僕のホームページ更新の過程

皇統譜(こうとうふ;皇室の戸籍簿)で初代の神武(じんむ)天皇は、紀元前660年2月11日(建国記念の日)に即位して、皇室が2600年近い歴史があるとするが、完全な創作で嘘なのが明白で、ギネスブックに日本が世界最古の国とする。
明確な初代天皇は、皇統譜(こうとうふ)で10代目の崇神(すじん)天皇で、崇神(すじん)天皇元年1月13日(西暦84年2月中旬頃)に即位して、今年2024年が日本の建国(天皇家誕生)1940年目で、後60年で建国2000年を迎える。
2020年は、西暦720年に『日本書紀』を献上して1300年目で、1910年(明治43年)に東大と京大が邪馬台国(大和国;やまとこく)論争を始めて110年目で、僕が40才を迎えた節目の年だった。
西暦507年3月に即位した継体(けいたい)天皇からが正史(正確に正しい歴史)として、506年以前が不明年代だが、14人の歴代天皇の時代で、完全な西暦年月を僕が証明して、初代の崇神(すじん)天皇から今上(きんじょう)天皇(今の天皇陛下)までが合計115代で、僕以外に誰も求められない史実・真実・事実である。
僕は2002年10月頃に歴史研究を始めて、2003年7月頃に即位年干支法(そくいねんかんしほう)を思い付いて、2004年から干支(えと)の60年周期で、1920年さかのぼった西暦84年が日本の建国(天皇家誕生)と求めて、それから20年以上がすぎて、人生の半分近い時間を歴史研究した。
2007年9月に僕は、最初の著書『古代日本史への挑戦』で、2009年6月に2冊目の著書『続・私の半生と古代日本史』を地元の出版社の株式会社オカムラで出版して、合計100冊から200冊ほどで、専門家(考古学会と歴史学界)の歴史書よりもレベルの高い第一級史料である。

2014年は、建国から1930(いくさ(戦)を)年で、2016年が1932(いくさ(戦)に)年で、2017年が1933(いくさ(戦)さ)年で、2018年が1934(いくさ(戦)よ)年で、2021年が1937(いくさ(戦)な)年で、2022年が1938(いくさ(戦)は)年で、023478(鬼(おに)さんよ名(な)は)と言う言霊(ことだま;言葉の魂)になる。
闇(やみ)は、宮(みや)で祈(いの)って、桜(さくら)だから腐ら(くさら)せて、綺麗(きれい)だから冷気(れいき)で、美(うつく)しいから苦痛(くつう)で、醜(みにく)いから憎み(にくみ)、戦(いくさ)が臭い(くさい)のが血生臭(ちなまぐさ)いからで、言葉に言霊(ことだま;言葉の魂)が宿(やど)る。

