出雲大社


これは出版していない3冊目以降の本の著作権を含む。

出雲大社は一般的に「いずもたいしゃ」と呼ばれるが、正式な呼び名が「いずもおおやしろ」とされて、古代から「杵築大社(きづきたいしゃ)」と呼ばれていた。
出雲大社本殿が伊勢神宮本殿よりも高く建てられる理由は、祭神の大国主神(おおくにぬしのかみ;飯入根(いいいりね)を神格化)が怨霊(おんりょう)だからだが、現代人にその理由を求められるわけがないけれど、それに代わってアインシュタイン博士以上の天才の僕が求めてみる。

『ホツマツタエ』の崇神(すじん)天皇60年の出雲大社の記述を記す。

甘美韓日狭(うましからひさ)は甥の濡渟(うかずくぬ)を連れて神功(じんぐう)皇后のもとを訪れて暗殺の一件を報告すると、神功皇后が吉備武彦(きびたけひこ)と武渟川別(たけぬなかわわけ)に日本武尊(やまとたけのみこと)を討伐する命令を出して、日本武尊が討伐されると出雲王国の家臣たちが、恐れて神様の祭りをしなかった。
は「盧へん」に鳥の漢字で、ホームページで表示できるが注意書きにする。
ある日、氷香戸辺(ひかとべ)が我が子の歌っている歌を告げて、歌の内容が神のお告げかもしれないと、神功皇后に告げて出雲の神を祭れと命令された。


崇神天皇の部分を神功皇后に改めて記述していて、恐れて神様の祭りをしなかったというのと出雲の神を祭れというのは、出雲大社の祭神の大国主神を指すと考えられる。
日本武尊が討伐されると出雲王国の家臣たちが、恐れて神様の祭りをしなかったというのは、無念の死をとげた飯入根を神格化した大国主神を祟(たた)りをもたらす神様として祭らなかったという意味に受け取れる。
大国主神は祟りをもたらす神様と考えられないかもしれないが、飯入根が日本武尊に殺されて無念の死をとげたから怨霊として神格化されたと考えられる。
出雲の神を祭れというのはたとえ話だろうが、西暦270年以降に濡渟が父親の飯入根を神格化した大国主神を祭って、出雲大社を創建したと考えられる。
『日本書紀』の崇神天皇60年には武日照命(たけひてるのみこと)の神宝が出雲大神宮に納(おさ)めてあり、後に氷香戸辺の子の歌が記されて、崇神天皇60年以前から出雲大社があったと固定観念や先入観を植え付けているが、この程度の偽装工作に翻弄(ほんろう)される現代人の頭脳で古代日本史を求められるわけがない。

出雲大社の社伝や『日本書紀』の日本神話によると出雲大社の創建が神代だとされるが、日本神話が史実を神話化しているのが間違いないから創建が人代になる。
『出雲国造世系譜』によると、出雲大社は西暦716年に島根県松江市大庭町から島根県出雲市大社町杵築の地に遷宮されたと記されているが、それが本当かよく分からない。
出雲大社は素戔嗚尊(すさのおのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)とその娘の須勢理比売(すせりひめ;忍布姫(ぬのおしひめ)を神格化)とその夫の大国主神(飯入根を神格化)を祭って、日本武(やまとたけ)天皇と最後の出雲国王の飯入根が殺されていて、この2人を祟(たた)りをもたらす怨霊として神格化して祭っている。
出雲大社の主祭神は大国主神(飯入根を神格化)だが、古代に素戔嗚尊(日本武尊を神格化)とされた時代もあって、飯入根の息子の濡渟が最初の出雲大社宮司家の宮司だったのでないかと考えられて、出雲大社の創建年代が3世紀後半以降になると思われる。
出雲大社の創建は『ホツマツタエ』編纂(へんさん)以前とすべきで、『ホツマツタエ』の崇神天皇60年に記されている以上、西暦260年から330年代までに創建されていたのが確かだと考えられる。
『日本書紀』の日本神話や崇神天皇60年の記述は当てにならず、『日本書紀』(正史と言った所で、誤伝承も多く含まれる)よりも『ホツマツタエ』の方が信頼できる歴史書だからである。

現在の出雲大社本殿は8丈(24メートル)だが、中世に16丈(48メートル)で古代に32丈(96メートル)あったと伝えられて、真実性が薄いと考えられていた。
しかし平安時代の『口遊』という書物に「雲太、和二、京三」と記されて、雲太(出雲大社本殿)が和二(東大寺大仏殿)と京三(平安京大極殿)よりも高いことを示していて、木造建築で最も高いのが出雲大社本殿だったと考えられる。
現在の世界最大の木造建築はスペインに取って代わられているが、かつて東大寺大仏殿が世界最大の木造建築で、中世に出雲大社本殿がそれを上回っていた可能性がある。
2000年に出雲大社境内から本殿の巨大木柱の遺構が見つかって、構造上で48メートルの高さが可能だと考えられると言う。
出雲大社は祟(たた)り神の素戔嗚尊(日本武尊を神格化)と大国主神(飯入根を神格化)の親子を祭る伊勢神宮以上に高い本殿がある神社で、その歴史も十分すぎるほどに古いと考えられる。
アインシュタイン博士以上の天才の僕が生きた年代など、出雲大社や古代天皇家の歴史に比べたら圧倒的に短いが、そこに凝縮(ぎょうしゅく)されている考え方は簡単なものでない。

<参考文献>
『完訳秀真伝』
鳥居礼・編著者 八幡書店・発行
『日本書紀(上)全現代語訳―全二巻―』
宇治谷孟・著者 株式会社講談社・発行
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