神様を感じること


これは出版していない3冊目以降の本の著作権を含む。

英語の大文字のGodは、一神教の神様で、小文字のgodが世界中の多神教の神様で、漢字で「神」と書くと、中国語の「神」を意味して、精神や神経の場合なら人間の精神現象の意味で、神様のような存在も表わすが、決して地位が高くなくて、一番地位の高いのが天や上帝で、キリスト教のヤハウェやイスラム教のアッラーなどが一神教の神様で、ギリシア神話や日本神話の神々などが多神教の神様である。
日本の神様は、一言で言うと自然現象を人格化した物で、日本神話の神々や神社に祭る神様、太陽や月や岩や川や人間や動物など万物に神様が宿(やど)って、並外(なみはず)れた全てを神様と定義して、縄文時代の神様がどのような物か不明で、弥生時代後期…天皇家誕生(日本の建国)以降の神道の考え方に基づいて、現在の日本人の考え方ができた。
日本人は、無宗教でなくて、神様や仏様を信じて、日常的に神社に参拝して、仏壇に手を合わせて、キリスト教のクリスマスなども祝って、世界中の宗教や神様を崇(あが)めて、すごいのを神アニメや神動画などと言って、勝手に神様のように言う。
日本人の神様の感性は、天皇家と日本神話がセットで、日本神話が宗教の神道の根本で、幼少から僕も国民も日本神話と天皇家の歴史を自然に学んで、これが大きな飛躍への一歩で、2022年12月23日に修正した。

神様を感じることは、日本人が日常的に神様そのものを意識して、世界中の誰より神様に触れる機会が多いが、決して神様に近づけなくて、僕との決定的な差だった。
昔の僕は、一人の日本人として日本神話を幼少から学んだが、しょせん上辺(うわべ)の教育で、神様を直接的に意識しないで、祖父の死後に命・魂・精神を学んで、宗教的概念の研究をして、歴史研究のきっかけで、日本神話と実話の合致に気付いて、日本神話の神々の領域…神域に触れて、僕が神様を意識することにつながった。
僕が神様を感じたことは、僕が日本神話と実話の合致を特定した感覚で、この特別な感覚が凡人(僕以外の人間)の味わってない未知の物で、凡人(僕以外の人間)が感じた気になる疑似感覚で、僕が直接的に感じた神域が凡人(僕以外の人間)の絶対に感じられなくて、これが僕と凡人(僕以外の人間)の決定的な差である。

僕は保育園年長組で恐竜に興味を持って、古い時代へのあこがれで、小学校中学年が天文学で、論理的に求める大切さを知って、高学年が考古学で、物的証拠の大切さを知って、中学生が超古代文明で、未知の分野への興味が出て、高校の修学旅行で祖父の死に目に会えず、命・魂・精神・戦争・平和を考えて、その過程で僕が神様を感じる能力を体得したと考えられる。
僕の神様を感じる能力は、古代の人物を論理的に求めて、未知の存在の神様を魂や精神的に捕らえて、実在の人物を神格化した神様を論理的に特定して、ひもとくことで一から説明して、日本神話の全体を説明した僕の芸当がすごくて、これだけの能力が全く解明できない。
ただ僕の人生経験は、保育園から高校生まで神域を求めるきっかけで、同様の人生経験をすれば、同様の能力を体得できるかもしれないが、何年や何十年の長期間で体得できる物と考えられる。
僕の神域を求める能力は、僕が偶然に気付いた産物で、凡人(僕以外の人間)がどうすれば体得できるか可能性を示したが、正しいか間違いか不明で、誰も確かめられない物である。

