天皇家とイスラエル


天皇家とイスラエルには明確な関わりがある。

天皇家とイスラエルは共通の先祖を持つ日ユ同祖論(日本人とユダヤ人が共通の先祖とする説)があって、ウィキペディアで日ユ同祖論を検索するとあまりに共通性を置く指摘している。
天皇陛下の叔父にあたる三笠宮様は、古代オリエント史の学者として知られるが、当初から研究のメインテーマが古代イスラエルと聖書だったとあまり知られていない。
日ユ同祖論は三笠宮様が興味を持っておられて調査されていた節がある。
歴史学者になられた三笠宮様は、昭和28年1月に日本とユダヤ人の関係を研究し親善を深める目的で結成された日ユ懇話会の会合に出席されて、三種の神器である八咫鏡(やたのかがみ)の裏に、ヘブライ語で「我は在りて有る者」と書いてあるという噂が話題となった。
明治時代に文部大臣を務めた森有礼は、伊勢神宮へ行って天皇でも見ることを許されない八咫鏡を大臣の権限で、特別に頼み込んで見せてもらって、実際に「我は在りて有る者」を意味する文字が書かれていたという。
この話に強い関心を持たれた三笠宮様は、いずれ調査すると語られて、同席した東京イブニングニュースの支局長がスクープして話題となったが、その後で実際に調査されたか発表されていない。
八咫鏡の表面に刻まれた文字は高橋良典氏が解読して、「あな畏(かしこ)け、サハな崇(あが)めつるイサクら言祝(ことほ)ぎつ、あな畏け、サハな崇めつる」と読めて、イスラエル王国の最後の王ホセア(イサク)が、サハと呼ばれた宇宙船サブハを奉った意味だと言う。
八咫鏡に書かれた文字に関する2つは、共にイスラエルに関係しているが真偽が不明で、本当か嘘か分からず確かめようのない情報である。

紀元前722年に北イスラエル王国はアッシリアに滅亡させられて、北イスラエル王国にいた10支族(失われた10支族)が行方不明になって、南ユダ王国の2支族が現在のユダヤ人になったとされて、イスラエルに12支族がいたとされる。
紀元前721年に皇統譜(天皇家の戸籍簿)の初代・神武(じんむ)天皇は生まれて、紀元前660年1月1日(建国記念日)に即位したとされて、失われた10支族との年代が1年違いで関係があるかもしれない。
応神(おうじん)天皇14年(西暦403年)に弓月君(ゆづきのきみ)が百済から来て、「私は国の人民をひきいて来たが、新羅(しらぎ)が邪魔をして、皆が加羅国(からのくに)にとどまっている」と言って、葛城襲津彦(かつらぎのそつひこ)を派遣して弓月の民を加羅国に呼んだが、葛城襲津彦が帰還できなかった。
弓月君は『新撰姓氏録』によると秦の始皇帝(紀元前246年即位)の五世孫とされるが、年代が全く合わず始皇帝の子孫という情報自体があやしいけれど、渡来系の秦(はた)氏の直系先祖に当たるのが間違いない。
渡来系の秦氏は失われた10支族に当たって、イスラエルと関係があるとされるが、僕が『日本書紀』を完全解釈してはじき出した西暦年から考えて、単なる想像のしすぎとしか結論が出せない。
天皇と皇室を表す紋章の菊花紋は、エルサレム城壁の西の門にはっきりと刻まれているが、その理由や起源がよく分かっていない。
伊勢神宮の灯籠(とうろう)にはダビデの星が刻まれていて、ダビデの星が奥宮の伊雑宮(いざわのみや)の紋章で、古代からのものだと言う。
京都府宮津市の元伊勢籠(この)神社でもダビデの星が使われていて、他にも日本中でダビデの星が見受けられる。
ダビデの星は古代イスラエルの王ダビデの紋章で、現在のイスラエル国旗のシンボル・マークとして使用されて、ユダヤ人独特の印である。

神社の神輿(みこし)の形は、イスラエルの三種の神器を納める「契約の箱(アーク)」に実にによく似ていて、それを人々がかついで移動できるように横に棒がついてる。
また聖書でイスラエルの王ダビデは、アークがエルサレムに戻ってきた時、アークをかつぐ者たちと共に町の中をめぐり歩いて、その前で踊ったと書かれている。
これは日本で神輿をかつぐ者たちが踊る人々と共に、町の中を巡り歩く光景によく似ている。
イスラエルの三種の神器は、日本の三種の神器と全く違うものだが、3種類を神器とする点が共通する。
神社は礼拝をする拝殿と御神体を安置する本殿に分かれて、イスラエル神殿も中は聖所と至聖所と呼ぶ2つの場所に分かれている。
こうした神殿の形は日本とイスラエルだけで、中国や欧米などだと存在しない。
ヘブライ語の「ヤ・ウマト」は神の民という意味で、日本語の大和(やまと)の語源の可能性がある。
正統『竹内文書』によると、イエス・キリストが日本に来ていて、日本神話の神様の猿田彦(さるたひこ)と同一神だと言う。
猿田彦は日本神話の神様だが、日本神話の元になっているのが西暦80年代から330年頃までの大和時代で、イエス・キリストの時代より後世だから誤伝承である。
ちなみに猿田彦は垂仁天皇25年(西暦176年)に登場して、西暦261年頃の天孫降臨神話にも登場するから、猿田彦に神格化された人物が2人いると考えるのが自然である。
イエス・キリストの墓や色々な伝承が青森県三戸郡新郷村にあるから、全てを否定することができるわけでもない。
他にも神社や習慣や言語といったものは、他にも日本とイスラエルで共通するものが幾らも挙げられる。
天皇家とイスラエルは関係が深くて、『死海文書』のイスラエルの救世主が皇室だと考えらえれる。

<参考文献>
『知の探究シリーズ 日本超古代文明のすべて』
株式会社日本文芸社・発行
『正統『竹内文書』の謎』
竹内睦泰・著者 株式会社学研パブリッシング・発行
インターネット

戻る