僕と専門家の考え方の違い
僕の古代日本史研究を説明するには一人と独(ひと)りの根本的な違いを知ってもらう必要があって、一人一人の一人と孤独の独りとが意味が全く違って、それがこれまで僕が多くの人に理解されなかった理由である。
一人一人の一人の古代日本史研究は、日本神話と邪馬台国論争と倭の五王を中心として専門家の頭脳レベルが現代日本人に理解できるものだから、国民の一人一人が根本的に理解しているが、根本的に間違いだらけで真実に至ることなどない。
だが僕は孤独の独りの古代日本史研究で、根本的にコペルニクス的転回(非常識な考え方の集合体)という考え方自体が現代日本人に理解できなくて、僕はこのコペルニクス的転回の考え方を日常として使いこなす超天才で、誰にも理解されない古代天皇家の史実・真実・事実を求めて、孤独な中で探求し続けて誰にも理解できないような一大理論を築いた。
卑弥呼は西暦248年9月5日の皆既日食で殺されたとか、卑弥呼が狗奴国(くぬこく)との戦争で敗れて戦死したとか、邪馬台国が大和朝廷の先祖だとか、邪馬台国が日向(ひゅうが;古代の宮崎県)を支配したか入れ替わったかなどの色々な拡大解釈が生まれた理由が「思い込みの数だけ解釈がある」からである。
卑弥呼は倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)で、男弟が崇神(すじん)天皇で、男王が武埴安彦命(たけはにやすひこのみこと)で、日本武尊(やまとたけのみこと)が4世紀前半の人物で、神功皇后が4世紀後半の人物と全く何の根拠もないものを信じている。
専門家は日本武尊や武内宿禰(たけのうちのすくね)が一人でなく複数人いると考えたりするが、全て何が正しくて何が間違っているか根本的に分かっていないためで、僕のように史実・真実・事実を求められる人間が必要なのである。
古代日本史研究で拡大解釈は多くの歴史本でしていて、このように邪馬台国論争で架空の理論を作ったり、卑弥呼や台与(とよ)の呼び名を色々当てはめたり、神社名や神名や人名などを現在の地名と当てはめたりとこの程度の認識力の現代日本人に正しいことが求められるはずなどない。
考古学者は邪馬台国論争の北九州4ヶ国の定説のように間違った解釈をしたり、少しの考古学的証拠を無理矢理「記紀」の歴史書解釈と合致させてメディアやインターネットに公表して混乱させたり、何一つ正しいことを求められないのに求めた気になっている。
歴史学者は「記紀」の正しい論理的根拠や偽装工作を理解せず、「記紀」の編者の手の上で踊らされているとも気付かず色々とわけの分からない解釈をして、歴史学会を拡大解釈で混乱の渦に巻き込んでいる。
現代日本人だけでなく世界中の現代人が色々な考え方で拡大解釈をしていると考えられて、それが考え方のさまたげになっている可能性に気付いていなければ、現代人はその程度の低能な考え方に捕らわれているということである。
僕は2017年10月5日に日本武尊(やまとたけのみこと)が天皇として強行即位した年月を求めてそれが僕の拡大解釈で、たとえアインシュタイン博士以上の天才でも拡大解釈を排除することが不可能で、拡大解釈を根本的に疑うという思考をなくすべきでない。
かつてアインシュタイン博士の相対性理論は当時の物理学者の常識を否定して、専門家が全く当てにならないものだと示して、ノーベル賞物理学賞受賞の中村修二博士が電子工学の専門家で物理学の出身でなかったが、物理学の青色発光ダイオードの発明で成功して、現代物理学の専門家が当てにならないことを証明した。
トロヤ遺跡は本物か分からないのに信じていて、ギリシア神話の女神ヘラとアテナとアフロディーテの誰が一番美しいか人間のトロヤの王子に選ばせて、トロヤ遺跡が神話上の物語に出てくる空想上の可能性があって、ギリシア神話の神々(オリンポス12神など)が実在しているか証明できない限り、トロヤ遺跡が本物だと証明できない。
現代日本の考古学も邪馬台国論争で専門家など当てにならず、北九州4ヶ国の定説で『魏志倭人伝』の4ヶ国と方角が違うのを無理やり考古学的証拠でねじ曲げているが、僕が福岡県に2つの古代地名「いと」があって伊都国(いとこく)に当てはめて、定説が確実な間違いで自論が正解なのを証明している。
哲学者は現代哲学理論「現象学」を証明できなくて、僕が自分のコペルニクス的転回「自己認識の再構築」で説明できる可能性が高く、僕の才能が歴史以外の分野にも及ぶ可能性がある。
このようにして僕は専門家を出し抜く能力が高く、現代人が思う以上に僕の能力が圧倒的すぎて、誰も僕に敵(かな)う者など存在しない。
アインシュタイン博士と同じコペルニクス的転回を使えるだけでも規格外なのに、そのコペルニクス的転回を再定義してアインシュタイン博士の後継者的存在でそれ以上の超天才でもあって、そんな僕が現代人と比較できる頭脳のはずがない。
僕は発達障害と高次脳機能障害を持っている可能性があって、それが僕の超頭脳を生み出した可能性もあって、現代人と比較すること自体がおかしい。
僕はノーベル物理学賞受賞者の中村修二博士と同じ考え方ややり方をしていて、根本的な部分で現代人と一線を画(かく)している。
このようにして僕と専門家の考え方の違いは、出版していない3冊目以降の本の中で散々に説明していて、その内容があまりの多すぎて説明不足で、専門家が僕に学ぶべき所が多々あって、詳しく知りたいなら3冊目以降の本を見てほしい。
自分たちが本当に専門家を名乗るにふさわしい能力があるかを見直して、僕を見習って悔(く)い改めることが大切なのである。
<参考文献>
『完訳秀真伝』
鳥居礼・編著者 八幡書店・発行
『日本書紀(上)全現代語訳―全二巻―』
宇治谷孟・著者 株式会社講談社・発行
『古事記(中)―全三巻―』
次田真幸・著者 株式会社講談社・発行
『新訂 魏志倭人伝 他三篇―中国正史日本伝(1)―』
石原道博・編訳者 株式会社岩波書店・発行
インターネットの不明サイトから少々拝借
戻る