後漢王朝からの下賜品


これは出版していない3冊目以降の本の著作権を含む。

『後漢書』に「桓霊間、倭国大乱」と記されており、桓帝と霊帝の在位期間(西暦147年〜189年)に倭国大乱があったが、僕はそこに卑弥呼共立と後漢王朝遣使も含まれると考えて、西暦188年に宝物が下賜されたと考えられる。
後漢王朝と外交した邪馬台国への下賜品は、「中平?年…」銘文の東大寺山(古墳出土)鉄刀、京都府宮津市の元伊勢籠(この)神社の神鏡の邊津鏡(へつかがみ)と息津鏡(おきつかがみ)、出土少例の画文帯環状乳神獣鏡に当たると考えられる。
奈良県天理市櫟本町にある東大寺山古墳からの出土品が国宝に指定されて、「中平?年五月丙午(ひのえうま)、造作支刀、百練清剛、上応星宿、下辟不詳」の銘文がある鉄刀が見つかり、後漢王朝の霊帝の中平年間(西暦184年〜189年)のもので、邪馬台国(古代天皇家)唯一の国宝である。
東大寺山鉄刀は新羅(しらぎ)の王子の天日槍(あめのひぼこ;彦坐王(ひこいますのみこ)と同一人物)が持つ八種(やくさ)の神宝(かんだから)の一つと考えられて、『日本書紀』に胆狭浅太刀(いであさのたち)と記されて、『先代旧事本紀』に八握剣(やつかのつるぎ)と記されるものと同一と考えられる。
天日槍(あめのひぼこ)の曾曾孫の田道間守(たじまもり)は、西暦188年に後漢王朝遣使(遣漢使)した使者だと考えられて、東大寺山鉄刀の「中平?年」に当てはまる年代が「中平五年」である可能性が高い。
ただ「丙午(ひのえうま)」は干支(えと)の日付で60日周期だから、一月30日ほどだから正しく当てはまるか調べる必要がある。
東大寺山鉄刀の銘文は卑弥呼共立を示すものだとかいう説があるが、全く何の根拠もない想像にすぎないのに比べて、僕の考え方の方がよほど現実的なのが比べるまでもない。
東大寺山古墳のある櫟本町に和尓下(わにした)神社があり、隣の和爾町に和尓坐赤坂比古(わにいますあかさかひこ)神社がある時、東大寺山古墳の埋葬者が古代豪族の和珥(わに)氏の出身である可能性が高い。
『日本書紀』に天足彦国押人命(あまたりひこくにおしひとのみこと)が和珥臣(わにのおみ)らの先祖と記されて、天足彦国押人命に祖先化されたのが彦坐王であるのが間違いなく、彦坐王こそ和珥氏の始祖に当たると考えられる。

京都府宮津市の元伊勢籠(この)神社の祭神である火明命(ほあかりのみこと)の神鏡は、国宝『海部(あまべ)氏系図』に記される邊津鏡と息津鏡である。
邊津鏡が前漢王朝時代の内行花文昭明鏡(約2050年前)で、息津鏡が後漢王朝時代の内行花文長宜子孫八葉鏡(約1950年前)である。
この2神鏡が何を言おうと漢王朝時代の銅鏡であり、邪馬台国時代に下賜された宝物とすべきだが問題は、後漢王朝(西暦25年建国〜220年滅亡)か魏王朝(西暦220年建国〜265年滅亡)のどちらの時代に下賜されたと考えられるかである。
どちらとも漢王朝時代の銅鏡だから、後漢王朝時代に邪馬台国に下賜されたと考える方が普通である。
『ホツマツタエ』に初代ホノアカリがオキツカガミとヘツカガミを授かり、2代目ホノアカリの息子のニギハヤヒに譲ったと記されている。
『先代旧事本紀』に饒速日命(にぎはやひのみこと)は、十種(とくさ)の神宝(かんだから)の瀛津鏡(おきつかがみ)と辺津鏡(へつかがみ)を授かったと記されて、『先代旧事本紀』を物部(もののべ)氏が記したと考えられる。
天日槍が出石(いずし)神社に納めた8種類の宝物を八種(やくさ)の神宝(かんだから)と呼んで、『ホツマツタエ』で八種の神宝の日鏡(ひかがみ)一面が『古事記』で八種の神宝の辺津鏡(へつかがみ)と奥津鏡(おきつかがみ)と一致する。
火明命の2神鏡の息津鏡と邊津鏡は、饒速日命の2神鏡の瀛津鏡と辺津鏡と同じもので、天日槍の2神鏡の奥津鏡と辺津鏡とも同じものだと考えられる。
火明命と2代目ホノアカリと饒速日命と天日槍は、多少の食い違いがあるけれどほぼ同一神と考えられて、全て彦坐王を神格化した古代太陽神で、全ての2神鏡が彦坐王の子孫が伝えていて、単なる偶然でなく必然である。
火明命の2神鏡の息津鏡と邊津鏡は、国宝にも重文(重要文化財)にも指定されていないが、3神の2神鏡に当たると証明されて、邪馬台国の遣漢使の宝物とも証明されて、国宝となるのも時間の問題だろう。

僕が知る限りにおいて後漢王朝が西暦160年代に製造したと考えられる画文帯環状乳神獣鏡が出土した古墳は、兵庫県たつの市御津町の綾部山39号墳と京都府京丹後市弥栄町の大田南2号墳である。
この2面の画文帯環状乳神獣鏡は後漢王朝が邪馬台国に下賜したものだと考えられる。
彦坐王は和珥氏と海部氏と物部氏の先祖で、彦坐王の息子の丹波道主王(たにはみちぬしのみこ)が海部氏の先祖で、丹波道主王の異母兄弟の狭穂彦王(さほひこのみこ)が物部氏の先祖で、東大寺山鉄刀と神鏡の邊津鏡と息津鏡が合致すると考えられる。
この程度も求められないくせにアインシュタイン博士以上の天才の僕と渡り合おうなど笑止千万である。
このホームページと関連があるのは、「火明命」と「饒速日命」と「天日槍」と「西暦188年の遣漢使」の章で、それらを見ることを薦(すす)める。

<参考文献>
『新訂 魏志倭人伝 他三篇―中国正史日本伝(1)―』
石原道博・編訳者 株式会社岩波書店・発行
『日本書紀(上)全現代語訳―全二巻―』
宇治谷孟・著者 株式会社講談社・発行
『元伊勢の秘宝と国宝海部氏系図』
海部光彦・編著者 元伊勢籠神社社務所・発行
『ホツマ辞典』
池田満・著者 ホツマ刊行会・発行
『日本の神々 『先代旧事本紀』の復権』
鎌田純一・上田正昭:著者 大和書房:発行
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