2014年7月1日に僕は、集団的自衛権の行使の閣議決定に怒って、2009年7月に作ったホームページを修正して、記録によると2014年7月6日か8月6日に僕のホームページを開設して、2冊の著書より後の超知識も含めて、少しだけ公表し始めた。
2015年12月25日の深夜に僕は、階段を踏みはずして、左足首のかかとを骨折して、朝に福知山市民病院に入院して、入院中の2016年1月1日に『ホツマツタエ』16章を完全解釈し終わって、8冊目のノート『ホツマツタエ解釈3』が完成して、その後に文芸社へ送って、2023年7月11日に文芸社と縁切りして、8冊目のノートを行方(ゆくえ)不明と結論付けて、今に至る。
2018年5月に皇室がイスラエル文明と関係する可能性に気付いて、『死海文書』の「イスラエルの救世主」が皇室で、「アロンの救世主」が僕と考えて、11月6日に倭国(いのくに)研究会の福知山支部の古川昌宏氏と話をして、僕の足りない物に気付いて、ホームページを修正した。
2018年11月26日は、西暦251年(天皇不在の年)に強行即位した日本武(やまとたけ)天皇が伯母(おば)の倭姫命(やまとひめのみこと)を殺して、出雲王国(物部(もののべ)氏)に亡命したが、その後に出雲王国で邪馬台国(大和国;やまとこく)の政権奪取を企(くわだ)てたと気付いて、僕もまだまだ考え方が甘いことに気付いて、関連のホームページを修正した。
出雲王国(物部(もののべ)氏)の日本武(やまとたけ)天皇(男王;だんおう)は、邪馬台国(大和国;やまとこく)の息子の仲哀(ちゅうあい)天皇を殺害して、仲哀(ちゅうあい)天皇の正妻の神功(じんぐう)皇后(台与;とよ)が義父の日本武(やまとたけ)天皇を戦死させて、逆賊の日本武尊(やまとたけのみこと)を悲劇的英雄として歴史を改竄(かいざん)して、全てを有耶無耶(うやむや)にしたが、僕が隠れた真実の歴史をひもといた。
2020年4月4日の午後2時頃に僕は、73代目・武内宿禰(たけのうちのすくね)の竹内睦泰(たけうちむつひろ)氏が2020年1月13日に亡くなったと知って、2020年4月6日に初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)と出雲大社宮司家の千家(せんげ)氏の先祖である濡渟(うかずくぬ)が異母兄弟か従兄弟と判明して、関連のホームページを修正したが、その後に同母兄弟の可能性に気付いた。
は「盧へん」に鳥の漢字で、ホームページで表示できるが注意書きにする。
2020年4月中旬は、藤原氏の祖先神の津速産霊(つはやむすび)が武神の兵主(つわものぬし)と同一神と気付いて、「藤原氏の系図」のホームページを修正して、2020年5月上旬頃に千家(せんげ)氏と和珥(わに)氏と吉備(きび)氏の系図など、多くの古代豪族の系図を新しく作成して、「吉備(きび)氏の系図」と「埴輪(はにわ)」の章を論理的に証明して、2020年6月にある程度の記述や段落や章などのホームページをを整理・修正した。
2020年8月は、新しい章を少し加えて、ホームページを更新して、2020年8月下旬に「index.html」を大きく変更して、ホームページに新しい章を追加したりして更新した。
2020年9月12日に西暦251年の日本武尊(やまとたけのみこと)の反乱で、日本武尊(やまとたけのみこと)以外に仲哀(ちゅうあい)が皇位継承者だが、蘆髪蒲見王(あしかみかまみのみこ)も皇位継承者と考えられて、16日に三種の神器が間違いなく2種類あって、摂政(せっしょう)元年(西暦261年)の2皇子の皇位継承権争いを新しく求めて、11月にこのホームページの章などを更新した。
現在の三種の神器は、レプリカ(複製品)が存在するとされて、古代に三種の神器が2種類あった根拠にならないが、大和国(大和国;やまとこく)の仲哀(ちゅうあい)天皇と出雲王国(物部(もののべ)氏)の日本武(やまとたけ)天皇(男王;だんおう)の2朝廷並列時代、3度目の2皇子の皇位継承権争いなどを総合すると、古代に2種類あったと考えられて、はじき出される正当性が生み出す答えである。
古代天皇家の皇位継承権争いは、3度目の反乱が鹿坂皇子(かごさかのみこ)と忍熊皇子(おしくまのみこ)の兄弟の反乱と新しく気付いて、この2皇子の皇位継承権争いがあったとようやく気付いた。
鹿は「鹿」の漢字の下に弭で、ホームページで表示できるが注意書きにする。
2021年2月は、ホームページの年代を直して、新しい章などのホームページを少し追加したりして、2021年3月25日に父系(男系)と母系(女系)の天照大神(あまてらすおおみかみ)を区別して、4月にホームページを修正して、2021年7月に「天照大神(あまてらすおおみかみ)」や「女性天皇」や「女性宮家」や「神様も人物も女性中心」の章など女性皇族の皇室問題などを詳しく書き直して、父系(男系)と母系(女系)の皇室の血筋などをまとめ直して、他にも幾つかの章などを書き直した。
2021年9月に最初のページで必読すべき文章の「単純にそのまま解釈すること」などを追加して、他に幾つかのホームページも修正して、もみじヶ丘病院に入院中の11月9日に母方の天照大神(あまてらすおおみかみ;神功(じんぐう)皇后を神格化)の女系男子天皇を求めた。
2022年6月1日は、日本武尊(やまとたけのみこと)の不倫を完全に求めて、9月20日に倭姫命(やまとひめのみこと;卑弥呼:ひみこ)の殺害日と葬礼日や出雲王国(物部(もののべ)氏)の建国年などが判明して、10月18日に初代の崇神(すじん)天皇陵の最有力候補が判明するなど、新しい事実をどんどん特定し続けた。
