歴史書の完全解釈


「記紀」や『魏志倭人伝』を始めとする歴史書の完全解釈は、世界でただ一人僕だけができるあまりに特別すぎる才能である。
これを理解していない凡人は、一生かかっても僕に勝てる解釈の力を持つことがおそらく不可能で、どれだけ僕が特別な才能を持っているかがうかがえる。
この僕の持つ完全解釈の能力とは、一体どのようなものなのかを他人に分かりやすく解説する。

「記紀」の完全解釈は、『古事記』と『日本書紀』の日本神話と歴代天皇時代の全てを完全に読み解くことで、正確に言うと僕が世界中で最も完全解釈を多くしているだけで、本当に完全解釈できているわけでない。
「記紀」の日本神話の大筋を僕は完全解釈できるが、『日本書紀』の一伝によるとなどの内容を完全解釈できないものもあって、僕が世界一完全解釈できると名乗っているのである。
日本神話は世界でただ一人僕だけが完全に読み解いて、僕に匹敵できる人間が存在しないのが明白である。
「記紀」の歴代天皇時代の大筋を僕は完全解釈できるが、崇神(すじん)天皇の即位の西暦84年から神功(じんぐう)皇后の死去の西暦329年までの史実、西暦330年から507年1月頃の武烈(ぶれつ)天皇の崩御(ほうぎょ;天皇が亡くなること)までに限られる。
崇神天皇から神功皇后の時代頃までは、系図の祖先化・子孫化・神格化、史実の神話化、即位年干支法、内容・年代の改変・変更などの偽装工作がほどこされて、正史を偽史と織り交ぜて根本的に分からなくして、史実の偽装工作による混乱を引き起こした。

仲哀(ちゅうあい)天皇元年(西暦320年)の三韓征伐は、新羅(しらぎ)と高句麗(こうくり)と百済(くだら)を従えたのが史実でなく嘘の記述だが、この嘘の年代が大切なのである。
神功皇后の摂政(せっしょう;天皇に代わって政治する役職)元年が正しくは西暦261年だが、三韓征伐の翌年の西暦321年(嘘の摂政元年)以降から古代朝鮮国家との外交の記述があって、摂政46年(西暦366年)から百済と外交して、邪馬台国時代に終わった古代朝鮮国家との外交が再開される。
応神(おうじん)天皇元年(西暦390年)から41年(西暦430年)、仁徳(にんとく)天皇元年(西暦433年)から58年(西暦490年)に呉(くれ)国と高句麗国が朝貢した記述まで、神功皇后から仁徳天皇までの年代が嘘でも、古代朝鮮国家との外交年が本物である。
応神天皇は母の神功皇后が亡くなった西暦329年までに日向(ひうが;宮崎県の古名)で死んで天皇として即位せず、仁徳天皇が西暦330年代に大和で即位して、仁徳天皇が倭の五王に数えられないのが明白である。

履中(りちゅう)天皇と反正(はんぜい)天皇と允恭(いんぎょう)天皇と安康(あんこう)天皇の在位期間に朝鮮との外交記事がないのは、古代朝鮮国家との外交記事を全て神功皇后から仁徳天皇の時代に書いたためで、この4人の天皇の在位期間を架空のものとして分からなくした。
雄略(ゆうりゃく)天皇の在位期間を西暦456年から479年としたのは、明らかに倭の五王の最後の倭王「武」を意識させるためで、倭王「武」が古代中国の南朝宋王朝と外交した西暦478年を盛り込んだ点から明白である。
倭王「武」と雄略天皇の国風諡号(しごう)の大泊瀬稚武尊(おおはつせわかたけるのみこと)の「武」という漢字が共通するのが定説だが、倭王「武」が古代中国語発音で雄略天皇の「武(たける)」が日本語発音で、これを同一とするのがシロウト認識で、間違いにも気付かない方がどうかしている。
清寧(せいねい)天皇の在位期間が西暦480年から484年で、顕宗(けんそう)天皇の在位期間が西暦485年から487年で、仁賢(にんけん)天皇の在位期間が西暦488年から498年で、武烈(ぶれつ)天皇の在位期間が西暦499年から507年で、4人の天皇の在位期間が30年ほどで入れ替わったのがあやしく、『日本書紀』がわざと書き換えた可能性が高いと考えられる。
武烈天皇は倭王「武」で、西暦478年から507年1月頃まで在位して、30年近い在位期間と考えられて、歴代天皇と古代朝鮮国家との外交年を正しく把握する必要がある。
『日本書紀』の古代朝鮮国家と外交した記述を正しく把握すれば、歴代天皇時代を把握することなど簡単すぎて、僕以外にまともにひもとける者などいない。

古代中国の歴史書の『後漢書』と『魏志倭人伝』と『宋書』の完全解釈は、僕のホームページで公表した通りで、僕以外の全ての訳者が無能だという証明である。
邪馬台国論争で北九州の属国(北九州4ヶ国)の定説を打破できない無能は、どんなに頑張っても一生『魏志倭人伝』を完全解釈できるはずがなくて、その程度の知識しかない現代人が僕に挑むこと自体無謀である。
僕は世界でただ一人の『魏志倭人伝』などを完全解釈できる人間で、僕のホームページの正当性を理解できない者には、一生かかっても僕に追いつけるわけがない。

僕は世界でただ一人の古史古伝(「記紀」に反する書物)をひもとける超天才で、その才能が「記紀」や『魏志倭人伝』などをひもとくよりもはるかにすぐれた別次元の才能である。
古史古伝の『ホツマツタエ』を完全解釈して16章までひもといて、『但馬国司文書』と『甲斐古蹟考』も正当な歴史書と証明した実力は伊達(だて)でない。
古代日本史研究を始めた時から僕は、将来的に世界最高の超頭脳として、国内の歴史書を片っ端からひもとく最高の訳者になる運命を背負っていた。
その僕の能力を見抜けなかった現代人は、僕を神のように崇(あが)め奉(たてまつ)って、僕にあやかりたいと思うのが至極当然である。
しかし僕は圧倒的な超頭脳と弱い心や自殺願望を合わせ持つ諸刃(もろは)の剣で、こんな僕に期待された所で答えられる自信などない。
歴史の日陰を生きたかった僕は、歴史の表舞台に立ってあまりにつらい現実の中に生きなければならず、その戸惑いに答えてくれる者などいない。
現実はあまりに無慈悲で、僕がどんなに静かに生きたいと願ったとしても、人類規模で有名になった僕には不可能なことだろうか?

日中の歴史書の完全解釈は、僕の才能の片鱗を知る上で重要なことで、基本の基本で僕と凡人が天と地の差があることを理解しなければならない。
コペルニクス的転回(非常識な考え方の集合体)という考え方の問題以前に、根本的に僕は歴史研究の基本が違って、凡人より考え方が何段階も上を行くと考えられる。
僕と凡人では基本的な能力値に歴然とした差があって、歴史研究を始める以前に僕の中で作り上げられた特別な考え方があったと考えられるが、その正体が何なのか分からない。

<参考文献>
『日本書紀(上)全現代語訳―全二巻―』
宇治谷孟・著者 株式会社講談社・発行

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