報を知っていたと考えられる。
6世紀前半の西暦525年にヨーロッパで西暦年はできて、『ホツマツタエ』が6世紀から7世紀中に西暦年を組み込んで完成して、8世紀前半に「記紀」を作成した古代天皇家が世界中に使者を派遣して、日本神話が世界中の神話との関連性を指摘する理由で、圧倒的な外交力があったと考えられる。
2024年6月22日の午後11時頃に記録したユーチューブの松田光世(まつだみつよ)氏の話は、紀元前772年に北イスラエル王国が滅亡して、ユダヤ人が敵対国アッシリアの囚人(しゅうじん)になって、日本の天津神(あまつがみ)がたまたまイスラエルに行って、国王らユダヤ人を助け出して、長い航海でようやく日本に着いた時、王様が航海中の日焼けすごくて、体が真っ赤で、熱射病のようになって、死にかけて動けなくなったと言う。
そこにたまたま通りがかった大国主神(おおくにぬしのかみ)は、北イスラエル王国の王様が因幡(いなば)の白兎(しろうさぎ)で、蒲(がま)の油を切り裂(さ)いて、全身に塗(ぬ)って落ち着けて、王様の妹が白兎(しろうさぎ)が仲介した八上比売(やがみひめ)で、大国主神(おおくにぬしのかみ)と結婚して、王様が助かって瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)と名付けられたと言う。
僕が求めた日本神話は、完全解釈した内容に間違いがなくて、松田光世(まつだみつよ)氏の話が(うそ)嘘と証明できるが、この興味深い伝承が日ユ同祖論(日本人とユダヤ人が共通の先祖とする説)とつながって、完全に否定できない。
応神(おうじん)天皇14年(西暦403年)に弓月君(ゆづきのきみ)が百済から来て、「私は国の人民をひきいて来たが、新羅(しらぎ)が邪魔をして、皆が加羅国(からのくに)にとどまっている」と言って、葛城襲津彦(かつらぎのそつひこ)を派遣して弓月の民を加羅国に呼んだが、葛城襲津彦が帰還できなかった。
弓月君は『新撰姓氏録』によると秦の始皇帝(紀元前246年即位)の五世孫とされるが、年代が全く合わず始皇帝の子孫という情報自体があやしいけれど、渡来系の秦(はた)氏の直系先祖に当たるのが間違いない。
渡来系の秦氏は、失われた10支族に当たって、古代イスラエルと関係があるとされるが、僕が『日本書紀』を完全解釈してはじき出した西暦年から考えて、単なる想像のしすぎとしか結論が出せない。
天皇と皇室を表す紋章の菊花紋は、エルサレム城壁の西の門にはっきりと刻まれているが、その理由や起源がよく分かっていない。
伊勢神宮の灯籠(とうろう)にはダビデの星が刻まれていて、ダビデの星が奥宮の伊雑宮(いざわのみや)の紋章で、古代からのものだと言う。
京都府宮津市の元伊勢籠(この)神社でもダビデの星が使われていて、他にも日本中でダビデの星が見受けられる。
ダビデの星は、古代イスラエルの王ダビデの紋章で、現在のイスラエル国旗のシンボル・マークとして使用されて、ユダヤ人独特の印である。
神社の神輿(みこし)の形は、イスラエルの三種の神器を納める「契約の箱(アーク)」に実にによく似ていて、それを人々がかついで移動できるように横に棒がついてる。
また聖書でイスラエルの王ダビデは、アークがエルサレムに戻ってきた時、アークをかつぐ者たちと共に町の中をめぐり歩いて、その前で踊ったと書かれている。
これは日本で神輿をかつぐ者たちが踊る人々と共に、町の中を巡り歩く光景によく似ている。
イスラエルの三種の神器は、日本の三種の神器と全く違うものだが、3種類を神器とする点が共通して、同じものを変えたと考えられる。
神社は礼拝をする拝殿と御神体を安置する本殿に分かれて、イスラエル神殿も中は聖所と至聖所と呼ぶ2つの場所に分かれている。
こうした神殿の形は日本とイスラエルだけで、中国や欧米などだと存在しない。
ヘブライ語の「ヤ・ウマト」は神の民という意味で、日本語の大和(やまと)の語源の可能性がある。
正統『竹内文書』によると、イエス・キリストが日本に来ていて、日本神話の神様の猿田彦(さるたひこ)と同一神だと言う。
猿田彦は日本神話の神様だが、日本神話の元になっているのが西暦80年代から330年頃までの大和時代で、イエス・キリストの時代より後世だから誤伝承である。
ちなみに猿田彦は垂仁天皇25年(西暦176年)に登場して、西暦261年頃の天孫降臨神話にも登場するから、猿田彦に神格化された人物が2人いると考えるのが自然である。
イエス・キリストの墓や色々な伝承が青森県三戸郡新郷村にあるから、全てを否定することができるわけでもない。
他にも神社や習慣や言語といったものは、他にも日本古代と古代イスラエルで共通するものが幾らも挙げられる。
『死海文書』の「アロンの救世主」は僕で、「イスラエルの救世主」が皇室と考えられるが、それがしょせん古代イスラエル文明のことで、現在のイスラエルやユダヤ人と無関係で、勝手に盛り上がっても、何の意味もなくて、イスラエルやユダヤ人を正当化してはならない。
今のイスラエルとガザ地区の対立で大量虐殺したのは、非人道的な国家のイスラエルで、何の関係もない日本や皇室を巻き込んで、訳の分からないことを口走るなら、僕自身がイスラエルやユダヤ人を許さなくて、2024年6月27日の午後3時頃に記した。
<参考文献>
『知の探究シリーズ 日本超古代文明のすべて』
株式会社日本文芸社・発行
『正統『竹内文書』の謎』
竹内睦泰・著者 株式会社学研パブリッシング・発行
インターネットの不明サイトから少々拝借
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