神魂(かもす)神社


これは出版していない3冊目以降の本の著作権を含む。

神魂神社は島根県松江市大庭町にある古社で、『ホツマツタエ』や『出雲国風土記』や国史などに記録がないらしく、謎に包まれた不思議な神社である。
しかしその謎を僕なりに解明したいと思う。

神魂神社の現在の祭神は伊弉冉尊(いざなみのみこと;日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)を神格化)を祭るが、古代の祭神が神魂命(かむみむすびのみこと;景行(けいこう)天皇を神格化)と考えられて、その呼び名から神社の名前と呼び名が生まれて、神社の呼び名が神魂命(かむみむすびのみこと)の「かむす」から「かもす」になったと考えられて、景行天皇が日本武尊(やまとたけのみこと)の父親だから出雲大社宮司家の千家(せんげ)氏の先祖に当たる。
神魂命を正式には『日本書紀』で神皇産霊尊(かむみむすびのみこと)と書いて、『ホツマツタエ』だとカンミムスビと呼んで6代目タカミムスビとしていて、カンミムスビが神様を生み出すという意味があって、重要な神様の父親ととして景行天皇を神格化している。
古代の祭神が神魂命としているのは、神魂神社の名前や景行天皇が千家氏の先祖などとする点だが、僕の固定観念や先入観が働いているのが否(いな)めない。

天穂日命(あめのほひのみこと;日本武尊を神格化)の子孫である出雲国造(いずもくにみやつこ)の25代目の出雲兼連(いずものかねつら)は、『出雲国風土記』を編纂(へんさん)した人物で神魂神社に奉仕したが、それ以降の出雲国造が現在の出雲大社で奉仕したと伝えられて、後の出雲国造が後に千家氏を名乗るようになった。
そこから考えられるのが出雲大社が元々は神魂神社の前身で、藤原不比等(うじわらのふひと)辺りが名族の出雲国造の財力をそぐために出雲大社の引っ越しをさせて、出雲市の出雲大社を創建させた可能性があるということである。
しかしそれが歴史書に記録されていなくて、島根県松江市大庭町の神魂神社が記録にないのは故意なのでないないだろうか?
出雲大社は戦死した素戔嗚尊(すさのおのみこと;皇太子の日本武尊を神格化)と大国主神(おおくにぬしのかみ;出雲国王の飯入根(いいいりね)を神格化)を鎮魂する神社だから、25代目の出雲兼連まで神魂神社に奉仕したという伝承が明らかにおかしい。
神魂神社は幾ら謎の存在でも少し社伝でもあれば、アインシュタイン博士以上の天才の僕なら簡単にひもとける可能性を導き出す。

<参考文献>
『完訳秀真伝』
鳥居礼・編著者 八幡書店・発行
『日本書紀(上)全現代語訳―全二巻―』
宇治谷孟・著者 株式会社講談社・発行
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