2022年9月20日は、卑弥呼(ひみこ)の倭姫命(やまとひめのみこと;)の殺害日や葬礼日と出雲王国(物部(もののべ)氏)の建国年などが判明して、2022年10月18日が初代の崇神(すじん)天皇陵の最有力候補が奈良県橿原市の瀬田(せた)遺跡の円形周溝墓(えんけいしゅうこうぼ)と判明した。
2023年5月20日頃に僕は、『ホツマツタエ』のアスス歴を調べて、5月25日の午後5時頃に『古事記』の崩年干支(ほうねんかんし)の正しさに気付いて、古代天皇家の西暦年を詳しく特定して、6月7日の午前9時頃にネット検索で、中世哲学の神の存在証明を知って、僕が人類史上初めて神様の存在を証明したと気付いて、6月9日が天皇皇后両陛下の結婚30年目で、僕のホームページの更新が日付的に近くて、6月13日に1年9ヶ月ぶりに最初のホームページを更新した。
2023年6月13日から14日頃に僕は、ユーチューブのコヤッキースタジオの暴露動画を見て、竹内氏の関係者の神職が正統『竹内文書(たけのうちもんじょ)』を一般公開するのを知って、精神的に不安定になって、6月15日に最初の飛び下り自殺を計画して、6月18日の午後6時頃に僕のノートパソコンが不正アクセスされて、さらに精神的に不安定になって、翌日19日にヤマダ電機で、新型ノートパソコンを買って、その後に自分の操作ミスだが、ノートパソコンにサイバー攻撃されたと勘違いした。
2023年6月20日は、2度目のホームページ更新がされて、ノートパソコンにサイバー攻撃されたと勘違いして、6月25日にノートパソコンをヤマダ電機でプロ設定してもらって、6月28日に僕が精神的にやばい状態で、福知山市民病院で診察して、2度目のホームページ更新がされて、徒歩で中丹西保健所の駐車場に行って、2度目の飛び下り自殺を計画して、精神的にも体力的にも限界で、タクシーでクリニックまほらに行って、緊急で主治医に診察されて、自分でひどい状態と実感した。
2023年6月28日は、3度目のホームページ更新がされて、7月3日に4度目のホームページ更新がされて、7月6日に最後のホームページ更新がされて、この日に3度目の飛び下り自殺を計画して、7月11日に新宿の出版社の文芸社と縁切りして、文芸社に送った7冊目と8冊目のノートが行方(ゆくえ)不明と結論付けて、精神的に不安定になって、午後6時頃に4度目の飛び下り自殺を計画して、翌日7月12日にもみじヶ丘病院に医療保護入院した。
2023年5月から7月に僕は、5度のホームページ更新と4度の飛び下り自殺を計画して、竹内氏の関係者の神職が正統『竹内文書(たけのうちもんじょ)』の一般公開を予告して、ノートパソコンを不正アクセスされて、新宿の出版社の文芸社で、僕の出版してない本の内容を記したノートが行方(ゆくえ)不明になって、3段階で精神的に追いつめられて、タクシーで福知山市街に出て、色々買って散財したりして、精神的にボロボロで、自分で精神入院したいと考えた。
もみじヶ丘病院に医療保護入院した僕は、2023年7月15日の朝に和速日命(にぎはやひのみこと)を求めて、午後2時頃に水神と土の神様を求めて、午後4時頃に景行(けいこう)天皇時代の九州平定の年代を特定して、7月19日の午後5時頃に物部氏のイメージを求めて、7月21日の午後7時頃に神武(じんむ)東征(仁徳(にんとく)東征)の年代を特定して、これで古代天皇家の西暦年月を完全に統合して、長年の悲願を達成した。
2024年4月4日の午後は、「記紀」に出雲の建国神話がなくて、ネット検索して『出雲国風土記』の国引き神話(出雲の建国神話)を求めて、出雲の創造神の八束水臣津野命(やつかみずおみつののみこと;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)を特定した。
2024年8月は、ホームページの全体を大幅に修正して、今までの史料と比較できないほどバージョンアップして、この公表が大きな節目になるだろう。
2024年11月は、今年8月のホームページの更新から少なからず修正して、『古代天皇家の年表』の章に赤色と緑色の文字の区別を加えて、僕のホームページで唯一の古代天皇家の歴史を正確に統一して記した内容で、これを読むことで古代天皇家の歴史を正確に把握できて、これらの修正が圧倒的過ぎて、誰も僕の超頭脳(超感覚)や超知識を理解できない。

皇室の歴史は、『ホツマツタエ』や「記紀」などの歴史書を世界中で僕だけが正しく完全解釈できて、日本神話と邪馬台国(大和国;やまとこく)論争と倭(わ)の五王を完全にチェックメイトして、わずかな痕跡(こんせき)も見逃さないで、考古学(遺跡・遺物)と歴史学(歴史書解釈)を合致して、史実・真実・事実を求めた。
世界一の超天才の僕と現代人(僕以外の人間)の差は、神様と人間や宇宙と地球のような違いで、21年半以上の歴史研究で体得した超感覚(超頭脳)の神技(かみわざ)で、歴史研究の経験で生まれた感覚で、二度と作れない奇跡の御業(みわざ)だろう。

<参考文献>
『完訳秀真伝』
鳥居礼・編著者 八幡書店・発行
『日本書紀(上)全現代語訳―全二巻―』
宇治谷孟・著者 株式会社講談社・発行
インターネットの不明サイトから少々拝借

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