日本国内の家畜

日本国内の家畜を記す最古の書物は、『三国志・魏志倭人伝』で、3世紀中頃に北九州に牛と馬がいなくて、他にこの野生動物がいるとかいないと記述される。
『ホツマツタエ』は、小馬(こま;駒とも書く)と犬(えの)と牛(うし)などが記されて、『ホツマツタエ』の完成が6世紀から7世紀と考えられて、少なくとも5世紀以前に日本国内に馬と犬と牛などがいたと考えられる。
小馬は、「小さい馬」や「子供の馬」を意味して、『ホツマツタエ』編纂(へんさん)がされた時期に間違いなく、国内に馬がいたと考えられる。
『ホツマツタエ』37章の題名は、「鶏合(とりあ)わせ橘(たちばな)の紋(あや)」で、「とり」が鶏を指すと考えられる。
国内から最古の家畜の骨が出土しても、それが直接的にそれ以前に家畜がいた証明にならなくて、その歴史書がいつ頃に編纂(へんさん)されて、いつ頃の国内の様子を表すか正しく把握して、考古学的証拠と歴史書解釈が合致しないこともあって、正しい分析する必要がある。

日本最古の鶏は、奈良県磯城(しき)郡田原本町の唐古(からこ)・鍵(かぎ)遺跡で、弥生時代中期初頭(紀元前3から4世紀頃)に雄のヒヨコの大腿骨(だいたいこつ)が出土して、放射性炭素年代測定で特定して、コラーゲンタンパク質の質量分析で鶏と判明して、繁殖(はんしょく)目的で鶏を家畜化したと考えられる。
日本最古の犬の骨は、放射性炭素年代測定法で愛媛県上浮穴郡久万高原町の縄文時代の7200年から7300年前の埋葬犬である。
纏向(まきむく)遺跡は、1800年前の犬の骨が出土して、体長58cmで、背中までの体高が48cmの中型犬で、1才半以上の雌と推定して、骨が解体されず、儀式で供(そな)えられた可能性が高くて、縄文時代が番犬や狩猟犬で、弥生時代に犬が食用の習慣が伝わって、中国か朝鮮半島から送られた犬種と考えられて、2025年4月22日に再現した姿を公開して、卑弥呼(ひみこ)のヤマトヒメが飼(か)ってない。
日本最古の家猫(ヤマネコでなく、人に飼(か)い馴(な)らされた猫)は、2011年に調査して、長崎県壱岐市のカラカミ遺跡(弥生時代後半)から出土した橈骨(とうこつ;前腕の骨)とされる。
日本最古の馬具は、箸墓(はしはか)古墳(景行(けいこう)天皇陵)の周壕から出土した木製輪鎧(わあぶみ)で、4世紀初めの土器と共に出土して、この頃に投棄されたと推定される。
日本最古の馬の骨は、山梨県甲府市の塩部遺跡の方形周溝墓から出土した4世紀後半代の馬歯である。
日本最古の牛の骨は、長崎県五島市の弥生時代中期から後期の遺跡で出土した牛の歯で、『三国志・魏志倭人伝』の牛がいない記述と合致しなくて、末盧国(福岡県福津市西部)から伊都国(福岡県田川郡糸田町)の辺りで見かけなかっただけと考えられて、弥生時代後半の日本各地に牛がいたと考えられる。
弥生時代の豚や鶏の骨は、九州や本州から多く見つかっている。

国内の家畜は、牛と馬と犬と猫と鶏と豚などが古くからいたと考古学的にも証明されて、『ホツマツタエ』などの記述もしっかり分析できれば、歴史書解釈でもちゃんと証明することができて、超天才の僕の完全解釈も重要で、2025年4月23日の午後5時20分頃に修正した。

<参考文献>
『新訂 魏志倭人伝 他三篇―中国正史日本伝(1)―』
編訳者・石原道博 発行株式会社・岩波書店
『完訳秀真伝』
編著者・鳥居礼 発行・八幡書店
インターネットの不明サイトから少々拝借

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