神様の生(なま)の意識を感じた僕は、20年間に渡って神様の鼓動や息吹(いぶき)を感じ取って、日本神話の研究を進めてきたことで、誰よりも強く大きく高く神々の存在を感じて、それが生(なま)の意識を感じることだった。
そんな僕は、他の人間より神様を理解していないと言うなら、それは妬(ねた)みや嫉妬(しっと)で神様の何も知らない人間の感情にすぎない。
42年の人生を生きた僕は、何度も自殺未遂とリストカットを同時にして、生と死を見つめて、命・魂・精神・戦争・平和の要素をよく考えて、政治・宗教・社会など世の中の移り変わりを感じたりして、誰よりも色々な物事を見聞きしてきたつもりである。
そんな僕は、世界中で最もすぐれた人間と言われてもおかしくなくて、歴史研究で常に神様の生(なま)の意識に触れ続けて、加護され続けてきた奇跡の存在で、そんな僕が神様と呼ばれてもおかしくないほどに神様に近い存在である。
神様を感じることは、凡人(僕以外の人間)だと僕の歴史研究の成果で、日本神話の神様の意識に触れられるが、僕が日本神話の神々の正体を求められる意味で、直接に神様の生(なま)の意識に触れ続けた僕と凡人(僕以外の人間)との決定的な違いで、神様の直接の意識に触れることができた者と見聞きした者の差である。

僕は歴史研究を始めた2002年10月頃、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の黄泉国(よみのくに)下り神話と狭穂彦王(さほひこのみこ)の反乱(倭国大乱;わこくたいらん)の合致に気付いて、その時に僕が生まれて初めて神様の生(なま)の意識に触れた瞬間で、20年間に渡って神様の生(なま)の意識に触れた僕こそ神様に最も近い人間と言えるかもしれない。
日本神話の神々の正体や物語を完全解釈した僕は、その意味で僕が「神に最も近い人間」で、「神がかった存在」でもあって、僕以上に神様を深く感じた人間が存在しないかもしれない。

神様を感じることは、神頼みをした凡人(僕以外の人間)なら感じたかと言うと、感じたとも感じていないとも言えて、イエス・キリストやムハンマドや釈迦(ゴータマ・シッダールタ)などの宗教の開祖も、神様を感じたとも感じていないとも言える。
宗教家や宮司は、神様を感じることが多いかもしれないが、神がかった出来事を感じて、神様を実感するのだが、神様の存在を証明した僕の感覚と別物で、僕と他人(僕以外の人間)の感覚が絶対に違うと証明できない。
日本人は、幼少から万物に魂(神様)が宿(やど)ると実感して、世界中の人々と感性が違うが、日本人も世界中の人々も神様の感じ方があって、同じ時所と違う所があっても、根本が変わらないはずで、僕に関しても同じである。
同じ人間は、根本的に同じと違う感覚があって、考え方や神様など十人十色の捕らえ方で、絶対に一緒の部分があると考えられて、絶対にないとも考えられて、それが人間の考え方の本質である。
『ホツマツタエ』景行(けいこう)天皇53年の記述は、日本神話の神々…八百万(やおよろず)の神々が亡くなった人間を神格化して、人間が神様で神様が人間なのが真実・事実で、人間誰もが亡くなったら神様に神格化されて祭って、神様が存在するし存在しないとも言えて、つまり真実が全く分からないのが正しい。

天津神(あまつがみ;天上の神々)は、古代天皇家の人間で、国津神(くにつがみ;出雲系の地上の神々)が古代太陽神系譜(彦坐王(ひこいますのみこ)を始祖とする和珥(わに)氏)を神格化して、日本神話の雷神と火の神様が物部(もののべ)氏の人間だけを神格化して、日本神話が史実(歴史上の事実)を神話化したのが真実・事実である。
ギリシア神話や世界中の神話などを残した古代天皇家の先祖は、天皇家誕生の西暦84年から日本に腰を落ち着けて、世界中に神話を伝えたことを隠して、世界中と日本の神話の真実を忘れてしまって、天皇家と多少の絆(きずな)を持つ僕が真実・事実を求めた。
このように神々を求めた僕は、世界中で誰よりも強く神様の生(なま)の意識に触れて、ようやく史実・真実・事実を世界中の人々に伝えられて、2022年11月23日に修正した。

<参考文献>
インターネット

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