作られた系図


これは出版していない3冊目以降の本の著作権を含む。


2003年4月頃に僕は、欠史(けっし)八代の後半の孝安(こうあん)天皇から崇神(すじん)天皇までの系図が崇神(すじん)天皇から仲哀(ちゅうあい)天皇までの系図と共通して、祖先化した系図と証明した。
しかし僕は、2022年11月25日に初めて『ホツマツタエ』の祖先化した系図を調べて、基本中の基本をおろそかにして、大切なことを忘れ去っていたと気付いた。
僕は日本神話の神々が実在の人物を神格化して、その後で祖先化を特定して、発展上に子孫化の概念に気付いて、系図の神格化・祖先化・子孫化を基本にして、僕の歴史研究の特定方法で、2023年5月31日に修正した。

実兄の天足彦国押人命(あまたりひこくにおしひとのみこと;彦坐王(ひこいますのみこ)を祖先化)は、和珥(わに)氏の始祖で、崇神(すじん)天皇の異母兄弟の彦坐王(ひこいますのみこ)が和珥(わに)氏の出身で、彦坐王(ひこいますのみこ)が崇神(すじん)天皇の異母兄弟でなく、実兄と考えられる。
孝安(こうあん)天皇は、崇神(すじん)を祖先化して、孝霊(こうれい)天皇が垂仁(すいにん)天皇を祖先化して、孝元(こうげん)天皇が景行(けいこう)天皇を祖先化した。

孝霊(こうれい)天皇(垂仁(すいにん)天皇を祖先化)と倭国香姫(やまとくにかひめ;樺井月姫(かばいつきひめ)を祖先化)は、倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと;倭姫命(やまとひめのみこと)を祖先化)と倭五狭芹彦命(やまといさせりひこのみこと)と倭稚屋姫命(やまとわかやひめのみこと)の3つ子を生んだ。
垂仁(すいにん)天皇と皇后の樺井月姫(かばいつきひめ)は、卑弥呼(ひみこ)の倭姫命(やまとひめのみこと)と倭五狭芹彦命(やまといさせりひこのみこと)と倭稚屋姫命(やまとわかやひめのみこと)の3つ子を生んだ。
倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)は、古代太陽神の大物主神(おおものぬしのかみ)の妻で、伊勢神宮の斎王(さいおう;太陽神に仕える未婚の皇女)の倭姫命(やまとひめのみこと)を祖先化して、邪馬台国(大和国;やまとこく)論争の卑弥呼(ひみこ)で、父方の太陽神の天照大神(あまてらすおおみかみ)に神格化して、太陽神つながりで証明した。

孝霊(こうれい)天皇(垂仁(すいにん)天皇を祖先化)と?姫(はえひめ;迦具夜姫(かぐやひめ)を祖先化)は、兄稚武彦命(えわかたけひこのみこと;祖別命(みおやわけのみこと)を祖先化)と彦狭島命(ひこさしまのみこと;五十足彦命(いしたりひこのみこと)を祖先化)と弟稚武彦命(おとわかたけひこのみこと;胆武別命(いたけわけのみこと)を祖先化)の3つ子を生んで、兄稚武彦命(えわかたけひこのみこと)が吉備(きび)氏の始祖である。
垂仁(すいにん)天皇と山城不遅(やましろふち)の娘の苅幡戸辺(かりはたとべ)は、祖別命(みおやわけのみこと)と五十足彦命(いしたりひこのみこと)と胆武別命(いたけわけのみこと)の3人兄弟を生んだ。
垂仁(すいにん)天皇と迦具夜姫(かぐやひめ)は、祖別命(みおやわけのみこと)と五十足彦命(いしたりひこのみこと)と胆武別命(いたけわけのみこと)の3つ子を生んで、祖別命(みおやわけのみこと)が吉備(きび)氏の始祖である。
祖別命(みおやわけのみこと)は、吉備(きび;岡山県と広島県東部)を平定して、その統治者で武家の吉備(きび)氏の先祖で、古代天皇家で初めて古代中国の後漢王朝の使者になって、非常に重要な人物である。

開化(かいか)天皇(日本武尊(やまとたけのみこと)を祖先化)は、逆賊の武埴安彦命(たけはにやすひこのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を祖先化)と同一人物で、日本武尊(やまとたけのみこと)と成務(せいむ)天皇も同一人物で、日本武尊(やまとたけのみこと)を汚(けが)れのない清廉潔白な人物にしようと偽装工作した。
皇太子の日本武尊(やまとたけのみこと)は、父の景行(けいこう)天皇の妾(めかけ)である弟橘姫(おとたちばなひめ)が義父の野見宿禰(のみのすくね)が亡くなって、落ち込んだ時に慰(なぐさ)めて不倫して、弟橘姫(おとたちばなひめ)を正妻にした。
弟橘姫(おとたちばなひめ)の故郷の出雲王国(物部(もののべ)氏)に日本武尊(やまとたけのみこと)は、20年から30年近くいて、7人の息子をもうけて、景行(けいこう)天皇57年(西暦247年)の熊襲(くまそ)王国の討伐までに奈良県に戻って、西暦251年に皇族に認められない日本武(やまとたけ)天皇になって、伯母(おば)で卑弥呼(ひみこ)の倭姫命(やまとひめのみこと)を殺して、後で出雲王国に亡命して戦死した。

大彦命(おおびこのみこと;武虎別皇子(たけこわけのみこ)を祖先化)は、阿倍(あべ)氏の氏祖で、武虎別皇子(たけこわけのみこ)が阿倍(あべ)氏の出身で、武虎別皇子(たけこわけのみこ)が北陸平定の総大将で、息子の武渟川別(たけぬなかわわけ)が東海平定の武将で、親子が優秀な武将だった。
孝元(こうげん)天皇(景行(けいこう)天皇を祖先化)の曾孫の初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)は、景行(けいこう)天皇の曾孫で、母方が物部(もののべ)氏の血筋で、初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)の直系子孫が竹内(たけうち)氏である。

崇神(すじん)天皇の皇后の御間城姫(みまきひめ)は、大彦命(おおびこのみこと;武虎別皇子(たけこわけのみこ)を祖先化)の娘で、仲哀(ちゅうあい)天皇の皇后の神功(じんぐう)皇后を祖先化して、景行(けいこう)天皇の息子の武虎別皇子(たけこわけのみこ)が父で、作られた系図を証明した。
崇神(すじん)天皇の皇后の御間城姫(みまきひめ)は、実兄の彦坐王(ひこいますのみこ)の娘(姪;めい)である御井津比売(みいつひめ)を祖先化して、彦坐王(ひこいますのみこ)と子孫の武虎別皇子(たけこわけのみこ)が物部(もののべ)氏で共通して、うまく偽装工作して作られた。

祖先化した系図は、非常に優秀な偽装工作だが、僕が特定して潰(つぶ)した簡単な考え方で、分かってしまえば現代人(僕以外の人間)でも簡単に求められる基本中の基本にすぎない。
『ホツマツタエ』は、超高度な考え方で作成して、「記紀」に続けて採用して、1300年近く僕以外に誰も気づかなかった見事な偽装工作だった。

<参考文献>
『ホツマ物語』
鳥居礼・著者 株式会社新泉社・発行
『日本書紀(上)全現代語訳―全二巻―』
宇治谷孟・著者 株式会社講談社・発行
『完訳秀真伝』
鳥居礼・編著者 八幡書店・発行
『古代日本史への挑戦』
僕・著者 株式会社オカムラ・発行
インターネット

戻る