神魂(かもす)神社

神魂(かもす)神社は、島根県松江市大庭町にある古社で、『ホツマツタエ』や『出雲国風土記』や国史などに記録がないらしく、謎(ざぞ)に包まれた不思議な神社だが、ワザと隠したと考えられる。

神魂(かもす)神社の社名は、神魂命(かみむすびのみこと;景行(けいこう)天皇を神格化)から来て、「かみす」から「かもす」になったと考えられて、景行(けいこう)天皇が出雲大社と関係している。
神魂(かもす)神社は、伊弉諾尊(いざなぎのみこと;垂仁(すいにん)天皇を神格化)と伊弉冉尊(いざなみのみこと;日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)を神格化)の夫婦神を祭って、垂仁(すいにん)天皇の息子が神魂命(かみむすびのみこと;景行(けいこう)天皇を神格化)で、その息子が昔に出雲大社に祭った素戔嗚尊(すさのおのみこと;日本武(やまとたけ)天皇を神格化)である。
神魂(かもす)神社の社名は、神魂命(かみむすびのみこと;景行(けいこう)天皇を神格化)から来たと考えられて、神魂命(かみむすびのみこと)も合祀(ごうし)すべきと進言する。
神魂命(かみむすびのみこと;景行(けいこう)天皇を神格化)の息子の神櫛皇子(かんぐしのみこ)は、6代目出雲国王の彦太忍信命(ひこふつおしのまことのみこと)で、その息子が出雲大社の祭神の大国主神(おおくにぬしのかみ;飯入根(いいいりね)を神格化)で、神魂(かもす)神社が出雲大社と大きく関係すると考えられる。

神魂(かもす)神社は、出雲大社正殿と同じ大社造(たいしゃづくり)で、現存する最古の大社造(たいしゃづくり)で国宝でもあって、神魂(かもす)神社のあった意宇郡(おうぐん)を出雲大社宮司家の千家(せんげ)氏が元々の拠点として、今の島根県松江市大庭町の出雲大社に移動した。
出雲広嶋(いずものひろしま)は、『出雲国風土記(いずものくにふどき)』を編纂(へんさん)した人物で出雲国造(いずもくにみやつこ)が昔に神魂(かもす)神社に奉仕したが、それ以降の出雲国造(いずもくにみやつこ)が現在の出雲大社で奉仕したと伝えられて、後の出雲国造(いずもくにみやつこ)が後に千家(せんげ)氏を名乗るようになった。
出雲大社の創建年代は、3世紀末から4世紀初頭頃に国家事業で、島根県松江市大庭町に創建して、出雲果安(いずものはたやす)の時代の和銅(わどう)元年(708年)から霊亀2年(西暦716年)までに島根県出雲市大社町杵築の出雲大社に遷宮したと考えられる。

神魂(かもす)神社は、皇極(こうぎょく)天皇4年(西暦645年)以前の出雲大社で、出雲大社と同じ大社造(たいしゃづくり)や他にも多くの伝承などが合致すると考えられて、僕の自論を後押しして行くはずで、僕の後継者たちが研究してくれるだろう。

<参考文献>
『完訳秀真伝』
鳥居礼・編著者 八幡書店・発行
『日本書紀(上)全現代語訳―全二巻―』
宇治谷孟・著者 株式会社講談社・発行
『出雲大社と千家氏の秘密』
中見利夫・著者 株式会社宝島社・発行
インターネットの不明サイトから少々拝借

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